フランク永井第二回リサイタル 資料4 プログラムと挨拶

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 今回もリサイタルの文字資料を掲載します。1965年11月3日に開催された、第2回リサイタルです。

昭和40年日月3日(祭)午後6時38分開演
東京新宿厚生年金会館大ホール

■主催=日本ビクター株式会社
■制作=ビクター芸能株式会社
フランク永井音楽事務所
監修=吉田正
美術照明=今井直次

☆第1部《ポピュラー曲集≫
■演奏=浜田清とフランクス・ナイン
■合唱=東京混声合唱団
■編曲指揮=寺岡真三

1.恋人よ我に帰れ
2.I'M WALKING BEHIND YOU
3.ANY TIME
4.TOO YOUNG
5.TAKE MY HEART
6.ワルツ・メドレー
(IT'T A SIN TO TELL A LIE/RAMONA/MY HEART CRIES FOR YOU)
7.RED SAILS IN THE SUNSET
8.I DON'T KNOW WHY
9. BECUSE OF YOU
10. MAGIC IN THE MOON-LIGHT
11.枯葉
12.久し振りだね~慕情
13.ばらの刺青
14.16トン
15.愛の讃歌

☆第2部《ヒット曲集≫
■演奏=宮間利之とニューハード+ストリングス
■編曲指揮=小沢直与志
1.有楽町で逢いましょう
2.場末のペット吹き
3.東京午前三時
4.こいさんのラブコール
5.東京カチート
6.追憶
7.東京ナイトクラブ
8.ラブ・レター
9.夜霧に消えたチャコ
10. 好き好き好き
11. 羽田発7時50分
12. 霧子のタンゴ
13. 西銀座駅前
14. 大阪ぐらし
15. 熱海ブルース
16.君恋し
17.東京しぐれ
18.イエス・オア・ノー
19.妻を恋うる歌

☆第3部 新作「慕情」
作詩/岩谷時子
作曲/吉田 正
■演奏=ビクター・シンフォニック・オーケストラ
■合唱=東京混声合唱団
■指揮=吉田 正


●感謝のごあいさつ
フランク永井

 こんなに年月が経つのは早いものか、と思ったことは、今までにありません。無我夢中で過したためでしょうか。
 今年の初め、ある人に「歌手になって何年になりますか?」ときかれて「えーと、ビクターに入ったのが30年だから...」と考えているうちに、そうか10年か、と気づいたのです。
 10年―昔でいえば、ひと昔です。一瞬厳粛な気持でした。
 それと同時に、ずいぶん早いもんだなァと思いました。
 野球好きの私には、プロ野球選手に友人が多く、10年選手もおります。野球なみにいえば、私も歌の10年選手になったわけです。10年選手の面目にかけても、よいプレイをしなければ、と改めて身をひきしめた次第です。
 この10年を非常に短く感じたのは、私自身が、たいへん恵まれた場においてもらって、脇目もふらず、懸命に仕事をすることができたからではないか、と考えるのです。おかげさまで、たくさんの歌を多くの皆さんに歌っていただきました。歌手として、これ以上の喜びはありません。
 このことは、一にも二にも、大勢の方々のお力によるものです。作詩、作曲、編曲の先生方、企画したり、いろいろお世話して下さる会社の方々はもちろんのこと、マスコミや芸能界、更には全国の無数のファンの方々等、直接間接に、心あたたかく、時にはさびしく、深い愛情をもって私を支えて下さったからに他なりません。
 ただ今の私の心境は、感謝あるのみです。ほんとうにありがとうございました、今日は、その気持ちを一つ一つの歌にこめて、懸命にうたいます。
 私の恩師てある吉田正先生が、岩谷時子先生の詩を、精魂こめたメロディにのせて下さいました。「慕情」という、一人の男の悲しい告白です。毎日稽古に励みながら、僕は、いく度か涙しました。どうかお聴き願って、私の将来のために、何ぶんのご批判をいただければ幸いに存じます。
 歌と共に11年目の新しいスタートについて、これからも頑張ります。私の性格ですから、背のびしたり無理な爪たちはせず、一曲一曲を大事にして歌い続けたいと思います。いつまでもよろしくお導き下さい。
 今日はお忙しいところお越し下さいまして、ありがとうございました。心からお礼申しあげます。


●一歩一歩前進
フランク永井後援会会長 愛知揆一

 フランク永井君とは同郷(宮城県)という誼みから、その後援会を長くひきうける契機になったのであるが、爾来、結婚の媒的をつとめたり、家族間の交際とか、私的な面でも親しさを深める機会が多く、今では後援会会長という肩書きを超越したつながりを持っているように感じている。
 芸能界の第一線を行く人気歌手という華やかな存在であるにも拘らず、フランク君がそれに溺れず、仕事についても、また私生活に対しても堅実な孝えを持ち、一歩一歩確かな歩みでのびてゆくところに、共感を持つ所以がある。
 一昨年の第一回リサイタルは優秀な内容で成功し、その後のフランク君の仕事に対しても、良い影響を与えたものと解するが、今回のリサイタルの企画は、より前進し、より秀抜であるように感ずる。
 幸い大方諸賢のご支援により、今回のリサイタルが前回同様、あるいはそれ以上の成功をおさめることが出来るなら、歌手としてのフランク君の将来は、益々光輝あるものになることと信じ、自分としても大いに期待するところである。


●頼りになる歌手
吉田正

 フランク永井君が、プロの歌手としてビクターからスタートしてから十年になる、ときいて妙な気がした。実のところピンとこなかった。もうそんな年月になったのか、早いものだな、という気持ちの後、すぐに、まだそんなものだったのか、と反対の感慨が追いかけて湧いてきて、それが長く続いた。
 フランク君が十年なら、私とのつながりもそういうことになる。だが、どういうわけか十年などというものでなく、もっともっと前からの交友のように思えてならないのである。
 フランク君はそんな感じを与える人だ。十五年も、二十年もビクターで歌ってきたようにさえ思える(老成しているという意味では決してない)。つまりは、フランク君の人がらが初めからビクターという会社や、私の肌にピッタリ合っているのではないか。いく十年もいたような錯覚を起させるのはそのためではないか。
 事実フランク君は、新人のころからチャカチャカしたところがなかった。若いに似ず、腰が坐っていた。誠実である上に不思議な大人っぽさがあった。
 一口にいえば、しっかりした青年だった。例えば、ジャズから流行歌に転向をするときでも、実のところ本心では気が進まず相当に悩んだらしいが、多くの人に愛される歌を歌うなら、よその国の借り物でなく、生活も血も同じくする日本人の作品こそ、と腹が決ってからの彼の姿勢は立派だった。
 じっくりと私の書いた流行歌「場末のペット吹き」(宮川哲夫作詩)に取り組んでくれた。身につけたジャズの、若く新しいフィーリングを日本風の作品に生かして歌いあげた。
 これが今日のフランク君を築きあげた要素で、ちゃんとした性格からくる怜悧さがそうさせたのだろうと思う。
 十年の間の歌と人間の成長の陰に、一貫して誠実で通して私に対してくれたことが、生れたときからいっしょに暮してきたような、長い間の兄弟愛に似たものを感じさせるのである。
 その意味でフランク君は、私がいっしょに仕事をした数多い歌手の中で、最も頼りになる、かけがえのない人である。
 だからといって、私は作品の上ではフランク君と妥協はしない。むしろ対決に近いものを頭においてぶっつかる。今日発表する約二十分間のバラード「慕情」についても同じだ。
 「心の歌」をうたう歌手フランク君の中の可能性に、あれこれ想いをめぐらせて、彼に体当りするつもりで、及ばずながら私なりに最大の努力をしたつもりだ。フランク君も真っ向うから四つに組んで歌いあげてくると信ずる。
 作曲するものにとって、優れた歌手と仕事をすることほど、幸福なことはない。十年の立派なキャリアを生かして更に大きな歌手になってほしい。私も、きびしい男の友情を一層固くして、フランク君の声を通して、皆さんに喜んでいただけるものを、いつまでも書き続けたいと思う。
 フランク君、おめでとう。


●十 年
佐伯孝夫

 フランクさん、十年目の記念リサイタル、おめでとう。...もう十年にもなったのかと、感慨深く、あらためてあなたのことを考えています。過ぎた日のあなたについても、また明日のあなたについても...
 それはそれとして、本当に十年という歳月は、肩に重くかかってくるものです。その間の一年一年を、立派に歌と共に生きてきたあなたも、いろいろの重さを、今は華やかな蔭で、しみじみと感じていることでしょう。
 そして、今日こそは、その重さを肩に担って、次の十年への勇ましい出発の姿を、私たちは舞台に見ることができ、その歌声をきくことができるのです。
 仲間―と呼ばしてもらうには、この私、大分年をとりすぎているにしても―の一人として、こんなに嬉しいことはありません。どうか皆さんも、フランク永井の今までの業績をほめてくださると共に、明日を祝して、惜しみなき拍手を送って上げてください。


●サウスポー・ボーラー・フランク
渡久地政信

 今から二年程前の話で、アメリカの友人、タク進藤氏と、フランクと三人で、よもやまな話から、ボーリングへ出かけることになった。
 当時ポーリングのことなど、何も知らなかった私は、親切に二方にコーチしてもらった訳だが、初歩の悲しさ、投げるポールのほとんどがガーターになってしまう始末で、カッカと燃えたことを覚えている。
 今では、名手フランクのコーチを待て、アベレージ170~180、日に一・二回は、200をアップすることさえできるようになった。
 昨年の夏、報知新聞主催の芸能人ボーリング大会で、ビクターチームが優勝の栄冠を獲得したときの話であるが、フランクは二四四点の最高得点で、個人でもハイゲーム賞を獲得、四囲の目を見張らしたのであった。
 今年は残念ながらフランクが仕事の都合で出場できなかったため、チーム力が弱体化してしまって、他チームにあっさり優勝トロフィーを持ってゆかれてしまった。
 このように、ボーリングでも、チームの要であるフランクは、勝利へ向うためには、常に冷静な心を保持する上に、何日も自己周囲の判断を忘れず、自分自身のみでなく、全てに喜びを与える役割を果してくれている。
 カッカと燃え盛る情熱を、静かな判断で押さえ、一瞬のエネルギーに魂を込めて、ストライクの火花を散らす。サウスポー・ボーラー、フランクは実に味のある男だ。
 低音の声から受ける人間的魅力、魂の爆発力にはボーリングのピンも弾き飛ばされる快感さえ覚える。
 フランクは私に良いことを教えてくれた。ボーリングのボールは丸い。その丸さを操る人間の精神と技は、実に至難なことであることを。人生もこのようなものであろうか。
 リサイタルを開くことは、現在の自分を見つめ、反省して新しく前進する上に、是非とも必要なことである。フランク君、ボーリングで優勝者のユニフォームを着けた貴君が、今歌手世界でのチャンピオンであることも、私は信じて疑わない。
 いつ迄もその謙虚な人柄と弛まざる努力を保持して戴き度いと思う。お互に後味の悪いガーターは絶体に赦されませんからね。


●忘れられないバスの魅力
日本音楽著作権協会会長 堀内敬三

 「低音ブーム」のキャプテン格「有楽町で逢いましょう」は、昭和三十二年の暮から翌年いっぱいにかけて、日本中いたる所で流行した歌であった。フランク永井という新しい大スターの名も、この歌といっしょに私に、強く印象づけられたのである。
 その次に激しい印象が与えられたのは、三十六年の暮に出たレコード大賞のリバイバルヒット「君恋し」である。
 このうたは「カルメン・シルヴァ」の変形で、私はこの節を大正終期から知っていたが、フランク永井のバスの声で開くと、魅力がひとしおよみがえって響いた。
 レコード芸術のひびきの中で、フランク永井の独特なバスの歌声は非常な魅力である。
 日本の流行歌―何万あるか、何十万あるかの中で、このおびただしい魅力は決して忘れられないものである。


●リサイタルに寄せて
日本作曲家協会会長 古賀政男

 リサイタルおめでとう、心からお祝い申上げます。
 この会を重ねるに従って、ますます君の歌唱の円熱さが目立つ程、完壁に近い心境を思わせます。何事にせよ、人は死ぬ迄、勉強、努力だと思います。
 亡くなった世界のプリマドンナ三浦環さんが、常に言っておられました。自分はこれまで、何百回となく蝶々夫人(マダム・バタフライ)を歌ってきたが、一度も満足したことはなかった......と、私に述懐されたことを思う時、芸道のきびしさを感ずるのであります。
 現代の歌手が多勢おられる中で、君は私の最も好きな憧れの歌手です。どうぞいつまでもその心懸けを永遠に持ち続けて、歌の花を咲かせて下さい。
 今日は本当におめでとうございました。


●いつも"心の歌"を
日本音楽事業者協会会長/衆議院議員 中曽根康弘

 フランク永井さんの歌は、日本人の"心の歌"である。ちょうど、シャンソンがフランス人の心の歌であるように。
 フランク永井さんは、いつも、人の心の最も奥深いところにある衷しみと歓びを歌う。うわべの派手やかさだけを追う歌手の多いこの世界で、聴く人の胸にしみじみと語りかける、数少ない人の一人である。
 フランク永井さんは、年と共にますます人間一的な磨きを加え、その"低音の魅力"は、あたかも、いぶし銀のような渋く深い光をもってきた。彼の歌は、聴く人の心を、熱狂というよりは、むしろもっと暖かい、やわらかい、切ない感情で包みこんでしまう、不思議な力をもっている。
 芸術祭参加のこの第二回リサイタルが、大成功をおさめるよう、これからもますますよい曲に恵まれて、いつまでも"心の歌"を歌い続けられるよう祈ってやまない。


●大衆のための歌
日本音楽著作権協会常務理事 吉田信

 フランク永井君が歌った「有楽町で逢いましょう」を初めて耳にした時、日本の歌謡界にも、素晴らしい低音歌手が現われたものだと感嘆した。私が一番感心したのは、詩と曲の心を的確につかんで、自分の歌として唄いあげている点だった。
 その後のフランク君の成長ぶりには目覚しいものがあり「君恋し」で日本レコード大賞を獲得し、一昨年は歌手として最高の栄誉である歌唱賞も受賞した。
 フランク君の今日あるのは、同君の精進の賜物であることはいうまでもないが、佐伯孝夫、吉田正両君による、数多くの優れた作品に恵まれたことを忘れてはならない。
 今回のリサイタルを飛躍の第一歩として、更に新しい情熱をもって、大衆のために歌い抜くフランク永井君の今後に、私は大きな期待をよせている。


●フランク永井君の魅力
慶応義塾大学教授 池田弥三郎

 だいぶ前から、ずっとひき続いて、フランク永井君の歌のフアンなのに、これがまた不思議なことに、一度もステージの声をじかに聞いたことがない。二三年前、レコード大賞の後の会で、きょうは開かれると思ったら、のどの手術とかで彼が出演せず、だめになったことがあり、それ以来、リサイタルなどがあっても、いつも行かれない。
 こんどの会も、学校の公務でこちらが不在でまた聞きに行かれない。これで、五六度、聞きこそなっている。残念でならない。しかし、そのために、フランク永井君の魅力が期待によって倍増されていることもいなめない。変な言い方だが事実だから仕方がない。
 天分がゆたかで、そのうえ努力家だし、どんどん新しい経験を積んで吸収しているから、魅力が先へ先へと展開していく。楽しい。


●洗練された魅力
日本経済新聞社企画部長 平井賢

 フランク永井。この名を聞いて大分久しいものになっている。歌い続けて十年という。デビュー当時から、ずば抜けたフィーリングのうまさが耳に残っているので、もう二十年も歌い続けているような気がしている。
 昭和31年から32年にかけて「場末のペット吹き」「東京午前三時」「羽田発七時五十分」「夜霧の第二国道」と続き「有楽町で逢いましょう」と吉田正君の都会詞歌謡を、吉田氏のイメージ通りに、都会的ムードで歌い上げ、低音の魅力を遺憾なく発揮してヒットにつぐヒットを飛ばし、大歌手の一人にのし上った。
 これは詩に佐伯孝夫氏、曲に吉田氏をいただいた幸運は勿論だが、フランクの努力も見逃せない。
 彼の洗練された歌唱の魅力は、声の良さ、歌い回しのうまさばかりで出るものではない。彼は歌を"大切"にして心から歌い上げている。もちろんレコード大賞や、歌唱賞を獲たこと自体偶然ではない。
 昭和39年の「冬子という女」「大阪ぐらし」以来、このところヒットを開かない。この会を機に大ヒットを期待しているのは、私ひとりではない。"好漢"フランク...ガンバレー。


●寿命の長い歌手
東京新聞社文化部 伊藤寿二

 もうすぐ本年度のレコード大賞の審査がはじまるが、毎年きまって歌唱賞の有力候補に推されるのが、フランク永井と美空ひばりである。今は、うまい歌手より面白い歌手が歓迎される時代だが、フランクはうまくて面白い。だけど、ちっともうまぶらない。人気に溺れない。
 そして、自分のペースを守り、自分の声の質を生かして、コツコツと根気よく勉強を続けている。
だから、歌手としての寿命が長い。とかく、実力がないのに人気が先走り、有項天になってはかなく消えてゆく若い歌手が多いが、そういう線香花火みたいな歌手たちは、フランクの根性や努力を学ぶとよい。
 フランクも、いいお手本になるように、ますます堅実に歌い続けてほしい。こんどのリサイタルは、じっくりと歌を聴かせて、聴衆を酔わせてくれるにちがいない。
 私が作曲家だったら、いちばん作りたいのが彼の歌で、いつまでも残るような歌をかきたいのだが―。
 フランクさん、いい仕事を続けて下さい。


●恋心を歌ったら日本一
スポーツニッポン新聞社文化部 宇佐美周祐

 この八月で吉田正さんからフランクが、二度目のリサイタルを開くことを聞いた。その時に吉田さんは「新曲を頼まれたのはいいが、フランクには、ほとんど手を使い尽しているので弱りました」と語っておられた。
 なるほど十年間に、百曲以上もフランクの歌を手がけられた吉田さんが、苦労される気持ちはよくわかる。だが吉田さんの顔には困ったとか、迷惑などの感じがまるでなく、むしろ弱っているのを楽しんでおられるようだった。
 フランクはなんて幸わせな男―しかし、これも彼の人間的なあたたかさ、それにともなう、血の通った歌唱力のたまものなのだろう。フランクは女性をモチーフに、あるいは恋心をテーマにした曲を歌ったら、その表現力において日本一といっても過言ではあるまい。吉田さんがこんどのリサイタル用に作られた新作「慕情」は、そんなフランクの魅力をフルに発揮させようという歌だ。
 恐らくフランクは吉田さん、いや僕らを含むフアンの期待にこたえ、今日はすばらしい歌を聞かせてくれるだろう。


●師匠ゆずりの記録男
東京タイムズ社文化部 佐藤泉

 フランク永井と三波春夫に対談してもらったことがあった。八、九年前にもなるだろうか。テーマは「ことしのホープ」であった。「有楽町で逢いましょう」や「東京午前三時」を吹き込む以前のことである。
 両人とも、今みたいにふとってはいなかった。双方ともに話に実(み)があった。数多いインタビューの経験から「これは大モノになりそうだ、だいぶ先の新人とはちがう」という直感が働いたことを、まざまざと、いま思いおこしている―十年。
 フランクはその間、レコード大賞一回、歌唱賞二回を受賞した。過去六回のレコード大賞審査におけるこの実績。吉田正氏ともども師匠ゆずりの"記録男"ぶりである。
 歌もうまい、人間もいい。歌手生活十年、一区切りである。ここらで、もう一度"歌謡曲の底辺"について、フランクと話し合ってみたい気がするのである。


●おとなの歌のチャンピオン
読売新聞社娯楽部 安倍亮一

 二か月のアメリカ生活をおえて日本に帰ってきた夜、なんの気なしにテレビをひねったら、でてくるわ、でてくるわ、歌もろくすっぽ歌えない、通称かわい子ちゃんの、白痴的ティーンエージャー歌手たち。ああ、もうだめだ。私は帰国第一夜で、絶望のどん底につきはなされてしまった。
 アメリカではこんなことはなかった。夜、ホテルの一室で、ウイスキーをのみながら、テレビのスイッチをひねったとき、すてきな歌を聞かせてくれたのは、フランク・シナトラ、サミー・デービス・ジュニア、ディーン・マーチンという人たちだった。
 帰国して一週間、ぼくはフランク永井にあった。「しっかりしてくれよ。おとなの歌のチャンピオン」と肩をどやすと、「大丈夫。まかしておいて」という返事。本当にがんばってほしいんだ。
 内容のまったくない、低俗な歌の氾濫の中にあって、おとなの感覚で、内容の充実した歌を歌えるのはフランクだけなのだから。そして、ジャズを絶対忘れないで、いつまでも歌い続けてほしい。


●これぞリサイタル
報知新聞社文化部 伊藤強

 師である吉田正氏と同じで、フランク永井がお酒を飲むようになったのは三十歳を過ぎてからだと聞きました。そういえば「有楽町で逢いましょう」と、恋人と待ち合わせたときフランクがいたのはティー・ルーム。バーやクラブではなかったのです。
 でも最近のフランクはかなりの酒豪。早いピッチでブランデーのビンを空けるのです。そして、お酒を飲むようになってから、歌の内容がまた一段と深くなったような気がするのは、同じ酒飲みである僕のひいき目でしょうか。
 昨日デビューした人が今日はもうスター。それが明日になると「そういえば、そんな人がいたっけ...」多少オーバーですが、いまの歌謡曲の世界には、そんなことが多すぎます。そのなかでフランクだけは別格。いつまでも心にしみる歌をうたって欲しいのです。これが二度目のリサイタル。「リサイタルなんて照れ臭くて」などといわず、若い歌手たちに「これがリサイタルだ」という見本を示してやって下さい。


●常に前進...
デイリースポーツ社芸能部 定方崇

 「君恋し」でレコード大賞をとった翌年だったと思うが、慶応病院へフランクを見舞ったことがある。
 「公表できない手術なんでね...」とフランクはにが笑いしていたが、実は痔の手術だったからだ。
 このとき、フランクはしみじみとこういった「流行歌って難しいですね。とくに詩の解釈がなかなかつかめないですよ」。
 僕らからいえば、あれだけ感情をこめて歌っている歌手はないと思っていたのに、この言葉は実に意外という感じが強かった。
 今から考えると、それだけ真剣に歌に取り組んでいたんだなと思うし、常に前進する姿勢も忘れなかったんだなということが分る。そんな態度が、他に追髄を許さぬ、今日のフランクを作り上げたのだろう。
 昨年のリサイタル以来、労音でみせたレパートリーの開拓、しゃべりの練習といつも勉強を忘れないフランクは、きっとこのリサイタルでも、その成果を聞かせてくれるに違いない。

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このページは、文四郎が2021年3月14日 15:51に書いたブログ記事です。

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