謹賀新年 フランク永井の出ないNHK「紅白」とテレビ東京「年忘れにっぽんの歌」

| コメント(1) | トラックバック(0)
mx20210104.jpg

 謹賀新年、今年もよろしくお願いします。

 年の暮れをどう過ごすかと、少し悩みました。結局、年越しそばをいただき、夕方からテレビ東京「第53回年忘れにっぽんの歌」という番組をつけっ放しで、お酒をちびりちびりという結果になりました。
 コロナ禍ということで、紅白もそうですが年忘れも、無観客の放送です。適当に、つまり厳格にはどうだったのかは知りませんが、中野サンプラザを一応の「会場」として、無観客でも数十人の演歌系歌手を登場させる番組でした。
 しかし、全体の出演者数のほぼ半数が過去の放送のビデオで参加し、それが織り交ぜで番組が進む趣向でした。
 過去の映像といっても歌手御当人の歌唱が絶賛ものばかりを使用していて、実演の歌手の映像と比べ、何ら遜色ない一体感がありました。
 司会は現在の演歌系番組の代表的な徳光アナ、女優竹下景子、中山秀征です。
 マツケン(松平健)×カツケン(香取慎吾)が令和初競演とか、和田アキ子×DAIGOとかのコラボが目玉だったようです。
 番組の時間が4時から9時というあまり好ましくない長番組で、ところどころマダラ寝を伴いながらの鑑賞でした。それなりに楽しんだ次第です。

 その後、紅白にチャンネルを切り替えたのですが、少しだけ観てご就寝でした。
 NHK紅白については何度もこのブログで書いてきましたが、今年は世界的なコロナ禍、特に暮れは東京のPCR検査での陽性者数が千人の大台に達するという状況で、無観客での開催となりました。
 無観客での開催という異様なものですが、紅白自身ここ数年、番組の質が大きく変化してきました。時代とともに変わりゆくのは当然ではあるのですが、いや、一つの番組が70年以上も続けられていること自身が奇跡のようなものです。
 紅白は歌番組というより、日本人の大晦日の過ごし方だった、と言ったのは阿久悠です。そしてそれは、時代が家族が共に過ごすから、共に過ごすのがウザいとバラバラになった。若い出場歌手は自分だけの歌にしか関心を持たなくなった、とも言っています。
 だから、紅白会場で白組が、あるいは紅組が団結して応援するなどの演出を、プロデューサーが強いても白々しくなってきて、各々の歌手のバンドで歌い、自分だけのファンへのアピールだけに関心を抱くように見受けられます。
 今年などは無観客なのだから、その傾向は極限まで大きくなり、NHKスタジオというメイン会場ではない場所からの出演も増えてきました。
 すると、ますます歌合戦の様相は薄くなっていきます。
 プロの歌手の歌唱の競演であるようなニュアンスは、派手な大仰な設営や衣装やダンスや振る舞いに埋没していく、つまり視聴者をそうした演出でだましていくようなところを感じたわけです。
 これはさすがにかつての紅白に親しんだものからみたら、何時までも耐えられるものではなく、それがかつては圧倒的な視聴率を誇ったのを、そのときの半数まで落とした背景になっていると思います。
 現代において、確かに的を絞れば、つまり演歌系の番組とか、Jポップ系の番組とかにすれば、かつてのような大きな視聴率は得られないまでも、確実なファン層から支持を得られると感じます。

 フランク永井ファンは今でも、フランク永井の紅白での姿を忘れられません。アホですね。
 当時ベテランといえば、春日八郎、フランク永井、三波春夫、村田英雄という男性陣が大活躍のときでした。女性陣は美空ひばりを筆頭に、島倉千代子、青江三奈、水前寺清子、ザ・ピーナッツあたりです。ほとんどの方はお亡くなりになっていますね。
 演出といっても、皆知れたもので、どキモを抜くようなことはないために、心安らかに、安心して観ていられました。そして、除夜の鐘を聞いて、落ち着いた気持ちで年を越すというものでした。「感動した」のを得たい症候群のような病気はなかったのです。

 そんな紅白で、水森かおりが「鳴子峠」を唄いました。彼女のトレードマークのようなご当地ソングの鳴子峠版です。
 鳴子峠は私の故郷山形県とお隣の宮城県の境にあり、親しみがあります。この峠は秋の紅葉と温泉、そしてこけしの故郷です。現在はフランク永井の生誕地である大崎市にあります。
 水森のこの歌も現地が熱心に取り組む、地域おこしの活動で支援されています。これでフランク永井の生誕地大崎市への全国からの関心も深まるのではないかと、喜んでおります。
 それから、もう一つ、NHK紅白歌合戦とフランク永井については何度もこのブログで紹介してきましたが、前回の記事を少しだけ補足しておきます。
 昨年9月の「フランク永井、NHK紅白歌合戦出演の記録の現状」で、1964年第15回の「大阪ぐらし」を取り上げました。歌の1番、2番、4番を歌ったのですが、4番のところで演奏が終了モードに移り、それでも歌に合わせて復活という件です。
 これはフランク永井が強引に4番を歌ったのかという疑問でした。この件で、熱心なフランク永井ファンのIさんから情報をいただきました。感謝をこめて、ご紹介させていただきます。
 後日紅白歌合戦についてフランク永井ご自身が、記者との対談で明かしているという記事を見せていただきました。それによると「バンドが打合せに反して」ということだったそうです。
 単なるバンドの手違いということも考えられますが、会場現場で忙しく走り回る担当ディレクターが、時間調整とか様々な理由で、バンド側に「2番で終了に変更」をほのめかしながら、フランク永井ご自身に伝えなかったのかも知れません。
 そんなことも、ツラツラ思い浮かべながらの、文四郎の年越しでした。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://frank-m.org/mt-new/mt-tb.cgi/655

コメント(1)

文四郎様
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
2021年も文四郎さんの記事を楽しみにしています。
松山 小野寺京子

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

このブログ記事について

このページは、文四郎が2021年1月 4日 15:16に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「追悼! なかにし礼と中村泰士のご逝去」です。

次のブログ記事は「大林宣彦監督「恋人よわれに帰れ」はいかがだろうか」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。