
歌謡曲の世界で昭和歌謡を背負った二人の偉人が世を去られました。なかにし礼と中村泰士のお二方です。心からのご冥福をお祈りいたします。
お二人が組んで大ヒットを遂げた作品は、細川たかしが歌った「北酒場」があります。
なかにし礼はフランク永井に多数の歌を書いています。最大のヒット曲は1983(S58)年の「旅秋」(裏面「さよならは左手で」も)でしょう。作曲は恩師吉田正で編曲は高田弘がした名曲です。
いちど聴いたら忘れられない愛のムード、旅の情緒が広がります。フランク永井の抑えた、しっとりした歌唱は素晴らしいものです。
なかにし礼の書いた曲は大変多く、いずれも秀逸です。シャンソンの翻訳などから流行歌を書くという仕事に、重点を変化していって、菅原洋一に書いた曲があります。
「知りたくないの」です。これは時間をかけてじわっと人気を得て、ついには菅原洋一の代表曲に連なっています。フランク永井は、菅原洋一と区別が分からないよ、というような声をときどき聞きますが、1984(S59)年に発売したアルバム「ANSWER ME MY LOVE ワルツをあなたに」でカバーしています。
フランク永井のもいいんですね。
なかにし礼については、とうブログでも何度か取り上げました。それは歌に表現された表現の背景にある、彼の戦争体験に関係しています。同感したのは、戦争で自ら受けた理不尽を超え、過酷過ぎる体験を、愛と別れに変えて表現したという点です。
「エロスがなければ平和はない。戦争がないからこそ、柔軟で不良な時間を楽しめる」と公言してはばからなかった、人生への姿勢です。彼自身の言葉によれば「戦争への甘美な復讐」だというのだから、すごい。
彼は、その姿勢で平和の大事さを訴え続けたのです。
中村泰士さんがフランク永井に提供した歌は2曲です。1979(S54)年「グラスの氷」(裏面「ひかげうた」も)です。
当時は思ったような売れ行きではなかったようですが、40年後に改めてじっくり聴いてみると、しみじみとした、静かないい曲です。フランク永井の歌った歌は、晴天、歓び満面の歌は多くなく、失恋、放心、ひとり思いといった暗い、哀愁に満ちたものが多く、この二曲も、そうした心情を描いたものです。
中村泰士の初期の代表曲であげられる園まりの「夢は夜ひらく」があります。確かに今でも歌い継がれる」曲です。
「夢は夜ひらく」は以前に藤田功(曽根幸明)を話題にしたときに触れましたが、一筋縄ではいかない、曲をめぐるエピソードがあります。
元は作者不明の曲で曽根が採譜し「藤原伸」の名で歌ったものです。そのメロディーをベースに次つぎと別の歌詞がつけられ、園まりをはじめ、緑川アコ、バーブ佐竹盤などが出ました。大きなヒットを手にしたのは藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」です。歌い手によって作詞家がことなり、編曲も別ですので、曲名の同じ別唄になっています。
これにあやかってか、実はフランク永井も「フランクの夢は夜ひらく」を歌っちゃっています。
「デラックス20 フランク永井~夜のムード」(1974:20CP-8031-PONY)です。大変珍しい、所属のビクターではないポニーのオリジナル企画のテープ版である。よくぞ、こんなもの出してくれました、ポニーさん。
実はこのテープは熱心なフランク永井のファンである友人の方からの情報です。ほんとに感謝しております。
なかにし礼、中村泰士というお二方の訃報に接し、関係曲をあたらめて聴きながら、つらつらとそのようなことを思い浮かべました。