期待通りの「徳光和夫の名曲にっぽん〈吉田正生誕100周年〉」

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 9月3日「徳光和夫の名曲にっぽん〈吉田正生誕100周年〉」を楽しみました。NHKが先に放映した「新BS日本のうた」での特集と同様、フランク永井の恩師吉田正の生誕百周年を記念した番組です。
 テレ東BSの徳光和夫がナビゲートする人気番組です。昭和の大衆文化に欠かせない足跡を残した偉大な作曲家吉田正の代表曲が放送されました。ゲストは橋幸夫です。吉田門下生のなかで現役で活躍している代表的な歌手です。
 司会の徳光は、この業界全体に詳しく、またご存知のようにフランク永井の大ファンでもあります。橋との会話のやりとりを注目して聴きました。たいていのエピソードを周知していながら、橋に話を向ける巧みなものでした。橋は、自分もそれを承知でもそつなく、自らの体験として応えています。
 恩師のシベリア抑留の話、異国の丘(昨日も今日も)、潮来笠の誕生秘話、
「いつでも夢を」の録音時のエピソード、フランク永井や鶴田浩二との関係での想い出などが話されました。
 フランク永井との関係では、テレビで明かされたのは二度目ですが、橋がデビュー直前に、急遽フランク永井公演の前座で出たときのことが話されました。橋は真っ赤と真っ白な装いで登場し、無名なのに主演者以上の拍手と歓声を得たこと、その後フランク永井に、暗に、前座が目立っちゃ困る、新人の立場をわきまえろと言われたと。
 この話題を出すのは、橋ファンからするとうれしいテーマなのでしょうが、一方のフランク永井ファンは、自己顕示欲が出過ぎだよと、評価がわかれます。まあ、この世界は「オレ、オレ」と自分を前面に出すことが当然のようなところなので、とよかくいうようなことではないですね。ファン仲間では、
前回よりはアクは薄かったけど、これは話すべき視点が違うなと話題です。

 さて、曲目についてですが、前回に紹介した通りです。
 フランク永井は「西銀座駅前」「有楽町で逢いましょう」で映像がでましたが、特別に初出のような映像ではありませんでした。歌謡曲ではおそらく、テレビ局で最大の映像素材をもつテレ東であっても、フランク永井の映像は出きっているのかもしれません。圧倒的な露出を誇った美空ひばりと異なり、同時代の歌手でもフランク永井の映像は少ないのです。
 こうした番組で、今まで見ていない映像がでることを期待しても、それは単なるファンの期待過剰に過ぎないことが、改めてわかったような気がしました。
 フランク永井は昭和でもテレビがエンターテインメントの主役になる時代の前の、SP時代の人気歌手でした。つまり、ラジオと蓄音機の時代ですね。単純に古すぎる。フランク永井の映像遺産を調べているのですが、現時点で解っているのは数十件です。
 しかも、フランク永井ご自身がかつて語っていたのは、ビジュアル的なテレビでの歌唱は乗らないというのです。ラジオもそうですが、彼の特性である「低音」は、中音重視のテレビでは、活かせないということがありました。また、長い待機時間を要し、実際の出演はわずか数分、しかも録画の場合は視聴者の顔が見えず、反応がリアルにつかめない。フランク永井は自らビジュアルには向いていないというようなことも、テレビ化がすすむ当初は、頭をかすめていたようです。
 娯楽の世界では、現在の感覚では全く理解できないような話に聞こえるかもしれませんが、当時は現実でした。長い待機時間については、番組で橋が一端を話していました。あの紅白の舞台裏のフランク永井の控室で、村田英雄、春日八郎らとポーカーゲームにふけっていたと。このようなことは、他の番組の途中でも、あるいは地方に公演に行った時でも、同じだったようです。

 そうそう、忘れてならないのは、新人の登場です。藤井香愛、青山新、新浜レオンの三人が「夜霧の第二国道」などいくつかを披露しました。なかなか立派な歌い方でした。「銀座ブルース」は吉田正作品ではないのですが、松尾和子、マヒナスターズからの連想ですね。
 歌は時代の動きと密接に結合していて、当時と比較して現代はすっかり変わったと言っていい世です。フランク永井が活躍していた時代を、生まれてもいない彼らが知る由もありません。当時の歌の歌詞やメロディーも、きっとそうとうな違和感を持っているのが正直なところでしょう。
 それを彼らが歌う。それが彼らと同年代の若い人たちに、どう響くのだろうか。確かに、フランク永井活躍時代の年代層には大歓迎です。
 この辺りは若い人たちに声を聞かないとわかりませんが、そのようなことをつらつら思い浮かべながらの鑑賞でした。

 フランク永井の恩師吉田正の偉大さについては、いくつかあります。
 第一に、大衆の平和な暮らしへの視点を貫いたことです。すべての理不尽がまかり通る戦争に巻き込まれ、過酷なシベリア抑留まで経験されたにもかかわらず、ぐちを口にすることなく、人の気持ちを明るくする歌の作成にエネルギーを向けたことです。
 第二に、戦後の復興に汗水を注いだ人たちが、労働後のひととき、憩いの場に、洋楽ではなく日本の曲を流すのだという動機をもって、都会派歌謡といわれる分野を切り開いたことです。
 第三に、作った楽曲は「詠み人知らず」が理想なのだといったことに、吉田正の姿勢があります。大衆の胸を打ち、口ずさまれる、そのような歌。時代を超え、年代を超え、自然にふとメロディーが口から出てくる。だが、それがもともと誰が作り、誰が歌ったのか、などは問題ではない。いつまでも、心に残るような曲がいい曲なのだと言ったことです。

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このページは、文四郎が2021年9月 7日 11:55に書いたブログ記事です。

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