中国圏のフランク永井と1970年代の海賊盤レコード人気

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 中国圏でのフランク永井人気は聞くところによれば、いまだ健在のようです。中国圏と表現したのは、大陸本土であり、台湾でもあります。さらに言えば、中国語が多用される周辺国家も含め、人気があるようです。
 上記写真では「フランク永井傑作集~霧子のタンゴ」と「フランク永井ヒット曲集」です。
 ちなみにその右のものについては、後述します。
 youtubeなどで検索すれば分かりますが、恐らく台湾でしょうが、フランク永井の曲は男性歌手ばかりでなく、若い女性の歌手も見受けられます。
 独自のアレンジで若いバンドが演奏し、決して古くない「羽田発7時五十分」とかが楽しめます。
 中国と日本は1972頃に国交回復をし、同時に台湾との国交は断絶しました。フランク永井人気は親日的な台湾ばかりでなく、本土でもお隣の南北朝鮮でも広く人気があったのです。
 理由はよくわかりません。だが、バタ臭いというか、堪能な英語の発音、日本人離れの低音、秀逸な歌唱力が好まれたのはまちがいないでしょうね。
 1965年には、台湾にフランクス・ナインとともに演奏旅行にも出かけています。楽団メンバーがその時の映像や、訪問時のエピソードをライブで語り演奏したLP(「魅惑のオンステージ」)も閲覧できます。
 当時の写真の一シーンにフランク永井が現地で楽団とともに利用したとおぼしき自動車(バン)の前のフランク永井があります。その自動車に「大光勝利公司」といういう文字と「Victor Nivico」と書かれています。Nivicoは日本の所属レコード会社ビクターが当時使用していた海外版レコードのレーベル名です。
 これを見るとビクターは台湾に支店のようなものを設置していて、正式に普及活動をしていたのかも知れません。
 これまで幾度も紹介していますが、レコード盤の生産は日本で行い、Nivicoのシールを貼って輸出して現地で発売していたものと思われます。
 しかし、この正式な盤は限られていたために、現地のファンのニーズには十分に応えられず、当時は著作権への認知はあったものの、厳格さが現在のようでなく、数多くの「海賊版」が作られたようです。
 これは上記写真のように、何故か一見してそれだ(違法な海賊版)と分かるように作られています。多くは日本から持ち込まれたレコード盤のデッドコピーですが、さまざまなソースから集めて独自に編成したものもあります。
 音量がばらばらなので、すぐわかります。音質は、これも何故か、必ず悪いです。ただ、現在改めて聴いてみると、妙なフレッシュさを感じ取れます。
 「美空ひばりの花のステージ」(1956年製)は半分以上の曲が初めて聴くものでした。彼女は数多く吹き込んでいますので、理由は私自身にあるのでしょうが、妙に感心しながら楽しみました。
 小林旭が表紙のものは全部中国語なのでよくわかりませんが、1960年代の日本のヒット曲集のようです(1967年製)。
 西川峰子の「津軽海峡冬景色」、青江三奈の「長崎の女」などのカバーも聴けます。「あなただけを」はあおい輝彦の曲とばかり思っていたのですが、和田弘歌唱とあります。聴いていてどうもマヒナの和田弘とは思えません。といってもバンドマスターの和田弘の歌は聴いていないので比べられないのですが。。。
 またこの盤には「涙的小花」(電影主題歌)という歌手名無記載の曲があります。聴けばこれは朝鮮語です。きちんとした男性歌手の歌唱です。
 この手の「海賊盤」を作る技術は、もしかして当時、台湾が中心だったのかも知れません。これが密かに大陸へ、朝鮮へとはこばれてえいったとものと考えられます。
 中国本土で手にしたという人も、韓国で手にした、日本で手にしたというのも、ほとんどが台湾製です。台湾製というのは、中に発行元と自称する会社の住所や名前が記されているものも結構あるということです。
 日本にいる私にはそれがほんとに実在する住所や会社名なのかの判別はつきかねるのですが、まさか堂々と実在する会社が作るとは思えないからです。
 当然ライセンス生産という正規盤があってもおかしくないのですが、それにしては音質がひどいとか、音量がそろえられていないという杜撰さは、やはり不正な海賊盤だと言えるかと思います。
 これら不正な海賊版は、著作権に関する国際的な取り決めや、違法行為についての罰則が強化されて、表の世界からは消えていきます。
 1980年代になると、エンターテインメントのソースはデジタル化され、海賊版は安易に出回ることはなくなりました。
 中国圏、台湾と言っているのは、盤にきされている住所が台湾らしいこともあるのですが、使われている漢字が繁体字だからです。大陸は簡体字という省略字形を使っているのですが、台湾では、難しい字画の多い昔からの正統な漢字を今でも使っているので判別できます。

 さて、話は急に変わりますが、先の大戦中のことです。ご存知の方も多いかと思いますが、上記写真の真ん中あたりの「レントゲン盤」です。
 これを初めて知ったのは、レコード収拾の知人から聞かされたときです。数年前に新聞の小さなコラムでも紹介されていました。
 戦中は生活物資が枯渇してしまい、レコード生産をする際の資材にも影響して、盤が思うように生産できなかったそうです。知人の話は、ロシアの例でした。
 最初はだれが考えたのか分かりませんが、病院のレントゲン写真を撮影したときの不要になったフィルムに目を付けて、これを利用した盤が作られたとのことでした。
 なるほど、これなら、戦後一時期流行ったソノシート盤のようなものだと、理解できました。その知人から、もうあげるよと、その数少ないと思える貴重盤をいただいたのですが、実はどこに大事に仕舞ったのか、無くしてしまったのです。
 不始末はその方がもうおられないのでお詫びもできませんが、海賊盤からそのようなことも思い出した次第です。

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このページは、文四郎が2020年12月19日 18:49に書いたブログ記事です。

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