秋だ、何故かSP一人演奏会だ。SPレコードを聴きながら感慨にふける

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 SPレコードというのは、若い方には当然死語でしょうね。フランク永井の最後のSPレコードは1960年1月に発売された「鈴懸の頃」です。盤IDがV-42000です。だが実際の発売の終了は少し違っていて、翌2月に発売された「好き好き好き」です。盤IDはV-31989です。恐らくIDの取得は企画が決定した時点ということで、発売日には多少のズレが起こることがあるということです。
 つまり、ちょうど50年前にSP発売は終了したのですね。ビクターだけでなくコロンビアとか他のレコード会社も、この時期に一斉にSP時代を終えてEP時代に移っていったものと思えます。
 SPレコードの収集については、2013年に当ブログで岡田則夫著『SPレコード蒐集奇談』(ミュージック・マガジン発行)という名作を紹介しました。
 私自身もフランク永井でなかなか手に入らないSPレコードを入手しようと、広くレコード店を歩いて探したことがあるので、大変興味をもって読みました。知者の岡田さんとは一度お会いして、ディープなお話をいろいろと伺ったのが思い起こされます。
 上記に移した写真にある書籍は「蓄音機の時代」です。これは加藤玄生さんの著作物です。ご本人は蓄音機の発明された初期のSPコンテンツであるクラシックレコードに詳しい方です。同時に蓄音機の登場時期から一時代を築き終焉を迎えるまでの変遷も、深く研究されて書いたのがこの書籍です。
 日本とのかかわりとかコンテンツをつくるレコード会社の登場などをさまざまなエピソードを添えて紹介しています。また、蓄音機のメカニックについても、ただの好事家でないレベルの、ここでしか聴き得ない貴重なうんちくを知ることができます。
 蓄音機とSPレコードについて、ぎゅっとコンパクトにエッセンスを詰め込んだ書籍で、大変貴重なものだと思います。

 以前にも書きましたが、蓄音機は電気的・電子的なものを一切使用していないものなのに、いかにして音を忠実に、しかも吹き込み時の実際の音量をはるかにしのぐ大音量で再生できるのか、という疑問と興味がありました。
 写真のものは私の愛用の実機です。1920年代にドイツあたりで、当時有名なビクター系の蓄音機のライセンス製造をしたものではないかと思われます。
 購入して間もなく、故障しました。蓄音機愛好の仲間でその筋の第一人者が、これはガバナーの故障だと断じ、重要な部品を新たに作成して直してくださいました。その部品を組み立てて正常に稼働できるように調整するのに、異常なほどの手間を要したのを覚えています。
 いざその箇所が再度故障したらという想定で、私自身もくみ立て直しに幾度もトライしたことを覚えています。
 蓄音機の動力はゼンマイなわけですが、最低でも年に一度以上は、巻いて解放してあげる必要がありまう。そうしないとゼンマイがグリスで固まり、正常な動作がその後保証できないことになる、とのことでした。
 そのようなことで、ときどきは蓄音機を使ってみるわけです。近年は特に調整もなく、立派に稼働しています。

 フランク永井のSPレコードはレアな数枚を除いて、ほぼ手元にあります。収拾の過程でおやと思った他の歌手の歌をも購入しました。ただ、昨年にダブった盤やフランク永井以外の盤の大半はまとめて50~60枚ほど放棄しました。
 さて、この度は「ビギン・ザ・ビギン」(ビング・クロスビー)とか「ケセラセラ」(ドリス・デイ)というフランク永井以外の盤を数曲と、フランク永井の数枚をかけて聴きました。
 やはり好きな「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「有楽町で逢いましょう」は欠かせません。「東京ダーク・ムーン」もかけました。
 いいですね。声が素晴らしいです。うっとりします。
 蓄音機は前面の扉を使って音量を調整するのですが、全開ではご近所迷惑を気にしてできません。ゆったりと惹いたコーヒーを口にしながら、一面およそ3分聴き入ります。
 盤ごとに針を替えます。2枚程度でクランクを手巻きしてゼンマイを閉めます。
 SPは面白いことに、プレスされた盤は全部同一だとしても、再生をしたときの「音」は、どれ一つとして同じではないのですね。指紋のようなものです。
 再生する蓄音機、ピックアップにあたるサウンド・ボックスと先端の針が違います。針の性質も無数にあります。竹とかサボテンも使われます。そして、なにより針の猛烈な速度での劣化があります。盤そのものも毎回劣化が進みます。針と盤の溝の接点は絶妙です。熱を発してレコードの素材のシェラックを融かし、冷えて若干の再生が成されます。
 こうした多くのパラメータの相違から二つとない「音」が放たれるのですね。それが、聴く人の耳には心地よさを感じさせているので花でしょうか。CD慣れした耳にはノイズにはびっくりするかも知れませんが、不思議なことに、聴いていると脳内のフィルタが働いて気にならなくなるから不思議です。

 さて、1960年にSPの時代が終わります。SPが果たした人類(?)への貢献に敬意を払い、フランク永井は、ズバリ「78回転のSPレコード」という曲を歌っています。1960年8月:VS-369です。これはSPではなく、EPです。
 前出した岡田さんもこの曲をみつけて、おっ!と目を向き「こんなのを唄ったんだ」と感心されていました。

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このページは、文四郎が2020年11月21日 18:28に書いたブログ記事です。

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