フランク永井第二回リサイタル 資料5 祝辞と寄せられたエッセイ

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 今回もリサイタルの文字資料を掲載します。1965年11月3日に開催された、第2回リサイタルの2回目分です。
 今月は、フランク永井の89歳目の誕生月です。


●彼の歌はいつも語っている
東京中日新聞社文化部 森田潤

 「彼は語っている」フランクの歌を聞いた人がしみじみとこういった。彼の歌はいつも語っていると思う。フランクとは仕事をはなれて、個人的に付き合う機会が時たまあるが、この"語り"をたいへん大切にしていることに気がついた。たとえば話すコトバを大切にするのである。彼の話は決してドモらない。
 「ドモるのは無意識、無計画に話し出すからだ」と彼はよくいう。そして彼の語りはちゃんと文章になっている。放送局のアナウンサーのように規格品化されていないが、それだけに彼の話は味がある。
 バーやレストランに行くと、ホステスのおしゃべりを聞いて、出身地をぴたり当てる芸当も、日頃からコトバ使いを心掛けているからだろう。
 彼の歌自体がそうである。一語一語を本当に大切にしていると思う。「あヽ」というコトバひとつにしても、それをいとおしむように歌っている。それが歌心というのだろうか。若い歌手たちもその美点を大いに学びとってもらいたいものだ。


●ぜひ、来年も
毎日グラフ編集長 伊奈一男

 第一回のリサイタルのとき、本当に楽しかった。今度も、そういう楽しさを期待して百パーセントまちがいはない。でも、私は「フランクのリサイタルはきっと楽しいよ」といってすましてはいられない。彼のような、格調をもった、しかもうまい歌手は一年ごとに、いや、一日ごとに私たちの前から姿を消してゆくような気がするからである。
 つまり、フランク永井のような歌い手は、とても大切であり、貴重な存在ですらあるのだ。
 だから、その人のリサイタルとなると、楽しいのはむろんだが、貴重な陶器を割れないようにソッと手にとって、心ゆくばかり味わいたいという気になってしまう。
 ここに、こんないいものがあるんだよ、と一人でも多くの人に知らせてやりたい―そんな一種のもどかしさ...。ひとり、こっそりと楽しんでばかりはいられないというのは、そんな意味なのである。今年のをまだ聴いてはいない。でも、もう来年もまた、とお願いしておこう。

●懸命な追求
伊奈一男

 1965年11月3日の夜、東京新宿の厚生年金会館で2回目のフランク永井リサイタルが行われていた。
 第一部のポピュラーが終って、ロビーが急に華やかな色どりにつつまれる。ジャーナリストたちが集まって何かしゃべっている。「いつもより、大分調子がいいよ」「実に楽しい」「ステージを作るのがうまくなった」...。
 大した評判だ。ところで、ヒット曲をならべた第二部が終ったときは、もう誰もあらためてそんなことを、言葉に出していうものはなかった。一人一人が、その感を一そう深めて、第三部の新作「慕情」への期待を、心のなかに熱っぽく抱いていたからであろう。
 実際、みごとだった。第1回リサイタルのときは、初めてということが、彼自身の上に、かなり息苦しい力がのしかかっていた。今度だって「芸術祭参加公演」という、考えようによっては前回以上の重圧を背負わされていたにもかかわらず、聴き手に、そんなタイトルのことなんか、これっばかりも思い出させはしなかった。
 気負いとか、固さとかが全く感じられなかった楽しい一夜だったのである。
 リラックスという言葉は、こんなときに使うべきものなのだと思う。第一部、第二部とも、彼はおしゃべりを交えながら曲をすすめていった。わざとらしさとか、イヤ味とかは一つもない語りであった。それは、完全に歌の一部になっていた。それを聴きながら、私自身はフランク・シナトラのことを思い出していた。
 シナトラは、ステージのなかばに至ると、タバコをふかし、紅茶茶碗片手に、しばらく小休止といったムードでおしゃべりを始める。その"くつろぎ"はたまらない魅力をもっている。これは、いわば「大人」のお遊び、「大人」を楽しませてくれる"芸"なのである。
 フランク永井をききながら、シナトラを思いうかべたのは、日本のフランクが、あちらのフランクのもっている「芸」を身につけるようになってきたからに他ならない。
 語りがうまくなってきたのは、労音をはじめ、ワンマン・リサイタル風のステージが、近来非常に多くなってきたことも一つの理由ではあろう。しかし、決してそれだけではない。これは歌そのものと、あるいは歌い手としての彼の本質と大いに関係があることなのである。"芸"とはそういうことを意味している。
 もともと彼は、美しい、他に類のない低音をきかせる「声の歌手」として出発したことは、ご承知のとおりである。むろん、いまでもその声は少しも衰えをみせてはいない。だが、もう一歩突っこんで考えてみると、彼は一種のストーリー・テラー的な歌い手としての道を歩まされてもいたのである。
 それは吉田正氏が彼に与えた道でもあった。その場合、彼の声のもっている音色が、そのストーリーの背景である情景、雰囲気といったものを、ムード的に表現することによって大成功を収めてきたといえる。
 だが、最近はそうしたムードの部分は切り捨てて、人間の情感だけを追求する歌を与えられるようになった。そうなると、彼はもう、声とか、声のもつムードに頼っていることはできない。懸命に歌の内部に入り込んで、それを自分自身のものとしなければならなくなってきた。
 それを追求していって、ある日突無に(実際はどうか知らないけれども)ポッカリと道が開けたにちがいないのである。それは何か。聴き手と一緒になることである。聴かせるのではない。聴き手を自分のペースに引っぼりこむことである。そして、声こそ出さないけれど一緒に歌わせることやある。
 彼の今度のリサイタルが、第一回とくらべてリラックスした気分に満ちていたのは、こうした考え方、行き方が基調になってきたからにちがいない。これは歌い手としては大変な成長であり、進歩なのだ。そして、これこそが本当の"大歌手"への道につながっているのである。


●持味を大事に
内外タイムズ社文化部 小坂和男

 一昨年に続く二度目のリサイタル、おめでとうございます。
今年は歌手生活十年。「有楽町で逢いましょう」ではじまった"低音ブーム"が昨日のように思われます。
 先日、インタビューしたおり「十年、短いように思うが、会社のスケジュール表はいつの間にか、古手の仲間入りして、でも、老けこまないように歌いますよ」と、十年前とはちっとも変らない童顔をほころばせていましたね。その通りです。
 あなたの歌の魅力は老けこまないことが、第一条件です。これからも十年前と変らず、ソフトなムード歌謡を身上としてください。
 しかし、ちっとも変化がない―では、また批判のマトになりましょう。この辺のヤリクリは、おまかせしますが、極端にいうと、あまり歌はうまくなってもらいたくないのです。土台がうまいのですから、精々、昧つけ程度にして、いわゆるフランク・ムードなる持味をこれからも大事にして歌って下さい。


●充実した十年
日本ビクター株式会社取締役社長 百瀬結

 弊社専属歌手フランク永井さんの歌手生活十年を記念して、リサイタルが開催されました。
 皆様とともに心からお慶び申しあげます。
 一口に十年と申しますが、フランクさんの半生にとってこの年月は極めて充実した価値あるもの、と申しあげてよいのではないでしょうか。職業歌手として弊社からデビュー、ジャズから流行歌への転向、「有楽町で逢いましょう」をピークとする数多くのヒットによる、分厚い「低音ブーム」の醸成。
 第一回、第五回、再度にわたる日本レコード大賞の歌唱賞受賞。第三回日本レコード大賞受賞等。波瀾の多い社会情勢下の歌謡界レコード界に、輝かしい業績を残され、幸福な家庭をも築かれました。
 これは申しあげるまでもなく、皆様のご厚情に支えられましたお蔭でありますとともに、フランクさんご当人の並々ならぬ努力と、優れた資質によるものと、深く敬意を表したいと存じます。
 今夕のリサイタルが、文部省のご承認をいただきまして、第二十回芸術祭に参加いたしましたのも、この様な蓄積の上に立ったものでありまして、この催しが、一層意義深いものになりましたことを、わが国歌謡界のため、ご同慶の至りに存ずる次第でございます。
 フランクさんは一言にして誠実の人であります。十年前の新人時代から、ベテラン歌手の今日に至るまで、少しも変るところなく、大小何事にかかわらず誠心誠意、事に当っておられます。それがそのまま歌に現われて、聴く人すべての共感を呼び、心をあたたかく包むのではないでしょうか。
 フランクさんは十年間の業績をペースに、今後もたゆみなく努力を続けるでありましょう。わが国に数少い「大人の歌手」として大成するために、更に懸命の勉強をなさることと信じます。
 皆様、今夕はお心ゆくまでフランクさんの歌をご堪能あって、歌手生活十一年目の新しいスタートのため、惜しみないご声援を賜わりますよう、お願い申しあげます。


●情愛深い歌の十年選手
日本ビクター株式会社常務取締役 北野善朗

 フランク永井さん、おめでとうございます。
 一昨年に次いで、第二回目のリサイタルで、歌手生活十周年を記念し、しかも第二十回芸術祭参加の催しでもあり、誠に意義深くご同慶の至りに存じます。
 歌と共に十年、と会の名称にうたわれておりますが、フランクさんは正しく歌謡界の十年選手、しかも、その内容は輝かしく立派でありまして、どっしりとした量感がみなぎっております。
 フランクさんは人一倍情愛の深い方であります。あらゆる人に差別なく、温い心で接しておられまして、新人時代も今も、少しも変ることがございません。
 魅惑の低音と呼ばれた「有楽町で逢いましょう」を中心とする数々のヒット曲から、最近の「妻を恋うる歌」「東京しぐれ」に至るまで、フランクさんの歌には例外なく心があたためられます。
 お人がらが、そのまま歌に現れているといってよいのではないでしょうか。研究熱心なフランクさんは、いらずらに過去に生きることなく、将来への飛躍のための試みとして、今夕は恩師吉田正先生の作曲になるバラード「慕情」をご披露申しあげることになっております。
 何卒、フランク永井さんのため、絶大の拍手を送って下さいますとともに、いつまでも変らなくご指導、ご支援のほどお願い申しあげます。


●国際歌手を目指して
日本ビクター様式会社常務取締役/レコード本部長 八木沢俊雄

 第二十回芸術祭に参加して、歌手生活十周年を記念するフランク永井さんのリサイタルが開催されました。
 かつてない深い意義と内容をもつ催しとして、フランクさんご自身はもちろんのこと、レコード界のために大変慶ばしいことと存じます。
 昭和三十年弊社入社以来、十年間のフランクさんの歩みは、実に立派なものでありました。たゆみなくヒットを世に送り続けてこられましたが、とりわけ「低音ブーム」の先駆となって、わが国歌謡界に大きなエポックを作り、三十四年、三十八年、再度にわたる日本レコード大賞の歌唱賞、更に三十六年には日本レコード大賞受賞されましたことなどは、フランクさんにして、初めてなし得た業績と申しあげてよいのではないでしょうか。
 フランクさんは、人間の心をうたう数少い「大人の歌手」として、高く評価されております。喜びにつけ悲しみにつけ、その歌声は聴く人の心にふれて「歌のしあわせ」というものを感じさせます。誰からも愛される、あたたかい人がらが、そうさせるのでしょう。その意味でフランクさんは、国境を越え人種の別なく、世界の人々に歌の心をわからせられる歌手といってよいのではないかと考えます。
 この度のリサイタルで芸術祭に参加することを、おすすめしたのも、このような心技ともに優れた歌手フランクさんなればこそでございまして、文部省ご当局にもご快諾をいただいたのでございます。
 十年間のキャリヤを生かしたフランクさんの歌声が、一日も早く海の外の街々や空に流れますよう、皆様とともに心から祈りたいと存じます。


●お祝いの言葉
ビクター芸術家クラブ理書長 飯田信夫

 フランク君、君がビクターの専属になったのは十年前だったね。確か君は、ジャズ歌手として入社した筈だった。その君が今や、歌謡界の第一人者に大成した。
 聞く所によると、ピッチング・フォームを変えた投手は仲々大成しないものだそうだが、君は美事にそれを成し遂げた。
 吉田正君や、佐伯孝夫君、磯辺ディレクターなどの名コーチのアドバイスが与って力のあったことも否めないが、それにもまして、君の歌手としての優れた素質がこの偉業を成し遂げたのだろう。心から敬服の念に堪えない。
 第一部にポピュラー・ナンバーを並べているが、これはジャズ歌手へのノスタルジヤだろうね。それとも、ささやかなレジスタンスかな。とにかく、ジャズも大いに歌い、給え、一球外角も遊んだ後の内角低目のストレートは、大変偉力のあるものだ。


●日本のミュージカルは「慕情」から
佐藤泉

 ヨソの国の借り物ではないのである。生活も血も同じくする我々日本人の、日本のミュージカル-「慕情」とは、そういう歌だ。
 思えば10年前。作曲家吉田正氏を得てフランク永井は、ジャズから歌謡曲に転じた。多くの人に愛される歌をうたおう、とハラをきめたからである。師弟の結合。男同士のド根性対ド根性の結び付き、と言いかえてもいい。10年後のいま、それがこういう形で花開いた。"吉田正・フランク永井"、こころの結晶が「慕情」なのである。
 恋は美くしい。たとえ、それが恋と呼ぶには、はかないものであったとしでも、ひとたび慕った女性の"白い俤(おもかげ)"は、いつまでも消え去りはしない...人妻への慕情をうたった岩谷時子の詩。
 吉田正の曲をフランク永井が切々と"語る"のである。東京混声会場団(男16人、女8人)をパックに、19分のバラード。
 あの女性に初めて出違った日、それは雪の日。そして一年-今日もまた雪が降っている。あの日と同じように、音もなく、しんしん......と。
 恋する男の感情の起伏、四季感をとらえた音楽処理がみごとである。あるときはクラシック的な手法で、一転してジャズ的な処理で。タンゴ、ワルツ、スイング、スロー・ロック、ビギン...と、転調する。その過程のなめらかさ。雪の結晶のように、こまかい神経のゆき届いた音楽処理である。
 全体を通して"ブルーな"感じで統一された詩に、豊かな音の色彩を配したあたりの心にくさに、脱帽しよう。一貫した流れのなかでの盛り上り...つまりヤマのつくり方の鮮かさ、なのである。
 一口に19分という。詩を暗唱するだけでも大変なワザだ。しかし、これだけでは歌にならない。情景全体を理解し、咀嚼し、そして自らの歌唱で表現する......コトバを日ごろから大切にして歌っていなければ、とうてい出来るワザではないのである。"おとなの歌"のチャンピオン・フランク永井なればこその大成功。
 いいかえれば、フランクのために吉田氏は作曲したのだろうし、フランクなくして「慕情」は生まれなかったかもしれない。なんとも、うらやましい"ツー、カー"以上のコンビぶり―いや"師弟一体"と言いなおそう。
 冒頭に「慕情」は日本のミュージカル、と書いた。日本のコトバに日本のオリジナル・メロディー。ぴったりハダに合うのである。外国のメロディーに日本のコトバをつける―どだい無理だし、不自然というものだろう。不自然な歌を、大衆は口ずさみはしない。いろんな事情で"貸し衣装"を利用しても、内心では常に"オーダー・メード"を欲するのが人情というものなのだ。
 ただし、今までにオーダー・メードで、これといったものが実際には出来ていなかった。その意味で「慕情」の果たす役割りは大きい。これを母体として、日本のミュージカルのなかでの、一つの型が達成されることを希望したい。 カラー・テレビ時代もそう遠くはない。ブラウン管から日本のミュージカルを育てあげることも一つの方法であろう。まず、魂よりはじめよ...である。
 「慕情」は、覚えやすく、歌いやすい歌だ。たとえば、その一章を歌誰曲レコードとしてシングル盤で発売してみても、いっこうに抵抗感を与えまい―日本のミュージカルは「慕情」から...ということなのである。

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このページは、文四郎が2021年3月19日 17:17に書いたブログ記事です。

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