追悼! フランク永井実姉永井美根子さん

| コメント(1) | トラックバック(0)
mx20200307.jpg

 フランク永井の実姉の永井美根子さんが2月27日に亡くなられた。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 3月5日に告別式が厳粛に行われた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」や「おまえに」が式場に特別設置されたコーナーで静かにオルガン演奏されて見送られた。フランク永井と同じ場所で安らかなこれからの世に旅立った。
 1985年にフランク永井のあの不幸な事故があったのちの長い闘病、リハビリを美根子さんは一人で負ってこられた。フランク永井が永眠したのは2008年。この間、特に当初はパパラッチのような芸能記者が、ありもしないことを書きたてて、家族やレコード会社やファンに多大な迷惑をかけた。そうした理不尽な迫害にちかい火の粉を一手に受けて立ったのが美根子さんだった。黙々としてフランク永井の病床で耐えしのんだのだった。
 文四郎的にはフランク永井のファンのひとりとして、その姿を察した時に、ひとことでも労えたらという思いだった。
 フランク永井へのマスコミの異常で奇妙な長い偏見の封印が解かれたのは、2007年にNHKBSが「昭和歌謡黄金時代~フランク永井/松尾和子」を放送したときだ。フランク永井についての過去の眼鏡を一切捨てて、あたりまえの扱いをした。まさに昭和歌謡の黄金時代の一角を飾った実績を正当に評価したことで、ファンから絶大な拍手が贈られた。
 とどめは2009年に同じくNHKBSで放送された「歌伝説~フランク永井の世界」。フランク永井の残した実績を余すところなく、的確にとりまとめた映像作品となった。
 文四郎が編纂した「フランク永井・魅惑の低音のすべて」は2010年の発行だが、実は上記のNHKBSの映像作品と深く関与している。多くのファンが支援した。その過程でフランク永井の資料集としてのデータブックの発刊をすすめられたのだ。内容はすでの完成していたのだが、データブックはすべてがフランク永井が所属するレコード会社のもので、著作権者の許可が必要。仮に許可を得られても、膨大な量を扱っているだけにその費用もけたはずれになることから、最初から出版は断念していたものだ。
 そのときに相談だけでもしてみたらと背を押されて話をさせて得いただいた次第。レコード会社も当時の親族である美根子さんも内容を絶賛してくださり、出版のめどをたてていただいたという、実に忘れがたいことだった。このときに美根子さんにお会いして、直接思いを伝えることができた。こちらのうかつなことや安易なことには、容赦ないお叱りをしてくださり、出版に至ったものだった。
 そしてこの出版は思いもかけず、同年の「雑学大賞」の栄誉を受けた。また朝日新聞の「顔」欄で取り上げてくださった。そんなことから文四郎の実に恥ずかしい顔が写真で全国に知れてしまった。また、NHKおはようニッポンでフランク永井ファンとして幾度か出されてしまった。
 まあ、そんなことはどうでも、3月はフランク永井の誕生月。美根子さんも誕生月で、まもなく94歳になるところでした。美根子さんとは幾度かお会いする機会があり、フランク永井のさまざまなエピソードをきかせていただいた。そして体調が復帰されればまたお会いしようと話していただけに、今回の訃報はたいへん残念な思い。天国で再びフランク永井と一緒になり、やすらかな会話をしておられると思うだけである。合掌!

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://frank-m.org/mt-new/mt-tb.cgi/617

コメント(1)

文四郎様

美根子さんの訃報には大変ショックを受けました。

でもこうして、文四郎さんに追悼文を書いていただいたことに美根子さんは「恥ずかしいわね!」と言いながらも優しく微笑んでいらっしゃると思います。

病床についたフランクさんをいつも励まし、見守り、看取った美根子さんは本当に素晴らしい方でした。私にとって、フランクさんを語るとき、いつも美根子さんがそばにいらっしゃいましたから...

今頃、美根子さんは、フランクさんにその後の経過報告を張りのある、響く声でなさっていると思います。
ニコニコしながら話すお二人の姿が浮かんでいる私です。

kyoko

コメントする

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、文四郎が2020年3月 7日 12:39に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「五木ひろしが歌う「公園の手品師」はいかがだろうか」です。

次のブログ記事は「笑顔のフランク永井テレビ映像、1982年「歌のアイドル90分~不滅の歌謡演歌ベスト20」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。