笑顔のフランク永井テレビ映像、1982年「歌のアイドル90分~不滅の歌謡演歌ベスト20」

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 「歌のアイドル90分~不滅の歌謡演歌ベスト20」という、40年度ほど前のテレビ番組の映像をyoutubeでみた。
 司会は徳光和夫で若い。守屋浩「僕はないちっち」、三浦洸一「落葉しぐれ」。続いて佐賀観光ホテルでディナーショーをやっている最中のフランク永井に中継を移す。ここで現場司会の宮尾すすむに。「おまえに」をフランクスナインの演奏で。そこで現地のお客さんからのリクエストということで、並木路子「リンゴの唄」。歌手が歌手にリクエストというややくさい演出で、フランク永井がスタジオの松尾和子に「再会」を。「今週のドキュメント」コーナーで、コロンビア・ローズ「東京のバス・ガール」。平尾昌晃「星がなんでも知っている」の歌唱が楽しめた。
 その映像は恐らく2時間とかの特番だったのであろうが、上記のように7曲で終わっている。影像の背景には、青木光一、二葉百合子、三波春夫、三橋美智也、島倉千代子、菅原都々子、藤島桓夫、小松みどり、松山恵子、畠山みどりらそうそうたる多くの歌手が控えているのがわかる。
 1982といえば、舞台を降りる3年前で、山下達郎と組んで「Woman」を出した年だ。番組映像をみると、忙しそうに全国をかけめぐっているのがわかる。スタジオと佐賀をつないだ会話によれば、盟友松尾和子とは幾日かわずか前にも一緒に一緒に歌を歌っているようだ。同年前後は新譜レコードはわずか数曲しかだしていない。アルバムもそうだ。「有楽町で逢いましょう」が世に出た後のすざましい勢い、年間のシングル38曲にアルバムが5~7枚というときと比べたら余裕がありそうな時期だった。
 だがそれでも映像では元気で各所での公演をこなしていたのだろうことがわかる。
 それからおよそ40年、テレビの世界も多変わりしたといってよい。まずチャンネル数が大幅に増えた。地上局でもそうだが、有線テレビ、衛星テレビ、それがBSだCSだとあり、それも
4Kだ8Kだというのだから、もはや数えきれない。有料という制度もそうだ。そればかりか、スポーツ、映画、時代劇、歌謡曲...と専門チャンネルというのが競っている。
 歌謡曲番組、音楽番組も数えられないほどある。一時はどんなものかとなるべく観るようにしていたのだが、最近はあまり観ていない。フランク永井がでないとつまらない、と言ってしまえば、なんという奴だ怒られそうだが、聴いていてのらない、悪く言えばつまらないのだ。演出が過剰気味でついていけないとか、若い人たちの多くの歌がりかいできないとか。
 さらに言えば、歌手は歌を聴いていてうまい!いい!とうなずけないほど、ヘソが曲がり切ってしまったのかもしれない。これは!と感動を受けて、よしこれCD買うかダウンロードを申し込もうという気がほとんど起こらないのだ。アンタの感性が退化したんだよ!と言われるかもしれないけど。
 そこで、表記の番組映像だが、面白い。歌も知っているものばかりで、歌手ご本人の大ヒット曲ばかり。彼らのCDはほぼ持っているが、映像で今どきはなかなか見れないものばかりだ。特に当時も珍しかったのは最初に登場の守屋浩ではなかろうか。浜口庫之助と組んだヒット作品が多数あった。「僕はないちっち」をはじめ当時の私ら中高生の時代には多くのファンがいた。しばらくテレビから姿を消していたのだ。どうしたんだろうと思ったものだ。オーストラリアに行っていたとか、本間千代子という当時のアイドル歌手(?)と結婚したとか、何々という歌は宜しくないとのことで、放送コードにひっかかったとか。それが元気に出場して、懐かしい歌を歌ってくれた。
 何か、ロートルの回顧主義という完全にひとりよがりな別世界に迷い込んだようなので、ここまでとしたい。懐かしい映像を見せてくださった方に感謝をこめて。

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このページは、文四郎が2020年3月14日 14:55に書いたブログ記事です。

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