2022年3月アーカイブ

 
 フランク永井の出演しそうな番組は、朝新聞をみてチェックしています。最初の放送がされたときに、たいがいは当ブログで紹介しています。もしかして初回の放送かと期待を込めてみるのですが、今月は2つの番組、いずれも再放送でした。
 ひとつは、NHKBSプレミアム「新・BS日本のうた」。昨年終戦の日に放送された「作曲家吉田正生誕百年記念コンサート」。もう一つは、BS11の歌謡番組「八代亜紀いい歌いい話」の「フランク永井名曲集」です。
 いずれについても、ブログで紹介しているので、個々については触れません。
 ただ、前者は、フランク永井の恩師、国民栄誉賞を受賞している吉田正という昭和歌謡の偉大な作曲家の生誕百周年という、記念すべき催しで、それにふさわしい番組だと、つくづく感じ入りました。
 番組に重きを添えたのは、やはり女優吉永小百合の出演でしょう。今では押しも押されぬ大女優です。だが、自分は俳優だとして、そして歌はうまく歌えないとして、音楽番組にはほとんど出演してきませんでした。
 若かった彼女は映画に出るや超人気のアイドルで、サユリストなるファンが登場するほどでした。彼女の若さとピュアな気持ちを演技にぶつけた姿は、若者を強く引き付けるものがありました。番組でも語っていますが、ビクターのプロデューサ武田さんが、歌の世界にも引き込んだのです。ご本人は、自分の主張を通すのではなく、彼女を信頼するということから、歌の世界にも飛び込んだのです。
 吉田正は彼女の持つ芯のある姿勢を見抜いて、吉永のために多くの曲を作りました。この歌の世界でも、映画の合間をみて歌い続けたのですが、ある時点で歌を歌わなくなります。同時に売れるからと言って、間断なくさまざまなテーマの映画を求めてくる映画出演にも疑問を感じていきます。一人の人間としての自分は何なのかと真剣に考えます。
 その吉永が恩師の百周年に出演したのです。それは、果敢な青年時代に抱いた気持ちを、吉田正が受け止め、見抜き、見守ったことへの感謝であり、ここで恩を行動で示さなければならないと感じたのだろうと思われます。
 
 今世界ではまさに、戦争が展開されています。戦争に兵として徴収され、大陸に出向き、やがては敗戦国の捕虜として、厳寒の地に抑留まで強いられた吉田正は、自分のことはあまり話さず、歌作りに思いを込めました。
 決して戦争を繰り返してはならない。人間としての究極の理不尽が強制される戦争は、人間の力でこの世から終わらせなければならない、そのような強い意思が吉田作品には込められています。
 このような気持ちを、まさに、今、再認識をさせる番組でした。
 
 さて、全然異なる話です。購読している朝日新聞には、毎月だと思えるのですが「定年時代」という数ページのタブロイド新聞が配られます。これまでも、幾度か紹介してきました。その「3月下旬号」で「童謡、世代を超え絆を紡ぐ、初代うたのおねえさん、眞理ヨシコさん」という記事をトップで紹介していました。
 数年前に「ラジオ歌謡」を紹介したブログで、舞台に出演して歌う彼女を紹介しましたが、1962年第4回日本レコード大賞作詞賞をフランク永井が「月火水木金土の歌」で得たさいに、一緒に歌ったのが眞理ヨシコと松島みのりです。この歌は今でもNHKも子供番組で、さまざまなうたのおねえさんの歌唱で歌われ続けている名曲です。谷川俊太郎作詞、服部公一作曲です。
 眞理は現在すでに、83歳ですが、歌唱は素晴らしいものです。童謡は世界遺産だ、童謡を歌い継ぐとして「水芭蕉コンサート」が5月開催予定です。歌を歌い継ぐということのテーマに、今でも精力的に力を注いでいるという姿には感銘を受けます。フランク永井も同じ気持ちで、声援を送っているのではないかと思う次第です。
 永井も同じ気持ちで、声援を送っているのではないかと思う次第です。

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 3月14日俳優宝田明がお亡くなりになりました。心からのご冥福をお祈りいたします。字がうまいですねぇ。

 今月18日はフランク永井の誕生月です。前回ご案内しましたが、フランク永井歌コンクールは3年続いての延期になりました。歌コンクールは当初誕生月に開催されていました。
 3月は年度末であることから、全国的に多忙であることから、月命日である10月に開催されるようになりました。しかし、世界を覆うコロナ禍の影響は甚大です。参加者も観衆にとっても、安全で安心できる状態で、歌コンを心から楽しむのが目的であることから、やむなく延期を決定したものです。
 さて、写真ですが、フランク永井の幼稚園児のものです。公表されている写真で一番古いものです。今回は、大正時代の例にならって着色して当時の雰囲気を出してみました。
 両親の前で5人の兄弟姉妹が勢ぞろいしています。フランク永井は左から2人目です。これを見ると、下から二番目になるのですかね。

 3月14日、日テレBSの歌謡番組「歌謡プレミアム」で、演歌歌謡曲第7世代が紹介されるということで、鑑賞させていただきました。
 遅ればせながら「第七世代」とは知りませんでした。どうも、2010年代後半頃から台頭を始めた若手お笑い芸人の総称として「お笑い第七世代」という言葉があるようで、これを真似て演歌歌謡界にあてはめた用語のようです。
 多くの歌手がいそうですが、当日の番組では主に、新浜レオン、彩青、二見颯一、辰巳ゆうと、青山新が紹介されていました。
 以前に青山新が吉田正作曲の「霧雨の夜は更ける」を歌っていたのを見て、素直な歌い方で、若いのにうまいなぁと紹介したことがありました。
 今回この面々が歌うのを聴いて、どの歌手のなかなかやるな、と好感をもてました。
 彩青は細川たかしの弟子だとのことですが、歌い方は師匠にそっくりです。三味線も尺八もとたいへん器用な歌手で、こらかも期待できます。
 辰巳ゆうとについては、今まで何度も三波春夫の長編歌謡浪曲を演じているのを見ていました。この分野は、三山ひろし、山内惠介、市川由紀乃などが挑戦していますが、若手の注目はこの辰巳ゆうとです。
 このように、難しいテーマに挑戦すること自身、大変感心します。歌い続けられる三波春夫は幸せだなと思います。フランク永井の歌コンもそうですが、若い方が「受け継ぐ」というところに大きな意義があります。
 フランク永井の歌のも若手にどんどん歌ってほしいものです。

 宝田明は満州生まれで子供の時期に戦争を経験けがもしました。フランク永井の恩師吉田正は戦地でソ連に連行され長くつらい抑留生活を体験しました。お二方は戦争反対の立場から、それを訴え続けながら俳優、作曲をされ、大きな功績を残しました。、
 現在、ウクライナ戦争で世界的に戦争反対を訴える声があがっています。戦争は人間にとって、究極の理不尽が強いられます。安寧な生活を望む民には、誰も戦争には反対です。これは、人間社会が生まれて以来の民の願望です。
 だが、どれほど多くの民が戦争に反対をしても、残念なことに戦争は根絶できません。戦争の永久根絶=平和の永久実現を求めてやまない私には、ただ反対をとなえ、悲惨を訴えるだけでは、民の望みが実現されない現実をみつめています。さらに乗り越えた何かをと、つらつら考えている昨今です。
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 コロナ禍のために、フランク永井ファンが開催を期待してきた「歌コン」は、今年も延期となりました。
 大変残念なことですが、終焉の見通しが見えない中なので、やむを得ない判断であったと思います。実行委員会の苦渋の思いが察せられます。
 歌コンは2001年の311をまたいで過去11回開催されています。フランク永井の生誕地である、大崎市松山で町おこしの大切な催しとして開催されてきました。
 町の住民の多数が直接ボランティアで参加する形でのイベントで、大崎市が支援する大きな年間行事です。一年かけて大がかりな準備をして、フランク永井が亡くなった月である十月に開催されています。
 このイベントは日本全国からファンが申し込みされています。百数十の申し込み枠が埋まった時点で締め切られるのですが、フランク永井の歌を歌い継ぎたいという方の多さに圧倒されます。過去には外国からも何名か参加されました。ファン層は世界中に今もおられることがわかります。
 歌コンに参加するからには、当然でしょうが、翌日の決勝戦に参加することを狙い、優勝を目指します。だから、普段から練習をする必要があるのですが、まさに現在のコロナ禍で厳しい環境にあります。
 カラオケ店での練習ができないことです。前橋市のチームなどは、年に必ず一度は集まって普段の練習の成果を互いに確認していたのですが、ここ集まることが控えられていて、実現されていません。
 参加するためには後悔しないように練習を積むのですが、それができません。同様に、実行委員会でも集合が制限され、早く日常が取り戻され、みんなが満足行く状態で、安心して楽しめるようになることを待つしかありません。

 先日、いつも行っている整髪店にいきました。そこでは私がフランク永井のファンであることを存じているので、話しかけてきました。
 それは、知り合いからCDをいただいたのだと。中身は「賢多山ちゃん~魅惑のムード全集V」というもので、曲は19曲入っていて、最初の4曲はフランク永井のものでした。
 その場で早速聴かせていただきました。「有楽町で逢いましょう」「西銀座駅前」「東京午前三時」「公園の手品師」。
 東日本大震災復興チャリティ・ライブでの録音だとのことです。写真のようなCDにまとめて、自費作成をしたもののようです。
 こうした方々が、おそらく多数おわれるのだろうと思います。感謝、感謝です。
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 「魅惑の低音・フランク永井大全集」は、フランク永井についての情報の宝庫です。デビューして20年、1975年時点の交流関係がよくわかります。フランク永井をファンとする方々は多方面にいました。同じ音楽界に限らず、落語界、スポーツ界、政治・経済界と幅広い交流がありました。
 一様にフランク永井の飾らない人間性をほめたたえています。それに歌唱に「品を感じる」という声が多いのが特徴です。
 この十巻全集に添付されているインナーノートには、何人かの方が紹介文を添えています。前回に引き続き、紹介させていただきます。貴重な文書で、フランク永井の記録を残すためにも大事なことと思い、取り上げさせてもらいます。(右の写真は母君と)

低音の魅力と役割(森田潤:ジャーナリスト)

◆高音美声が大衆歌謡の伝統だった
 フランクが、初めて歌謡曲のレコードを出したのが、昭和三十一年、「場末のペット吹き」だった。
 その前後は、曽根史郎の「若いお巡りさん」、三橋美智也の「リンゴ村から」、鶴田浩二の「好きだった」、それに 三浦洸一の「東京の人」、春日八郎の「流転旅がらす」などがヒットしていた。
 その一方で、東海林太郎をはじめとするベテラン陣、藤山一郎、灰田勝彦、岡晴夫、青木光一、ディック・ミネ、林伊佐緒、小畑実、近江俊郎、曽根史郎、竹山逸郎、伊藤久男といった、いまでは〝なつめろ〟の部類に入る歌手が、第一線で活躍していたし、白根一男、三船浩といった新人も登場したころである。
 ところで、当時の歌の傾向としては、どの歌手もメロディーを朗々と歌い上げ、澄んだ美声で訴えかける唱法がいいとされていた。
 ちょっと変わったところでは、クラシックぼりに声量豊かに歌い上げる伊藤久男、か細いが情緒纏綿(じょうちょてんめん)とした田端義夫、やけにカン高いがこぶしで聞かせる三橋美智也らがいたが、それもメロディーを高らかに歌う美声主義には変わりなく、画一化した唱法が歌手の身上とされていた。
 つまり、高音の美声で勝負していたわけである。
 これは、戦前、戦中を通じての、日本の大衆歌謡の伝統でもあり、戦後もNHKのラジオ歌謡や素人のど自慢で、この傾向はきびしく踏襲されていた。
 アメリカのルイ・アームストロングやナット・キング・コールのような、ガラガラ声の歌手の存在は、まったく無視され、当時の状況からは、森進一のような歌手の誕生は、許されなかったのである。

◆大衆の「歌を語ろうとする情感指向」に注目した吉田正
 それほど、高音美声主義の中で、フランク永井が誕生した。
 それまでの通念からいえば、決して美声じゃない。しかも、低音である。そのうえ、美男でもない。すべて型破りだった。
 そのフランクが、次から次へとヒットを飛ばしていったのは、大衆がその声を望んでいたからなのである。
 その低音も、ジャズのビブラートの余韻があり、フィーリングがいかにもバタくさい。だから、それまで数多くの美声派歌手ばかりに慣れ親しんできたファンの耳には、なんと奇異にうつったことだろう。
 だが、そういうフランクを、大衆のものに密着させることができたのは、吉田正さん以下スタッフの大衆の欲求を見抜く洞察眼がさえていたからにほかならない。
 「有楽町で逢いましょう」が大ヒットしてからしばらく後、現在はなくなってしまったが、新宿松竹劇場が、新宿駅甲州街道ぎわにあり、そこでワンマン・ショーをやっていたフランクを、楽屋に訪ねたことがある。
 フランクは、実に気軽に応対してくれて、気取らず素朴な態度に、こちらはすっかりイカレてしまったのだが、その時に語った言葉が、今だに忘れられない。
 「ポクは悪声なんです。この悪声がどうして受けるんでかねえ」
 フランクの歌には、そういった気取りのない、人間くささがあったのだと、語り合った後で、気が付いたのだ。


◆アメリカナイズの波が低音ブームを押し上げた
 ピーンと張りつめた高音には、二枚目の気取りがどうしてもあるが、フランクの低音はオツにすまそうとする、余計なものがないのである。そこには、歌を歌おうとするより、歌を語ろうとする情感指向が働く。
 そして、都合のいいことに、ちょっぴりキザっぽさが、あの低音に含まれている点だ。そのキザっぽいとは、ジャズ的なフィーリングのことだ。
 歌手の道へ入るまでは、米軍キャンプで長らく働いていたが、そのころの若者がだれでもシビレたように、フランクもアメリカの音楽の魅力にダウンした。
 終戦後、ようやくアメリカ文化が浸透し、日本の中にアメリカナイズが急速に深まりつつあったころだ。コカコーラもチューインガムも、アメリカの物質文明にかなう物が、日本には一つもなかった程に叩きのめされ、早くアメリカのような豊かさを手にしたいと、大衆がわき返えっていたものだった。
 そうした、大きなウズの中で、フランクがジャズに心酔し、バタくさいアメリカ文化を吸収しようとしたことはふしぎではない。
 そして、身に付いたのが、あのジャズのキザっぼさだが、これが、アメリカ文明への大衆のあこがれとみごとに合致した。
 あれから二十年。日本の音楽状況も激変を続け、若いロック・グループが海外へ進出をはかるまでになったが、その歴史の発展には、フランクのような存在が大きな触発の役割りを果たしていることを忘れてはならないだろう。

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