「夜霧に消えたチャコ」を渡哲也主演映画「無頼無情」で歌う藤江リカ

| コメント(0) | トラックバック(0)
mx20200516.jpg

 前回に引き続き、今回も映画のお話。1968年封切りの「無頼無情」という作品。渡哲也主演、松原智恵子が恋人?役で登場する、きわめて荒っぽいヤクザ映画。この映画を教えてくださったのは、前回と同じWさん。この映画の後半の乱闘シーンで、藤江リカが「夜霧に消えたチャコ」を歌っているぞと。
 やくざ映画は置いといても、フランク永井の放った歌が映画で使われているというのは逃せない。Wさんからお借りして早速に観てみた次第。
 「夜霧に消えたチャコ」が映画の挿入歌で使われているというのは、別項で若山富三郎の「現代やくざ与太者の掟」を紹介したことがある。それに続く新発見ということで期待いっぱいで鑑賞。
 今回は藤江リカという女優が歌っている。そう、女性が歌うというのは珍しいし、どう歌いこなすのかというのも期待だ。
 実はWさんの紹介がなければ、わたしは観ることはなかった映画。渡哲也が主演で活躍する、映画のなかの、ヤクザの世界でだが。確かにあの時期、純情シリーズで走る日活もそうだが、東映も他の映画会社もやくざモノは大量に作られた。ほぼ切りがないほどだ。後にこの分野はすたれる。洋画でも「ゴッド・ファーザー」とかともかく映画でのヤクザやギャングの活躍はめざましく、その世界を全く無縁で生きてきた?人たちも、これでその世界を知ったものだった。
 それが「反社会組織」のレッテルが張られて、自主的に退陣していく。後の社会派、あるいはロマンス派、喜劇派の人気俳優でも、この時期みなヤクザ映画にひっぱりだこだった。高倉健、菅原文太、裕次郎、小林旭、鶴田浩二モロモロ。昭和歌謡の大御所美空ひばりは、山口組の岡田会長を慕い用心棒?のように離れずだった。いくらマスコミや社会から非難されても、旗はさげなかった。
 映画でもそうだが暴力団とひとくくりにして反社会勢力と決めつけて排除に走るが、誰ものイメージするような悪事をするものと、あくまで任侠でいくという勢力がある。後者は社会(お上)が見捨てた民の存在を、黙って救い上げてその世界を作っているという側面があると言われた。
 映画ではその人情、義理にスジを貫くという主人公の心意気が強調される。それを通すためなら情け容赦ない、という姿が、映画館に足を運ぶ人の心を揺さぶる。殴り合いとかドスでの切りあいとかは、チャンバラものと同じで愛嬌として必ず登場する。映画を観る人の印象に残るのは、この惨殺シーンではない。やはりスジを貫く精神と、ケンカでの強さだ。
 主人公はときには卑劣な敵と遭遇し、騙され、裏切られ、痛い目にあう。ときには死の直前までの痛手も追う。兄貴と慕う子分が無残に犠牲になる。そのけじめは絶対つけるのだと主人公は決意し、死を覚悟で敵陣に切り込む。。。。
 映画を観ていて、主人公に心を奪われていく。洋画でもそうだが、主人公はギャングであったり、群れを嫌う大泥棒であったりするのだが、観ていて、いつの間にか、主人公に同情したり、うっかり応援したりしてみう。まして、純情無垢そうな松原智恵子のような人が必死に寄り添おうとするのをみると、悲壮な結果は眼に見えていても、心情が寄っていく。
 つまり、平常心を失い、その場での感情の盛り上がりに誘導されてしまう。どろぼうでもヤクザでも、いつの間にか支持、応援、賛美する気持ちが誘発されて、それを制御できない自分がいる。
 エンターテインメントの本質的な機能なのだ。
 現在進行形の新型コロナ禍にも、同じような現象が感じられる。連日お上は新型コロナの恐ろしさを訴える。とにかく家にいる(ステイホーム)が推奨される。感染者数の報道がなされるたびに、びくびくする。医療崩壊となったらそれこそ終りになるとして、自分はどうかなと思っても病院は受け付けてくれない。検査もしてくれない、というのだから異様だ。
 このお上とマスコミの報道は強烈で、世界的な経済活動の歴史上かつてない停止が成されている。
 だが待てよ。インフルでもなんでも病気は患者の数とか死者の数やその詳細が報じられる価値があるのに、分母としての検査数を超えることがありえない感染者数がこれでもかと報じられる。何か違うのではないか。これは、映画と同じで、人びとに植え付けるパニックという恐怖心が蔓延状態にあって、人間が生理的に反応する思考の委縮(緊張すると欠陥が委縮して血流が悪くなり、思考が浅くなり、提示されるのをたやすく受け入れる傾向が生じる)が、起こっているのではないのか。
 私は直接経験していないが、戦争がまさに、同じだったのではないのかなと。
 この映画を観ていろいろと考えさせられるものがあった。
 さて、対立するヤクザ組織との最終的な大決戦という乱闘シーン。それに「夜霧に消えたチャコ」の切ない歌が重なる。何か、妙に、心情に重なるものを感じる。他の人の話によれば、ここで切々と歌う藤江リカの実際の歌唱ではなく、どなたかが歌ったものでアテレコだというが、実際はどうだったのか。おそらく、映画の製作に直接携わったひとでなければ、もう分からない。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://frank-m.org/mt-new/mt-tb.cgi/625

コメントする

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、文四郎が2020年5月16日 18:24に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「フランク永井が主題歌を歌う映画「大阪野郎」がCS「衛星劇場」で放映」です。

次のブログ記事は「Amazon Music でフランク永井を聞いてみた」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。