昭和の大歌手・低音の魅力で歌謡界の黄金時代を築いたフランク永井(本名 永井清人)は、大崎市松山出身です。
私たちは、常々地域の誇りであるフランク永井に関する地域事業などをしたいと思っておりました。
そんな折、平成の合併が行われ、私たちが暮らす旧松山町は旧一市六町が一つになり、2006年3月31日に新市大崎市が誕生致しました。
合併後間もなく、七十七ショックが起き、七十七銀行松山支店が松山出張所に格下げになり、スパーマーケットが撤退をしたり.......松山地域はどんどん元気を失くし、地域が疲弊して行きました。大崎市の中で一番小さな共同体である人口7,000人弱の松山地区を元気で活気ある地域にしたいという思いはどんどん強くなって参りました。
そんな時に、大崎市地域自治組織である、松山まちづくり協議会教育文化部会の会議の中で「フランク永井歌コンクール」をやってみようという話が持ち上がりました。郷土の誇りである、フランク永井の名曲を歌い継ぐことで地域貢献をして、この地域をフランクさんの歌の力で元気にしたという熱い思いが込み上げてきました。
丁度その頃、大崎市では第1回「チャレンジ事業交付金」事業を企画し、ヤル気のある地域には交付金を出しますよというキャッチフレーズでチャレンジャーを募集しておりましたので、松山まちづくり協議会教育文化部会でTryすることになり.....無事採択され、交付金を頂き、それを原資にして第1回「フランク永井歌コンクール」開催にこぎつけました。
その後、2008年10月27日には、フランク永井さんがお亡くなりになり、郷土松山は深い悲しみに包まれましたが.......第2回「フランク永井歌コンクール」は、予定通りフランクンさんの誕生日の月、3月に開催することが出来ました。
第2回目も再度チャレンジ事業に挑戦をして交付金を頂きながら、フランク永井歌コンクールを松山の地域事業と位置づけて開催することが出来ました。
フランク永井は、2009年3月大崎市特別功績者第1号に認定され、実弟の永井 奨氏が第2回「フランク永井歌コンクール」開催前に多くの方々が見守る中で大崎市長より認定書を受け取りました。
今年3月には第3回「フランク永井歌コンクール」が開催され、今回は市からの交付金はもらわずに、松山まちづくり協議会からの支援だけで開催することが出来ました。毎回140名近くの出場者が予選会で、フランクさんの曲を熱唱し、名曲の素晴らしさをしっかりと歌い継いで下さっています。
第1回「フランク永井歌コンクール」の時には県外出場者は3名だけでしたが、2回目は21名に増え、3回目の時には米国カルフォルニア州モントレー市からも出場して頂き、ラブ・レターを歌唱した照井・ノビさんは準優勝に輝きました。(優勝者の詳細については過去の記事欄に掲載しています。)
「フランク永井歌コンクール」は、地域事業としての知名度が少しずつ増し、フランク永井歌コンクール実行委員会のスタッフは嬉しい限りです。
フランク永井歌コンクールの開催に関しての基礎づくりが、やっと仕上がりつつあるところまで進んで参りましたが、これからは、更に格調高い歌コンクールへと育てて参りたいと考えております。
そして、数多くのフランク永井の名曲を出来るだけ多くの方々に歌い継いで頂き、ほんものの歌手の素晴らしさを再認識して、フランク永井の名曲が流れる元気ある地域になってほしいと願っています。
記:第1回・2回「フランク永井歌コンクール」実行委員会
事務局担当 自在窯&ギャラリー 小野寺京子