2021年3月アーカイブ

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 「週刊現代」では「昭和の怪物」研究という特集コラムを設けていて、現在発売されている4月3日号で、その108としてフランク永井を紹介しています。
 巻頭グラビアでいきなりモノクロ8ページをさいています。「有楽町で逢いましょう」「おまえに」で戦後を明るくした天才歌手とタイトルをつけています。
 中見出しは「独特の低音と甘い歌声にみんな魅了された」「歌も趣味も、自分の美学を貫き通した」「絶頂期の中で、突然-自殺未遂の果てに」とあります。日本の週刊誌の視点の例に漏れず「フランク永井、微笑みの陰で」ということで、後年の事件にそうとうなスペースを当てています。
 全体としては、フランク永井の昭和の歌謡界に残した栄光の遺産を、きちんと紹介しているのがうれしいところです。
 写真のように、当時のフランク永井の様子がわかるように、写真がふんだんに使用されています。
 恩師吉田正との出会いと「有楽町で逢いましょう」の誕生。NHK紅白歌合戦に連続26回出場した歌の実力の評価。下戸のフランク永井を鶴田浩二が恩師を酒になじませ、橋幸夫がフランク永井にウイスキーのコーク割を教えたことなど、エピソードも的確に紹介されています。
 記事では吉田事務所の谷田さんと橋幸夫に取材をした様子です。そこで特筆すべき出来事も紹介されていて驚きました。
 それは、事件後一心不乱に夫の看病をした夫人が自宅でガス自殺未遂を遂げてしまう。その後実姉が面倒を見るようになるのですが、夫人との離婚が成立。別れる際にフランク永井は「シズ子、ここにいる」と声を振り絞って叫んだというのです。
 どのような思いだったのかは、察するしかないのですが、何とも胸をしめつけます。
 また、リハビリを兼ねて「有楽町で逢いましょう」のレコーディングをしたということです。そのとき、フランク永井は以前のように(はいかないはずですが)歌い切ったという。こと、歌となると、フランク永井はそれが命であったので、これだけは最後まで、魂にしみこんでいたのでしょう。
 3月はフランク永井の誕生月です。今年は生きておられれば89歳です。週刊現代が「昭和の怪物」として認定され、紹介し、フランク永井と同時代を生きた人たちだけでなく、現在日本の主人公たる働き盛りの方々の間にも、彼の存在を知らせてくれたことに、感謝します。

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 今回もリサイタルの文字資料を掲載します。1965年11月3日に開催された、第2回リサイタルの2回目分です。
 今月は、フランク永井の89歳目の誕生月です。


●彼の歌はいつも語っている
東京中日新聞社文化部 森田潤

 「彼は語っている」フランクの歌を聞いた人がしみじみとこういった。彼の歌はいつも語っていると思う。フランクとは仕事をはなれて、個人的に付き合う機会が時たまあるが、この"語り"をたいへん大切にしていることに気がついた。たとえば話すコトバを大切にするのである。彼の話は決してドモらない。
 「ドモるのは無意識、無計画に話し出すからだ」と彼はよくいう。そして彼の語りはちゃんと文章になっている。放送局のアナウンサーのように規格品化されていないが、それだけに彼の話は味がある。
 バーやレストランに行くと、ホステスのおしゃべりを聞いて、出身地をぴたり当てる芸当も、日頃からコトバ使いを心掛けているからだろう。
 彼の歌自体がそうである。一語一語を本当に大切にしていると思う。「あヽ」というコトバひとつにしても、それをいとおしむように歌っている。それが歌心というのだろうか。若い歌手たちもその美点を大いに学びとってもらいたいものだ。


●ぜひ、来年も
毎日グラフ編集長 伊奈一男

 第一回のリサイタルのとき、本当に楽しかった。今度も、そういう楽しさを期待して百パーセントまちがいはない。でも、私は「フランクのリサイタルはきっと楽しいよ」といってすましてはいられない。彼のような、格調をもった、しかもうまい歌手は一年ごとに、いや、一日ごとに私たちの前から姿を消してゆくような気がするからである。
 つまり、フランク永井のような歌い手は、とても大切であり、貴重な存在ですらあるのだ。
 だから、その人のリサイタルとなると、楽しいのはむろんだが、貴重な陶器を割れないようにソッと手にとって、心ゆくばかり味わいたいという気になってしまう。
 ここに、こんないいものがあるんだよ、と一人でも多くの人に知らせてやりたい―そんな一種のもどかしさ...。ひとり、こっそりと楽しんでばかりはいられないというのは、そんな意味なのである。今年のをまだ聴いてはいない。でも、もう来年もまた、とお願いしておこう。

●懸命な追求
伊奈一男

 1965年11月3日の夜、東京新宿の厚生年金会館で2回目のフランク永井リサイタルが行われていた。
 第一部のポピュラーが終って、ロビーが急に華やかな色どりにつつまれる。ジャーナリストたちが集まって何かしゃべっている。「いつもより、大分調子がいいよ」「実に楽しい」「ステージを作るのがうまくなった」...。
 大した評判だ。ところで、ヒット曲をならべた第二部が終ったときは、もう誰もあらためてそんなことを、言葉に出していうものはなかった。一人一人が、その感を一そう深めて、第三部の新作「慕情」への期待を、心のなかに熱っぽく抱いていたからであろう。
 実際、みごとだった。第1回リサイタルのときは、初めてということが、彼自身の上に、かなり息苦しい力がのしかかっていた。今度だって「芸術祭参加公演」という、考えようによっては前回以上の重圧を背負わされていたにもかかわらず、聴き手に、そんなタイトルのことなんか、これっばかりも思い出させはしなかった。
 気負いとか、固さとかが全く感じられなかった楽しい一夜だったのである。
 リラックスという言葉は、こんなときに使うべきものなのだと思う。第一部、第二部とも、彼はおしゃべりを交えながら曲をすすめていった。わざとらしさとか、イヤ味とかは一つもない語りであった。それは、完全に歌の一部になっていた。それを聴きながら、私自身はフランク・シナトラのことを思い出していた。
 シナトラは、ステージのなかばに至ると、タバコをふかし、紅茶茶碗片手に、しばらく小休止といったムードでおしゃべりを始める。その"くつろぎ"はたまらない魅力をもっている。これは、いわば「大人」のお遊び、「大人」を楽しませてくれる"芸"なのである。
 フランク永井をききながら、シナトラを思いうかべたのは、日本のフランクが、あちらのフランクのもっている「芸」を身につけるようになってきたからに他ならない。
 語りがうまくなってきたのは、労音をはじめ、ワンマン・リサイタル風のステージが、近来非常に多くなってきたことも一つの理由ではあろう。しかし、決してそれだけではない。これは歌そのものと、あるいは歌い手としての彼の本質と大いに関係があることなのである。"芸"とはそういうことを意味している。
 もともと彼は、美しい、他に類のない低音をきかせる「声の歌手」として出発したことは、ご承知のとおりである。むろん、いまでもその声は少しも衰えをみせてはいない。だが、もう一歩突っこんで考えてみると、彼は一種のストーリー・テラー的な歌い手としての道を歩まされてもいたのである。
 それは吉田正氏が彼に与えた道でもあった。その場合、彼の声のもっている音色が、そのストーリーの背景である情景、雰囲気といったものを、ムード的に表現することによって大成功を収めてきたといえる。
 だが、最近はそうしたムードの部分は切り捨てて、人間の情感だけを追求する歌を与えられるようになった。そうなると、彼はもう、声とか、声のもつムードに頼っていることはできない。懸命に歌の内部に入り込んで、それを自分自身のものとしなければならなくなってきた。
 それを追求していって、ある日突無に(実際はどうか知らないけれども)ポッカリと道が開けたにちがいないのである。それは何か。聴き手と一緒になることである。聴かせるのではない。聴き手を自分のペースに引っぼりこむことである。そして、声こそ出さないけれど一緒に歌わせることやある。
 彼の今度のリサイタルが、第一回とくらべてリラックスした気分に満ちていたのは、こうした考え方、行き方が基調になってきたからにちがいない。これは歌い手としては大変な成長であり、進歩なのだ。そして、これこそが本当の"大歌手"への道につながっているのである。


●持味を大事に
内外タイムズ社文化部 小坂和男

 一昨年に続く二度目のリサイタル、おめでとうございます。
今年は歌手生活十年。「有楽町で逢いましょう」ではじまった"低音ブーム"が昨日のように思われます。
 先日、インタビューしたおり「十年、短いように思うが、会社のスケジュール表はいつの間にか、古手の仲間入りして、でも、老けこまないように歌いますよ」と、十年前とはちっとも変らない童顔をほころばせていましたね。その通りです。
 あなたの歌の魅力は老けこまないことが、第一条件です。これからも十年前と変らず、ソフトなムード歌謡を身上としてください。
 しかし、ちっとも変化がない―では、また批判のマトになりましょう。この辺のヤリクリは、おまかせしますが、極端にいうと、あまり歌はうまくなってもらいたくないのです。土台がうまいのですから、精々、昧つけ程度にして、いわゆるフランク・ムードなる持味をこれからも大事にして歌って下さい。


●充実した十年
日本ビクター株式会社取締役社長 百瀬結

 弊社専属歌手フランク永井さんの歌手生活十年を記念して、リサイタルが開催されました。
 皆様とともに心からお慶び申しあげます。
 一口に十年と申しますが、フランクさんの半生にとってこの年月は極めて充実した価値あるもの、と申しあげてよいのではないでしょうか。職業歌手として弊社からデビュー、ジャズから流行歌への転向、「有楽町で逢いましょう」をピークとする数多くのヒットによる、分厚い「低音ブーム」の醸成。
 第一回、第五回、再度にわたる日本レコード大賞の歌唱賞受賞。第三回日本レコード大賞受賞等。波瀾の多い社会情勢下の歌謡界レコード界に、輝かしい業績を残され、幸福な家庭をも築かれました。
 これは申しあげるまでもなく、皆様のご厚情に支えられましたお蔭でありますとともに、フランクさんご当人の並々ならぬ努力と、優れた資質によるものと、深く敬意を表したいと存じます。
 今夕のリサイタルが、文部省のご承認をいただきまして、第二十回芸術祭に参加いたしましたのも、この様な蓄積の上に立ったものでありまして、この催しが、一層意義深いものになりましたことを、わが国歌謡界のため、ご同慶の至りに存ずる次第でございます。
 フランクさんは一言にして誠実の人であります。十年前の新人時代から、ベテラン歌手の今日に至るまで、少しも変るところなく、大小何事にかかわらず誠心誠意、事に当っておられます。それがそのまま歌に現われて、聴く人すべての共感を呼び、心をあたたかく包むのではないでしょうか。
 フランクさんは十年間の業績をペースに、今後もたゆみなく努力を続けるでありましょう。わが国に数少い「大人の歌手」として大成するために、更に懸命の勉強をなさることと信じます。
 皆様、今夕はお心ゆくまでフランクさんの歌をご堪能あって、歌手生活十一年目の新しいスタートのため、惜しみないご声援を賜わりますよう、お願い申しあげます。


●情愛深い歌の十年選手
日本ビクター株式会社常務取締役 北野善朗

 フランク永井さん、おめでとうございます。
 一昨年に次いで、第二回目のリサイタルで、歌手生活十周年を記念し、しかも第二十回芸術祭参加の催しでもあり、誠に意義深くご同慶の至りに存じます。
 歌と共に十年、と会の名称にうたわれておりますが、フランクさんは正しく歌謡界の十年選手、しかも、その内容は輝かしく立派でありまして、どっしりとした量感がみなぎっております。
 フランクさんは人一倍情愛の深い方であります。あらゆる人に差別なく、温い心で接しておられまして、新人時代も今も、少しも変ることがございません。
 魅惑の低音と呼ばれた「有楽町で逢いましょう」を中心とする数々のヒット曲から、最近の「妻を恋うる歌」「東京しぐれ」に至るまで、フランクさんの歌には例外なく心があたためられます。
 お人がらが、そのまま歌に現れているといってよいのではないでしょうか。研究熱心なフランクさんは、いらずらに過去に生きることなく、将来への飛躍のための試みとして、今夕は恩師吉田正先生の作曲になるバラード「慕情」をご披露申しあげることになっております。
 何卒、フランク永井さんのため、絶大の拍手を送って下さいますとともに、いつまでも変らなくご指導、ご支援のほどお願い申しあげます。


●国際歌手を目指して
日本ビクター様式会社常務取締役/レコード本部長 八木沢俊雄

 第二十回芸術祭に参加して、歌手生活十周年を記念するフランク永井さんのリサイタルが開催されました。
 かつてない深い意義と内容をもつ催しとして、フランクさんご自身はもちろんのこと、レコード界のために大変慶ばしいことと存じます。
 昭和三十年弊社入社以来、十年間のフランクさんの歩みは、実に立派なものでありました。たゆみなくヒットを世に送り続けてこられましたが、とりわけ「低音ブーム」の先駆となって、わが国歌謡界に大きなエポックを作り、三十四年、三十八年、再度にわたる日本レコード大賞の歌唱賞、更に三十六年には日本レコード大賞受賞されましたことなどは、フランクさんにして、初めてなし得た業績と申しあげてよいのではないでしょうか。
 フランクさんは、人間の心をうたう数少い「大人の歌手」として、高く評価されております。喜びにつけ悲しみにつけ、その歌声は聴く人の心にふれて「歌のしあわせ」というものを感じさせます。誰からも愛される、あたたかい人がらが、そうさせるのでしょう。その意味でフランクさんは、国境を越え人種の別なく、世界の人々に歌の心をわからせられる歌手といってよいのではないかと考えます。
 この度のリサイタルで芸術祭に参加することを、おすすめしたのも、このような心技ともに優れた歌手フランクさんなればこそでございまして、文部省ご当局にもご快諾をいただいたのでございます。
 十年間のキャリヤを生かしたフランクさんの歌声が、一日も早く海の外の街々や空に流れますよう、皆様とともに心から祈りたいと存じます。


●お祝いの言葉
ビクター芸術家クラブ理書長 飯田信夫

 フランク君、君がビクターの専属になったのは十年前だったね。確か君は、ジャズ歌手として入社した筈だった。その君が今や、歌謡界の第一人者に大成した。
 聞く所によると、ピッチング・フォームを変えた投手は仲々大成しないものだそうだが、君は美事にそれを成し遂げた。
 吉田正君や、佐伯孝夫君、磯辺ディレクターなどの名コーチのアドバイスが与って力のあったことも否めないが、それにもまして、君の歌手としての優れた素質がこの偉業を成し遂げたのだろう。心から敬服の念に堪えない。
 第一部にポピュラー・ナンバーを並べているが、これはジャズ歌手へのノスタルジヤだろうね。それとも、ささやかなレジスタンスかな。とにかく、ジャズも大いに歌い、給え、一球外角も遊んだ後の内角低目のストレートは、大変偉力のあるものだ。


●日本のミュージカルは「慕情」から
佐藤泉

 ヨソの国の借り物ではないのである。生活も血も同じくする我々日本人の、日本のミュージカル-「慕情」とは、そういう歌だ。
 思えば10年前。作曲家吉田正氏を得てフランク永井は、ジャズから歌謡曲に転じた。多くの人に愛される歌をうたおう、とハラをきめたからである。師弟の結合。男同士のド根性対ド根性の結び付き、と言いかえてもいい。10年後のいま、それがこういう形で花開いた。"吉田正・フランク永井"、こころの結晶が「慕情」なのである。
 恋は美くしい。たとえ、それが恋と呼ぶには、はかないものであったとしでも、ひとたび慕った女性の"白い俤(おもかげ)"は、いつまでも消え去りはしない...人妻への慕情をうたった岩谷時子の詩。
 吉田正の曲をフランク永井が切々と"語る"のである。東京混声会場団(男16人、女8人)をパックに、19分のバラード。
 あの女性に初めて出違った日、それは雪の日。そして一年-今日もまた雪が降っている。あの日と同じように、音もなく、しんしん......と。
 恋する男の感情の起伏、四季感をとらえた音楽処理がみごとである。あるときはクラシック的な手法で、一転してジャズ的な処理で。タンゴ、ワルツ、スイング、スロー・ロック、ビギン...と、転調する。その過程のなめらかさ。雪の結晶のように、こまかい神経のゆき届いた音楽処理である。
 全体を通して"ブルーな"感じで統一された詩に、豊かな音の色彩を配したあたりの心にくさに、脱帽しよう。一貫した流れのなかでの盛り上り...つまりヤマのつくり方の鮮かさ、なのである。
 一口に19分という。詩を暗唱するだけでも大変なワザだ。しかし、これだけでは歌にならない。情景全体を理解し、咀嚼し、そして自らの歌唱で表現する......コトバを日ごろから大切にして歌っていなければ、とうてい出来るワザではないのである。"おとなの歌"のチャンピオン・フランク永井なればこその大成功。
 いいかえれば、フランクのために吉田氏は作曲したのだろうし、フランクなくして「慕情」は生まれなかったかもしれない。なんとも、うらやましい"ツー、カー"以上のコンビぶり―いや"師弟一体"と言いなおそう。
 冒頭に「慕情」は日本のミュージカル、と書いた。日本のコトバに日本のオリジナル・メロディー。ぴったりハダに合うのである。外国のメロディーに日本のコトバをつける―どだい無理だし、不自然というものだろう。不自然な歌を、大衆は口ずさみはしない。いろんな事情で"貸し衣装"を利用しても、内心では常に"オーダー・メード"を欲するのが人情というものなのだ。
 ただし、今までにオーダー・メードで、これといったものが実際には出来ていなかった。その意味で「慕情」の果たす役割りは大きい。これを母体として、日本のミュージカルのなかでの、一つの型が達成されることを希望したい。 カラー・テレビ時代もそう遠くはない。ブラウン管から日本のミュージカルを育てあげることも一つの方法であろう。まず、魂よりはじめよ...である。
 「慕情」は、覚えやすく、歌いやすい歌だ。たとえば、その一章を歌誰曲レコードとしてシングル盤で発売してみても、いっこうに抵抗感を与えまい―日本のミュージカルは「慕情」から...ということなのである。
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 今回もリサイタルの文字資料を掲載します。1965年11月3日に開催された、第2回リサイタルです。

昭和40年日月3日(祭)午後6時38分開演
東京新宿厚生年金会館大ホール

■主催=日本ビクター株式会社
■制作=ビクター芸能株式会社
フランク永井音楽事務所
監修=吉田正
美術照明=今井直次

☆第1部《ポピュラー曲集≫
■演奏=浜田清とフランクス・ナイン
■合唱=東京混声合唱団
■編曲指揮=寺岡真三

1.恋人よ我に帰れ
2.I'M WALKING BEHIND YOU
3.ANY TIME
4.TOO YOUNG
5.TAKE MY HEART
6.ワルツ・メドレー
(IT'T A SIN TO TELL A LIE/RAMONA/MY HEART CRIES FOR YOU)
7.RED SAILS IN THE SUNSET
8.I DON'T KNOW WHY
9. BECUSE OF YOU
10. MAGIC IN THE MOON-LIGHT
11.枯葉
12.久し振りだね~慕情
13.ばらの刺青
14.16トン
15.愛の讃歌

☆第2部《ヒット曲集≫
■演奏=宮間利之とニューハード+ストリングス
■編曲指揮=小沢直与志
1.有楽町で逢いましょう
2.場末のペット吹き
3.東京午前三時
4.こいさんのラブコール
5.東京カチート
6.追憶
7.東京ナイトクラブ
8.ラブ・レター
9.夜霧に消えたチャコ
10. 好き好き好き
11. 羽田発7時50分
12. 霧子のタンゴ
13. 西銀座駅前
14. 大阪ぐらし
15. 熱海ブルース
16.君恋し
17.東京しぐれ
18.イエス・オア・ノー
19.妻を恋うる歌

☆第3部 新作「慕情」
作詩/岩谷時子
作曲/吉田 正
■演奏=ビクター・シンフォニック・オーケストラ
■合唱=東京混声合唱団
■指揮=吉田 正


●感謝のごあいさつ
フランク永井

 こんなに年月が経つのは早いものか、と思ったことは、今までにありません。無我夢中で過したためでしょうか。
 今年の初め、ある人に「歌手になって何年になりますか?」ときかれて「えーと、ビクターに入ったのが30年だから...」と考えているうちに、そうか10年か、と気づいたのです。
 10年―昔でいえば、ひと昔です。一瞬厳粛な気持でした。
 それと同時に、ずいぶん早いもんだなァと思いました。
 野球好きの私には、プロ野球選手に友人が多く、10年選手もおります。野球なみにいえば、私も歌の10年選手になったわけです。10年選手の面目にかけても、よいプレイをしなければ、と改めて身をひきしめた次第です。
 この10年を非常に短く感じたのは、私自身が、たいへん恵まれた場においてもらって、脇目もふらず、懸命に仕事をすることができたからではないか、と考えるのです。おかげさまで、たくさんの歌を多くの皆さんに歌っていただきました。歌手として、これ以上の喜びはありません。
 このことは、一にも二にも、大勢の方々のお力によるものです。作詩、作曲、編曲の先生方、企画したり、いろいろお世話して下さる会社の方々はもちろんのこと、マスコミや芸能界、更には全国の無数のファンの方々等、直接間接に、心あたたかく、時にはさびしく、深い愛情をもって私を支えて下さったからに他なりません。
 ただ今の私の心境は、感謝あるのみです。ほんとうにありがとうございました、今日は、その気持ちを一つ一つの歌にこめて、懸命にうたいます。
 私の恩師てある吉田正先生が、岩谷時子先生の詩を、精魂こめたメロディにのせて下さいました。「慕情」という、一人の男の悲しい告白です。毎日稽古に励みながら、僕は、いく度か涙しました。どうかお聴き願って、私の将来のために、何ぶんのご批判をいただければ幸いに存じます。
 歌と共に11年目の新しいスタートについて、これからも頑張ります。私の性格ですから、背のびしたり無理な爪たちはせず、一曲一曲を大事にして歌い続けたいと思います。いつまでもよろしくお導き下さい。
 今日はお忙しいところお越し下さいまして、ありがとうございました。心からお礼申しあげます。


●一歩一歩前進
フランク永井後援会会長 愛知揆一

 フランク永井君とは同郷(宮城県)という誼みから、その後援会を長くひきうける契機になったのであるが、爾来、結婚の媒的をつとめたり、家族間の交際とか、私的な面でも親しさを深める機会が多く、今では後援会会長という肩書きを超越したつながりを持っているように感じている。
 芸能界の第一線を行く人気歌手という華やかな存在であるにも拘らず、フランク君がそれに溺れず、仕事についても、また私生活に対しても堅実な孝えを持ち、一歩一歩確かな歩みでのびてゆくところに、共感を持つ所以がある。
 一昨年の第一回リサイタルは優秀な内容で成功し、その後のフランク君の仕事に対しても、良い影響を与えたものと解するが、今回のリサイタルの企画は、より前進し、より秀抜であるように感ずる。
 幸い大方諸賢のご支援により、今回のリサイタルが前回同様、あるいはそれ以上の成功をおさめることが出来るなら、歌手としてのフランク君の将来は、益々光輝あるものになることと信じ、自分としても大いに期待するところである。


●頼りになる歌手
吉田正

 フランク永井君が、プロの歌手としてビクターからスタートしてから十年になる、ときいて妙な気がした。実のところピンとこなかった。もうそんな年月になったのか、早いものだな、という気持ちの後、すぐに、まだそんなものだったのか、と反対の感慨が追いかけて湧いてきて、それが長く続いた。
 フランク君が十年なら、私とのつながりもそういうことになる。だが、どういうわけか十年などというものでなく、もっともっと前からの交友のように思えてならないのである。
 フランク君はそんな感じを与える人だ。十五年も、二十年もビクターで歌ってきたようにさえ思える(老成しているという意味では決してない)。つまりは、フランク君の人がらが初めからビクターという会社や、私の肌にピッタリ合っているのではないか。いく十年もいたような錯覚を起させるのはそのためではないか。
 事実フランク君は、新人のころからチャカチャカしたところがなかった。若いに似ず、腰が坐っていた。誠実である上に不思議な大人っぽさがあった。
 一口にいえば、しっかりした青年だった。例えば、ジャズから流行歌に転向をするときでも、実のところ本心では気が進まず相当に悩んだらしいが、多くの人に愛される歌を歌うなら、よその国の借り物でなく、生活も血も同じくする日本人の作品こそ、と腹が決ってからの彼の姿勢は立派だった。
 じっくりと私の書いた流行歌「場末のペット吹き」(宮川哲夫作詩)に取り組んでくれた。身につけたジャズの、若く新しいフィーリングを日本風の作品に生かして歌いあげた。
 これが今日のフランク君を築きあげた要素で、ちゃんとした性格からくる怜悧さがそうさせたのだろうと思う。
 十年の間の歌と人間の成長の陰に、一貫して誠実で通して私に対してくれたことが、生れたときからいっしょに暮してきたような、長い間の兄弟愛に似たものを感じさせるのである。
 その意味でフランク君は、私がいっしょに仕事をした数多い歌手の中で、最も頼りになる、かけがえのない人である。
 だからといって、私は作品の上ではフランク君と妥協はしない。むしろ対決に近いものを頭においてぶっつかる。今日発表する約二十分間のバラード「慕情」についても同じだ。
 「心の歌」をうたう歌手フランク君の中の可能性に、あれこれ想いをめぐらせて、彼に体当りするつもりで、及ばずながら私なりに最大の努力をしたつもりだ。フランク君も真っ向うから四つに組んで歌いあげてくると信ずる。
 作曲するものにとって、優れた歌手と仕事をすることほど、幸福なことはない。十年の立派なキャリアを生かして更に大きな歌手になってほしい。私も、きびしい男の友情を一層固くして、フランク君の声を通して、皆さんに喜んでいただけるものを、いつまでも書き続けたいと思う。
 フランク君、おめでとう。


●十 年
佐伯孝夫

 フランクさん、十年目の記念リサイタル、おめでとう。...もう十年にもなったのかと、感慨深く、あらためてあなたのことを考えています。過ぎた日のあなたについても、また明日のあなたについても...
 それはそれとして、本当に十年という歳月は、肩に重くかかってくるものです。その間の一年一年を、立派に歌と共に生きてきたあなたも、いろいろの重さを、今は華やかな蔭で、しみじみと感じていることでしょう。
 そして、今日こそは、その重さを肩に担って、次の十年への勇ましい出発の姿を、私たちは舞台に見ることができ、その歌声をきくことができるのです。
 仲間―と呼ばしてもらうには、この私、大分年をとりすぎているにしても―の一人として、こんなに嬉しいことはありません。どうか皆さんも、フランク永井の今までの業績をほめてくださると共に、明日を祝して、惜しみなき拍手を送って上げてください。


●サウスポー・ボーラー・フランク
渡久地政信

 今から二年程前の話で、アメリカの友人、タク進藤氏と、フランクと三人で、よもやまな話から、ボーリングへ出かけることになった。
 当時ポーリングのことなど、何も知らなかった私は、親切に二方にコーチしてもらった訳だが、初歩の悲しさ、投げるポールのほとんどがガーターになってしまう始末で、カッカと燃えたことを覚えている。
 今では、名手フランクのコーチを待て、アベレージ170~180、日に一・二回は、200をアップすることさえできるようになった。
 昨年の夏、報知新聞主催の芸能人ボーリング大会で、ビクターチームが優勝の栄冠を獲得したときの話であるが、フランクは二四四点の最高得点で、個人でもハイゲーム賞を獲得、四囲の目を見張らしたのであった。
 今年は残念ながらフランクが仕事の都合で出場できなかったため、チーム力が弱体化してしまって、他チームにあっさり優勝トロフィーを持ってゆかれてしまった。
 このように、ボーリングでも、チームの要であるフランクは、勝利へ向うためには、常に冷静な心を保持する上に、何日も自己周囲の判断を忘れず、自分自身のみでなく、全てに喜びを与える役割を果してくれている。
 カッカと燃え盛る情熱を、静かな判断で押さえ、一瞬のエネルギーに魂を込めて、ストライクの火花を散らす。サウスポー・ボーラー、フランクは実に味のある男だ。
 低音の声から受ける人間的魅力、魂の爆発力にはボーリングのピンも弾き飛ばされる快感さえ覚える。
 フランクは私に良いことを教えてくれた。ボーリングのボールは丸い。その丸さを操る人間の精神と技は、実に至難なことであることを。人生もこのようなものであろうか。
 リサイタルを開くことは、現在の自分を見つめ、反省して新しく前進する上に、是非とも必要なことである。フランク君、ボーリングで優勝者のユニフォームを着けた貴君が、今歌手世界でのチャンピオンであることも、私は信じて疑わない。
 いつ迄もその謙虚な人柄と弛まざる努力を保持して戴き度いと思う。お互に後味の悪いガーターは絶体に赦されませんからね。


●忘れられないバスの魅力
日本音楽著作権協会会長 堀内敬三

 「低音ブーム」のキャプテン格「有楽町で逢いましょう」は、昭和三十二年の暮から翌年いっぱいにかけて、日本中いたる所で流行した歌であった。フランク永井という新しい大スターの名も、この歌といっしょに私に、強く印象づけられたのである。
 その次に激しい印象が与えられたのは、三十六年の暮に出たレコード大賞のリバイバルヒット「君恋し」である。
 このうたは「カルメン・シルヴァ」の変形で、私はこの節を大正終期から知っていたが、フランク永井のバスの声で開くと、魅力がひとしおよみがえって響いた。
 レコード芸術のひびきの中で、フランク永井の独特なバスの歌声は非常な魅力である。
 日本の流行歌―何万あるか、何十万あるかの中で、このおびただしい魅力は決して忘れられないものである。


●リサイタルに寄せて
日本作曲家協会会長 古賀政男

 リサイタルおめでとう、心からお祝い申上げます。
 この会を重ねるに従って、ますます君の歌唱の円熱さが目立つ程、完壁に近い心境を思わせます。何事にせよ、人は死ぬ迄、勉強、努力だと思います。
 亡くなった世界のプリマドンナ三浦環さんが、常に言っておられました。自分はこれまで、何百回となく蝶々夫人(マダム・バタフライ)を歌ってきたが、一度も満足したことはなかった......と、私に述懐されたことを思う時、芸道のきびしさを感ずるのであります。
 現代の歌手が多勢おられる中で、君は私の最も好きな憧れの歌手です。どうぞいつまでもその心懸けを永遠に持ち続けて、歌の花を咲かせて下さい。
 今日は本当におめでとうございました。


●いつも"心の歌"を
日本音楽事業者協会会長/衆議院議員 中曽根康弘

 フランク永井さんの歌は、日本人の"心の歌"である。ちょうど、シャンソンがフランス人の心の歌であるように。
 フランク永井さんは、いつも、人の心の最も奥深いところにある衷しみと歓びを歌う。うわべの派手やかさだけを追う歌手の多いこの世界で、聴く人の胸にしみじみと語りかける、数少ない人の一人である。
 フランク永井さんは、年と共にますます人間一的な磨きを加え、その"低音の魅力"は、あたかも、いぶし銀のような渋く深い光をもってきた。彼の歌は、聴く人の心を、熱狂というよりは、むしろもっと暖かい、やわらかい、切ない感情で包みこんでしまう、不思議な力をもっている。
 芸術祭参加のこの第二回リサイタルが、大成功をおさめるよう、これからもますますよい曲に恵まれて、いつまでも"心の歌"を歌い続けられるよう祈ってやまない。


●大衆のための歌
日本音楽著作権協会常務理事 吉田信

 フランク永井君が歌った「有楽町で逢いましょう」を初めて耳にした時、日本の歌謡界にも、素晴らしい低音歌手が現われたものだと感嘆した。私が一番感心したのは、詩と曲の心を的確につかんで、自分の歌として唄いあげている点だった。
 その後のフランク君の成長ぶりには目覚しいものがあり「君恋し」で日本レコード大賞を獲得し、一昨年は歌手として最高の栄誉である歌唱賞も受賞した。
 フランク君の今日あるのは、同君の精進の賜物であることはいうまでもないが、佐伯孝夫、吉田正両君による、数多くの優れた作品に恵まれたことを忘れてはならない。
 今回のリサイタルを飛躍の第一歩として、更に新しい情熱をもって、大衆のために歌い抜くフランク永井君の今後に、私は大きな期待をよせている。


●フランク永井君の魅力
慶応義塾大学教授 池田弥三郎

 だいぶ前から、ずっとひき続いて、フランク永井君の歌のフアンなのに、これがまた不思議なことに、一度もステージの声をじかに聞いたことがない。二三年前、レコード大賞の後の会で、きょうは開かれると思ったら、のどの手術とかで彼が出演せず、だめになったことがあり、それ以来、リサイタルなどがあっても、いつも行かれない。
 こんどの会も、学校の公務でこちらが不在でまた聞きに行かれない。これで、五六度、聞きこそなっている。残念でならない。しかし、そのために、フランク永井君の魅力が期待によって倍増されていることもいなめない。変な言い方だが事実だから仕方がない。
 天分がゆたかで、そのうえ努力家だし、どんどん新しい経験を積んで吸収しているから、魅力が先へ先へと展開していく。楽しい。


●洗練された魅力
日本経済新聞社企画部長 平井賢

 フランク永井。この名を聞いて大分久しいものになっている。歌い続けて十年という。デビュー当時から、ずば抜けたフィーリングのうまさが耳に残っているので、もう二十年も歌い続けているような気がしている。
 昭和31年から32年にかけて「場末のペット吹き」「東京午前三時」「羽田発七時五十分」「夜霧の第二国道」と続き「有楽町で逢いましょう」と吉田正君の都会詞歌謡を、吉田氏のイメージ通りに、都会的ムードで歌い上げ、低音の魅力を遺憾なく発揮してヒットにつぐヒットを飛ばし、大歌手の一人にのし上った。
 これは詩に佐伯孝夫氏、曲に吉田氏をいただいた幸運は勿論だが、フランクの努力も見逃せない。
 彼の洗練された歌唱の魅力は、声の良さ、歌い回しのうまさばかりで出るものではない。彼は歌を"大切"にして心から歌い上げている。もちろんレコード大賞や、歌唱賞を獲たこと自体偶然ではない。
 昭和39年の「冬子という女」「大阪ぐらし」以来、このところヒットを開かない。この会を機に大ヒットを期待しているのは、私ひとりではない。"好漢"フランク...ガンバレー。


●寿命の長い歌手
東京新聞社文化部 伊藤寿二

 もうすぐ本年度のレコード大賞の審査がはじまるが、毎年きまって歌唱賞の有力候補に推されるのが、フランク永井と美空ひばりである。今は、うまい歌手より面白い歌手が歓迎される時代だが、フランクはうまくて面白い。だけど、ちっともうまぶらない。人気に溺れない。
 そして、自分のペースを守り、自分の声の質を生かして、コツコツと根気よく勉強を続けている。
だから、歌手としての寿命が長い。とかく、実力がないのに人気が先走り、有項天になってはかなく消えてゆく若い歌手が多いが、そういう線香花火みたいな歌手たちは、フランクの根性や努力を学ぶとよい。
 フランクも、いいお手本になるように、ますます堅実に歌い続けてほしい。こんどのリサイタルは、じっくりと歌を聴かせて、聴衆を酔わせてくれるにちがいない。
 私が作曲家だったら、いちばん作りたいのが彼の歌で、いつまでも残るような歌をかきたいのだが―。
 フランクさん、いい仕事を続けて下さい。


●恋心を歌ったら日本一
スポーツニッポン新聞社文化部 宇佐美周祐

 この八月で吉田正さんからフランクが、二度目のリサイタルを開くことを聞いた。その時に吉田さんは「新曲を頼まれたのはいいが、フランクには、ほとんど手を使い尽しているので弱りました」と語っておられた。
 なるほど十年間に、百曲以上もフランクの歌を手がけられた吉田さんが、苦労される気持ちはよくわかる。だが吉田さんの顔には困ったとか、迷惑などの感じがまるでなく、むしろ弱っているのを楽しんでおられるようだった。
 フランクはなんて幸わせな男―しかし、これも彼の人間的なあたたかさ、それにともなう、血の通った歌唱力のたまものなのだろう。フランクは女性をモチーフに、あるいは恋心をテーマにした曲を歌ったら、その表現力において日本一といっても過言ではあるまい。吉田さんがこんどのリサイタル用に作られた新作「慕情」は、そんなフランクの魅力をフルに発揮させようという歌だ。
 恐らくフランクは吉田さん、いや僕らを含むフアンの期待にこたえ、今日はすばらしい歌を聞かせてくれるだろう。


●師匠ゆずりの記録男
東京タイムズ社文化部 佐藤泉

 フランク永井と三波春夫に対談してもらったことがあった。八、九年前にもなるだろうか。テーマは「ことしのホープ」であった。「有楽町で逢いましょう」や「東京午前三時」を吹き込む以前のことである。
 両人とも、今みたいにふとってはいなかった。双方ともに話に実(み)があった。数多いインタビューの経験から「これは大モノになりそうだ、だいぶ先の新人とはちがう」という直感が働いたことを、まざまざと、いま思いおこしている―十年。
 フランクはその間、レコード大賞一回、歌唱賞二回を受賞した。過去六回のレコード大賞審査におけるこの実績。吉田正氏ともども師匠ゆずりの"記録男"ぶりである。
 歌もうまい、人間もいい。歌手生活十年、一区切りである。ここらで、もう一度"歌謡曲の底辺"について、フランクと話し合ってみたい気がするのである。


●おとなの歌のチャンピオン
読売新聞社娯楽部 安倍亮一

 二か月のアメリカ生活をおえて日本に帰ってきた夜、なんの気なしにテレビをひねったら、でてくるわ、でてくるわ、歌もろくすっぽ歌えない、通称かわい子ちゃんの、白痴的ティーンエージャー歌手たち。ああ、もうだめだ。私は帰国第一夜で、絶望のどん底につきはなされてしまった。
 アメリカではこんなことはなかった。夜、ホテルの一室で、ウイスキーをのみながら、テレビのスイッチをひねったとき、すてきな歌を聞かせてくれたのは、フランク・シナトラ、サミー・デービス・ジュニア、ディーン・マーチンという人たちだった。
 帰国して一週間、ぼくはフランク永井にあった。「しっかりしてくれよ。おとなの歌のチャンピオン」と肩をどやすと、「大丈夫。まかしておいて」という返事。本当にがんばってほしいんだ。
 内容のまったくない、低俗な歌の氾濫の中にあって、おとなの感覚で、内容の充実した歌を歌えるのはフランクだけなのだから。そして、ジャズを絶対忘れないで、いつまでも歌い続けてほしい。


●これぞリサイタル
報知新聞社文化部 伊藤強

 師である吉田正氏と同じで、フランク永井がお酒を飲むようになったのは三十歳を過ぎてからだと聞きました。そういえば「有楽町で逢いましょう」と、恋人と待ち合わせたときフランクがいたのはティー・ルーム。バーやクラブではなかったのです。
 でも最近のフランクはかなりの酒豪。早いピッチでブランデーのビンを空けるのです。そして、お酒を飲むようになってから、歌の内容がまた一段と深くなったような気がするのは、同じ酒飲みである僕のひいき目でしょうか。
 昨日デビューした人が今日はもうスター。それが明日になると「そういえば、そんな人がいたっけ...」多少オーバーですが、いまの歌謡曲の世界には、そんなことが多すぎます。そのなかでフランクだけは別格。いつまでも心にしみる歌をうたって欲しいのです。これが二度目のリサイタル。「リサイタルなんて照れ臭くて」などといわず、若い歌手たちに「これがリサイタルだ」という見本を示してやって下さい。


●常に前進...
デイリースポーツ社芸能部 定方崇

 「君恋し」でレコード大賞をとった翌年だったと思うが、慶応病院へフランクを見舞ったことがある。
 「公表できない手術なんでね...」とフランクはにが笑いしていたが、実は痔の手術だったからだ。
 このとき、フランクはしみじみとこういった「流行歌って難しいですね。とくに詩の解釈がなかなかつかめないですよ」。
 僕らからいえば、あれだけ感情をこめて歌っている歌手はないと思っていたのに、この言葉は実に意外という感じが強かった。
 今から考えると、それだけ真剣に歌に取り組んでいたんだなと思うし、常に前進する姿勢も忘れなかったんだなということが分る。そんな態度が、他に追髄を許さぬ、今日のフランクを作り上げたのだろう。
 昨年のリサイタル以来、労音でみせたレパートリーの開拓、しゃべりの練習といつも勉強を忘れないフランクは、きっとこのリサイタルでも、その成果を聞かせてくれるに違いない。
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 1963年の文化の日に開催された、フランク永井第1回のリサイタルについての資料の第3回分です。

■日本ビクター株式会社 取締役社長 百瀬 結
愛情の歌手
 今夕の「フランク永井リサイタル」にご参会の皆様は「濡れて来ぬかと気にかかる」という歌詩をよくご存じでございましょう。申しあげるまでもなくフランク永井さんの大ヒット「有楽町で逢いましょう」の一節でございます。私はこの言葉に常々感激いたしているのでございます。また、たいへん好きで、折にふれて合う人ごとに話しております。誠に何んでもないような短い一句ですが、おそらく、どんなに寒い冬の夜でも、また、どんなに怒りにふるえているときでも、ほのぼのと心が温くなるであろうと思われる、愛情いっぱいの言葉でございます。
 人々相互の幸福の根源が、この僅か十幾つかの文字に剰(あま)すところなく刻みこまれている、といっては過言でございましょうか。亡き主人の声に耳を傾ける愛情の犬のマークの下で、日々仕事をしております私どもとしては別して、その感が深いのでございます。
 この言葉を耳にするたびに私は、作詩された佐伯孝夫先生に心からの敬意を捧げ、誰にも愛される名曲をお書きになった吉田正先生に、感謝申しあげるのでございます。そして、その名作を直接の歌声として心豊かに表規し、名詩名曲を更に生命あるものとして息吹かせつつ、皆様にお届けしたフランク永井さんに対し、限りない親愛の情を禁じ得ないのでございます。
 「濡れて来ぬかと......」のことが大分長くなりましたが、フランクさんなればこその歌唱であって、愛情の人でなければなし得なかった貴い業績であろう、と固く信じて敢えてそれを申しあげたかったのでございます。
 歌はその人を現わす、といわれますが、事実フランクさんは愛情の歌手であります。そして誠実の人であります。
 師を敬い後輩をいつくしみ、日常の生活行動も充実しております。昭和三十年当社に入社の、新人歌手時代と少しも変るところなく、謙虚に堅実に歩んでおられます。だからこそ「有楽町で逢いましょう」を一大ピークとして「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「羽田発七時五〇分」「街角のギター」「俺は淋しいんだ」「東京ナイト・クラブJ「東京カチート」「霧子のタンゴ」その他数えきれないほどのヒットを続出し「魅惑の低音」の愛称のもとに低音ブームという歌謡界に、大エポックを画し得たのでございましょう。
 また「君恋し」で大衆歌謡レコード最高の日本レコード大賞、更には「夜霧に消えたチャコ」で同賞の歌唱賞受賞という栄誉も担っております。実にフランク永井さんは、こよなく大衆に愛される歌手であるとともに、品格を兼ね備えた歌手として、稀に見る、立派な存在であろうと存じます。それを要すれば、深々とした愛情と折り目正しい誠実な性格がその骨格になっている、と申しあげてよろしいのではないでしょうか。
 今宵、弊社主催のもとにフランクさんのリサイタルが開催されたのでございますが、フランクさんは、持てる力をフルに駆使して、愛情の歌の声々を皆様にご披歴申しあげることと存じます。将来への新らしい躍進を期して、新作品も用意しておられると聞いております。フランクさんのためにこれほど喜ばしいことはございません。
 ご来会の皆様にはフランクさんのために惜しみなく柏手を送っていただきますとともに、この上とも立派な歌手に大成いたしますよう、いつまでもご指導ご支援下さいますことを、この紙上をお借りしてお願い申しあげる次第でございます。

■日本ビクター株式会社 専務取締役 北野善朗
 フランク永井さんは、この十年の間、日本ビクターが世に送った歌手の間でも、屈指のスターであるばかりでなく、今後世界的にものびてゆく可能性を持った数少いア-チストの一人であると信じております。
 ジャズを歌っていたフランクさんが、「場末のペット吹き」で歌謡曲の分野にも歩を進めた時、私はこれは、すばらしい歌手が生れるような予感がしましたが、果せるかな「有楽町で逢いましょう」で大ヒットをし、以後「逢いたくて」までの数々の佳唱については改めて御紹介することもなく、皆様がよくご承知の通りです。
 近来ますます技法的にも円熟し、大阪での吉田正先生のリサイタルに於ける、フランクさんの歌をテレビで聴いた時、正にこれは日本の第一位の歌手であるという感を深くしたのであります。
 今回吉田先生を始め諸先生のご協力により、第一回のリサイタルを開かれるということは、これからのフランクさんにとっても、誠に意義深い貴重な里標となると考え、ご成功を心から祈り、あわせてリサイタルにお寄せ下さった各方面のご厚意を深謝するものであります。

■日本ビクター株式会社 常務取締役 八木沢俊雄
世界の歌手を目指して
 フランク永井さん、おめでとうございます。待望のフランクさんのリサイタルが開かれましたことを、心から嬉しくお喜び申しあげます。
 フランクさんのリサイタルは、各方面永い間待望のものでした。いくどもいろいろな方からおすすめがあったのですが承知されませんでした。「僕は臆病な性質なので......」とフランクさんはいっておられますが、極めて堅実で誠実な性格がそうさせたことと思います。自分の歌と社会に対する強い責任感、とでもいってよいでしょう。
 フランクさんは常に自分にムチを打って生きている人です。レコード歌謡界に改めて申しあげるまでもない大きな業績を残しながら、テングになるような素振りなど少しも見せません。実に謙虚です。それだけに今日のリサイタルはたいへん感減の深いものがあろうかとお察しします。
 私は常にフランクさんは世界の歌手になる人だと考えています。ここ一、二年、特にそれを強く感じます。歌の深さ、大きさ、そして豊かな説得力......レコードはもちろんステージ、放送テレビでも他の歌手にない厚味を感ずるのです。ときにフランク・シナトラ、ハリー・ベラフォンテをほうふつさせることもあります。日本的なものと西欧的なもの、古いものと新しいもの、それらが実によいバランスを保って同居する歌の素質と、誠実で自分に厳しい人間性から、必ずや日本で数少い世界的な歌手になる人だといいたいのです。
 何卒一日も早くそのような歌手に大成するよう皆様のご支援とご激励を、私からも心からお願いする次第でございます。

■フランクをほめる
ビクター芸術家クラブ理事長 飯田信夫
 フランクはいい奴だ。奴と言っても怒るなよ。軽蔑の言葉ではない。親しみをこめた言葉だ。実際フランクはいい奴だ。憎めない人柄だ。
 眼尻が下っていて笑うと眼がなくなってしまう。マスクも心も憎めない、名の通りフランクないい奴だ。然も歌えば低音の魅力と来ている。
 若い娘達が「フランクってイカスわね」と来るのも無理からぬことだ。
 フランクはほんとにいい奴だ。ビクター入社当時も人気歌手になった今も一寸も変らない。変った所と言えば、身なりが少しダンディになったことと、自動車を持つようになった位のものだ。会えば必ず挨拶もするし、冗談も言う。ほんとに心のおけない、少しも威張った所のない、いい奴だ。
 なんだそんなことと思う人もあるだろうが、これがなかなか出来ないことなんである。一寸人気が出て来ると、挨拶どころか会釈すらしない人がある、僕は僕なりの考えから、挨拶されなくとも、会釈されなくとも、別に気にはしないんだが、他の人はそうはいかぬらしい。
 あの野郎生意気だと言うことになる。ところがフランクは一寸も変らないのである。ニコニコ笑いながら最敬礼に近いような格好でおじぎをする。他の人がしたら嫌味たらしいんだが、フランクがすると少しも不自然でない。好感の持てる物腰格好なのである。徳な人だ。
 彼はスポーツを好む。殊に野球が好きだ。自分のチームを持っている位だから、まあマニアと言ってもいい位だ。元来スポーツマンと言うものは、さっぱりした性格の人が多い。フランクの明るい人好きのする性格は、スポーツによって培れたものに違いない。好感の持てるマスクを持って、然もスポーツマン、加うるに低音の魅力と三拍子そろった「よか男」フランク、男の将来はまだまだ永い。思う存分歌いまくり給え。

■ビクター芸能株式会社代表 永野恒男
お祝いの言葉
 フランクさん、おめでとうございます。私は貴方の一ファンとして、本当に今日の日を待っていました。
 思うにこの数年来リサイタルと称する会が大変多くて、こういってはなんですが、それこそ猫も杓子もリサイタルです。とりたててリサイタルの実義を云々する必要もないてしょうが、でも、よそ目には如何にも「リサイタル」という名にそぐわないキャリアの人も多いようで、でも、そんなことはどうでもよいことで、せめて本人の気持の在り方だけは、精一杯のものがあって慾しいと思う訳です。
 こういった中で、貴方が今回リサイタルを開くということは、とても大きな意義があるように思うのです。もちろん貴方はそんなことは全く考えてもいないでしょうが......
 フランクさんには、もう三年も前から会社はリサイタルをやったらどうか、とすすめていました。それはフランクさんのレパートリーの豊富さもさること乍ら、歌手としての完成度ともにらみ合わせて、吾々は自信をもって意見を述べてきたものであります。
 吉田先生の創った新しい歌の典型を、低音ブームという一時代を画した素晴らしい表現力をもって、世に紹介した歌手としてのフランクさんの功績は、吉田先生の名とともに長く日本の歌謡史に残るものであります。
 それが三年も延び延びになったということは、やはり貴方の中にいつもある「歌に対する自分の姿勢」の為であったと思います。自分の歌をそれだけ貴方は大切にし、また、リサイタルというものの、本質を最も正しい姿において表わし度いという、歌に対する貴方の良心でもあり、また意慾でもあったと信じます。
 私は今は貴方の一ファンとして、本当に今日の日を楽しみにしています。もちろん成功するでしょう。私は今日まで、ベラフォンテ、モンタン、シナトラ等多くの世界のスター・シンガーのリサイタルを日本に於て催して来ました。これらの人達の場合、採算の問題を別として、失敗するかもしれないという不安はかつて、一度もしたことがありません。
 これらの人の歌、あるいは舞台のもち方について、私なりに勉強もしました。彼等は全く自分が感じていると同じ感動を、聴衆に与える術を研究しつくしていることを知っていたからであります。
 それはもちろん歌そのものの高さでもあり、また演出上の技術でもありましょうが、それ以上に人の心に直接食い込んでくるその歌手自身の、より人間的な味わいでもあります。私は全く同じ意味で今日のリサイタルに何の不安もなく、唯フランク永井のもつ、ふくよかな暖かさに満ちた人間性に感動出来る自分を、楽しみにしているだけであります。
 フランクさん、おめでとう。これからは一年に一回がもしシンドイというなら、せめて、二年に一回ぐらいはじっくりと貴方の歌が聞けるリサイタルを、やってほしいものであります。

■日本ビクター株式会社レコード本部邦楽部長 滝井利信
 フランク永井さん、リサイタルお目出度う、心からお祝い申し上げます。
 「魅惑の低音」、これは、皆様ご承知の通り、フランクさんのLPレコードのシリーズの題名ですが、この題名は、フランクさんの歌をずばりいい尽していると思います。
 低音の素晴らしさ、これがフランクさんの身上です。低音と云う言葉が流行歌の世界だけでなく、広く一般に流行語となったのは、「有楽町で違いましょう」はじめ、フランクさんの歌が数多くヒットしてからです。フランクさんの歌を聞いていると、その声からしみじみした雰囲気、身近さ、親しさ、暖かさを感じます。フランクさんの人気の秘密はここにあるといってよいのではないでしょうか。
 また、その歌のうまさは私が申し上げるまでもなく好評があります。そして、流行歌のみならず、シャンソン、ジャズ、ホームソングなど、そのレパートリーは多彩で、幅広く器用さで歌っているのではなく、その持ち味で独特に歌いあげています。
 フランクさんのような、魅力ある声、歌のうまさ、幅広さと三拍子そろった歌手は数少ないと思います。このような優れた、立派な歌手を持つことが出来たことは、当社の誇りであると信じています。
 今夜、お集りの皆様には、どうかごゆっくり、フランクさんの歌を味わって下さいますようお願い致します。

■ビクター芸能制作課長 佐藤邦夫
フランクさんの家
 下目黒のフランクさんの家の二階には、立派なリハーサル・ルームがあり、防音設備がちゃんとしているので、どんな大きな音をたてても、御近所に迷惑をかけることもなく、テープ録音も出来るようになっています。
 歌手にとって、充分なリハーサルが、家で行われるということは、理想的であり、それだけ、フランクさんが、仕事を大切にしているといえます。
 家の設計よ、ヤマハホールや、高崎の群馬音楽センターをつくったA・レイモンド氏だそうですが、一切の虚飾がなく、すべてが合理的に出来ています。といっても、ドライでなく、家のふんいきは、あたたかく、簡素な美しさに充ちているのですが、これは、まったく、フランクさんと奥さんのおふたりの人がらが、そのまま反映しているといえます。
 フランクさんとは、新人時代から何本かのフランク永井ショウを演出したり、ハワイへ一緒こ行ったりまた、今度のリサイタルでウラのお手伝をするようになったりして、ながいおつきあいですが、この間、不愉快なことは一度もありませんでした。恐らく、フランクさんは、誰にも、そういう思いをさせたことはないでしょう。
 それにまた、奥さんが、よく出来た方で、幸せな家庭の典型がここにある、というのが偽らない感想です。

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