1982年広島平和音楽祭でのフランク永井が歌った平和の歌の曲名は?

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 コロナ禍でイヤでも自宅滞在時間が多くなる。youtubeでフランク永井関係の情報をいろいろ見ていたら、驚くべき貴重な映像を観てしまった。それは、そこに記されている情報から判断するに、1982年開催の広島平和音楽祭(第9回)でフランク永井が歌う映像のようである。
 記録では当時地元広島テレビが放映し、全国放送は後に日本テレビ系でなされた放送の録画の一部のようである。聞いたことのない曲だ。歌詞がテロップで出ているがわからない。当時音楽祭ではオリジナルがそうとう歌われているので、きっとこの日のための曲だと思える。

 youtubeのURLは、https://youtu.be/aSHyWMJAi6Q なので、興味のある方はぜひとも訪れてみてほしい。
 歌詞は、画面の表示と重なっていて、もしかして異なる箇所があるかも知れないが、つぎのように書き起こした。何番まで歌詞があったのかは分からないが、歌唱の最後のものだ。

...
晴れた空には 悲しみがある
傷つきすぎた 僕らの時代(ひび)
飛びたつ鳥に 願いをこめて
鐘の音よ 今 海を越えていけ
駆けてゆけよ 駆けてゆけ どこまでも
やがて来る 朝のために
今は僕が 今は僕が
守ってやろう 幼な子よ
迷いつづけ 迷いつづけた日々よ
ふる返れば 悲しみが
けれど明日は けれど明日は
君達のもの 幼な子よ

 せつせつと歌うフランク永井の映像。当時番組を観た方々はどう思われたのだろうか。曲名をご存知の方がおられたら、ぜひ教えていただきたい。
 広島平和音楽祭については、美空ひばりの「一本の鉛筆」が良く知られている。このことと、1985年開催の第12回で二葉あき子が歌った「祈り舟」について当ブログで、5年前に紹介したことがある。(http://frank-m.org/bunsirou/2015/08/post-71.html)

 戦後の平和獲得に熱心で1975年(第2回)の音楽祭の実行委員長をしているフランク永井の恩師吉田正が、当時実現が難しかったレコード会社専属制の壁を越えて、コロンビアの石本美由紀と組んで作り提供したのが「祈り舟」だった。
 地球を50回も消滅する量の核兵器が世界の大国に貯蔵されている。こうした巨大規模の火器で、戦争がひとたび再発したら、人類は滅亡する。戦争をしかけた方も、しかけられた方も、大半の無関係な人も、すべてが一気に消滅する。それをそうとうバカな中央政治のリーダーでも、知らないはずがない。

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このページは、文四郎が2020年7月25日 15:17に書いたブログ記事です。

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