2021年1月アーカイブ

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 フランク永井がNHK紅白歌合戦に出場したのは、1957(S32)年の第8回から1982年(S57)の第33回です。
 33回を歌った時点では、島倉千代子とならび、最長の26回の出場記録を誇っていました。残念ながら翌年は選抜に漏れて記録更新はできませんでした。
 以前にも書きましたが、フランク永井の記録の研究者(自認です)としては、当時の映像をくまなく見てチェックしてみたいものです。だが、映像著作権の関係で、NHKはyoutubeなどにあがる当時の映像は、発見し次第に削除しているとのことで、なかなか調査は進まないのが実態です。
 それでも、NHK紅白の当時の様子を懐かしがるファンは多いようで、映像や音声を保存しておられる方々が、忘れたころに、削除を覚悟でアップします。最近では、1981(S56)年のフル映像を観ることができました。
 フランク永井の歌唱もしっかり入っています。フランク永井の残したNHK紅白出場の歌唱は、何が残されているのか、何が映像はないのか、音声だけなのかということについては、前に紹介しました。
 ときどきyoutubeで見受けられるのを見ると、フランク永井の歌唱映像というのは基本的にありません。歌唱ではやはりアイドルとか若手注目歌手とか、若い層に話題の多い歌手の映像がほとんどです。山口百恵、桜田淳子、森昌子とか、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎といった方々のものです。
 一覧にしてみると、最初の頃のは映像がなく、音声だけで、しばらくするとモノクロ映像になります。第23回からカラー映像が残されます。
 第26回、第28回のものではアトラクションで人気だった女性陣によるラインダンスがあります。おそらく、現在なら観たいけど、ボツですね。「はずかしい」姿は披露したくないというご本人の意思もあるでしょうか、何か放送できないような雰囲気が事実上の放送規則になっているのかも知れません。
 横道にそれますが、当時は若いタレントや歌手若手が水着姿でテレビに登場することは、別に珍しくもなかったように思うのですが。時代の移り変わりですね。
 そうそう、第28回のときには人気の関脇だった高見山がタキシードで登場し、タップダンスを添えて注目を浴びていました。
 入場シーンというのが当時はそれなりにちゃんとあって、そこでフランク永井はどう登場したのだろうと思って見てみると、なかなか映像では少ないです。17、19、32回で観ることができました。
 アトラクションというか余興のようなコーナーも当時は力が入っていて、歌手たちが普段絶対やらないだろうというようなことを、いろいろやらせていて、それはそれなりに話題を呼びました。まあ、だいたい、ディレクターの趣向がよくなく、恥ずかしいようなシーンが多かったですね。
 それにしても、そんなことが映像化されて放送されたのは、流行歌手の時代的な人気にあったわけです。
 「紅白に出る」ということが歌手の一つの大きな目標だった時代です。先日の新聞に出ていたのですが、歌がその後多様化し、国民的な人気スターというのは消えた感じです。当然に作詞、作曲、編曲といった仕事に注ぎ込むハングリーな執念も変化してしまいました。メディアも目まぐるしく変わり、CD買いは毎年急降下しているとデータが出ています。
 しかし、それにしても、当時の紅白を振り返ってみてみると、歌手陣の豪華さ、応援団の豪華さ、それにゲスト審査員という方々のすごさというのがありました。
 時代の価値観の変化なのでしょうが、日本中が流行歌と生活を共にしていたような、社会は年寄りの頭にしか残らないのでしょうか。
 年末から1か月過ぎようとしていますが、フランク永井関係映像を整理していて、ふと感じたことを、取り留めなく書いてみました。
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 「酒場の花」は1976(S50)年にリリースされたいい歌なのだが、その後の売り込み攻勢にもかかわらず、あまり売れないようだった曲です。
 作詞山上路夫、作曲森田公一で編曲は馬飼野俊一といったベテランによる傑作です。この曲は、ライブで歌ったフランク永井の歌唱を覚えている方の方が多いのではなかろうか。
 大阪ロイヤルホテルのスカイラウンジショーでの公演が同年「フランク永井~オンステージ」で歌っている。専属バンドである浜田清とフランクス・セブンの演奏で、メリハリの利いた独特の歌唱で印象的に歌っています。
 特にそこでは、お酒を一口飲んで「ふわっぁ~」と喉を響かす音が大げさに強調されているところは、妙に頭にいつまでも絡みます。

 〽紅を今夜は 濃い目につけて
  せめて淋しさ 紛らせましょか
  ...

 森田公一とトップギャランのセレクションにも載っているます。それゆえに、このカバーもそうとう存在すると察します。
 すぐに思い浮かぶのは、内山田洋とクールファイブによるものです。1983年「ベスト・コレクション」で発売されています。現在はCD化されているので、今でも楽しむことができます。
 吉幾三もカバーしているのですが、いつ、どのようなアルバムに収められたのかは、失念して分かりませんが、確かに歌っておりました。
 さらに、ここで写真に上げたのは、キングレコードの愛田悦子のレコードでです。1985年のシングルレコードでです。当時これは特に購入意欲もなかったので、手に入れませんでした。だが、最近思い出して手に取って、針を落としてみました。

 「酒場の花」はタイトルからして、誰もが想像するような設定の歌です。その雰囲気がいちばんあっているかな、と感じたのは、前川清の歌唱かな。
 フランク永井のは完成度が高すぎたような気がしないでもありません。夜の酒場の女の悲哀を、低音をきかせて絶妙に、淋しさを漂わせて歌うのですが、彼の声の頑丈さが邪魔しているのかも知れません。
 前川の歌唱はさらっとしていて、そこが結果的に良かったのではと感じました。
 愛田悦子については、テレビの「スター誕生!」で7週勝ち抜ききた歌唱力のある歌手のようですが、女性が歌う酒場の歌はどうなのかと思いつつ鑑賞しました。
 歌のうまさは伝わります。だが、力強いかな。儚さを漂よわせなければならないこの歌では、やはりフランク永井と同様なマイナス点がついたように思います。

 フランク永井はいい曲だけにこの歌は、その後も「ベスト・コレクション76」に選曲し、さらに唯一のNHKビッグショーの記録「ビッグショー~酒・女・そして...~」(1978)でも歌っています。
 今回は、なかなか思うようにいかなかったような曲を取り上げてみました。

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 この曲については過去に一度だけ触れたことがあります。それは2015年に実姉美根子さん(昨年逝去)が主催した7回忌のことにかんして報告した際です。
 フランク永井と親交が深かった放送作家安藤鶴夫の功績の一環で、政府の明治百年記念行事を明治村でのエベントを担当され、そこでフランク永井に「明治頌歌」を提供され、晴れ舞台での歌唱がなされたというものです。
 その後、この歌やいきさつなどについての情報を調べてきたました。しかし結局何も得られませんでした。知り合いのある方が開催当日のレジュメをお持ちで、それをチラっとだけ観る機会があった程度です。
 最近、フランク永井に関して残された映像を整理していた関係で、せっかくなので試験的にこの曲についても映像化をしてみました。
 とにかく、周囲の情報がまったくないために困惑するばかりでした。聴きながら歌詞を文字にしてみたのですが、耳が定かでないばかりか、言葉の表現についての知識が及ばないために、正確にまとめられません。
 将来的に知識豊かな方からの情報で、分からないことが埋まっていくのを楽しみにしながら、とりあえずスタート点ということで、歌詞を紹介してみます。
 作曲はどなたの作品なのでしょうか。それについても、現在わかりません。写真に出ている「安藤鶴夫―生誕100年記念総特集」雑誌があり、そこに書いてあると記憶していたのですが、その本も見つからずです。

〽年々に月は変わらず
 年々に雪また降りぬ
 年々に花は咲けども花を愛で
 月をしょうし
 雪見る人は同じからず
 明治とは父母の生まれ育ち
 恋をし泣き笑い
 また生き給いたる
 世がりせば
 人の心の暖かく
 人の思いの美しく
 人の情けの懐かしや
 花咲けば明治は遠く
 月見れば明治は遠く
 雪降れば明治は遠く
 明治は遠くなりにけり
 明治は遠くなりにけり

 明治に元号が変わったのは1968年です。10月(旧暦で9月)。それから100年後の1968(S43)年10月に開催された「記念芸術祭」で歌われたのではないかと、推察しています。
 150年という節目での記念行事もありました。2018(H30)年です。ここでは、明治百年事業として日本の伝統芸能「糸あやつり」で制作された映像作品「明治はるあき」が上映されました。
 ちなみに100年記念は時の首相が佐藤栄作で、150年記念は安倍晋三でした。
 「明治頌歌」は当時記念行事を放送したテレビで流され、それをご覧になったという方もおられました。
 2016年にビクターから発売された「懐かしのフランク永井 シングル全集」には、DVDが1枚付いていて、その中に「1968/10/23 歌まつり明治百年」の映像として「ゴンドラの唄」「恋はやさし野辺の花よ」が納められています。
 明治百年を記念した歌謡番組が放送されたのだと思われます。このときに「明治頌歌」は歌われたのでしょうか。それとも、明治百年を記念した、フランク永井の「明治頌歌」を収めたアルバムがあったのでしょうか。
 写真にあるように「百年音頭」というのが歌われたようです。三波春夫も歌っています。
 明治を称えるというのは、明治に称えるだけの誇るべき何かがあったということになるのですが、どうなのでしょう。どうしても外国との戦争の色がかぶさり、政治色が出ることから、政府が望んだような盛り上がりにはならなかったのかも知れません。
 間もなく来る2月11日は建国記念の日です。コロナ禍に明け暮れるなかで、多くの人は「休日」であることは分かっていても「建国」にどれほど関心を寄せるのでしょうか。
 こうしたことが、政府のプッシュがあった催しとはいえ、情報が少ない理由の一つにあるのかなと思いつきました。とりとめもない話題でした。
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 最初に:多くの方から、記事へのコメントや、メール、賀状での新年のご挨拶をいただきました。大変ありがとうございます。ことしもよろしくお願いします。この間私事で身と手が離せなくて、返事もできませんでした。大変失礼いたしました。お詫びいたします。

 「恋人よわれに帰れ」は、言わずと知れたフランク永井のデビューを記念したレコードです。当然ですが、米国の大ヒットを遂げたポピュラーのカバーです。
 このレコードはSP盤で、ジャケットに見るようにA面は、当時ビクターが売り込もうとしていた羽生奈々子の「時計のまわりを踊ろう」で、これも大ヒットのカバーです。
 無名の新人同士の曲で売れませんでした。羽生奈々子については、その後も名を聞いたことがないので、この一曲だけだったのでしょうか。
 この曲は有名ゆえに日本でも多くの方が歌っていて、私が「フランク永井の...」と強調しても、なかなかうなずいていただけないのが、少しばかり悔しいところです。
 フランク永井をジャズ歌手から流行歌への転向を後押ししたのが、先輩のディックミネです。戦前から戦後を渡り歩いた大歌手です。彼が昭和10年に戦中なので本名の三根徳一で、自ら訳詞をつけ編曲してレコードにしています。
 〽今は淋しく 君は去りて/忘れられない あの面影...

 最近のカバーでは私の耳に心地よいのは、秋元順子のものです。彼女の歌唱は好みもあるでしょうが抜群です。以前に「君恋し」で紹介しました。
 3年前のアルバム「Flowers~AJセレクション~」に収められた一曲です。
 これだけ一世紀にも及ぶかという人気曲(1928初リリース)というのは、多数の映画にもなっています。
 最近に観たのは日本製のものです。大林宣彦監督、1983年の作品です。フジテレビ、テレパック制作のカラー、およそ1時間半のものです。
 注目したのはスタッフでした。
 早坂暁脚本で、音楽は前田憲男。出演が沢田研二、トロイ・ドナヒュー、小川真由美、大竹しのぶ、泉谷しげる、風吹ジュン、垂水悟郎、待田京介とあるではないですか。これは観なきゃ、と思った次第です。
 そうそうたる名の中に、なんと当時米国俳優で最大の美男子などとも言われた(私が知るだけかもしれないが、確かに聴いた)トロイ・ドナヒューまで出ていると知って、まさかと思ったほどです。

 内容は一言で言えば大林、早坂両氏が追及していいた戦争悲劇に尽きます。政治的で、かつ朝鮮戦争、在日朝鮮人、在日進駐軍、広島への核爆弾の投下、家族、恋人の引き裂かれ...という実に深く、思いテーマを描いています。
 作品的には映像のリアルさはなく、資金の問題とも言えない誰が見ても分かる粗雑なセットと、短い時間なためか相当強引で不自然なシーンの移行が、かえって主張のポイントを分かりやすくしているという、微妙な作品でした。
 大胆な切り口ですね。映画が作られてから、わずか40年程度しか経過していないのですが、社会は何か日本的「ポリティカル・コレクトネス」のせいか、恐らく再上映ははばかられているのと思いました。
 このブログで何度かフランク永井関係映画を紹介してきました。そこで触れたように、タバコをブカブカ、ピストルをバンバン、さまざまなセルフ回しが、どのように画面に警告表示をしても、現在の社会的には取り扱うには抵抗がある(放送コード)ので、気楽に楽しめないのが残念です。
 社会的風潮の変遷は自然で当然だと思うのですが、それを推薦はしないまでも、自分も含めた社会が現実に当時に作ったものを、記録として、自由に、妙な規制をせずに観られるのが望ましいと思いました。
 そして、観て、それをどう受け取るのかは、純粋に各自の自由なわけですから。

 つい、重く、暗い話になってしまいましたが、いつものことでお許しください。
 この映画のなかで、くどいほど主演でもある沢田研二が「恋人よわれに帰れ」を歌っています。その一回でもいいから、フランク永井登場であってもよかったなか、などともつらつら思いながらの鑑賞でした。
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 謹賀新年、今年もよろしくお願いします。

 年の暮れをどう過ごすかと、少し悩みました。結局、年越しそばをいただき、夕方からテレビ東京「第53回年忘れにっぽんの歌」という番組をつけっ放しで、お酒をちびりちびりという結果になりました。
 コロナ禍ということで、紅白もそうですが年忘れも、無観客の放送です。適当に、つまり厳格にはどうだったのかは知りませんが、中野サンプラザを一応の「会場」として、無観客でも数十人の演歌系歌手を登場させる番組でした。
 しかし、全体の出演者数のほぼ半数が過去の放送のビデオで参加し、それが織り交ぜで番組が進む趣向でした。
 過去の映像といっても歌手御当人の歌唱が絶賛ものばかりを使用していて、実演の歌手の映像と比べ、何ら遜色ない一体感がありました。
 司会は現在の演歌系番組の代表的な徳光アナ、女優竹下景子、中山秀征です。
 マツケン(松平健)×カツケン(香取慎吾)が令和初競演とか、和田アキ子×DAIGOとかのコラボが目玉だったようです。
 番組の時間が4時から9時というあまり好ましくない長番組で、ところどころマダラ寝を伴いながらの鑑賞でした。それなりに楽しんだ次第です。

 その後、紅白にチャンネルを切り替えたのですが、少しだけ観てご就寝でした。
 NHK紅白については何度もこのブログで書いてきましたが、今年は世界的なコロナ禍、特に暮れは東京のPCR検査での陽性者数が千人の大台に達するという状況で、無観客での開催となりました。
 無観客での開催という異様なものですが、紅白自身ここ数年、番組の質が大きく変化してきました。時代とともに変わりゆくのは当然ではあるのですが、いや、一つの番組が70年以上も続けられていること自身が奇跡のようなものです。
 紅白は歌番組というより、日本人の大晦日の過ごし方だった、と言ったのは阿久悠です。そしてそれは、時代が家族が共に過ごすから、共に過ごすのがウザいとバラバラになった。若い出場歌手は自分だけの歌にしか関心を持たなくなった、とも言っています。
 だから、紅白会場で白組が、あるいは紅組が団結して応援するなどの演出を、プロデューサーが強いても白々しくなってきて、各々の歌手のバンドで歌い、自分だけのファンへのアピールだけに関心を抱くように見受けられます。
 今年などは無観客なのだから、その傾向は極限まで大きくなり、NHKスタジオというメイン会場ではない場所からの出演も増えてきました。
 すると、ますます歌合戦の様相は薄くなっていきます。
 プロの歌手の歌唱の競演であるようなニュアンスは、派手な大仰な設営や衣装やダンスや振る舞いに埋没していく、つまり視聴者をそうした演出でだましていくようなところを感じたわけです。
 これはさすがにかつての紅白に親しんだものからみたら、何時までも耐えられるものではなく、それがかつては圧倒的な視聴率を誇ったのを、そのときの半数まで落とした背景になっていると思います。
 現代において、確かに的を絞れば、つまり演歌系の番組とか、Jポップ系の番組とかにすれば、かつてのような大きな視聴率は得られないまでも、確実なファン層から支持を得られると感じます。

 フランク永井ファンは今でも、フランク永井の紅白での姿を忘れられません。アホですね。
 当時ベテランといえば、春日八郎、フランク永井、三波春夫、村田英雄という男性陣が大活躍のときでした。女性陣は美空ひばりを筆頭に、島倉千代子、青江三奈、水前寺清子、ザ・ピーナッツあたりです。ほとんどの方はお亡くなりになっていますね。
 演出といっても、皆知れたもので、どキモを抜くようなことはないために、心安らかに、安心して観ていられました。そして、除夜の鐘を聞いて、落ち着いた気持ちで年を越すというものでした。「感動した」のを得たい症候群のような病気はなかったのです。

 そんな紅白で、水森かおりが「鳴子峠」を唄いました。彼女のトレードマークのようなご当地ソングの鳴子峠版です。
 鳴子峠は私の故郷山形県とお隣の宮城県の境にあり、親しみがあります。この峠は秋の紅葉と温泉、そしてこけしの故郷です。現在はフランク永井の生誕地である大崎市にあります。
 水森のこの歌も現地が熱心に取り組む、地域おこしの活動で支援されています。これでフランク永井の生誕地大崎市への全国からの関心も深まるのではないかと、喜んでおります。
 それから、もう一つ、NHK紅白歌合戦とフランク永井については何度もこのブログで紹介してきましたが、前回の記事を少しだけ補足しておきます。
 昨年9月の「フランク永井、NHK紅白歌合戦出演の記録の現状」で、1964年第15回の「大阪ぐらし」を取り上げました。歌の1番、2番、4番を歌ったのですが、4番のところで演奏が終了モードに移り、それでも歌に合わせて復活という件です。
 これはフランク永井が強引に4番を歌ったのかという疑問でした。この件で、熱心なフランク永井ファンのIさんから情報をいただきました。感謝をこめて、ご紹介させていただきます。
 後日紅白歌合戦についてフランク永井ご自身が、記者との対談で明かしているという記事を見せていただきました。それによると「バンドが打合せに反して」ということだったそうです。
 単なるバンドの手違いということも考えられますが、会場現場で忙しく走り回る担当ディレクターが、時間調整とか様々な理由で、バンド側に「2番で終了に変更」をほのめかしながら、フランク永井ご自身に伝えなかったのかも知れません。
 そんなことも、ツラツラ思い浮かべながらの、文四郎の年越しでした。

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