BSTV東京「武田鉄矢の昭和は輝いていた」で橋幸夫特集

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 5月13/20日に放送されました。フランク永井の恩師吉田正と佐伯孝夫がビクターから送り出した橋幸夫。1年後に喜寿80歳を迎えるにあたり、先ごろ芸能界からの引退を宣言して話題になったばりかでした。
 ここでは音楽プロデューサである八田郷士さんが登場されるということで楽しみました。八田さんは拙著「フランク永井魅惑の低音のすべて」(フランク永井データブック)を発刊する際に、本来なら、ほとんどが著作権にかかわる写真等であることから著作物になりえないような内容にかかわらず、ご努力いただいて実現にこぎつけることができました。たいへん感謝しているお方です。
 八田さんはフランク永井に限らず、橋幸夫の作品のプロデュースも手がけていて、当日も紹介されていた「花の喧嘩旅」(1975、作詞佐伯孝夫、作曲吉田正)を発売しています。

 2回にわたって、延べ13曲、橋幸夫の代表曲が流されました。橋幸夫は遠藤実の弟子でしたが遠藤所属のコロンビアでデビューかなわず、遠藤はそうとうの逸材だと判断したことを察せますが、ライバルの大御所吉田正がいるビクターに紹介するに至ります。ファンなら誰でも知るエピソードですが、遠藤は「舟木一夫」の芸名を考えていました。しかし、恩師吉田は本名の一字を変えただけでデビューさせます。フランク永井のデビューから5年後です。
 吉田正は、最強コンビの作詞家佐伯孝夫と組んで「潮来笠」でスタートを切らせました。股旅物の歌に新人を当てたこともあり、橋のべらんめい江戸弁なまりも効き、大注目されました。その後の展開は皆の知るところです。
 吉田正は、橋が若いだけに、彼へさまざまな試行錯誤の挑戦をしました。股旅物、青春歌謡、リズム歌謡、デュエットとか。そして、舞台、映画、公演と、昭和歌謡の全盛時代で、多忙をきわめました。
 橋幸夫の人となりの特徴でしょうが、生みの親という遠藤実が「ミノルフォン・レコード」で独立します。そのときに、育ての親吉田正から離れます。この後のことはあまりここでは話題になりませんでしたが、意気込みだけでは成功にはおよばず、ついにここも離れます。
 恩師吉田正の太っ腹というか人間性の幅の広さが、大変すばらしいのですが、その橋の復帰を受け入れ、歌から離れていた橋を再び歌手として育てます。
 橋幸夫は、本人も番組で発言していたように、素晴らしい二人の恩師にめぐまれ、歌でも、映画でも、舞台でも、そして事業でも多くのことを経験し、人生に満足しています。めぐまれた人生であったと思います。
 遠藤実は橋幸夫にみずから作詞作曲した「歌」を送っています。聴けばわかりますが、美空ひばりの「川の流れのように」の印象です。

 フランク永井と橋幸夫との関係は先輩・後輩ですが、歌での交流もあります。橋幸夫はフランク永井の「有楽町で逢いましょう」「おまえに」などを過去にテレビ番組で歌っています。フランク永井は橋の「潮来笠」を歌っています。
 二人とも恩師が吉田正であるのですが、歌の路線に相違があることから、互いがカバーすることはほとんどありませんでした。だからフランク永井が橋のデビュー曲「潮来笠」を歌うというのは、極まれです。これはフランク永井の十巻全集に納められましが、2014年発売の「フランク永井ザ・カバーズ~歌謡曲・演歌1」に収録されています。
 フランク永井の股旅物というかマゲ物というか、時代劇をうたったものの珍しい歌です。機会があれば、ぜひ聴いてみてください。

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このページは、文四郎が2022年5月23日 14:46に書いたブログ記事です。

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