
和田弘とマヒナスターズのメンバーであった松平直樹さんが亡くなりました。こころからご冥福をお祈りいたします。
1955(S30)年~1970(S45)、1985(S60)年~2002(H14)年和田弘とマヒナスターズ、2004(H16)~2022(R4)マヒナスターズに属しました。
マイナスターズの初期はハワイアングループで、マスター和田弘のスチール演奏と、男声の裏声による歌唱が、見事にハワイアンのイメージを印象付けました。デビュー曲が「泣かないで」。ハワイアンと言えばそのムードで、常夏の夢と知られたハワイ、誰もそう簡単に行けなかった南国の雰囲気をかもしだしました。
松平は甘いマスクと独特の歌唱で人気があり、トークも上手で、マヒナに加わるやいなやマヒナの顔になった感じでした。
ビクターとしても力を惜しまず、大御所のフランク永井の恩師吉田正と作詞家佐伯孝夫を投入して、次々と曲を提供しました。
松尾和子と組んで歌った「誰よりも君を愛す」(1955)は日本レコード大賞を受賞しました。
さらに印象に残っているのは、田代美代子と組んだ「愛して愛して愛しちゃったのよ」(1965)という曲です。
1964年には松尾和子と組んだ「お座敷小唄」は、リズムのよさもありますが、全国どこでも聞かれました。この曲を発掘したのが松平です。
松尾和子のデビュー曲は「グッド・ナイト」ですが、これをビクターはマヒナと組ませました。このときに、そのA面を飾ったのは「東京ナイト・クラブ」です。この豪華さは、実際に大当たり、松尾は急に人気歌手となりました。
当時は大ヒットを飛ばしていたフランク永井でさえ、流行は盤のカップリングでした。レコード会社が売り出したい歌手を人気歌手と同じ盤で出すという作戦です。フランク永井も「夜の招待」では松尾だけでなく、マヒナと一緒に歌っています。
その後写真にあげたのですが、マヒナの「愛はしみじみするものさ」のB面で「街角」を歌っています。
余談ですが、「お母さん」というマヒナA面の裏面で「白いバラ」をフランク永井がかざっているのですが、この盤はなぜか、レア中のレア盤です。私が「フランク永井データブック」のためにフランク永井の曲をかたっぱしから収集したのですが、「白いバラ」を見たのは、2020年ごろでした。
「白いバラ」という曲もB面である都合で、ビクターからのデジタル化のなかでも、まだ未発売の状態です。
最初に触れましたが、松平はマヒナの歴史にかかせない人物ではあるのですが、ずっとマヒナにいたわけではありません。というより、マヒナのメンバーはしょっちゅう入れ替わりました。
テレビに出るにしても、例えば北島三郎という一人の歌手とグループの人数はおおくても、番組的には一つの扱い、つまりギャラも多少人数は考慮されても、一つとして、代表和田弘に一括で支払われます。
内部で貢献度?によって分割されますが、すべてはボスの一任で、このあたりが内紛の原因であることが察せられます。
オレの力量ならグループから離れてもやっていける、と判断して自立をします。だが、なぜか、本人の思いと異なり、売れない。結局元のグループに帰還するという例が見受けられます。だから、松平をみると、そんなことを思い出します。
和田弘とマヒナスターズのデビュー曲は「泣かないで」です。続いて出したのが「夜霧のエアーターミナル」です。私的にはこれが好きで、ときどき聴きます。
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