コロナ禍の最中でもノーモア・ヒロシマ/ナガサキ。フランク永井が平和音楽祭で歌った曲名は「幼な子よ」

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 このブログで「1982年広島平和音楽祭でのフランク永井が歌った平和の歌の曲名は?」と、youtubeの一コマからの話題をあげました。この件で「ヒロシマと音楽」委員会の方が調査をされてくださり、松宮恭子作詞、高田弘作編曲「幼な子よ」であることが分かった。たいへん感謝するとともに、ここにご報告します。
 広島平和音楽祭資料や記録が広島市立中央図書館をはじめとするさまざまな機関に保存されているようなのですが、残念ながら詳細を得るまでには至りませんでした。これからの課題とします。
 1974年の初回の広島平和音楽祭で美空ひばりによって歌われた「一本の鉛筆」は、メッセいーじがダイレクトで多くの人に知られています。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」という反戦と平和を訴えたものでした。これは映画脚本家の松山善三の作詞で、黒澤明監督の映画音楽で世界が知る佐藤優の作曲です。
 フランク永井が歌った「幼な子よ」はいくつか世に知られている音楽家の松宮恭子の詞に、くしくもフランク永井の最後のシングルの元歌「あなたのすべてを」の高田弘が作編曲をしています。
 当時の芸術家の平和と反戦への思いは高く積極的でした。それは先の戦争の爪あとが見渡せばどこにも残っていたような時代と関係があると思います。
 少なくとも親は直接戦争を経験しています。戦争は究極の理不尽を民衆に強制的に体験させます。自然と「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」を口にしました。二度とこのような悲惨を繰り返してはならないと訴えたのです。

 「原爆犠牲者にささげる音楽の夕べ」「反核・日本の音楽家たち」「広島国際平和コンサート」等々続々と活発な活動があったのを思い出します。フランク永井が大阪・関西ものを歌って人気をえるきっかけは、大阪労音の活動に呼ばれたことです。
 「広島平和音楽祭」について、その当時に参加した歌手を次のように紹介しています。
 【出演者も豪華な著名人ばかりで、小柳ルミ子、堀ちえみ、サーカス、大川栄策、八代亜紀、岡村喬生、庄野真代、石川さゆり、森進一、フランク永井、中森明菜、斉藤昌子、五木ひろし、二葉あき子、森山良子、シブがき隊、新沼謙治、本田美奈子、岩崎宏美、小林幸子、布施明、堀内孝雄、中山美穂、細川たかし、近藤真彦、美空ひばり、友竹正則、島田祐子、栗林義信、伊藤京子、平野忠彦、立川清登、五十嵐喜芳、中沢桂、上條恒彦、堺正章、島倉千代子、デュークエイセス、早見優、五輪真弓、加藤登紀子、リチャード・クレイダーマン、和田アキ子、テレサ・テン、伍代夏子、大橋純子などである。さらに、司会には高島忠夫、松島トモ子、明石家さんま、春風亭小朝、さとう宗幸、小室等、などが参加している。会場は県立体育館ではじまり、第13回からは広島サンプラザで開催された。そして、ノーモア・ヒロシマコンサート同様、広島平和音楽祭は第20回で幕を閉じている(千葉佳子)】。

 さて、広島と長崎に悪意に満ちた核爆弾が投下されから75年経過しました。長崎市長の平和宣言にありましたが、終末時計がかつてない「残り100秒」だというのは、なんとも愚かな歴史の逆行をしているように悲しいことです。
 75年も訴え続けてきたと誇らしく言いたいのですが、長いことは決して誇れません。そればかりか、悲しむべきは、先に記した豪華な著名人たちは、現在潮を引くように「反戦・平和」など唱えていないように見受けられます。アーチストは政治色を出すべきでない、などという暗示は誰がかけたのだろうか。
 音楽や文学、芸術を見る人はさまざま、つまり、核兵器の廃絶に賛同する者ばかりではないので、政治を語るなということのようだが、どうやらこれはお上とマスコミ支配者の意志らしいです。反戦や反核をいったら、干すよということで、それを避けるために、皆が自主規制、自己規制で一律そうなっていったようなのです。
 これでは、反核・反戦は当然遠のきますね。催しも閉じますね。圧倒的な大衆の多数は反核・反戦であったとしても、その声がないのだから、核兵器を開発して使うのを否定していないのだよというように考えているいるのかと、勘違いしますね。
 暑さであたまがヘンになったわけではありません。そんなことを考えさせられる8・6、8・9記念日でした。

 さてさて、訃報がありました。弘田三枝子が亡くなったとのことです。こころからご冥福を申し上げます。決して特別なファンではなかったのですが、デビュー時のあの独特なパンチのきいた歌唱は、同時代人として忘れられません。(しばらく、です・ます調に挑戦します)

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このページは、文四郎が2020年8月11日 15:21に書いたブログ記事です。

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