2021年9月アーカイブ

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 フランク永井の曲は毎日聴いているのですが、ふと思うと、聴き方が以前とずいぶん違ってきたものです。
 子供のころ、聴き始めたのはラジオでした。当時は娯楽はラジオ中心でした。家に一台あり、兄の仕事用の車にあり、あと一台トランジスタ・ラジオがありました。
 しょっちゅう聞いていたということではないのですが、農家だから田畑へ仕事に行くときも所持していって、休憩時など聴いていました。通学時にときどき兄の通勤に合わせて同乗していつときは、いつも聴いていました。
 印象は、流行歌がいつも流れていたようなことです。三波春夫、美空ひばりは多かったような気がします。
 東京に出てからはビクター製のポータブルのプレーヤーを買いました。電池を入れれば休日など外に出ても使えました。当時はやっていたのはソノシート盤ですが、日射に当てて、炙ったイカのようになって、盤が使えなくなったのを思い出します。
 義理の兄の家には、高級なステレオ装置があって、居間で聴くのが楽しみでした。ここでの記憶は、左右のスピーカーから音が分離して聞こえるというのにびっくりしたことです。レコードはずいぶんあったのですが、兄の故郷出身の岸洋子のLPが何枚もありました。
 また、新宿や吉祥寺にあった歌声喫茶に通っていたのですが、そこに演奏の一員の友がいて、歌っていたのは上条恒彦です。兄の家には彼のアルバムもありました。ファースト・アルバムです。ここには、故郷の歌「最上川舟歌」が入っていて、これが理由だったようです。若い上条が歌う「さとうきび畑」などの反戦歌がよかったです。
 横道にそれますが、私の結婚式にその気があるなら連れてくるけどと誘われました。だが、私は「有名人」の光を利用する気になれず、遠慮した覚えがあります。もちろんファンだったので、その後も彼の歌を聴いたり、アルバムを折ったりしました。
 そのうちに、仕事が忙しくなり、カセットに全面移行しました。自宅にはラジカセ、外ではいわゆる、ウォークマンのようなテープ・プレーヤーで聴きました。これは、壊れもしましたが、何台も買い換えた覚えがあります。
 当時から、貧弱なアパート住まいでは、音が出せなくなりました。スピーカーなら低い音で聞くしかないのですが、高い音も低い音も聞くには、しょっちゅう音量を変えなければならず、ついに、イヤホンに頼るようになったのですが、やはり、耳が塞がれる感覚はなかなか慣れずに困った時代でした。
 そのうちに、時代はCDがメインに移ります。ちょっと高価なものでしたが、すぐに飛びつきました。何せ、驚いたのは、音のクリアさです。以前は好きな音楽やフランク永井の曲でも、周囲の騒音、雑音と一体で聴いていたのが、私の常識だったので、CDの音のクリアさに接して、時代の変化を実感しました。
 フランク永井の初CDの一つである「CDファイルVol1~3」はすぐに買い求めました。
 CDの全盛時代は何年も続きました。
 その後で訪れたのは、インターネットの普及で、それに伴い「ダウンロード」と「ハイレゾ」です。つまり、アナログのレコードやテープからデジタル化への移行です。
 ハイレゾについては、これまで何度か書きました。単に私の耳のレベルでは、その良さを実感的に受け止められませんでしたが、CDよりも表現幅が広がったようだという程度です。
 ハイレゾ音源は、もとの音源作成時からのもの、CD音源をハイレゾにするもの、聴く装置でハイレゾにするものといろいろあります。音源、装置、イヤホンとそろわないとハイレゾの効果を享受できません。
 私は、そうした過去の経験から、現在は主として、散歩時と就寝直前に、イイ音に接しています。いや、散歩中は携帯からの音で、周囲の音と混じるのでイイ音とは言えませんが、アルバム一枚程度は楽しめます。ほぼ、毎日行っています。
 周囲の音が静かで満喫できるのは、いつもではないものの、就寝前のひとときです。ちなみに、現在は、写真のごとく、SONYの装置+ビクターのイヤホンです。これで、満足しています。
 フランク永井のほぼ、全曲を入れています。フランク永井の音源は、数年間までにはレコードから用意したものでしたが、2016年に「懐かしのフランク永井BOX」で、ほぼすべての曲がデジタル化で提供されたので、この時期に音源をCD音源にしました。
 あと、ビクターではハイレゾ音源を一部提供しだしていますので、そこから得たのも利用しています。
 それは、写真にある「ステレオ・ハイライト」シリーズ全6巻です。他に「オール・オブ・ミー」などがリリースされている。
 フランク永井が残した曲は800曲程度です。私は一通りは聞きましたが、すべてを記憶に留めているわけではありません。静かにひとりで聞いていると、ときとき、あれっと感じる時があります。慌てて、スイッチを押して曲名を確かめたりします。
 あまり流行らなかった曲です。聴く機会が少なかった曲です。シングルで発売されていなくて、アルバムだけに挿入されているような曲です。どれ一つも手抜きしているわけではないので、歌は確かでも、時代に合わなかったのでしょう。
 フランク永井のアルバムでも、ビクターから最近ハイレゾ・デジタル化で出された「ステレオ・ハイライト」シリーズ(1964~1966)ですが、ここに「東京ラブタイム」があって、この曲は最新のアルバム「日本の流行歌のスターたち~フランク永井Vol2」に収められています。
 「東京ラブタイム」はシングルでは出ていません。「ステレオ・ハイライト」第3集で出たものです。一度聴けば、印象に残るいい曲です。フランク永井の高音の美しさが確認できます。
 このように、このシリーズにはここだけの曲が何曲も収められています。第1集は、フランク永井のヒット曲のステレオ版を集めていますが、第2集からは2~4曲のレア曲を17
曲を収めています。

 第2集:新大阪小唄、さすらいの雨が降る、男、頬をよせあい灯をけそう
 第3集:東京ラブタイム、郷愁、愛する
 第4集:琴の雨、夢のワルツ、東京バカンス
 第5集:あの娘は何処に、悲しみのスーツケース、夜の歌
 第6集:小指、もんく、長いまつげ

 「ステレオ・ハイライト」シリーズは、それ以前に発売されていたモノラル盤「魅惑の低音」シリーズ(1958~1964)に続いたシリーズものです。
 また、1961年からビクターのオムニバス版の「魅惑のオール・スターズ」というシリーズが出ています。この盤では、フランク永井は1曲だけですが、ここでも、シングルではだされていない曲が収められています。
 こうしたレアな曲に出会うと「こんなの覚えてないな」と、フレッシュさを感じます。自分の記憶のいい加減さが、適度にフレッシュさで脳を刺激するというわけです。
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 フランク永井にだけ焦点を当てた番組というのは、そう多いわけではありません。テレ東BSのこのたびの作品はそのなかでも、大変優れた作りの番組であったと思います。
 永久保存版として録画を取りました。
 本筋の冒頭に1958(S33)年4月号の「明星」の2色刷り特集「男性No1」を紹介しています。ゲストの小西良太郎はこれを見事に表現しました。当時の大衆の娯楽のトップは流行歌、映画、スポーツで、そのトップに君臨するのがこの3人だと。これは名言、まさに当時の若手三人の人気を語っています。
 この番組では、フランク永井の生涯について、きちんと、丁寧に紹介しています。しかも、フランク永井の生誕地である宮城県大崎市松山のフランク永井展示室(常設)をロケして、貴重な展示品の数々を紹介しています。また展示室を出ると目に飛び込む「おまえに」の歌碑も追っています。
 「おまえに」をフランク永井が3回も吹き込んだ理由について、恩師のただならぬ推察力、弟子への信頼の深さが、小西から語られていました。
 とうぜんこのシーンは「おまえに」の歌唱シーンで使用されています。そして恐らくですが、初めて「おまえに」の最初の音源が、最後の音源と比較するという形で紹介されています。2回目以降の歌唱と一か所だけ歌い方が異なるのが確認できます。
 番組制作者の丁寧さに驚いたのは、恩師吉田正がフランク永井に提供した曲数を139曲だと具体的に上げたことです。正確な数字は実はデータブックでも明らかにしていないのだが、それは未発表も含めて全数が読めなかったことにつきますが、データブックでも142程度数(ダブりやカバーなど微妙さを含んで)えられます。
 歌碑と言えば有楽町のイトシア横に建てられている「有楽町で逢いましょう」碑があります。この碑も取材されて「有楽町で逢いましょう」の歌唱で使用されています。
 この度の番組の制作陣(KKオールアウト)が、フランク永井のデビュー曲である「恋人よわれに変えれ」を紹介する際に、国会図書館に保管されている貴重なSP盤を利用されていることです。フランク永井の番組制作にあたって、その姿勢がいかに敬意をもって当たっているかが察せられます。
 同様に、番組のユニークさを際立たせているのは、ゲストに田代美代子を読んだことにもあります。吉田正やフランク永井番組で過去に登場した方々を安易に呼びませんでした。フランク永井と直接の接触があれば、当然ご本人なられはのエピソードをお持ちです。ただ、現在は、残念ながらフランク永井と近かった方々の多くは彼と同じ世界に行っていますので、多くはおられないのですが、何とフランク永井とデュエット曲を残している田代に焦点をあてたのです。
 そして、その「今宵だけのパートナー」の音源が披露されました。テレビでの披露は初めてではないでしょうか。これを嬉しく思うのは、田代ご本人だけではないはずです。今回のゲストでの振る舞いもそうですが、田代の素朴で率直な人柄がわまるように、ファンは多く、きっと大いに感動したことでしょう。
 歌謡曲の放送については、その量においてきっと最大を誇るのではないかと思いますが、それでもフランク永井の映像は限られているため、多くはフランク永井が舞台を降りる数年間の映像が多く出たと思います。大半は過去の番組で流れたものが多かったのですが、最後を飾った「六本木ワルツ」は、やはり1985(S60)3月25日放送された「にっぽんの歌」からのものです。この曲の映像はもう一つあるのですが、この度のほうが気に入っています。
 放映直後に親しい方から連絡をいただきました。いい番組味であったと、感激を共にしたのですが、鋭い指摘もされていました。それは、フランク永井の最後の何年かの歌う映像には、寂しさがまとりついていると。常々感じていたのだが、今回の番組での映像をみて、改めて実感した、というものでした。
 私もそのように感じていました。まず、歌唱の音程ですが、彼の特徴は「魅惑の低音」と言われますが、そうキーは低くないんですね。それが低音にグッと移動しています。彼の声の特徴は「聞いた人に低音に聴こえる」というまれな性質をもつもので、これが他の歌手が追随できない理由になっています。
 低音から高音にシームレスで一直線に伸びているという特徴です。ちょうど美空ひばりが通常から裏声にシームレスで発生できるようなものです。この特性が、喉のポリープなどのことから、かつてのような澄んだ音が出せなくなったのですね。
 歌一本に生命をつぎ込んできた歌手にしてみれば、声が出せないことがどれほどの負荷になったものか、想像にあまりあります。それを知らぬわけがない一部のマスコミが、何年も前のゴマ粒ほどの良からぬ噂をとりあげ、こぞって彼を貶めた罪は深いと思います。
 知人のご指摘のとおり、1985年に至る映像に残されたフランク永井の表情は、やはり暗くもの悲しげでした。だが番組は、スカッとした青空を写していました。
 テレ東の番組スタッフの皆さん、ほんとにうれしい番組でした。感謝を申し上げます。これからも、いい番組をよろしくお願いします。
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 今年で一番の番組になるのではないかと思えるプログラムです。
 2008年にフランクン永井が世を去ってからすでに13年になります。10月27でありました。
 今年は恩師吉田正の生誕100年ということで、NHKとテレ東が特集を放送してくれましたが、テレ東がフランク永井に焦点をしぼって番組を作るのは、おそらく初めてではないでしょうか。いかなる理由かはわかりませんが、わずか一週間まえに、ネットで予定が公表されました。
 下記のように、テレ東が番組を紹介しています。

【「激動の時代」と言われた「昭和」は、日本人が振り返りたくなる魅力にあふれています。
この番組では、昭和を象徴する「人」「モノ」「できごと」から、毎回ひとつのテーマをピックアップ。当時の映像・写貝を盛り込み、「昭和」の魅力を再発掘していきます。
 都会派歌謡の申し子と称される歌手、フランク永井の低音の魅力に迫ります。
 「有楽町で逢いましよう」のヒット戦略、「おまえに」の作曲家、吉田正との絆とは!?
 魅惑の低音で昭和歌謡を彩った歌手、フランク永井。高度経済成長期、フランク永井は発展を遂げる東京の情景を歌い、都会派歌謡の申し子と称された。
 人々を魅了したその歌声と、彼が戦後、昭和歌謡界に残した輝かしい功績を振り返る。
 作曲家・吉田正と切り開いた「都会派歌謡」という新たなジャンルから生まれたフランク永井の出世作「有楽町で逢いましょう」その誕生秘話とは? そして、大人の男女を描いた永遠のデュエット・ソング「東京・ナイトクラブ」。松尾和子との絶妙な歌声、その懐かしい映像を紹介する。
 また、ゲストの田代美代子がフランク永井とデュエットした「今宵だけのパートナー」の貴重な音源も! 田代美代子が見たフランク永井の魅力とは? 
 さらに、代表曲「おまえに」。実は、3度にわたって発売されていた。そこには恩師、吉田正のある狙いがあった。
 他にも、魅惑の低音で歌い上げる名曲の数々で綴る1時間】

 フランク永井ファンにとっては、たまらなく期待が膨らみます。
 曲目についても、記事が明らかにしています。

夜霧に消えたチヤコ/LOVER COME BACK TO ME(恋人よわれに帰れ)/有楽町で逢いましよう
夜霧の第二国道/羽田発7時50分/西銀座駅前/東京ナイト・クラブ(フランク永井・松尾和子)
今宵だけのパートナー(フランク永井・田代美代子(音源のみ)
君恋し(二村定一(音源のみ)/君恋し/おまえに/六本木ワルツ

 注目したのは「恋人よわれに帰れ」、つまりフランク永井のデビュー曲ですが、この映像はあれば、そうとうレアです。テレ東に残されていたのでしょうか。それから「今宵だけのパートナー」です。1966(S41)年発売(SV-456)の珍しい盤です。和田弘とマヒナスターズと一緒に歌い大ヒットした「愛して愛して愛しちゃったのよ」の田代美代子とのデュエット曲だからです。
 田代はこの番組の特別ゲストで出ていて、きっと、貴重なエピソードを披露してくれると思われます。
 当日のもう一人のゲストは、常連の音楽評論家小西良太郎です。
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 9月3日「徳光和夫の名曲にっぽん〈吉田正生誕100周年〉」を楽しみました。NHKが先に放映した「新BS日本のうた」での特集と同様、フランク永井の恩師吉田正の生誕百周年を記念した番組です。
 テレ東BSの徳光和夫がナビゲートする人気番組です。昭和の大衆文化に欠かせない足跡を残した偉大な作曲家吉田正の代表曲が放送されました。ゲストは橋幸夫です。吉田門下生のなかで現役で活躍している代表的な歌手です。
 司会の徳光は、この業界全体に詳しく、またご存知のようにフランク永井の大ファンでもあります。橋との会話のやりとりを注目して聴きました。たいていのエピソードを周知していながら、橋に話を向ける巧みなものでした。橋は、自分もそれを承知でもそつなく、自らの体験として応えています。
 恩師のシベリア抑留の話、異国の丘(昨日も今日も)、潮来笠の誕生秘話、
「いつでも夢を」の録音時のエピソード、フランク永井や鶴田浩二との関係での想い出などが話されました。
 フランク永井との関係では、テレビで明かされたのは二度目ですが、橋がデビュー直前に、急遽フランク永井公演の前座で出たときのことが話されました。橋は真っ赤と真っ白な装いで登場し、無名なのに主演者以上の拍手と歓声を得たこと、その後フランク永井に、暗に、前座が目立っちゃ困る、新人の立場をわきまえろと言われたと。
 この話題を出すのは、橋ファンからするとうれしいテーマなのでしょうが、一方のフランク永井ファンは、自己顕示欲が出過ぎだよと、評価がわかれます。まあ、この世界は「オレ、オレ」と自分を前面に出すことが当然のようなところなので、とよかくいうようなことではないですね。ファン仲間では、
前回よりはアクは薄かったけど、これは話すべき視点が違うなと話題です。

 さて、曲目についてですが、前回に紹介した通りです。
 フランク永井は「西銀座駅前」「有楽町で逢いましょう」で映像がでましたが、特別に初出のような映像ではありませんでした。歌謡曲ではおそらく、テレビ局で最大の映像素材をもつテレ東であっても、フランク永井の映像は出きっているのかもしれません。圧倒的な露出を誇った美空ひばりと異なり、同時代の歌手でもフランク永井の映像は少ないのです。
 こうした番組で、今まで見ていない映像がでることを期待しても、それは単なるファンの期待過剰に過ぎないことが、改めてわかったような気がしました。
 フランク永井は昭和でもテレビがエンターテインメントの主役になる時代の前の、SP時代の人気歌手でした。つまり、ラジオと蓄音機の時代ですね。単純に古すぎる。フランク永井の映像遺産を調べているのですが、現時点で解っているのは数十件です。
 しかも、フランク永井ご自身がかつて語っていたのは、ビジュアル的なテレビでの歌唱は乗らないというのです。ラジオもそうですが、彼の特性である「低音」は、中音重視のテレビでは、活かせないということがありました。また、長い待機時間を要し、実際の出演はわずか数分、しかも録画の場合は視聴者の顔が見えず、反応がリアルにつかめない。フランク永井は自らビジュアルには向いていないというようなことも、テレビ化がすすむ当初は、頭をかすめていたようです。
 娯楽の世界では、現在の感覚では全く理解できないような話に聞こえるかもしれませんが、当時は現実でした。長い待機時間については、番組で橋が一端を話していました。あの紅白の舞台裏のフランク永井の控室で、村田英雄、春日八郎らとポーカーゲームにふけっていたと。このようなことは、他の番組の途中でも、あるいは地方に公演に行った時でも、同じだったようです。

 そうそう、忘れてならないのは、新人の登場です。藤井香愛、青山新、新浜レオンの三人が「夜霧の第二国道」などいくつかを披露しました。なかなか立派な歌い方でした。「銀座ブルース」は吉田正作品ではないのですが、松尾和子、マヒナスターズからの連想ですね。
 歌は時代の動きと密接に結合していて、当時と比較して現代はすっかり変わったと言っていい世です。フランク永井が活躍していた時代を、生まれてもいない彼らが知る由もありません。当時の歌の歌詞やメロディーも、きっとそうとうな違和感を持っているのが正直なところでしょう。
 それを彼らが歌う。それが彼らと同年代の若い人たちに、どう響くのだろうか。確かに、フランク永井活躍時代の年代層には大歓迎です。
 この辺りは若い人たちに声を聞かないとわかりませんが、そのようなことをつらつら思い浮かべながらの鑑賞でした。

 フランク永井の恩師吉田正の偉大さについては、いくつかあります。
 第一に、大衆の平和な暮らしへの視点を貫いたことです。すべての理不尽がまかり通る戦争に巻き込まれ、過酷なシベリア抑留まで経験されたにもかかわらず、ぐちを口にすることなく、人の気持ちを明るくする歌の作成にエネルギーを向けたことです。
 第二に、戦後の復興に汗水を注いだ人たちが、労働後のひととき、憩いの場に、洋楽ではなく日本の曲を流すのだという動機をもって、都会派歌謡といわれる分野を切り開いたことです。
 第三に、作った楽曲は「詠み人知らず」が理想なのだといったことに、吉田正の姿勢があります。大衆の胸を打ち、口ずさまれる、そのような歌。時代を超え、年代を超え、自然にふとメロディーが口から出てくる。だが、それがもともと誰が作り、誰が歌ったのか、などは問題ではない。いつまでも、心に残るような曲がいい曲なのだと言ったことです。

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