第3回・歌手生活20周年記念「魅惑の低音・フランク永井大全集」でのフランク永井評

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 歌手になって20年、1975年に発売された「魅惑の低音・フランク永井大全集」での、著名人・評論家による、フランク永井についての称賛の3回目を紹介します。
 現在は世界的にコロナ禍とウクライナ紛争のもとにあります。その戦争という人間究極の理不尽のなかで、人々は軍歌を歌います。そのあたりとも関係深いことが語られています。
 フランク永井は「幼子よ」「おきなわ」など、戦争の犠牲を歌っています。軍歌はこの大全集と、オムニバス・アルバム「日本軍歌大全集」で歌っています。
 貴重な文書で、フランク永井の記録を残すためにも大事なことと思い、取り上げさせてもらいます。(適宜編者の判断で小見出しを付けたり、文字表記を変えています)

■風雪を超えた「にんげんのうた」(軍歌の研究:八巻明彦)

◆フランク永井と軍歌のかかわり
 フランク永井の二十年にわたる歌手生活というものは、ただ単に二十年間歌い続けて来たという、時間的な経過を指すのではありません。二十年間に歌い上げ、表現し続けて来たものは、すでに四十代に仲間入りしたフランク永井の、その四十余年にわたる人生の、時々刻々の表出というべきものでありましょう。
 その意味において、昭和一ケタ生まれの彼、フランク永井が、軍歌(戦争歌謡をも含めて)とかかわり合いを持つことに、何らの不思議はないし、抵抗もないと私は思うのです。〝十五年戦争始まり〟とまで呼ばれた、あの満洲事変の頃に生を亨け、少年時代の前半を戦争の中で送った男にとって、戦時中の感覚を最も具体的に記憶し、刻み込んで来たもの、それこそ軍歌であったからです。
 もちろん、軍歌と呼ばれる歌の数々が持っている感覚とか、味わいとかいったものは、フランク永井が二十年にわたって構築し、展開して来た歌の世界のそれとは、まるで違った種類のものです。ですから、彼が手がけた軍歌を、無理に〝ムード軍歌〟などと短絡的に呼ぶつもりは毛頭ありません。それは、全く違ったものであるからです。

◆〝情〟の世界こそ、新の世界を支える大きな柱
 といって、全く次元を異にするものかと申せば、それもまた、違ったいい方といわざるを得ません。フランク永井が切り開き、作り上げて来たものも、すでに最も新しいものでさえ三十年の昔に作られた軍歌も、等し並みに〝歌〟である、という点で結びついているのです。
 〝歌〟が描くものはなにか? いうまでもなくそれは〝情〟の世界です。人間の心の営みとして指摘される「知・情・意」の三つの中で、その中程に位する〝情〟の世界こそ、新しい世界を支える大きな柱です。
 もとより、軍歌の中には、かなり〝意〟の分野を前面に押し出した作品も多数あります。軍歌というものが、戦争という、国と国、民族と民族との間に起こる大規模な闘争であってみれば、その間に生み出された〝応援歌〟としての軍歌が、まず第一に〝戦意昂揚〟ということを目的として、何よりもまず〝意〟をその原動力としたものである以上、これは当然のことでありましょう。
 かの有名な「リリー・マルレーン」にしても、原作者が弾いてきかせたそれは、テンポの速い、快活なメロディーであったと申します。そういうものだと思います。それが、まず軍歌なのです。そして、やがて、その中の〝情〟が生きるようになるのです。
 フランク永井の歌が深く根ざした〝情〟の世界と、彼が少年時代を過ごした軍歌の時代の〝情〟の世界とは、歴史的な表向きの表情のその奥底に、実は一貫して流れるものがあったのです。それが、敗戦後三十年という時間が経過し、戦争を罪悪視する一般の風潮が圧倒的な現在でもなお、若い人々の間にさえ、軍歌を口ずさませる一つの原因となっているのです。

◆軍歌が愛されるのは〝いい曲〟だから
 フランク永井の恩師である作曲家の吉田正氏は、このLPのレコーディングに立ち会った折、こう洩らしておられました。
 「何故今でも軍歌が愛されるのか? とよく聞かれるが、答えは実に簡単ですよ。軍歌にはいい曲が多いからです」。
 実に簡潔な一語ですが、それが、本当の話だと思います。
 〝いい曲〟だからこそ、当時を追憶しながら年輩の人たちは歌い、いい曲だからこそ、若い世代も耳を傾けるのです。
 そして、その〝いい曲〟であるもののほとんどは〝情″の世界に深く根ざし、そこに人間の営みの深い哀しみを感じとった作品ばかりである、ということが出来ます。
 例えば、戦場における最大の哀しみは何か?
 いうまでもなく、戦友との生死の別れに留めをさします。それは、極限の状況における〝人間別離の哀しみ″と申すべきでありましょう。
 今回、フランク永井がとりあげた「戦友」「あ、我が戦友」そして「戦友の遺骨を抱いて」の〝戦友三部作″こそ、この哀しみをぐっと噛みしめて指し示す、ギリギリの〝情″の世界なのです。
 三部作という言葉を使いましたが、これは決して意図的に成立したシリーズの三曲ではありません。すでにご承知のように「戦友」は、日露戦争の時代に作られたものです。「あ、我が戦友」は、これを受けて支那事変直前のいささか平和を保っていた時期のもの。そして「戦友の遺骨を抱いて」は、大東亜戦争初期、マレー戦線において実戦場の硝煙の中で作られました。
 いずれも、戦死した戦友を偲ぶ悲痛を感情を表出させた点に共通性があり、それだけに長く愛唱され続けて来ているのです。それぞれ異った時代背景の中で生まれた歌でありながら、根ざしている基盤は共通するヒューマニティであり、だからこそ、人々の心に絡み込んで忘れることの出来ぬメロディーとなったのです。

◆風雪を超えた〝にんげんのうた〟を歌い上げる
 それは、今回特に取り上げた吉田正シベリア時代の作品「異国の丘」「とけろ港よ」などにも共通するものです。戦争終了後、何年ものあいだ、シベリアという極限の地において抑留され、望郷の念一筋に生き抜いた男の歌が、この一連の作品なのです。〝戦死シリーズ〟が消え果てた彼方に生まれた、この数々の「歌」。
 これこそは、〝怨〟であり〝恨〟あり〝悲〟であり〝哀″であって、最も純粋な形での〝情〟の世界を描き上げた歴史的な作品群です。
 その間を理め尽くす肉親の情、従軍看護婦の人類愛。いずれも、人々の心に鳴り響き続けて来た調べばかりです。〝にんげんのうた〟と呼んでいい歌ばかりです。
 〝人間復興〟を旗印に歩んで来た吉田正氏が、手塩にかけて育て上げたフランク永井。その彼が、風雪を超えた〝にんげんのうた〟を歌い上げることの意味を、私は改めて噛みしめてみるのです。

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このページは、文四郎が2022年4月 4日 12:28に書いたブログ記事です。

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