2020年3月アーカイブ

mx20200328.jpg

 宮城まり子が亡くなられた。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 宮城まり子といえば、1968(S43)年に日本で初めての肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立したこと、その運営に生涯をかけたことだ。だが、その宮城が圧倒的なワパーで名を全国に馳せたのは1955(S30)年に出したレコード「ガード下の靴みがき」。この歌の強力な印象は永遠に消えない。
 歌詞はフランク永井にも「夜霧の第二国道」など多数の作品を提供した宮川哲夫だ。作曲は利根一郎。この歌は当時耳にした世代のものの心を揺さぶった。戦争という悪魔のような出来事が残した爪あとを描写しているからだ。戦後、荒廃した都市の復興に必死だったとき、宮城の歌声は聴く人のこころに深くしみた。
 いつ聴いても涙をそそう。同じビクターの暁テル子が「東京シューシャイン・ボーイ」を歌っている。詞は井田誠一。曲は「有楽町で逢いましょう」の編曲者の佐野雅美(鋤)で、戦時中は東南アジアに軍務で行きさまざまな悲惨を経験した人。だが現地で親しまれて歌われている曲を採譜したり、戦争の中の明るさを求めている。この曲も東京の靴みがきの明るさに焦点をあてている。
 宮城の方はビクターでそれを出す前に「毒消しゃいらんかね」というインパクトのある歌を出している。楠トシエが歌った印象もあるがレコードは宮城のために用意された宮城のもの。宮城は「ガード下の靴みがき」を歌い、この経験が人生をねむの木学園に向けさせたという。歌手として、映画俳優としてしばらく活躍するが、芸能活動から離れる。事業に全力投球するためだ。
 宮城は施設を学びの場と位置づけ、情感豊かな人間性を育成をめざした。けっしてただの私設ではない。音楽、絵画、踊り、茶道...などの取り組みをとりいれ、多種多様な才能を見出し、引き出し、個性豊かな人への成長をめざした。
 ここで育った人たちはのびのびと育ち、多数の成果を示した。
 当時、菊田一夫のNHKラジオドラマ「鐘が鳴る丘」が人気になる。これは町にあふれる戦争孤児の話だが、まさに直接的な戦争の犠牲者で同じテーマ。菊田は宮城を実際に見出した人でもある。ちなみに来週からはじまるNHK朝ドラ「エール」の主人公のモデルである古関裕而は菊田と組んで戦後多数の歌を作った。
 宮城がねむの木学園の成長に生涯をかけた。だがさまざまな話題があった。この偉大な活動は社会的にさまざまなハンデキャップがある人たちへの、信頼と奉仕でなりたっている。しかし社会の悪の繁栄として、スキがあれば詐欺師が目ざとく侵入してきて荒らす。金銭的な被害がでた。このようなたかりは人間として許されない。
 さて、フランク永井も同じ時代に同じようにデビューし、その世界で活躍した。1957(S32)年「哀愁ギター」のB面を宮城まり子が「夢見るワルツ」を歌っている。宮城が歌手時代の貴重なカップリング盤だ。ときどき聴いては当時を思い出している。
 現在、新たな「戦争」のような事態が進行中だ。新型コロナウイルスの感染者が全世界を覆っている。武力による戦争の時代から目に見えないウイルス(放射能もそうだが)との戦争だ。それだけに恐怖は大きい。ここで紹介した歌は、本来持つ人びとの協力と連携、信頼での勇気ある対応を歌っている。けっして詐欺の横行や足の引っ張り合いではない。買い占めとかが自分のまわりで起こっているのをみると、それは逆だろう!と叫びたくなる。人としての大事なことを、思い起こして、対応していきたいと思う。
mx20200321.jpg

 フランク永井は「魅惑の低音」をほしいままにした昭和歌謡の大歌手だが、恩師吉田正とともにその分野を切り開いた都会派ムード歌謡。このジャンルでの歌は数多く誰もがみとめるところなのだが、それを裏付けているのは歌唱力。
 その歌唱力は他の歌手のヒット曲を歌うカバーのうまさにあらわれるのだが、やはり曲の分野の広さをも誇ることになる。フランク永井の本道はおいておいても、横道の魅力についても紹介してみたい。今回は叙情歌。
 最初は写真のようなオムニバス盤のかたちで、1960年代初めから小出しに歌ってきた。民謡だったり、子供向けの歌だったり、時代的に流行したロシア民謡だったり。本格的にまとめたのは1966(S41)年の「あなたに贈る幼き日の歌」。
 曲目は下記の12曲で、全曲一ノ瀬義孝による。
  01_月の砂漠  02_叱られて  03_七つの子  04_あの町この町  05_浜千鳥
   06_赤い靴  07_赤とんぼ  08_砂山  09_カナリヤ  10_雨  11_故郷  12_花嫁人形
 叙情歌は日本語の歌詞にそのイントネーションと意味合いに合致して作られたメロディーが特徴。そして歌詞が人の素直な気持ちや花月風鳥とか自然の移り変わりの美しさを表現した、いわゆる普遍的なものが多い。
 結果として戦後の軍国主義とか思想とか失恋とか暴力とか、つまりフランク永井の得意とする失恋や別れとかのテーマには触れない。子供や女性にもやさしい。多くは小学校でもよく教えられた曲だ。だから一定の年齢の方々なら、たいてい知っている曲だ。
 さすがフランク永井の歌唱で、意外にも彼の歌声はこの分野でも十分に歓迎されるように思う。
 トラック10の「雨」は、このLPでしか聴けない貴重な曲。

 フランク永井のこの分野への大きな挑戦はもう一度ある。それは1973(S49)年に発売した「いのち短しこいせよ少女(おとめ)」である。恩師吉田正がもっとも敬愛する先輩としてあげた中山晋平の歌12曲を収めたものだ。全曲三保啓太郎が編曲している。
   01_ゴンドラの唄 02_さすらいの唄  03_山の唄 04_カチューシャの唄 
    05_燃える御神火  06_旅人の唄 07_船頭小唄 08_鉾をおさめて 09_東京行進曲 
    10_波浮の港  11_曽根崎夜曲  12_砂山
 こちらも、聴けば情緒が伝わってくる。「燃える御神火」「旅人の唄」「鉾をおさめて」「東京行進曲」「曽根崎夜曲」はこの盤だけで楽しめるものだ。

 フランク永井がこの叙情歌の分野で他にも歌っているが、それを収めたのは1975S(50)年に歌手生活20周年として作られた10巻大全集の第8巻。
  01_ゴンドラの唄  02_カチューシャの唄  03_船頭小唄  04_波浮の港 
  05_城ヶ島の雨  06_さすらいの唄  07_月の砂漠  08_叱られて  09_七つの子 
  10_あの町この町  11_赤とんぼ 12_花嫁人形  13_砂山
 確かにダブりは多いが「城ヶ島の雨」はこの大全集で聴くことができる。
 ビクター・ファミリー・クラブという通信販売の事業体があり、そこから企画商品として「KVF-2301~5-忘れ得ぬ歌・心の歌」(盤IDはメディアや発売元によってVFC-7101~~、VFX-~と異なる)が、1973年に出ている。内容はオムニバス形式でビクターが誇る歌手陣が歌っている。テープ版は100曲だがLP版は同じ10巻でも数十曲多い。ここでフランク永井「あの町子の町」「ゴンドラの唄」などすでに上記で紹介されているものの他に「琵琶湖周航の歌」を歌っている。
 「琵琶湖周航の歌」は1971(S46)年に同名のアルバムを出していて、そこに含まれてはいるが、この盤はカバー集。
mx20200314.jpg

 「歌のアイドル90分~不滅の歌謡演歌ベスト20」という、40年度ほど前のテレビ番組の映像をyoutubeでみた。
 司会は徳光和夫で若い。守屋浩「僕はないちっち」、三浦洸一「落葉しぐれ」。続いて佐賀観光ホテルでディナーショーをやっている最中のフランク永井に中継を移す。ここで現場司会の宮尾すすむに。「おまえに」をフランクスナインの演奏で。そこで現地のお客さんからのリクエストということで、並木路子「リンゴの唄」。歌手が歌手にリクエストというややくさい演出で、フランク永井がスタジオの松尾和子に「再会」を。「今週のドキュメント」コーナーで、コロンビア・ローズ「東京のバス・ガール」。平尾昌晃「星がなんでも知っている」の歌唱が楽しめた。
 その映像は恐らく2時間とかの特番だったのであろうが、上記のように7曲で終わっている。影像の背景には、青木光一、二葉百合子、三波春夫、三橋美智也、島倉千代子、菅原都々子、藤島桓夫、小松みどり、松山恵子、畠山みどりらそうそうたる多くの歌手が控えているのがわかる。
 1982といえば、舞台を降りる3年前で、山下達郎と組んで「Woman」を出した年だ。番組映像をみると、忙しそうに全国をかけめぐっているのがわかる。スタジオと佐賀をつないだ会話によれば、盟友松尾和子とは幾日かわずか前にも一緒に一緒に歌を歌っているようだ。同年前後は新譜レコードはわずか数曲しかだしていない。アルバムもそうだ。「有楽町で逢いましょう」が世に出た後のすざましい勢い、年間のシングル38曲にアルバムが5~7枚というときと比べたら余裕がありそうな時期だった。
 だがそれでも映像では元気で各所での公演をこなしていたのだろうことがわかる。
 それからおよそ40年、テレビの世界も多変わりしたといってよい。まずチャンネル数が大幅に増えた。地上局でもそうだが、有線テレビ、衛星テレビ、それがBSだCSだとあり、それも
4Kだ8Kだというのだから、もはや数えきれない。有料という制度もそうだ。そればかりか、スポーツ、映画、時代劇、歌謡曲...と専門チャンネルというのが競っている。
 歌謡曲番組、音楽番組も数えられないほどある。一時はどんなものかとなるべく観るようにしていたのだが、最近はあまり観ていない。フランク永井がでないとつまらない、と言ってしまえば、なんという奴だ怒られそうだが、聴いていてのらない、悪く言えばつまらないのだ。演出が過剰気味でついていけないとか、若い人たちの多くの歌がりかいできないとか。
 さらに言えば、歌手は歌を聴いていてうまい!いい!とうなずけないほど、ヘソが曲がり切ってしまったのかもしれない。これは!と感動を受けて、よしこれCD買うかダウンロードを申し込もうという気がほとんど起こらないのだ。アンタの感性が退化したんだよ!と言われるかもしれないけど。
 そこで、表記の番組映像だが、面白い。歌も知っているものばかりで、歌手ご本人の大ヒット曲ばかり。彼らのCDはほぼ持っているが、映像で今どきはなかなか見れないものばかりだ。特に当時も珍しかったのは最初に登場の守屋浩ではなかろうか。浜口庫之助と組んだヒット作品が多数あった。「僕はないちっち」をはじめ当時の私ら中高生の時代には多くのファンがいた。しばらくテレビから姿を消していたのだ。どうしたんだろうと思ったものだ。オーストラリアに行っていたとか、本間千代子という当時のアイドル歌手(?)と結婚したとか、何々という歌は宜しくないとのことで、放送コードにひっかかったとか。それが元気に出場して、懐かしい歌を歌ってくれた。
 何か、ロートルの回顧主義という完全にひとりよがりな別世界に迷い込んだようなので、ここまでとしたい。懐かしい映像を見せてくださった方に感謝をこめて。
mx20200307.jpg

 フランク永井の実姉の永井美根子さんが2月27日に亡くなられた。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 3月5日に告別式が厳粛に行われた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」や「おまえに」が式場に特別設置されたコーナーで静かにオルガン演奏されて見送られた。フランク永井と同じ場所で安らかなこれからの世に旅立った。
 1985年にフランク永井のあの不幸な事故があったのちの長い闘病、リハビリを美根子さんは一人で負ってこられた。フランク永井が永眠したのは2008年。この間、特に当初はパパラッチのような芸能記者が、ありもしないことを書きたてて、家族やレコード会社やファンに多大な迷惑をかけた。そうした理不尽な迫害にちかい火の粉を一手に受けて立ったのが美根子さんだった。黙々としてフランク永井の病床で耐えしのんだのだった。
 文四郎的にはフランク永井のファンのひとりとして、その姿を察した時に、ひとことでも労えたらという思いだった。
 フランク永井へのマスコミの異常で奇妙な長い偏見の封印が解かれたのは、2007年にNHKBSが「昭和歌謡黄金時代~フランク永井/松尾和子」を放送したときだ。フランク永井についての過去の眼鏡を一切捨てて、あたりまえの扱いをした。まさに昭和歌謡の黄金時代の一角を飾った実績を正当に評価したことで、ファンから絶大な拍手が贈られた。
 とどめは2009年に同じくNHKBSで放送された「歌伝説~フランク永井の世界」。フランク永井の残した実績を余すところなく、的確にとりまとめた映像作品となった。
 文四郎が編纂した「フランク永井・魅惑の低音のすべて」は2010年の発行だが、実は上記のNHKBSの映像作品と深く関与している。多くのファンが支援した。その過程でフランク永井の資料集としてのデータブックの発刊をすすめられたのだ。内容はすでの完成していたのだが、データブックはすべてがフランク永井が所属するレコード会社のもので、著作権者の許可が必要。仮に許可を得られても、膨大な量を扱っているだけにその費用もけたはずれになることから、最初から出版は断念していたものだ。
 そのときに相談だけでもしてみたらと背を押されて話をさせて得いただいた次第。レコード会社も当時の親族である美根子さんも内容を絶賛してくださり、出版のめどをたてていただいたという、実に忘れがたいことだった。このときに美根子さんにお会いして、直接思いを伝えることができた。こちらのうかつなことや安易なことには、容赦ないお叱りをしてくださり、出版に至ったものだった。
 そしてこの出版は思いもかけず、同年の「雑学大賞」の栄誉を受けた。また朝日新聞の「顔」欄で取り上げてくださった。そんなことから文四郎の実に恥ずかしい顔が写真で全国に知れてしまった。また、NHKおはようニッポンでフランク永井ファンとして幾度か出されてしまった。
 まあ、そんなことはどうでも、3月はフランク永井の誕生月。美根子さんも誕生月で、まもなく94歳になるところでした。美根子さんとは幾度かお会いする機会があり、フランク永井のさまざまなエピソードをきかせていただいた。そして体調が復帰されればまたお会いしようと話していただけに、今回の訃報はたいへん残念な思い。天国で再びフランク永井と一緒になり、やすらかな会話をしておられると思うだけである。合掌!

カテゴリ

このアーカイブについて

このページには、2020年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2020年2月です。

次のアーカイブは2020年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。