フランク永井が主題歌を歌う映画「大阪野郎」がCS「衛星劇場」で放映

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 フランク永井が出演あるいは主題歌を歌う映画について、私が確認しているものを順次ここで紹介してきた。23本あった。さらに映画の場面でフランク永井の歌を歌う2本。
 これで全部だろうかと思っていた矢先、映画を取り上げるたびに資料や貴重なエピソードを紹介してくださったWさんが、またまた情報を寄せていただいた。
 それはフランク永井の歌った「大阪野郎」の、松竹制作映画がCS「衛星劇場」で放映されるという情報。さっそくにその録画を鑑賞させていただいた次第。
 「大阪野郎」については、その作曲家斎藤超についてこのコラムで取り上げさせていただいたことがある。いままで見たこともない、溝が内側から外側へというSPレコードについてであった。
 「大阪野郎」は関西地方のテレビドラマとして放映されたということは承知していた。主題歌は当然フランク永井の歌唱だ。それが映画まであるとは知らなかった。そうなれば、どんなポスターだったのかとか、どんな映画なのか知りたいのは当然。期待を膨らませて、鑑賞させていただいた。
 1961年、松竹、92分、モノクロ。どうも出演者はテレビとは異なるようだ。今では知らない人も多いかと思うが、主演は当時人気の大木実で、共演者は例によってすごい。若い伴淳三郎、藤山寛美、浪花千栄子、曽我廼家明蝶といった面々だ。当時は映画やドラマで大活躍した俳優陣だ。
 映画内容は「娯楽現代劇」という当時の紹介なのだが、テーマは実に重く暗い。それを喜劇役者たちが、笑いとペーソスで色を付けているのだが、当時の社会のほとんどありのままといえるような一面をズバッと切り込んだものだ。
 戦争が終わって15年後のもの。米軍機がときどき轟音で空を横切る。女子を売る、買う、いたぶる。薬漬けに性病といったテーマが隠さずでてくる。それに妹をさらわれて失った主人公(佐多=大木実)が、探しに通天閣の周辺に出ていく設定だ。終末も悲しい。社会的テーマの深い作品と感じた。
 1961年松竹 劇場公開日 1961年5月9日
 監督:大曾根辰保 /原作:椎名竜治 /脚本:本山大生
 衛星劇場のこの映画についての説明でも触れているが、当時放送されていたテレビドラマの人気から、別のスタッフで映画化に及んだとのこと。テレビで連続ドラマが放送されていたとのことだが、私にはまったくその実態を知らない。ネットで探してもなかなか詳細は分からないのだが、ずいぶん前にサイトから得た内容がコピーで保存されていた。それを記録として、そのまま下記に紹介しておきたい。
 キー局はYTVで毎週火曜日22:30-23:15。1960/04/05~1961/09/26に26回放送されていた。出演者は中村扇雀(2代目)、(中村鴈治郎(3代目)、坂田藤十郎(4代目)、扇千景、入川保則、遠藤太津朗、伊吹友木子、江並隆、松居茂美、海老江寛、園佳也子、淡島千景、浪花千栄子といった豪華なもの。もちろん主題歌はフランク永井で、以前に紹介した珍SPはここで使用されたものと思える。七ふく製薬の提供。
 テレビドラマの放送が開始されたときの、今では考えられないようなエピソードが記されていて貴重だ。脚本家藤本義一とのからみなどの謎が紹介されている。
 【バイタリティあふれる浪花男の心意気をドヤ街を舞台に、痛快に描く根性もの。
 宝塚映画出身の荻野慶人が手がけたヒット番組。荻野のテレビ移籍に協力しようと主演の中村扇雀・扇千景夫妻をはじめ宝塚映画での常連出演者(淡島千景、浪花千栄子、万代峯子)が出演を快諾した。
 1961年には本作を下敷きに映画化もされた。宝塚映画から讀賣テレビに移籍した荻野慶人の代表作といえる作品だが制作時は苦労の連続だったという。
 「希望を持ってテレビ界に飛び込んだものの、初期のテレビ界は全盛の映画に比較すると「月とスッポン」ほどの差があった。ドラマを作るにしても、まず役者は揃わない、映画人のテレビ出演など考えられなかった時代だ。
 三十分のドラマはカットなしの生本番、生放送である。ワンカット、ワンカットで撮影し、作り上げていく映画と大違いの作業に荻野は戸惑ったものである。荻野の代表作ともいえる『大阪野郎』の放送の時であった。
 彼が探してきた個性の強い悪役の天王寺虎之助という性格俳優がレギュラーで出演していた。彼の役柄は敗戦後のブラックマーケットに暗躍する極悪非道の敵役。
 ある回のラストシーン近くで、せりふを忘れた天王寺、一瞬呆然とした挙句に照れ臭そうにニコリと笑ってしまったのである。生放送ではないにしても、撮り直しということになるとファーストシーンから全部やり直すことになる。
 だが、予算面を考えてもそれは不可能なことだ。苦境に立たされた荻野が考えたことは、それは次回から彼の役の設定はすべてを変えるということであった。これならば決定的なミスとはならない。
 早速、シナリオライターと相談した。その結果、次回から天王寺の役柄を極悪非道は仮の姿、実は根っからの善玉と性格設定を変更してしまったのである。
 今にして思えばずいぶんと無茶な話だが、草創期のテレビ界にはたくさんあった失敗談の一つなのである。
 このおかげで、下積みの長かった敵役専門の天王寺が大阪もののドラマの人気脇役スターになったのだから運とは不思議なものである。《この項、伊東弘祐著「ブラウン管の仕掛人たち」(1983年、日之出出版刊)より引用》」
 なお、2003年に刊行された志賀信夫著「映像の先駆者125人の肖像」(日本放送出版協会刊)によれば、演出の荻野慶人は「(同じ宝塚映画で活躍していた)同い年の藤本義一のところに相談に行ったが、藤本は多忙きわまりなく、日本テレビでの研修でドラマ制作のアドバイザーだった若尾初男プロデューサーの紹介で知り合ったシナリオライターの椎名竜治と組んで、1960年『大阪野郎』の演出を受け持った」と記述されており、本作に藤本義一は脚本として関与していない可能性が高い。(一時期、当データベースは本作の脚本を藤本義一と椎名竜治の連名で明記していた時期があり、その時期に雑誌「上方芸能」(2013年6月号)が「藤本義一の仕事」の特集で藤本義一の年譜を作成、掲載。そのリストに本作が藤本義一作品として掲載されてしまった。
 その後、このリストがネット上に転用されて藤本義一作品リストとなっている)本作に引きつづき、第二部「原色の街」が放送された。
 一部資料では放送開始を1959/04/05と記載しているが誤り】
(引用:http://hccweb1.bai.ne.jp/kakinoki/epi/tv/link2/osakayarou.html)

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このページは、文四郎が2020年5月13日 09:17に書いたブログ記事です。

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