2020年6月アーカイブ

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 全世界の経済を「コロナ怖い」で停止するという空前の実験がなされた、と言いたくなるようなご事態。戒厳令下、自ずと自分を自分で自宅軟禁する。テレビドラマや、映画の鑑賞も増える。普段ならあまりみないyoutubeを見る機会もでてくる。というような幻覚か、錯覚かを増幅するご時世のおかげで、フランク永井が大津美子と「銀座の恋の物語」を歌うという、いままで見たことのない映像を観た。

 大津美子は誰もがご存じで「ここに幸あり」や「東京アンナ」が頭に残る。日本からハワイや南米に移住した方々がこの歌のすばらしさに日本を思い起こし、絶賛を送った。確か大津も現地に行って大歓迎を受けている。
 大津美子について忘れられないのは、恩師渡久地政信との出会いからデビューだが、これは渡久地政信の自伝「潮騒に燃えて」を読んで知ったものだ。「東京アンナ」は渡久地が大津を知りぬいてその個性を引き出した名曲だ。
 渡久地はもともとビクターだが、ヒットがないとつれなくもクビにしたくなる。渡久地はキングに行く。ちょうど古関裕而をモデルにした朝ドラで、コロンビアが売れない古関を雇うときに出した報酬は、その後のヒットの報酬の前渡しだといって、クビにしそうになるのと重なる。
 だがビクターは渡久地を放す。渡久地はキングで「お富さん」(春日八郎)「上海帰りのリル」(津村謙)と豪砲を放つ。大津の「東京アンナ」の後、ビクターに戻り、ここでもフランク永井に「俺は淋しいんだ」「夜霧に消えたチャコ」などのヒット曲を作る。
 キングを離れるときに大津は恩師と離れるわけだが、淋しさを感じたようだ。渡久地も同じだろう。

 19666年にフランク永井は大津美子とカップリングを出している。1面が大津美子の「ホステス物語」でフランク永井はB面「千花子の手紙」。いずれも渡久地政信の作曲作品。ただ、当時、これはあまり売れたとはいえない。この年は「大阪ろまん」(B面「おまえに」の第1回目)を出していて、現在代表曲になっている「おまえに」は「大阪ろまん」の裏で沈んだ感じだ。
 フランク永井ファンとしては、大津美子はこのときのジャケットをも記憶に残している。大津と言えばキングだが、このときはひとときでも渡久地のビクターに移ったのだろうか。

 youtubeの映像はいつのテレビ放送なのかはあいにく分からない。だがフランク永井は大津とひさしぶりでお会いしてのデュエットだろう。さすがに二人ともすばらしい歌唱を披露している。
 「銀座の恋の物語」は石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲で、いまでも人気の曲だ。牧村は本名はそのままの文字を書いて「みつこ」で初期の芸名もそうだったのだが、やはりそう読む人はいなかったからか「純子=じゅんこ」に変名。だが、初期の旬子にもどし「じゅんこ」と普通にもどしたようだ。
 「銀座の恋の物語」は同名の映画があるので、一気に主題歌も人気を得たのだが、実はこの歌は、裕次郎主演でその前に作られた「街から街へつむじ風」(1961年日活)の挿入歌だった。と、いつも映画でさまざまなエピソードを聞かせてくださるZさんの情報。
 この映画の1年ほど前に、フランク永井は松尾和子をデビューさせる。そのときの曲が「東京ナイト・クラブ」。そのA面は松尾のデビュー曲「グッド・ナイト」。「東京ナイト・クラブ」は押しも押されぬ大人のデュエット曲の人気定番。
 このにあやかろうと裕次郎のテイチク・スタッフが立ち上がる。作詞は大高ひさを、作曲は鏑木創。録音してすぐに売り出すのだが、譜面を裕次郎に渡してすぐに吹き込んだようだ。撮影で超多忙だったからだ。いつものように、街でその曲を聴いて「いい歌だな。だれが歌ってるんだ」と言ったかは分からないが。
 これは売り上げたレコードの数では「東京ナイト・クラブ」を抜いたかもしれない。銀座にはその立派な碑が建っている(1990年)。そこから僅か離れて、フランク永井「有楽町で逢いましょう」碑が建つ。

 かつてテレビで流されていたとはいえ、当時のことは記憶になく、フレッシュな気持ちでyoutube映像を楽しめた。そして、とりとめもないようなあれこれを思い起こしてみた次第。
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 コロナ禍で自宅で過ごす日が多かった。そこで、時間を利用して楽しんだのが「フランク永井初期ピアノ演奏集」。
 これは私製のアルバムで、作成されたのは筆者が映画の紹介でご紹介させていただいたzさん。若きころからのフランク永井大ファンで、自ら当時はよく歌われたという。カラオケなどない時代で、演奏を伴ったバーとかクラブ。そこで親しくされておられたピアニストが、フランク永井の曲を弾いたのを録音されていて、これを近年にCDにしたというもの。とんでもない貴重なものである。
 収録曲は、下記のとおりだが、時代を反映している。フランク永井は1955年にデビューしたのだが、4枚のジャズ盤はヒットせずに、腹を決めて流行歌手に方向を変える。その最初の曲が「場末のペット吹き」。1956年の10月。その後、誰もが知るようにデパート「そごう」の東京開店キャンペーンで「有楽町で逢いましょう」を歌い全国的な人気を得た。
 これで歌のうまさとフレッシュさが魅力に感じられて、出したレコードがさかのぼって大売れする。収録されている演奏曲は、まさにこのときの曲24曲。

01_場末のペット吹き 1956
02_たそがれシャンソン 1957
03_13800円 1957
04_東京午前三時 1957
05_夢がやたらに見たいのさ 1956
06_花売り娘とギター弾き 1957
07_哀愁ギター 1957
08_ひとり暮らしのサキソフォン 1957
09_泣くなサキソフォン 1957
10_夜霧の第二国道 1957
11_有楽町で逢いましょう 1957
12_からっ風の唄 1957
13_街角のギター 1957
14_追憶の女 1958
15_たそがれ酒場 1958
16_公園の手品師 1958
17_東京ダークムーン 1958
18_ここも寂しい町だった 1958
19_雨のメリケン波止場 1958
20_西銀座駅前 1958
21_夜の波紋 1958
22_哀愁の海 1958
23_夜霧の南京街 1958
24_ギターと女 1958

 zさんの所有していたこの音源は貴重だ。ファンとしての深さの度合いを感じ取れる。ピアノ演奏なので当時どんな楽譜か分からないが、さすがプロという腕を聴かせてくれる。じっくりと聴いてみる。どっと当時のことが頭をよぎっていく。知っている部分は歌詞を思い出し、口ずさんでしまう。
 何かしながら、BGMとして流してもいい。全部好きな曲だが、特に「東京午前三時」「夜霧の第二国道」「追憶の女」などはたまらない。

 youtubeなどをみていると、フランク永井の代名詞ともなっている「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」などがピアノ演奏でアップされている。「夜霧の第二国道」や「東京しぐれ」というのもあった。
 コロナ禍が話題になり、三密を避けた異様な生活スタイルが半年ほど続いている。この間にテレビ番組でフランク永井はどうだったのだろう。唯一まともに扱われた?のはこのコラムでも紹介したBS-TBS「昭和歌謡ベストテンDX」だけだったといっていい。
 ただ、ここでは本人映像がなくファンががっかりだったと書いた。だがこの番組であえて特記するならフランク永井が歌った曲数をほぼ正確に紹介していたことではなかろうか。
 CSの有料専門チャンネル「歌謡ポップスチャンネル」では月に1、2回程度フランク永井の曲が流れるよ、と知人から聞いた。だが、内容はやはり本人歌唱の映像はなく、CDの音源の放送だという。
 6月は恩師吉田正の亡くなった月だが、1921年1月20日が誕生日なので、今年は記念すべき生誕百周年となる。コロナ禍であいにく催しの見通しがたたないものと思われる。コロナ禍を去った後にフランク永井+吉田正で、明るい記念の何かが登場するのを期待したと願っている。

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 最近に「フランク永井ヒット歌集」なるLPを入手した。フランク永井のLPは基本的にすべて手元にあるのだが、ジャケット写真が気になり、もしかして私の資料にない未発掘のものだろうかという期待もあった。収録曲に未発見があるという期待は端からなかったので、曲にも新発見は期待していなかった。ちょっと道楽としていかがなものか、と自分でも思いつつ購入したのだった。
 ジャケット写真というのは、何年か前に当ブログで紹介したことがある「霧子のタンゴ」なる台湾版のLPだ。並べてみればデザインが同じ。この写真を使った日本版のLPは知らないので、もしかして元になった日本版のLPがあるのではないのかという思いもあり、確かめたかった。
 製品を手にしてよく見たら、何とこれも台湾製だった。まあ、別の表現をすれば著作権違反の海賊版。いや、断言はしかねるのだが、怪しいには違いない。

 収録されている曲は次の通り。
  01_有楽町で逢いましょう
  02_夜霧の第二国道
  03_俺は淋しいんだ
  04_淋しい街
  05_誰よりも君を愛す
  06_霧子のタンゴ
  07_誰を愛して
  08_こいさんのラブ・コール
  09_林檎ッコ
  10_アコちゃん

 盤面にはLLP-107-高級豪華版 特殊録音 フランク永井ヒット歌集 品出社版片唱鳳龍
 中国語は分からないが、版権は得ているのだよと読めそうな表記もある。版には60年2月出版と書かれている。えっ、このリリース年は西暦と判断するが、違うのだろうか。台湾は1949年に大陸が国家宣言。台湾に逃れた蒋介石がやはり中国を名乗るという経緯があったが、台湾独自の年号が採用されているというのは聴いたことがない。
 年代を気にしたのは「誰を愛して」は1964年。「アコちゃん」は1965年のリリースだから、1960年2月にはまだ世に出ていないからだ。
 この盤の裏面に歌詞が印刷されているが、ここに日本の流行歌を全8枚のLPでだしているのだ、という意味合いにとれる広告がでている。
 美空ひばり3枚、春日八郎、三橋美智也、神戸一郎、フランク永井(当盤)、小林旭だ。なかなか楽しそうだ。曲名は日本語だけ、日本語と中国語だが、神戸一郎は中国語だけで、判読できない。
 以前に紹介したもう一枚も見てみよう。どう見ても版元は同じに見受けられるのだが「ポパイ・レコード」といったように見える。PP-2058-最新立体録音決定版~フランク永井傑作集~で、ジャケットには「魅惑の低音フランク永井の傑作集~霧子のタンゴ~」、いつまでの心に懐かしいあの唄この唄、と記載されている。リリースは、60年5月とある。

  01_有楽町で逢いましょう
  02_霧子のタンゴ
  03_羽田発7時50分
  04_湯島の白梅
  05_東京午前三時
  06_真白き富士の嶺
  07_誰よりも君を愛す
  08_落葉しぐれ
  09_夜霧の第二国道
  10_俺は淋しいんだ
  11_冷いキッス
  12_東京カチート

 この盤も怪しいのは上記と同じで「誰よりも君を愛す」「落葉しぐれ」は、1969年に「吉田メロディーを唄う」で初めて発表した曲。これが先の同様、正式なライセンス・レコード盤ならば、インチキを匂わす表記は不要なはず。
 インチキ臭ければ臭いほど、そこに強烈な魅力があって売れるということで、次から次と臭さを編み出して売っていたのだろうか。てなことは、ないですね。
 だが、当時レコード会社自身の外国資本との関係とかで海外に出すのは極めて困難だったようだ。基本的には許可はおりない。おのずと台湾や韓国では海賊版が作られる。密かに作ってはパッと売り切って逃げる。皆が忘れたころを狙って、また別の装いで同じことをやる。人気を知る人は、密かにそれを待ち、素早く購入して、楽しむという社会事情がうかがえる。
 だから、日本の歌のうまい歌手は、誰も宣伝しなくても大衆の間にはまたたくまに広まる。これが、現在に至るまでフランク永井の人気を支えたベースになっている。台湾でのフランク永井人気は、たびたび紹介してきたことだが「捨てられた街」というのが大人気のようだ。
 1959年の「魅惑の低音第3集」にだけ収録されている作品。清水みのる作詞、平川浪竜作曲の曲だがが、そのメロディーと「捨てられた名」という曲名が魅力になっているのだろう。前半の盤にもある「淋しい街」もそうだが、台湾は同じ中国でありながら、大国の思惑に翻弄された歴史を持つ。
 そのようなちょっぴり悲しいイメージもあるが、明るい台湾では現在は堂々と各所で、フランク永井の残した曲を生き生きと演奏し、歌って、楽しんでいる。ある意味、日本以上で、うらやましくもある。
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 前々回の続きのようなもので、映画の話。しかも渡哲也主演のヤクザ映画シリーズのことなので、任意にパスしていっこうにかまわない話。
 「殺せ(バラせ)」は、無頼シリーズの第6弾とのこと。例によって、今は女優界の重鎮でもある松原智恵子が初々しく登場する。ストーリィは特に紹介しても仕方ないので触れない。が、一時期西部劇映画の亜流というか変形というかで、マカロニ・ウエスタンというのがあった。テーマは勧善懲悪に近いのだが、とにかくドライ。それだけに、残忍なシーン、むごいシーンが遠慮なく登場する。
 それに勝るとも劣らないのが日本のヤクザ映画だ。映画会社によって、やや傾向が異なるようだが、殺しのシーンはすざまじい。これは、きれいごとばかりが横臥する「現在」ではムリ。よくぞ、当時ここまで描いたものだと、妙に感心。主人公はどっぷりとその世界に漬かり、抗争で何人ものヤクザをバラしてきた。だが、映画でのスジは、若いものがその世界に足を突っ込み、鉄砲玉で犠牲になるのを嫌う。まっとうな社会で長生きしてほしいと望む(が、たいていは「アニキ!」と渡を慕いながらバラされていく)。
 自分を世話した先輩や少しでも恩義を感じるものには、身体を張って恩に挑むという正義(どこが!?)漢。初心な松原智恵子が好きになるような。。。
 映画後半で、義理を貫き、先輩をバラした抗争相手の汚いボスらをバラす。この山場のシーンにかぶさるのが、主題の麻生レミが歌う「君恋し」。実はこのシーンは十数年前にYouTubeを観て知っていた。フランク永井の歌った楽曲を追っていたときに発見したものだ。麻生レミは存じ上げないが、ロック歌手で、内田裕也とも組んで活躍していたとも聞く。
 映画では、バラされるヤクザのボスがディスコのようなところに行く。激しくウルさいバンドが耳障りで、店のオーナーに「懐メロをやれ」と命じる。そこで、ロック風の「君恋し」が歌われるという設定だ。
 映画挿入歌として、この場面で「君恋し」というのは、私には理解に苦しむが、聖作サイドにはちゃんとした設定があったのかもしれない。
 麻生は日活映画の挿入歌に相当関与していたようで、その後CDアルバムを出している。
 さて、今回話題として取り上げたのは、前回と同様映画でお世話になったWさんから、無頼シリーズのすべてを見せていただいたことによる。大変感謝を表したい。ご存知のように、日活も東映もヤクザ・任侠映画の全盛を築いたが、時代の流れとともに終りを迎えた。人気を博した主人公を演じた渡哲也は、石原裕次郎の西部警察シリーズとかに足場を移動していく。
 その渡が2011年、TBSシアターで「帰郷」に主演している。流れで、この映像もWさんに紹介されて鑑賞した。

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