2020年9月アーカイブ

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 守屋浩の訃報で驚きました。心からのご冥福をお祈りいたします。フランク永井と同じ時代に活躍した歌手がまた去りました。淋しい限りですが、あちらで皆さんがあつまり、一緒に昭和のあの時代の楽しい思い出に、花を咲かせていることではないでしょうか。

 文四郎は山形の田舎から集団就職のあの時代、まず川崎に出てきました。その時に職場の同僚とフランク永井の「有楽町で逢いましょう」を話したり、歌ったりしました。
 夕刻は野球部でした。そこでは何故か、橋幸夫の「雨の中の二人」を思い出します。耳の中、いや頭の中で繰り返される、それが何故なのかなどと不思議に思ったことも同時に思い出します。
 夜は寮でしたが屋上に出ると、守屋浩の「僕は泣いちっち」です。浜口庫之助の作詞作曲ですね。このメロディーもそうですが、歌詞が何とも言えないのです。屋上に夜になると集まるのは、青森とか、四国とかからでてきた同僚で、望郷の思いからときどき泣いているやつもおりました。
 歌では、田舎から遠い東京へ出ていった恋人を思うのだが、当時の私たちは、そう簡単には帰れない、遠い故郷を、この歌を歌いながら思っていたのです。
 「遠い遠い東京へ飛んでけちぎれ雲」という無茶な叫び、「夜汽車の笛はいやだよ」と当たり散らす。このフレーズがどれほど深く、私たちの心を打ち、動かしたことか。わずかだが、かすれがはいる彼の歌唱は、表現する歌手としてぴったりなんだったと思う。
 中学校の文化祭か何かのときに、同期の女子が舞台でこの歌を歌ったのだが、それが大変上手で、生徒はもちろん来ていた父兄も大喝采したということも思い出します。

 守屋浩はコロンビアでフランク永井と同じ舞台は多かったのですが、直接的な交流や重なりは記憶にないです。コロンビアでフランク永井と同じ年にデビューした島倉千代子とは、いくつかあります。「あなたが居れば」「あなたと共に」をデュエットしています。
 前者はNHK「きょうのうた」の音源が保存されていないようです。後者はテレビ映像が残されています。
 守屋浩はこの島倉千代子と「星空に両手を」をデュエットして当時話題になりました。何かのCMでも歌われたように覚えていますが、当時はコロンビアの人気者同士のデュエットだったので、ファンは大喜びだったわけです。
 フランク永井と島倉千代子は同時期デビューであることから、NHK紅白歌合戦では共に連続出場し、5回ペアがあてられています。
 フランク永井の女性の盟友はビクターの松尾和子ですが、島倉千代子はレコード会社を別にしたもう一人の盟友かも知れません。印象的だったのは、1976(S51)年第27回の紅白で、フランク永井は最初の出演の第8回に続いて2回目の「東京午前三時」を歌います。背後にずっと島倉千代子が立ちずさんでいます。その姿が何とも可愛らしく、松尾和子とは違う魅力を放っていました。

 守屋浩は81歳でした。大きな業績を残されました。感謝いたします。
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 珍しいというのは曲のことではなくて、EP盤の作成形式のことです。作成形式というのも分かりにくいですね。レコード会社であるビクターからメインの正規シリーズとしてのシングル盤とかLP盤とかとはちょっと違っている盤というものです。
 正式のシングル盤というのは、デビュー時はSP盤です。次にEP盤ですが、最初はVSシリーズのモノラルで、後にSVシリーズのステレオ盤です。
 EP盤は1980年代に全面的にCD盤に変わるわけですが、価格を考慮した4曲入りの「コンパクト・ダブル・シリーズ」という盤もだされました。これだけに収録されている曲というのもあるのですが、基本的には例外でした。
 ステレオ化された時期には「ステレオ・シリーズ」「ライビング・ステレオ・シリーズ」と名をうって、初版の時とは異なるカップリングでヒット曲のステレオ版吹き込みなおしで出されましたが、これはわずかでした。
 また、沖縄が日本に返還されたのは1972年ですが、これ以前は外国扱いでした。この時期に私が勝手に「沖縄シリーズ」と呼んでいる盤が出されました。これは人気の鶴田浩二とのカプリングが数枚出されています。
 EP盤の終盤にビクターから「アンコール・シリーズ」「永遠のEP盤シリーズ」「ゴールデン・ミリオン・シリーズ」「ゴールデン・ベスト・シリーズ」が出されました。これは曲の組み合わせを変えただけという感じで、初版時のモノラル曲も平然と使われています。SVとうたっておりながら、SV-3001-Mのような妙な盤のIDで出ています。

 私は特に収集家である意識はなかったのですが、結果的にフランク永井のレコード盤の収集家のような感じになりました。それは「フランク永井データブック」の編纂をしていた過程で、全容をつかむために、レコードの現物を集めたからです。もちろん、現在に至るもすべてが集まったわけではないのですが、知りえた多くのファンの方々が所有しおられて盤で確認できたことで、およその全貌を知ることができました。

 ただ、現在でも分からないものがまだまだあります。それは別項でも紹介しましたが、オムニバス盤です。それと、レコード会社から非売品、宣伝用としてレコード店や放送局に出されたレコード盤、PR/PRAシリーズです。さらに、いかなる相違があるのか、まぎらわしくも、PRUなどというのも出されています。宣伝盤ですね。宣伝というと、全国の観光協会、自治体、あるいは組織体からの要請で作られる盤もあります。
 フランク永井は、あの声ですので、まさか校歌は歌っていないと思いますが、そのような価格がついた商品盤でないものがあるのです。
 有線放送がそれなりに人気があるメディアだった時期があります。PRUシリーズのUは有線放送局用に作ったPR盤だったのだろうか。というのは、手元にPRU盤が2枚ある(PRU-6-熱海ブルース/ラブ・レター、PRU-25-逢いたくて/こいさんのラブ・コール)のですが、それを入手した際に同時に存在したのが、ゆうせんが独自に作ったとおぼしきPR盤だったのです。
 それは、YKS-039というIDで、A面が石原裕次郎の「夜霧のブルース」でそのB面にフランク永井の「公園の手品師」があるEP盤です。

 PRシリーズは必ずしも無償の盤ではなかったようです。またレコード店や放送局用は必ずしもPRシリーズと限ったわけではなかったようです。オムニバス的にそのときに売り出したい歌手や曲を集めてLPにした盤もありました。また、EP盤では表面と裏面が異なる盤IDを使っているというのもあり、一貫したコンセプトがなかったのではという疑念も生じます。
 手元にあるのは、VS-1103-逢いたくてとVS-1129-利根の月太郎(歌手:三門ひかる)という盤です。

 「あなたが唄う伴奏用レコード」というシリーズがビクターにはあったようです。手元にあるのは、SV-6147-おまえに/君恋しとSV-6155-こいさんのラブ・コール/大阪ぐらしです。
 当時の宣伝では、他に、SV-6150-お百度こいさん/羽田発7時50分、SV-6154-霧子のタンゴ/泣かないで、SV-6156-東京ナイト・クラブ/グッド・ナイト、SV-6157-俺は淋しいんだ/夜霧の空の終着駅、SV-6159-鈴懸の径/新雪などのフランク永井の曲が見受けられます。

 レコードを整理していて気が付いた話題でした。

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 フランク永井が、NHK紅白歌合戦に連続26回出演した記録の、現在の時点での様子が分かってきました。
 1957(S32)年第8回が最初の出演です。1982(S57)年第33回までの連続26回の出場記録です。
 NHKが正式に自前で記録を開始したのは、1972年第23回からで、それ以前の音声と映像記録はありませんでした。当時録音・録画するテープが高価だったといわれていますが、何よりアーカイブとして後世に残すことの意義を軽視していたのです。
 それに気づいてあわてて視聴者に呼びかけました。長く司会をした宮田輝アナウンサーが、自宅で私的に8ミリに録画していたのは有名です。その後徐々に、視聴者が保存していたものが、NHKに寄せられました。結果現在では、音声記録は初回から、映像記録は、1965年第16回からNHKに保管されています。
 フランク永井の出演映像は、2016年に「フランク永井シングル全集」が発売されました。その商品の「懐かしのフランク永井映像選集」に、NHKからの映像提供を受けて、8回分が発売されました。
 これ以外は、NHKのフランク永井を主に扱った特別番組で、いくつか紹介されています。BSが開局された際に、過去の番組の様子を再放送したことがあり、それを録画していた視聴者が、youtubeなどで紹介しています。
 ただ、youtubeでは著作権の関係から削除されているために、現在ではほとんど鑑賞することができません。

 この度、大変うれしいことに、熱心なフランク永井のファンの方から、残されていた貴重な音声の記録を聴かせていただかうことができました。下記の10本です。こころから感謝申し上げます。

 1959年 S34 第10回 俺は淋しいんだ
 1960年 S35 第11回 東京カチート
 1961年 S36 第12回 君恋し
 1962年 S37 第13回 霧子のタンゴ
 1963年 S38 第14回 逢いたくて*
 1964年 S39 第15回 大阪ぐらし
 1965年 S40 第16回 東京しぐれ
 1966年 S41 第17回 大阪ろまん
 1967年 S42 第18回 生命ある限り*
 1971年 S46 第22回 羽田発7時50分

 フランク永井が最初に出演したのは1957年第8回で「東京午前三時」を歌いました。この年は11月、つまり紅白の1月前に「有楽町で逢いましょう」をリリースして、名を全国に知られたときです。
 だた残念なことに、翌年の第9回で「西銀座駅前」を歌ったものと2回分は、ラジオからの放送でしたが、音声の記録が存在していません。

 1963年大14回からテレビ放送になります。フランク永井の歌唱映像は、1963年第14回「逢いたくて」が最初です。影像が残されていないのは、1963年第15回「大阪ぐらし」、1971年第22回「羽田発7時50分」です。この2本を除いて、最後の出演となった1982年第33回「有楽町で逢いましょう」までの、18本が保存されています。

 映像を通してみると、フランク永井の活躍した時代が一目瞭然でわかります。フランク永井の昭和30年代の映像は、映画に出演した場面などを除いて、ほとんど存在していないために、モノクロですが極めて貴重なものと言えます。若々しく、彼の隠れた魅力とも言える美しい高音が楽しめます。
 1968年第19回で「加茂川ブルース」を、歌っています。和服で登場し、当時人気の三浦布美子との共演などは、見ていて楽しいシーンです。また、1972年第23回では3回目の「君恋し」を歌っています。この回ではニニ・ロッソのトランペット演奏をともなって共演するということで話題になりました。

 今回初めて聴かせていただいた音声で、特に印象的なのでは、1964年第15回の「大阪ぐらし」です。
 まず歌いだし間もなくで歌詞を取り違えます。紅白歌合戦に出場することの緊張からなのでしょう。そして2番が歌われ、歌い終わるところでいきなり4番に突入してしまいます。
 バンドは恐らく慌てたことでしょう。しかしさすがそこはプロ集団で、歌に合わせて演奏を最後まで続けます。何があったのかは不明です。秒単位で進行が決められている実況の現場なので、ここで発生したおよそ1分近い時間の延長は、どこかにしわ寄せが発生します。
 その犠牲が、同じレコード会社に所属する後輩の、橋幸夫にいったようだと、歌唱時間を細かく追った方の声がありましたが、果たして実際にはどうであったのでしょう。

 余談ですが、1981年第32回ではアトラクションコーナーが設けられ、ここでデュエット・ソング「東京ナイトクラブ」が、若い男女出演者で歌われています。フランク永井と松尾和子の歌唱で、現在でも親しまれている大ヒットソングです。

 全体を通して、司会者からフランク永井の紹介をする際に、敬意の言葉が語られていることです。

「懐かしのフランク永井映像選集」で発売された紅白映像は下記のとおりです。

 1963年 S38 第14回 逢いたくて
 1967年 S42 第18回 生命ある限り*
 1968年 S43 第19回 加茂川ブルース
 1970年 S45 第21回 大阪流し
 1974年 S49 第25回 おまえに
 1976年 S51 第27回 東京午前三時
 1978年 S53 第29回 公園の手品師
 1980年 S55 第31回 恋はお洒落に

 NHK紅白歌合戦は後に番組枠を大幅に拡げて、懐かしのメロディー風なものから、現代の若者を中心とした後世に変わりました。簡単に再放送できなくなりました。フランク永井が活躍した時代のものはまだシンプルな校正です。何らかの機会に、ぜひとも当時の映像を再放送してほしいと願っています。
 1964(S39)年第15回「大阪ぐらし」と1971(S46)年第22回「羽田発7時50分」の映像が、まだ見ることができていませんが、ぜひとも見てみたいものです。
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 フランク永井が活躍したのは1950年代の後半から約30年です。「有楽町で逢いましょう」が1957(S32)年に大ヒットを始めたことから、デビュー当時の盤まで注目されました。
 SP盤の時代です。1960(S35)年の1月に「鈴懸の頃」(三浦洸一「流転」とのカップリング。ちなみに「流転」は1937年の上原敏の歌った曲とは同名異曲)がSP盤の最終で、これ以降はEP盤に代わります。
 レコード会社は抱える歌手陣の売り込みに常に必死です。映画や舞台に、全国の催しへの参加と、やはり一般のいちばんの娯楽であったラジオでの採用です。
 歌ができると、各放送局へ「白ラベル盤(見本盤)」を配って、放送で使ってもらうように依頼します。また「平凡」「明星」などの芸能娯楽誌に情報を流して掲載をしてもらいます。
 これと並行して一般のファン向けに出されたのが、宣伝を兼ねたオムニバス盤です。売り込みたい歌手と曲を入れ込んでLP盤にします。これはレコード会社のなかのいくつかの部隊が、独自の企画でさまざまな盤がだされました。商品盤です。
 シリーズ化したのは「ビクター流行歌ヒット集」「魅惑のオール・スターズ」「花のステージ」「オール・スターズ歌の星座」「歌の花束」「ゴールデン・ヒット・ソング」「流行歌BEST15」「ポピュラーBEST15」等々多彩です。
 私の何十年もこれらの全容を知るべくいろいろと機会をみて、調べてきましたが、いまだその全容はわかりません。およそ半数は埋まったかなといったところです。
 今回紹介したいのは、その中の「ゴールデン・ヒット・ソング」シリーズです。
 1963年に第1集がでています。確認できている最終は1968年の第25集です。

 1963 LV-325    第1集 霧子のタンゴ
                第2集 (不明)
      SJV-55    第3集 大阪ぐらし
 1964 SJV-62    第4集 大阪ぐらし
 1965 SJV-85    第5集 恋うた
 1965 SJV-88    第5集 霧笛の道
 1965 SJV-104   第7集 男なら
 1965 SJV-114   第8集 アコちゃん
 1965 SJV-130   第9集 妻を恋うる唄
 1965 SJV-149   第10集 東京しぐれ
 1965 SJV-161   第11集 熱海ブルース
 1966 SJV-169-7 第12集 水のように
 1966 SJV-188-9 第13集 君待てども
 1966 SJV-207-8 第14集 女には涙がある
      SJV-220-1 第15集 遊侠一匹
 1967 SJV-253-4 第16集 大阪ろまん
 1967 SJV-260-1 第17集 みれん酒
 1967 SJV-281-2 第18集 マンション・ブルース
 1967 SJV-296-7 第19集 夕陽のジャマイカ
 1967 SJV-308-9 第20集 生命ある限り
      SJV-319-0 第21集 (なし)
 1968 SJV-337-8 第22集 風と二人で
 1968 SJV-349-0 第23集 (不明)
 1968           第24集 (不明)
 1968 SJV-375-6 第25集 堂島

 1970近くになると、フォークやニュー・ミュージックなどの若いアーチストによる多彩な歌が流行するようになります。そうした流れで別のシリーズに代わりますが、やがて、ジャンルを超えたオムニバス盤は消えていったようです。
 だが、フランク永井が活躍した時代はまさに「レコード盤」の時代で、これでもかとユニークな取り組みがありました。残念なことにその全容が解明されていないようです。私の場合は、フランク永井をベースにしたアプローチであることから、とても視野が狭くなっていて及ばないのです。
 そのあたりをどなたか突っ込んでいただいて、解明していただければ、そこから新たな大衆文化の光が見出せるかもしれません。そんなことを模索しながらときどき、手持ちのオムニバス盤を聴いています。

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