フランク永井第一回リサイタル 資料1 プログラムと挨拶

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 フランク永井に関する当時の資料を整理する日々です。1963年の文化の日に開催された第1回のリサイタルについては、ビクターから当時LPは発売されずに、ソノシート(ミュージック・ブック)でのみリリースされました。主に第一部からのヒット曲と第二部の洋楽カバーなどが納められています。
 後日にこのリサイタルのパンフレットを見ることができて、ソノシートとパンフを並べてみると、本人の挨拶を含めて、多くのお祝いの記事があることが分かりました。私の資料の整理は、記録を残そうということが目的です。それを書き残しておくことで、後日の研究者の資料になればというのが望みです。
 内容は当然フランク永井というひとりの歌手をほめたたえるものですが、これを一覧すれば、当時の時代の匂いがわかります。開催されてからすでに半世紀経過します。当然記事は発言者と出版社であるビクター著作です。著作権が無くなっていると思われますが、不都合のご指摘を当事者からございましたら記事は取り消しますが、貴重な内容の資料として数回に分けて掲載させていきたいと思います。
 なお、文字起こしに際して、判読できない箇所もありました。表記については、一部現在の記述ルールに変更させてもらいました。

フランク永井第一回リサイタル
■期日:1963年11月3日(日)PM7時
■場所:厚生年金会館大ホール
■主催:日本ビクター株式会社
■制作:ヒタダー芸能株式会社
●制作スタツフ
吉田正/川内康範/三林亮太郎/今井直次/佐藤邦夫
●ゲスト
松尾和子/古賀さと子/松島みのり
渡辺弘とスターダスターズ/浜田清とフランクス・ナイン
ビクター・シンフォニック・オーケストラ
東京混声合唱団/ハニー・ナイツ

第一部 フランクは歌う
 "有楽町〟から"逢いたくて〟まで
 ■演奏/渡辺弘とスター・ダスターズ
 ■編曲/寺岡真三・小沢直与志・野々村直造
「有楽町で逢いましょう」「場末のペット吹き」「羽田発7時50分」
「星になりたい」「大阪野郎」「東京午前三時」「冷いキッス」「東京カチート」
「夜霧の第二国道」「西銀座駅前」「俺は淋しいんだ」「ラブ・レター」
「好き好き好き」「東京ナイト・クラブ」「夜霧に消えたチャコ」「君恋し」
「たそがれ酒場」「新東京小唄」「わかれ」「霧子のタンゴ」
「ひとりぼっちの唄」「逢いたくて」
(渡辺弘とスター・ダスターズ、寺岡真三・小沢直与志・野々村直造編曲)

第二部 フランクと共に
「公園の手品師」「ねむの木」「月火水木金土の歌」
「I Really Don't Want To Know(知りたくないの)」
「It's A Sin To Tell A Lie(嘘は罪)」
「My Heart Cries To For You(わが心はむせび泣く)」
「The Rose Tattoo(ばらの刺青)」
「Lover Come Back To Me(恋人よわれに帰れ)」
「Love Is A Meny SPlendored Thing(慕情)」
「Endress Love(果てしなき恋)」「The Falling Leaves(枯葉)」
「Somebody Loves Me(みんなが誰かを愛している)」
「If You Love me(愛の讃歌)」「Red Sail In The Sunset(夕陽に赤い帆)」
「想い出の湖」「It's Been A Long Time(ひさしぶりね)」
「Sixteen Tons(16トン)」「My Heart Belongs To You(戦場の恋)」
「こいさんのラブ・コール」
(浜田清とフランクス・ナイン)

第三部 女の四季
序章 川内康範
 春には春の悲しみが
 夏には夏のやるせなさ
 おさなごころにちりばめた
 夢に落葉が放りかかる
 燃ゆる心に雪が降る
 季節の外で雪が降る
  ああ 春もなく 秋もなく
  女は 心に四季を 持っている
「微笑み」「夏の終りに」「秋」「冬子という女」
終章 川内康範
 秋には秋の花が咲く
 冬には冬の花が咲く
 けれどわたしはあの人の
 影を抱きしめ生きている
 咲かぬ花ゆえいとしくて
 季節の外で泣いている
  ああ、この想い誰か知る
  女は心に四季を抱いている
(ビクター・シンホニック・オーケストラ、東京混声合唱団)

■フランク永井からリサイタルのご拶挨
 歌い始めてもう8年たってしまいました。
 30年に、日本ビクターへ入社したときのことが昨日のようでもあり、また遠い日のできごとだったようにも思われるのです。
 その間、多くの方々のあたたかい励ましと、ご援助とによって200曲を超える歌をうたわせていただきました。そして、日本レコード大賞、同歌唱賞、いくつかのヒット賞をいただく光栄にも浴しております。もとより、それりは、私自身の力ではなく、作詞、作曲、編曲の先生方、会社のディレククー諸氏のお力によるものであることはいうまでもありません。でも、そのようなすぐれた作品を与えられてきた私は、歌手としてもっとも恵まれた一人であると信じております。何回か迷いの雲のなかに落ち込みながらも、そこから脱出できたのは、その〝恵まれた立場〟を信じたからかも知れません。
 こんなにも多くのすぐれた歌を与えられた私――それを思えは、もっと早くリサイタルを行って、私の歩んできた道というよりは、それらの歌をたくさん聴いていただくべきだったと思います。事実、何回かリサイタルをやってみようと考えたことはあります。しかし、やれませんでした。
 特別の、大それた理由があったわけではありません。何となくこわかったのです。あるときは吉田先生のリサイクルの準備を傍らで拝見して、これは大変なことだ、うかつな気特でリサイタルをやろうとしたらえらいことになる――そんなことを感じたこともあります。それに、リサイタルということの意味を何となく重苦しく感じていたことも確かなのです。
 8年目にやっと実現できることになったのも、これまた特別の意味はありません。ただ、今年になってから"リサイタルをやりなさい〟というおすすめを多くの方からうけ、自分でもその気になったのです。いわゆる"機が熟した〟ということなのでしょうか。
 やる以上は、一生懸命やるつもりです。いままでの自分のすべてを注ぎこむつもりなのはむろんのことです。それとともに、吉田正先生が新しく書いて下さる「女の四季」と取り組むことによって、これからの方向をたしかめることもできるのではないかと、内心ひそかに期待を大いている次第でもあります。
 こんな風に、私自身としては大しいにハッスルしているのですが、そうかといって決して、仰々しい会にしようとか、自分の限界を超えた背のびの会にしようとかいうつもりではありません。あらたまったご挨拶をしようというのでもありません。
 というか、いつものフランク永井として聴いていたたきたいと思います。もしも、みなさまが"フランクと一緒に楽しく遊ぶことができた〟と、リラックスした気分で、今宵のひとときを過してしていただけたら、私としてこれに過ぎるよろこびはありません。
 この機会をかりて、8年間、私をあたたかく見守って下さったファンのみなさま、諸先生、関係各位に厚く御礼を申し述べさせていただきます。

恩師吉田正からの挨拶
心の歌を歌う人
 フランク永井君がリサイタルを開くことになった。実に感慨無量だ。なんとなく自分のリサイタルのような気持ちにさえなる。
 異常な緊張感を覚える。何故かひとごととは思えない。六月の末に、私自身二度目のリサイタルを終えて、やっと最近こなって、心身の疲労とシコリがとれたばかりだというのに......。
 早いものでフランク君とおつき合いをしてから八年になる。ポピュラー・ソングの歌手としてビクターから出て数カ月たったころだったろう。彼は会社のすすめで流行歌手に転向することになって、私のところへ来たわけだ。誠実な、実に気持ちのよい青年、という印象だった。
 年が若いに似ず、何か知ら大人っぽい感じをうけた。謙虚で少しも浮わついたところがなく、ソフトな感触の奥にコチッとした強いシンがあった。この感覚は大歌手になった今日でも少しも変らない。
 フランク君の歌は全くその性格の通りだ。何んのケレンもなく正面から作品に取っ組んでくる。大仰な振りはしないが、歌そのものは深く大きい。
 細かいところにまで精神が行きとどいて、極めてていねいな歌である。そして決まるところでちゃんと決めて安心感がある。派手さはないが、渋く暖かい愛情がじんわりとにじんでくる。よくいわれる「濡れて来ぬかと気にかかる」(有楽町で逢いましょう)の情愛ムードも、フランク君なればこその表出、と私は考える。実に得難い歌手である。私もずいぶん多くの歌手と仕事をしてきたが、恐らく彼ほどの歌手が今後現われるかどうか判らない。
 彼とても今日ここまで来るまでには、人知れず苦労と悩みもあったこ違いない。歌手になる前のそれは別としても、スター歌手の座こついてからも少くも数回はあったのではないか。それが何んであるか、憶測して書くことは控えるが、私には判るような気がする。ある意味で創作する者にも通ずる宿命のカベのいろいろではないだろうか。彼はその都度、自らの努力で乗り越えてきた。そして益々歌に深さを加えた。
 フランク永井は日本で数少い大人の歌手だ、といわれる。私も同感である。若い人たちの独占のように思われてきた日本の流行歌の幅をグンとひろげて、成長した歌手の年齢とキャリアに応じた歌を歌える人、フランク君はそのような歌手だと思う。日本の流行歌が欧米のそれのように大人の歌として、哀歓のヒダの深い人生の歌を謳いあげる人、心の歌を歌う人、それがフランク君だと私は見る。
 だから私は、何から何まで知り合っている間がらだが、判っているからといって作品の上で安易に妥協はしたくない。彼の豊かな資質にオンブすることは厳に戒めたいと心に願っている。裏を返していえば或る種の闘争であるかも知れない。フランク君の可能性のレールのずっと先で、彼のために仕事をしたい。いつまでもいつまでも......。たいへん思いあがって口幅ったいことをいってしまったようで、冷汗ものだが、実をいうと、こんどの新曲「女の四季」もそのような考え方で、じっくり取っ組んだつもりである。
 どうか厳しいご批判をいただきたい。
 ごく最近になって彼はいった。「先生のリサイタルの前の晩、大阪のホテルで寝つかれなくて困りましたよ」――どうやらこんどは私の番らしい。
 落ちつかない。おそらくフィナーレの幕がおりるまでがタがタしていることだろう。

佐伯孝夫
十二人の中の一人
 ついこの間のような気がしますが、考えてみればもう八、九年前のことになります。
 ビクターの歌手陣に新人十二人の準専属者がグループとして加ったことがありました。会社ではこの人々に、明日への大きな期待をかけたことでしたが、その中の一人がフランク永井さんでした。
 「フランク」とは彼がそれまで働いていた進駐軍用モーター・プールでつけられたニックネームだとのことでした。そうして、得意とするポプラー・ソングでデビューした彼が間もなく歌謡曲歌手に転向したとき、一層のことその歌手名も、新しいものに変更したらという動議も出されましたが、すでに私の邦語歌詞で「バラの刺青」など歌って貰っていたからというのでなく、何か特別に親近感以上のものを「フランク永井」という名に感じていました。
 「フランク永井」にはトラックの整備の油と埃りにしみたポロ布れを握り苦労に負けないで、前を向いている若者フランクの、小柄ながらダイナミックで新しい頼もしいイメージを感じさせるものがあり、しかもそうした彼の声は、彼らしい生活の涙を素直に含んでいました。名前を変更しない方がいいと、私も主張した一人であったように覚えております。
 さて、その新人十二人がスタートしたとき、フランクは決して最切からトップをつっ走っていたのではありませんでした。前にも申したようにポピュラー歌手という、言わば別格的な存在でした。転向後も、そうした事情から、「有楽町で逢いましょう」を、彼に歌って貰うことに決るまでは、たとえそれまでに「裏街のトランペット(場末のペット吹き)」や「東京午前三時」などがあったにしろ、ここ大一番の企画に参加して貰うことには、かなりの難色が表示されたのでした。当時としてほ、いわゆる常識を破ることであり、それに随伴する危険性を顧慮されたのでした。
 ここはどうしてもフランクでいきたいと主張し強く望まれたのは、彼を手がけていた吉田正先生であり、私などそれにもっともらしく附和雷同したようでした。そうして、彼が「有楽町で逢いましょう」を実力の真価を発揮して大ヒットしてくれたことは、同時に私が試みたがっていた、一つのことへの確信をもたらしてくれたばかりでなく、次作品への自信とさえなってくれました。いまでも本当に有難く思っております。
 いつでしたか、フランクがこの「有楽町で逢いましょう」の吹込みのとき、私にはじめてほめられて嬉しかったと、気のいい笑顔で話してくれたことがありました。たしかに、その吹込みのとき心ひそかに、これでフランクは「第一線歌手」として定着出来るし、してもくれると思ったのです。私のような舞台裏の人間にはこうした瞬間が、涙がこぼれる程うれしいのです。
 「フランクの歌には心がある」というのは吉田先生の口癖せですが、先生は多々あるお弟子さんの中でフランクを最も身近かに感じている、というより、むしろ一歩進めて、自分が歌手だったらこんな心の籠った歌い方をしたいという、純粋な気持ちを深く投影さしているのではないかとさえ思われます。
 ある時、フランクの口から意外にも、麻布十番の寄席(現在は映画館)の話が出ました。フランクはモーター・プールで働き、キャンプで歌い、三田英語学校の夜学に通い、そうした中での少しの余暇を、いじらしくもこの寄席の木戸をくぐることによって、楽しんでいたのだそうでした。私もそんなころ、何か吹切れずモクモクとして、モグラのようにくすんでいましたが、またしても、その同じ寄席へ通っていました。あまり入りのはかばかしくない客席でした。きっとまだ知らぬ同志ながら、私とフランクは二度や三度は顔を合せていたでしょう。うれしい奇縁です。
 年来オッチョコチョイの私も、フランクに会っていると心が落着いてきます。彼は渋くて重厚でひかえ目です。だが、これ以上渋くならないで下さい。いろいろな意味合で...。
 フランクさん! リサイタルおめでとう、心からお祝い申します。

川内康範
努力と奇蹟のリサイタル
 昨今の芸能人の浮沈の激しさは驚くはかりである。映画、テレビ、レコード、この三つの世界ても、とくにレコード界はその交替が激しいようである。昨年まではスターだった者が、今年はもう流れ星の如く消えているか、あるいは、あるか無しの存在となってしまう。
 人はたまたま、レコード界を卑俗な流行歌手の世界として軽視しがちであるか、それは十年も昔の世俗的観念を今日にあてはめての感想にちがいない。
 ナメテほいけない。今や、レコード界は、作詩家も作曲家も歌手も、旧来の如き観念をもって安穏たり得る可能性は、きわめて少くなっているのである。このことは幾多の音楽評論家達の、つとに指摘してやまないところであるが、ことほと左様に、レコード界の生存競争は非常な厳しさを伴いながら進行してしいるのである。したがって、生半可な人気に頼っている者はどしどし落伍し、やがて流れ星の運命を辿るのであるが、その反面、己れの仕事を栄誉あらしめんとする者は、血の出る様な努力を重ねている。
 僕は、その典型的タイプを、フランク永井の人間像に発見する。彼はこれまでに幾度も失意の現実にぶつかって来た。もはや、二度とフランク永井の時代は来ないであろうと極言する批評家もあったのである。だが、フランクは、見事に努力の集積によって奇蹟の人となった。歌手としての厳しい道を歩むことは、人間として先づ、己れ自身の悲運に克つことてある――ということを立派に実証して見せたのである
 彼の師である吉田正氏は評する。「フランクは、人間として大きく成長した」。
 僕は、これに勝るフランク永井評はないと思う。彼は、この師匠にこたえて自分の城を築き上げた。
僕はいま、創作歌謡「女の四季」の構成を吉田氏と打ち合せしなから、フランク永井のしあわせを、誰よりもつよく祝福している人間は、この世に吉田正氏の他にないのだと感じている。

時雨音羽
低音の魅力
 フランク永井君は、わが国の歌謡界に、低音の魅力というかつてなかったのを、広めてくれた人だ。それはちょうど、ヒタヒタとひたむきに押しよせて来る、渚の満ち潮のようで、何ものをも満さずにはおかない、烈しさと悩ましさがみなぎる。その魅力が「有楽町で逢いましょう」で、低音ブームを捲き起し、「君恋し」でレコード大賞をとり、「霧子のタンゴ」で低音時代を築いた。きびしい歌手修業の試練を見事乗り切ったその努力が実を結んだもので、なみなみならぬものがあったと思われる。
 またよく歌の心を汲みわけて、どんな歌でも、なおざりにしない歌い方も立派である。いかに巧みに歌っても、真実のこもらぬ歌に、感動の起る筈はない。今や君は大衆になくてはならぬ一人となった。この初リサイタルを期に、いよいよ愛される低音の魅力を更に確立して欲い。

利根一郎
人間フランク(永井清人)
 フランク永井、これは本当は(スマイル永井)といった方がいい位に、彼はスターの何たるかを知っている男である。
 スターは、一生涯わすれてはならぬことがある。それはスマイル(笑顔)である。自分ひとりでなったのではない。周囲の人達の援助があってなれたのだということを彼は真から知っている。(それは大なり小なり)だから、現在の業界(レコード界)で彼を悪く云う者は一人もいない。それも彼がどんな小さなことでも感謝を忘れないからである。
 その例に、これは名を秘すが、ある歌い手さんだが、フランクがスターになってから相手の歌手がまだラチがあかずにいるとき「ぼくと一緒に仕事をしないか」といって、相手の窮状を少しでも助けられたらと思ったのだろう。そういってくれたといって、その歌手が私に話してくれたことがある。それ以来、私は彼をスターとしてのフランクでなく、人間としての永井清人が好きなのである。ともあれリサイタルおめでとう、益々栄光あらんことを心から祈る。

渡久地政信
「お世辞なき歌声」
 コトコト...コトコト...君が乗った人生の歌の旅への汽車が今日も二本のレールの上を走り続けて行く。ある時は実に快適に、そして又或る時はスローテンポを味い乍ら、窓外に眺める物言わぬ景色の彼方に、昨夜別れ際、心に留めた親切な宿屋のおかみさんの声をふと憩い浮べる。
 おばさん、ほんとにありがとう。フランク君はお世辞のいえない人なんだ。そしてこの様にそっと想い出して、礼をしている人なんだ。君の「歌の中にはお世辞がない」真実...これ程、人の心を暖めるものはない。いうことは簡単でも至難なことである。そこに君の人間性を発見し、そこから発散する君の心の歌に、我々は心から拍手を送りたい。
 風花雪月、人は皆不変な目然の偉大さ美しきに驚歎しながらも、自らは心の真実を置き忘れているのではなかろうか。人生はあまりにも厳しい。走り続ける汽車も停留所は必要だ。「リサイタル」これはある意味での停留所だと想う。ここで一息ついて燃料を補給し、新たな歌の時代へと、君は養進していくことと想う。静かに、暖かい君のお世辞なき歌声を聞き乍ら、何日までも君の後姿を見送っていたいと想う。

宮川哲夫
 「場末のペット吹き」に始まって、「第二国道」「羽田発」「夜霧に消えたチャコ」と、どちらかといえは、暗く、重たい、私の詞の欠点を、いつも、カバーして、唄ってくれたのが、フランクさんの、甘く、ソフトな低音でした。
 人気絶頂にいる時も、大歌手として、大成された現在も、いつも変らず、エコエコと、その顔から、明るい笑いを消さない、フランクさんを見る度に、私は、「偉いナ」と思い、「立派だナ」と思います。
 ここまで書いて来て、ふと、気がつきました。デビュー以来、何年になるでしょう?「誰からも愛される」フランクさんが、「誰からも尊敬される」フランクさんに変っていたのです。「君恋し」「霧子のタンゴ」、その他、最近の、数々のヒットソングの中から、私の名前は消えてしまいました。
 明日でもいい、明後日でもいい、せめて一つだけでもいい、フランクさんに、心から喜んで唄っていただけるものを、作詞したい。そうして多年のご交誼に酬いたい、今日、そんな気持がしきりです。

松尾和子
今後ともご指導を
 昨今数多くの歌手がリサイタルをやっておりますが、何かお祭り的な感じのものが多い中に、フランクさんのリサイタルは、ほんとうの意味のリサイタルだな、とつくづく感じさせられました。
 私は前からフランクさんの歌に羨望の気持を抱いておりましたが、いままたその偉大さに頭の下がる思いです。
 今後とも、リサイタルを一つの契機として、一段と飛躍されることを心よりお祈りし、私達後進歌手の良き指導者と成って下さることをお願い致します。

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このページは、文四郎が2021年2月23日 16:30に書いたブログ記事です。

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