2020年1月アーカイブ

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 人気番組「武田鉄矢の昭和は輝いていた」の番組で、好きな歌手3名が取り上げられていたのを観た。「女性歌手列伝~岸洋子、藤圭子、青江三奈」。
 藤圭子のコーナーで、珍しく「有楽町で逢いましょう」が紹介されていた。これは1970年、歌いつがれて25年藤圭子演歌を歌うというアルバムのなかに収められたカバー曲のひとつで、残念ながら映像はない。舞台での記念公演だったと思うので、映像もどこかにあるのではないか。
 このレコードは何年か前に発見してデジタル化して昨年暮れの大処分(アナログレコード類で段ボール25箱ほど)で手放したひとつ。「有楽町で逢いましょう」を機会見て紹介しようとしていたもの。
 藤圭子は歌がうまい。だから、カバー曲もなかなかいい。
 01_圭子の夢は夜ひらく/02_リンゴの唄(並木路子)/03_啼くな小鳩よ(岡晴夫)/04_港が見える丘(平野愛子)/05_星の流れに(菊池章子)/06_銀座カンカン娘(高峰秀子)/07_カスバの女(エト邦枝)/08_好きだった(鶴田浩二)/09_有楽町で逢いましょう(フランク永井)/10_南国土佐を後にして(ペギー葉山)/11_黒い花びら(水原弘)/12_潮来笠(橋幸夫)/13_アカシアの雨がやむとき(西田佐知子)/14_出世街道(畠山みどり)/15_お座敷小唄(和田弘とマヒナスターズ)/16_網走番外地(高倉健)/17_女のためいき(森進一)/18_池袋の夜(青江三奈)/19_長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ)/20_命預けます
 だた、番組でも紹介されていたが、技巧をこらせる歌手ではなく、自分の歌唱でストレートに歌うのだった。それが魅力であった。
 声がかすれていて、歌によってはその迫力が増し、ドーンと聴く人の胸に響くのであった。それは必然的に、そのような藤の歌唱の特徴がマッチした曲では全開する魅力がある。逆に明るい軽やかな曲にはあっているとはいいがたいともいえる。
 歌はうまく歌っていても、単調に響く。
 フランク永井もまさにそうだったのだが、自分の歌での自分の喉、自分の歌唱の生命線をよく自覚していた。
 藤も喉のポリープで歌えなくなり、手術して声は復活するのだが、彼女の特徴であるところの声のかすれが出なくなった。このことを藤自身が語っている。
 「あたしの歌っているのは、喉に声が一度引っかかって、それからようやく出ていくところに、ひとつのよさがあったと思うんだ。ところが、どこにもひっからないで、スッと出ていっちゃう。うまいへたというよりも、つまらないの。聴いていてもつまらないし、歌っていてもつまらないんだ。どう歌ったらいいのか。いろいろやってみたけど、駄目だった。あたしが満足いくようには歌えなかった」と。(沢木耕太郎「流星ひとつ」)
 これほど歌手にとって切ないことはない。
 彼女は引退した。フランク永井の晩年の気持ちと重なる。
 藤が歌った「有楽町で逢いましょう」は、明るく、恋で胸が弾む方向の歌。だから藤圭子がすばらしくうたっても「圭子の夢は夜開く」「命預けます」のような味をえられないのだが、鶴田浩二の歌った同じ吉田正作品「好きだった」とともに、つい何度も聴いてしまう。
 歌の背景が暗い、しかも地獄に引きずり込むような極限の深さをもつ「星の流れに」「カスバの女」「網走番外地」などは雰囲気があう。また「女のためいき」「池袋の夜」などの、夜の女の心情をテーマにしたあっている。「黒い花びら」「アカシアの雨が止むとき」もいい。
 番組に登場する、他の岸洋子、青江三奈については別の機会に触れてみたい。
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 フランク永井は戦後の昭和歌謡の代表的な歌手だが、その歌謡界では忘れてはならない偉大なクリエータ・アーティストがいる。恩師吉田正ももちろんだが、作曲家の世界には盟友だった渡久地政信、ライバルでもあった古賀政男、遠藤実。中村八大、浜口庫之助、船村徹、宮川泰、服部良一もあげられる。
 そうしたなかで、コロンビアには古関裕而という作曲家がいる。生涯で5000曲以上を作った昭和を代表する作曲家の一人だ。古関裕而が日本のスポーツ界に多くの曲を作っている。印象的な曲が多く、もっとも有名なのではないだろうか。球界の殿堂入りに加えてもいいという声まである。
 その古関裕而をモデルにしたNHK朝ドラが今年の春から始まるのが決まっている。オリンピックを盛り上げる一般で、政権とNHKが取り組んでいるのだろう。東日本大震災、福島原発事故で多くの犠牲者が出て、今も復興で奮闘されているのを支援するという意味も重なっている。
 興味ある分野のテーマであり、古関裕而がそのモデルだとするなら、展開が楽しみである。
 昭和の歌謡曲を体験している人なら、古関裕而の名は誰もが知っている。それは、彼があまりにも多く聴いて耳に残る、後々まで心に残る歌を作ったからに違いない。
 古関裕而は初期からにコロムビア・レコードに縁が深く、正式には戦後専属になった。日中戦争時に軍歌「露営の歌」が大ヒット。戦後は「長崎の鐘」などの鎮魂歌、ラジオドラマ主題曲「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)」「君の名は」を作況した。高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」、東京五輪開会式行進曲「オリンピックマーチ」など流行歌から応援歌まで多くの名曲を残した。
 また、古関裕而の功績は各種学校の校歌や地域のご当地ソング、企業の社歌等での数えられないほどの曲を提供していることだ。
 藤山一郎、伊藤久男をはじめ二葉あき子など多くの歌手にもめぐまれた。戦後は劇作家菊田一夫との名コンビを組んで名作を残した。「夜霧の...」を多く歌うことでフランク永井=夜霧のような印象を作ったように、古関裕而は「鐘」を多く作っている。
 この時代は「戦争」の遺恨が根深く世を覆っていたのも事実。戦争で百万のオーダーの民と兵士が犠牲を受けた。その鎮魂歌として「鐘」が連想させたこともある。
 古関裕而の業績でそうとう以前によく言われたことがあり、記憶に残っている。それは、先の戦争のときに積極的な戦争協力者だったといい噂だ。戦争反対を強くいう人たちから見たら、確かに「いいのか」と思ったのであろう。
 だが、古関裕而を責めるのは酷だと思う。当時の圧倒的な数の民の心底では戦争は望んでいなかったのは事実だが、同時にあの戦争をとどめられなかったのもその民だからだ。古関裕而にせよ、見事な軍歌を歌って奮い立たせた伊藤久男にしても、軍の要請を拒否することなど選択肢にななかった時代だった。
 エンジニアもアーティストも一般的に汚い政治の世界とは距離をもち、己の関心事に没頭したいというのが多いもの。だから、いったん命令とはいえ与えられたテーマを満足いくまで突き詰める。これが、結果として抜きんでた成果をだした。「米英撃滅の歌」(山田耕筰)や「海ゆかば」(信時潔)も同じだ。
 作曲した古関、山田、信時や歌った伊藤に非を突き付けても何の意味をなさない。大政翼賛会として政治的に利用した側の方向にこそ目を向けるべきものだろう。
 戦後は破壊されて暗い戦後の気持ちを少しでも明るくしようという方向の曲を多数手がけた。鎮魂の鐘シリーズ、初めてアイヌを歌にした「イヨマンテの夜」んど数えきれない。この実績をも高く評価したい。
 フランク永井はビクターで、専属制時代ゆえに古関裕而の曲は歌っていない。カバーも記録がない。だが、フランク永井の熱心なファンの一人で、さまざまなことでお世話をいただいている、前橋の方がおられる。
 品川ヤイさんである。宮城県大崎市ですでに恒例となっている「フランク永井歌コンクール」に毎回、前橋チームとして多数の参加をしている。この品川さんが前橋で児童養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」を営まれている。
 これこそ、戦後の多数の戦争孤児への対応という大きな課題であったことおテーマにして、NHKでドラマを放送したもの。それに呼応して資材を投じて設立したもの。ドラマは菊田一夫が台本を書き、音楽は全面的に古関裕而が担当した。主題歌「とんがり帽子」を歌ったのは川田正子で、誰もが口ずさんだもの。「鐘の鳴る丘少年の家」については、以前のこのコラムで紹介している。1917年7月。品川さんはフランク永井の鉛筆画を多数描いていて、作品を展示室で公開されている。(http://www.wind.sannet.ne.jp/guitar/sab3.html)
 古関裕而については自伝的な書を残している。「古関裕而―鐘よ鳴り響け」で、最近に集英社から再販が出版されている。NHK朝ドラやオリンピックとの連携だが、彼が活躍した時代とのかかわりがよくあらわされている。またいくつかのCD-BXも発売されている。
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 「日本の流行歌スターたち」("Japanese Kayokyoku Star")については、たびたびこのコラムで紹介してきた。これはビクターに属した名だたる歌手について、ベスト22~24前後の代表曲を集めてシリーズでリリースしているもの。2年前からいくつかのくくりで出している大作で、現時点で26巻に及んでいる。まだ続く模様。
 第1巻に「フランク永井」が収まり「二人だけのワルツ」「さあもう一度キスしよう」「秋」が新たにデジタル化されたことに触れた。「さあ...」は埋もれていた貴重な初出の音源である。
 1:フランク永井、2:松尾和子、3:藤本二三代、4:榎本美佐江、5:神楽坂浮子、6:小唄勝太郎、7:佐藤千夜子、8:生田恵子、9:徳山漣、10:藤本二三吉、11:久慈あさみ、12:轟夕紀子、13:暁テル子、14:四谷文子、15:市丸、16:小林千代子、17;藤原義江、18:服部富子、19:宇都美清、20:初代鈴木正夫、21:平野愛子、22:乙羽信子、23:由利あけみ、24:久保幸江、25:藤原亮子、26:羽衣歌子
 男性歌手は5人と少ない。いかに女性歌手の人気があったかということだろう。戦前から昭和にかけてのそうそうたる陣営といえる。逆に現在の若い方々には名前すら知らない、知っていて歌は聴いたことがないというのが多いのではないだろうか。文四郎の年代でも相当に歌謡曲に若い時から関心を抱いていなければ、知らない人もいるはずだ。だが、ご存知の方であれば、よくぞまとめて出してくれたと、感涙するかもしれない。それほどの歴史的な大作品なのである。
 こうした歌手については、フランク永井や松尾和子といった突出した人気を博した、しかもこの陣営でも「若手」(えっ!だろうけど)には、すでに多くのベスト・セレクションや全集的なBOXものが出ているのだが、基本的にはいままで不識なことかもしれないが、出ていなかったのだ。だから、この度のシリーズではじめて選集としてまとまって出たというのがほとんどだ。
 それは、活躍のピークの時代がSPレコードの時代であったことが困難にしていた理由のひとつだ。また、その後に訪れるレコード会社や映画会社が作った専属性掟がある。レコード会社を移動することが厳しい競合社会で大きな壁ができていたために、権利許諾の難しさを生んだものと思える。
 かてて曲の歌詞にもこの時代の大衆感情が深く関与している。というより、阿久悠じゃないが時代の鏡のようなもの。この時代は戦争の影から逃れられない。映画のことで幾度もふれたように、タバコ、銃、薬が今ではありえない、あってはならない状態で不通に登場する。これは男が女に対する扱やふるまいでも同じだ。パワハラ、セクハラの概念もない。替え歌として歌詞を変えないでも、現代でははばかられることも出てくるからだ。
 そうすると、当時どれほど人気があったとはいえ、選曲は容易でない。だが、このあたりは、このシリーズの実現に大きく貢献した合田道人氏(以下敬称省略で失礼)に負うところが多いのだが、見事に対応しているところがすばらしい。彼は、ほとんどの巻について選曲し、歌手のそつない紹介を成している。
 CDを聴いて驚くはずだが、完全なノイズレスのクリアな、まるで古さを感じさせない音が楽しめる。今出た理由にはそうした権利や技術が背景にあるのだろう。
 大衆娯楽、大衆文化の遺産が埋もれたままでいいのか、という問題もあり、これはやはりビクターのようなレコード会社がやらなければ、いかんせん、やりようがない。しかもこの遺産を後世に引き継ぐという意義を理解したものにしかやりえない。だから、今回それを実現していることに敬意を感じるものである。
 多くの方の活躍されていた時期の最もハリのある魅力的な表情の写真で統一されている。モノクロで統一されているのは、時代を醸し出している。多くの方はおそらく、カラー写真はないのかもしれない。
 先にこのシリーズの紹介で美人歌手藤本二三代を取り上げた。レコード・ジャケットなどで、よくもここまで顔の表情の異なる写真を使ったものだ。現在の顔認識で同じ人は認識されないだろうと思うほどと書いた。個人的に美形で歌がうまいで好きなわけだが、このシリーズの5巻目の神楽坂浮子も同じく歌がうまい。
 それはCDを聴いてみればわかるが、彼女の歌う「祇園小唄」などを聴けば、けっしてお色気やムードだけで人気があったのではないと納得する。フランク永井とのカップリングが多いという紹介もしたが「ピンクムード音頭」が収録されている。
 また神楽坂浮子は橋幸夫同様古賀政男に歌の指導を受けていた。だが当時のレコード会社は「収益につながるか」が第一で、すでに神楽坂はん子や久保幸江という売れ子がいるのでもういいとして古賀はビクターに紹介した(選曲・監修した合田道人がインナー・ノートで紹介している)。ラジオ歌謡の鳴海日出夫についても、岡本敦郎は二人いらないと不遇の扱いのようになるのも同じだ。
 古賀の配慮はすごかった。ビクターで橋幸夫も神楽坂浮子も実力の花がビクターから咲いた。
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 2020年の年が明けた。
 暮れには日産元社長のカルロス・ゴーンがレバノンにその名のごとく行ってしまった。正月間もなく、米国がイランのソレイマ革命防衛隊司令官を殺害したというニュース。何とも今年を象徴するような出来事で世界を不安に巻き込んだ。
 だが、今年も、フランク永井関連のエピソードを明るみにしていくことで、少しでも気持ちを和らげていけないかを考えてみたいと思う。文四郎日記、今年もよろしくお願いします。
 フランク永井のレコード類は基本的に、1985(S60)年、つまり現在の令和の前の平成のその前の後年で、今から35年前に発売は終了した。フランク永井が30年間の舞台を降りたときのことがマスコミは暗く扱い、フランク永井とファンには辛い長い時期があった。やや言い過ぎかもしれないがおよそ20年間の「暗黒時代」。
 だが、2007年に「昭和歌謡黄金時代」、2009年に「歌伝説~フランク永井の世界」がNHKで放送されて、全面的な封印解除がなされ、ようやくフランク永井の全面復帰が遂げられた。だが、時すでに遅しの感があった。フランク永井の全盛時代を支えた幅広いファン層の年代が高齢を迎えつつあったからだ。20年の低迷期の存在は大きく、ファン層が若い世代に受け継がれていくチャンスを逃した感があった。
 しかしフランク永井の戦後の大衆文化に与えた影響は巨大で、女性の大御所美空ひばりに男性として匹敵するものだったからだ。低迷時代に男性歌手でフランク永井の存在に代わって役を果たしたのが石原裕次郎であり、三橋美智也、春日八郎、村田英雄、三波春夫らの歌手であった。フランク永井の再登場、といってもすでに舞台に出られるわけではなく、現在のようにAIでのバーチャル出演もままならずであった。
 熱いファン層を代表して、フランク永井の故郷宮城県大崎市松山では、2008年に「第1回フランク永井歌コンクール」が開催された。そして、2010年には「フランク永井・魅惑の低音のすべて~きらめく昭和歌謡を開いた栄光の全記録」(通称「フランク永井データブック」)が世にだされた次第である。
 大崎市のファンの有志は事実上のフランク永井公式サイトとなっている「フランク永井の故郷から」というインターネット・サイトが開かれた。
 テレビやラジオでもフランク永井の扱いにはタブーが払しょくされてきた。大きく復活したテレビの歌番組では「懐メロ」的なコーナーではフランク永井は欠かせない大歌手として存在感をもっている。ラジオではNHKのラジオ深夜便では毎年欠かせず、命月の10月にほぼ2時間の特集を放送している。またテレビ各局も、定期的にフランク永井の特集を組んできた。
 そしてフランク永井が生涯属してきたビクターからは、毎年のようにCD商品がリリースされ続けている。特に近年は、フランク永井の作品で過去に商品に登場していないような、珍しく、かつ貴重な曲を掘り起こして紹介している。
 そのようなことから、2010年に編纂されたデータブックに記載されていない曲もぽつりぽつりと発見されてきている。これからも続くのではないかと、大いに期待できると喜んでいる次第。
 前置きが長くなったが、表題にはいろう。実は、かつてレコードと同時期に発売されていたテープ版のなかにも、データブック未記載の曲があったということである。
 何度も触れてきたことだが、データブック編纂時はテープ版が存在するのは承知していたが、それはあくまでも同名で発売されているレコードと内容は同じものという判断をしていたことだ。現物を確認するという編纂者に課せられている当然のことをしていなかったことからの結果。至らない自分の力からの欠陥として、まことに申し訳ないこと。

 そんなことから、当サイトでそうした発見があるたびに、くまなく報告をしてきた次第。
 今回は、2016~2017年にいちど触れた件3点の再紹介。ただ、これはあくまで手元になる現物や資料に負ったもので、すべてではない。一つは、2016年5月に紹介した「フランク永井オン・ステージ」。1976年の作品。
 大阪ロイヤルホテル・スカイラウンジ・ショーの録音で、フランクス・セブンの演奏。LP版は19曲にたいしてテープ版は28曲で、9曲が余分に入っている。この差は、LPに収録可能な標準的な時間と、テープの両面に収録可能な時間に差があるため。曲数が変わらないのではないかという予想をはるかに9曲も超えているというのは驚きだ。
 その逆なのは「輝ける21年の足跡」。1971年の発売。LPが2枚組で、テープは表裏だが1本。LPにはテープ版に収まらない6曲がある。
 まさかと思うのは1982年の山下達郎プロデュースということで噂の多い「Woman」。誰もがこの種で相違はないのではないかと思うのだが、テープ版には4曲多い16曲が収録されている。2017年12月の当欄で紹介したとおりだが、「夜明けの街」「ブランデーグラス」「めぐり逢いふたたび」「霧子のタンゴ・パートⅡ」がそれで、「めぐり逢いふたたび」はデータブック未記載の曲。
 「霧子のタンゴ・パートⅡ」は、先の「輝ける21年の足跡」のリサイタルように特別に作られた曲だが「Woman」テープ版では、スタジオでの採録音のものが紹介されている。
 テープ版をなめちゃいけない! というのが教訓。だが、テープ版については残念ながら全容がつかめていない。フランク永井に関するテープ版はどれほどあったのか。上記のようなことから想像するに、ひとつはライブ盤が要注意なのではないか。例えば最後のリサイタルになった「歌手生活30周年記念ライヴ」(1985年)のLPは1枚版。フル盤ではないから、テープ版(きっとあるはず)なら、さらに別の曲も楽しめたのではないかと期待できる。
 それから小椋佳と組んでつくった「マホガニーのカウンター」(1983年)なんかはどうだろう。「Woman」とならんでカバーが多い盤だが、フランク永井が若い、そしてジャンルの異なるエンターテナーと組んでの作品であるだけに、テープ版があるなら、ぜひとも聴いてみたいものである。

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