2020年8月アーカイブ

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 2019年新年にシリーズの発売が開始されて、すでに1年半が過ぎました。その第1巻を飾ったのがフランク永井でした。
 この7月に第6弾が店頭に並びました。これまでに発売されたCDはついに35巻に達しました。
 大変な偉業といえます。発売ごとに紹介してきたのですが、続きとして下記にリストをあげます。

(27) 築地容子 ジャニー・ギター~セレソ・ローサ
(28) 柴田睦陸 朝~ラ・クンパルシータ
(29) 大谷洌子 チリビリビン~ジャワのマンゴ売り
(30) 楠木繁夫 馬と兵隊~ルンバ1940
(31) 三浦洸一 落葉しぐれ~タローとジローは生きていた
(32) 曽根史郎 若いお巡りさん~花のロマンス航路
(33) 野村雪子 おばこマドロス~二十才の恋
(34) 藤本二三代 Vol.2 好きな人(セリフ入り)~雪之丞変化
(35) 竹山逸郎 町から村から工場から~異国の丘

 今回のリリースで驚くべきは、三浦洸一や曽根史郎という超有名歌手が登場していることでしょう。すでに登場した歌手も日本の流行歌の歴史に残る名歌手ぞろいでしたが、ビクターが抱えた歌手はまだまだ続きそうです。
 分かっている第7弾はつぎのような歌手です。

(36) 宮城まり子/(37) 斎田愛子/(38) 安西愛子/(39) 三島一声/(40) 新田八郎

 多くは流行歌と現在くくられる大衆音楽が始まった、昭和の時代の始まりから歌っている歌手です。戦前、戦中を経て、戦後も活躍されてのですが、年代的に多くの方々はすでにお亡くなりになっています。
 熱烈なファンだった方々も当然に亡くなられたか、ご高齢です。そしてラジオの時代でほとんどの方は、テレビに登場していないということもあり、名前は知っていても顔が分からないという大きな問題もあります。
 かてて、そうした著名な歌手であっても、残されている写真が少なく、現在に紹介するのも大きな壁を持ちます。このシリーズを制作しているレコード会社の企画担当をなさっている部隊の苦労もわかります。
 音源については、マスターテープの劣化が問われる時期になって、ここ十年から二十年の間に最新の技術を駆使して、ほとんどがデジタル化されたはずです。その時代の最高のソースはテープで、当然半世紀以上も経過すれば劣化します。下手すれば、永遠に復刻できない事故も考えられます。
 SP盤のマスターというのもあるようですが、詳しくは分かりません。最終的には実際に発売された盤があり、そうした歴史的な音源のデジタル化による一元的な保全は、各レコード会社でほとんど整理のめどがついたものと察せられます。
 ビクターファミリークラブというのがありました。ビクターと最大のライバルであり、戦中にはレコード制作にあたり、盤の材料や工場まで融通しあった盟友である日本コロンビアも、同様にファミリークラブがあります。両社は連携しあって、レコード会社横断で共通宣伝しあっています。
 この「日本の流行歌スターたち」に対してコロンビアは「懐かしの名歌手全曲集」を企画制作して発売しています。だから、ビクターとコロンビアの双方の著名な歌手の作品がそろってきているわけです。
 「日本の流行歌・歌謡史上に煌々と輝き続けるスター歌手たちの新しい視点のベストアルバム」というのが、キャッチコピーです。

 さて、今回のシリーズで目をひいたのは、なんと私のすきな歌手でもある藤本二三代のVOL2というのが登場していることです。まだ登場していない歌手がいるのに、藤本二三代のベストアルバムの2枚目かと驚きました。
 藤本については、フランク永井と最も多くカップリングした歌手で、ともかく歌がうまいのです。容姿を取り上げるのはタブーかも知れませんが、もうお亡くなりになっている方だから、この際ご勘弁ください。美しく、可愛い歌手です。
 以前も一度特記したのは、彼女の二十面相です。映画、テレビ、舞台と登壇するたびに、また、レコードを吹き込むたびに、別の顔を出すのです。
 私の年代で知るビクターの美人歌手は、松尾和子と藤本二三代と神楽坂浮子ですが、松尾も神楽坂も別の表情の顔などありません。それが藤本となると、ほんとに同一人物かと思うほどの変化を感じました。
 竹山逸郎はフランク永井の恩師吉田正の「異国の丘」を、吉田が知る前にビクターから盤を発売した方です。フランク永井はこの曲を当然カバーしています。さらに竹山の「泪の乾杯」をもカバー曲で幾度か歌っています。竹山は「町から村から工場から」という曲も出しています。これは戦後の労音などの運動の中でよく歌われた曲です。

 さてさて「日本の流行歌スターたち」ですが、ビクターはyoutubeで「第6弾発売」を宣伝しています。なかなか内容がわかるいい作品になっています。
https://www.youtube.com/watch?v=yLdQxMLmeBY
 この勢いで、第1弾で発売されたフランク永井を含むシリーズの出してほしいものです。

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 「真昼の罠」は1962(S37)年8月発売のレコード。B面は松尾和子の「黒い愛」で、やはり「真昼の罠」の主題歌となっています。
 田宮二郎主演で同名の大映映画の主題歌ということに違いないようです。なにより、映画の原作は黒岩重吾で、主題歌の歌詞を書いたのも黒岩だからです。
 待てよ、主題歌というのは複数あるものなのかな。まぁ、それは良くわかりません。どちらにせよ、映画の公開は8月19日とあるので、同時期に公開と発売です。
 しかし、この映画をみても、フランク永井の歌も松尾和子の歌も出てこないんですね。これはどうしたことでしょう。そのあたりの事情に通じた方がおられれば、ぜひお聞きしたいです。
 歌の作曲はいずれも山下毅雄です。山下毅雄といえば「ルパン三世」の歌を指摘する人も多いのですが、私には「七人の刑事」「大岡越前」「鬼平犯科帳」です。最近はテレビを観る機会も多くなり、何十年も前の時代劇ドラマはほぼ観ています。
 「真昼の罠」の主役は当時大活躍だった田宮二郎です。イケメンだが、金権と出世のためなら何でもするという、利己主義の権化のようなヤツ。田宮の俳優としての力量が全開しています。
 黒岩重吾の原作に田宮二郎の主演、当時はそうとうヒットしたのではないでしょうか。私が観たのはDVDで最近観たものです。
 余談ですが、田宮はテレビで「クイズ・タイムショック」の司会をしています。この番組のテーマソングは山下が作っています。
 さて、主題歌として吹き込んだ曲が映画に反映されていない、というのは他にもありそうですが、まだ全容は分かりません。ただ、1964(S39)年2月に発売した「太陽は撃てない」(A面は橋幸夫の「あゝ特別攻撃隊」)があります。これは松竹映画「あゝ特別攻撃隊」の挿入歌と主題歌です。このは映画そのものが製作されなかったとのことです。
 戦争映画はたいへん時世に敏感です。たしか大映から同名の映画は作られていたと思いますが、特に特別攻撃隊というのは、先の大戦時に海軍が爆弾を積んだ航空機を敵戦艦に体当たりする部隊を編成して実行したものです。
 米国は死をも恐れぬ狂気の「カミカゼ」として恐れたという話も残されています。ついこれを美談風に扱う話もありますが、すべてはお上がそそのかされて相手を鬼畜米英とか露助とかみくだして、戦争の主体者にさせられたことから始まります。
 イスラムの聖戦(ジハード)も同じですね。お上の場合は、そそのかされてアジアの盟主を気取り、大陸に出ていった時点でアウトです。同様に米国には宣戦を布告した時点でアウトです。ここから生まれるすべては戦争という理不尽の極みの福産物といっていいでしょう。
 それゆえに、何が実際にはあったかわかりませんが、松竹映画は企画段階で終わってしまったのでしょうね。
 さてさて、話は最初の「真昼の罠」ですが、実は同名の映画が、1960年に作られてテレビでも放映されています。
 こちらは、八木美津雄の脚本・監督で松竹映画として作られています。主演は若き岩下志麻と佐々木功です。岩下志麻の強烈な印象は「極道の妻」です。高島礼子とか幾人かが演じていますが、岩下のセリフ回しには格別な迫力を感じました。
 佐々木功は若いですね。彼はフランク永井の大々ファンです。アニソンの帝王となり芸名もささきいさおで、現在も活躍中ですね。

追悼! 渡哲也 こころからご冥福をお祈りします。

 映画俳優も歌手と同じで、大衆相手に芸を売る商売ゆえに、売れたスターにはその周囲に大規模な演出集団がおります。映画でみる渡哲也像と日常の中の人間像は相当に異なるのが常です。渡もその例に漏れませんね。
 彼を知ったのは映画「無頼シリーズ」です。まあやくざ映画です。現時点での視聴者の感覚からすると、よくぞ、こんな映画が流行ったものだと思います。西部警察もそうだけど、非日常、それも機関銃、戦車がどうして登場するのか、それと戦うのがなぜに西部警察なのか、なんでこんなド派手な暴力が必要なんだ、とすべてが突っ込みどころですね。
 「無頼シリーズ」を観たのは、単純に、そこで「君恋し」が映画の演出で歌われているからでした。渡は「くちなしの花」を歌っています。フランク永井は1974(S49)年に出したアルバム「ベスト・コレクション75」でカバーしています。このアルバムは半数がカバーで、フランク永井のカバーは聴きごたえがあるという評判の時代の逸品です。
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 このブログで「1982年広島平和音楽祭でのフランク永井が歌った平和の歌の曲名は?」と、youtubeの一コマからの話題をあげました。この件で「ヒロシマと音楽」委員会の方が調査をされてくださり、松宮恭子作詞、高田弘作編曲「幼な子よ」であることが分かった。たいへん感謝するとともに、ここにご報告します。
 広島平和音楽祭資料や記録が広島市立中央図書館をはじめとするさまざまな機関に保存されているようなのですが、残念ながら詳細を得るまでには至りませんでした。これからの課題とします。
 1974年の初回の広島平和音楽祭で美空ひばりによって歌われた「一本の鉛筆」は、メッセいーじがダイレクトで多くの人に知られています。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」という反戦と平和を訴えたものでした。これは映画脚本家の松山善三の作詞で、黒澤明監督の映画音楽で世界が知る佐藤優の作曲です。
 フランク永井が歌った「幼な子よ」はいくつか世に知られている音楽家の松宮恭子の詞に、くしくもフランク永井の最後のシングルの元歌「あなたのすべてを」の高田弘が作編曲をしています。
 当時の芸術家の平和と反戦への思いは高く積極的でした。それは先の戦争の爪あとが見渡せばどこにも残っていたような時代と関係があると思います。
 少なくとも親は直接戦争を経験しています。戦争は究極の理不尽を民衆に強制的に体験させます。自然と「ノーモア・ヒロシマ/ナガサキ」を口にしました。二度とこのような悲惨を繰り返してはならないと訴えたのです。

 「原爆犠牲者にささげる音楽の夕べ」「反核・日本の音楽家たち」「広島国際平和コンサート」等々続々と活発な活動があったのを思い出します。フランク永井が大阪・関西ものを歌って人気をえるきっかけは、大阪労音の活動に呼ばれたことです。
 「広島平和音楽祭」について、その当時に参加した歌手を次のように紹介しています。
 【出演者も豪華な著名人ばかりで、小柳ルミ子、堀ちえみ、サーカス、大川栄策、八代亜紀、岡村喬生、庄野真代、石川さゆり、森進一、フランク永井、中森明菜、斉藤昌子、五木ひろし、二葉あき子、森山良子、シブがき隊、新沼謙治、本田美奈子、岩崎宏美、小林幸子、布施明、堀内孝雄、中山美穂、細川たかし、近藤真彦、美空ひばり、友竹正則、島田祐子、栗林義信、伊藤京子、平野忠彦、立川清登、五十嵐喜芳、中沢桂、上條恒彦、堺正章、島倉千代子、デュークエイセス、早見優、五輪真弓、加藤登紀子、リチャード・クレイダーマン、和田アキ子、テレサ・テン、伍代夏子、大橋純子などである。さらに、司会には高島忠夫、松島トモ子、明石家さんま、春風亭小朝、さとう宗幸、小室等、などが参加している。会場は県立体育館ではじまり、第13回からは広島サンプラザで開催された。そして、ノーモア・ヒロシマコンサート同様、広島平和音楽祭は第20回で幕を閉じている(千葉佳子)】。

 さて、広島と長崎に悪意に満ちた核爆弾が投下されから75年経過しました。長崎市長の平和宣言にありましたが、終末時計がかつてない「残り100秒」だというのは、なんとも愚かな歴史の逆行をしているように悲しいことです。
 75年も訴え続けてきたと誇らしく言いたいのですが、長いことは決して誇れません。そればかりか、悲しむべきは、先に記した豪華な著名人たちは、現在潮を引くように「反戦・平和」など唱えていないように見受けられます。アーチストは政治色を出すべきでない、などという暗示は誰がかけたのだろうか。
 音楽や文学、芸術を見る人はさまざま、つまり、核兵器の廃絶に賛同する者ばかりではないので、政治を語るなということのようだが、どうやらこれはお上とマスコミ支配者の意志らしいです。反戦や反核をいったら、干すよということで、それを避けるために、皆が自主規制、自己規制で一律そうなっていったようなのです。
 これでは、反核・反戦は当然遠のきますね。催しも閉じますね。圧倒的な大衆の多数は反核・反戦であったとしても、その声がないのだから、核兵器を開発して使うのを否定していないのだよというように考えているいるのかと、勘違いしますね。
 暑さであたまがヘンになったわけではありません。そんなことを考えさせられる8・6、8・9記念日でした。

 さてさて、訃報がありました。弘田三枝子が亡くなったとのことです。こころからご冥福を申し上げます。決して特別なファンではなかったのですが、デビュー時のあの独特なパンチのきいた歌唱は、同時代人として忘れられません。(しばらく、です・ます調に挑戦します)
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 同書は東京ラジオ歌謡を歌う会の石井久夫さんが自主出版した貴重な書籍である。
 ラジオ歌謡に関する画期的なデータブック。「ラジオ歌謡」は戦後にNHKの大阪と東京の両方の曲から放送された番組名である。だが、このデータブックでは、ラジオ歌謡に限らず「ABCホームソング」「三越ホームソング」「八大朝の歌」「夢であいましょう」「ヤンタン今月の歌」で流された曲をカバーしている。「ABCホームソング」「ヤンタン」が終了した1972(S47)年までの全曲が扱われている。
 さらにNHKがラジオ歌謡の終了につづいて放送し、現在も続いている「みんなのうた」については、平成の終りまでをリスト化している。
 研究者にとっては、垂涎の書といえる。
 総計1898曲について、作詞、作曲、歌手のすべてが一覧できる。再放送された記録もまとめられている。そればかりか、音源は残されているか、どんな賞を得たか、発表された解説は存在するか、カラオケが可能か等々の詳細な情報もはいっている。
 テレビが始まるまでの娯楽の主流の一つであったのはラジオだ。ラジオから流される歌は日本中から歓迎された。だが、現在までその全容が調査されたことがない。個別にはいろいろと局所は話題になったことはあるが、その全容を知ることはできなかったのが、この書籍で埋められたといってよい。
 この書籍の一つの特徴として、本表では、東京発と大阪発の区別が明示されていることだ。NHKもその時期の当初は東京(JOAK)と大阪(JOBK)が競っていた。朝日放送は「ABCホームソング」は有名だ。
 編者は地域的な流れの特徴、時代変化に伴う曲の特徴などをも詳細に考察している。
 どの番組についても、放送局自身が資料を押さえておらないケースがほとんどで、ファンの方々が細々と記録したり、覚えておられたりしているのを、編者はそうとうな長い期間をかけて丹念に収集して実現したものである。
 時間的な制限と壁は厳しく、当時の歌を整理するのにはおそらく現時点が最後になるかもしれない。そうした意味で、日本の大衆文化である叙情歌、童謡、唱歌等の一覧は、長く後世に残る記録といってよい。編者の気高い姿勢と意気込みについて敬意を表する。

 さて、この書籍でフランク永井はどのように登場するのであろうか。
 歌手別の索引でフランク永井の項をみると一瞥できる。

  フランク永井
   S31.11〈A〉公園の手品師/S32.7〈A〉すぐに盆だよ/
   S33.4〈A〉こいさんのラブコール/S33.8〈ラ〉アイスクリームの夜/
   S34.7〈ラ〉いつの日あえる/S34.9〈A〉鈴懸の頃/S39.3〈A〉あふれる朝の/
   S40.7〈A〉麦わら帽子の子守唄/S41.6〈八〉雨傘/S42.1〈A〉赤いバラ/
   S46.10〈A〉こいさん恋唄

 このように、11曲が登場している。有名どこは「こいさんのラブ・コール」「公園の手品師」だろう。<A>とはABCホームソングから放送されたという意味。
 この他で、レコード盤として出ているのは「鈴懸の頃」「こいさん恋唄」で、曲が発見されてCDで初リリースされたのは「すぐに盆だよ」「麦わら帽子の子守歌」「紅いバラ」だ。2009年「歌声よ永遠に~フランク永井のすべて」。
 「アイスクリームの夜」「いつの日あえる」については残念ながらラジオ歌謡関係者に楽譜が保存されているが、音源は残されていない。
 なお、索引には登場しないが、1963(S38)年にNHKみんなのうたで放送された「さあ太陽を呼んでこい」という曲がある。石原慎太郎作詞、山本直純作曲。初出はNHK放送児童合唱団が歌っている。これは2年後の再放送時は西六郷少年少女合唱団と立川澄人が歌っている。
 この歌をフランク永井は1963年にレコード発売しているが、何故か話題にのらなかったようだ。倍賞千恵子、ポニージャックス、友竹正則といった歌手のレコード発売の記録がある。つまり競作なのだが、こうした子供向けの澄んだ歌唱はいくらうまく歌っても、本道扱はされなかったものと思える。
 「八大朝の歌」で1966(S41)年6月に歌われて「雨傘」については、レコード会社に音源は残されているようだ。フランク永井作品が次に発売される際に登載されることを願うのみである。

 「戦後四半世紀電波から流されたホームソング」について興味があるかたはご一報くださればと思う。

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