大映映画「有楽町で逢いましょう」のヒットが呼んだ連作映画「好き好き好き」と「嫌い嫌い嫌い」

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 デビューして好きなジャズを歌ったが売れない。だが、2年後にフランク永井を全国区に押し出した大ヒットが「有楽町で逢いましょう」。恩師吉田正にすすめられて、流行歌の歌手に転向して17曲目であった。
 東京に進出してきたそごうデパートが有楽町駅前に開店するというキャンペーンの一環で歌った、コマーシャル・ソングだった。始まったばかりの民間テレビ放送の番組、芸能誌「月刊平凡」連載小説、歌謡曲、そして映画と今では考えられないような大掛かりのメディア大連合の一大作戦だった。
 「有楽町で逢いましょう」は吉田正が後に「これで自分の職業欄に作曲家と自信をもって書けるようになった」という。都会派ムード歌謡の流れを作り出した作品。
 キャンペーンのプロジェクト内では、今ビクターで売れている三浦洸一に歌わせたいという声が多数ある中、吉田は自分の秘めたる思いもあり、フランク永井を推した。頑として譲らず、スタジオに招きフランク永井に歌わせた。周囲はこれで黙ったと言われる。
 誰に歌わすかということでは、もうひとつエピソードが残されている。毎年開催されるフランク永井歌コンクールの過酷な審査委員長をスタート以来十年担当されていた白井氏が明かしている。
 吉田正と同じ故郷日立出身のプロ野球西鉄の大選手、豊田泰光だ。「男のいる街」というレコードを出している。彼の練習に完成する前の「有楽町で逢いましょう」を歌わせていたという。フランク永井に内定したときに、彼には電話で「フランク永井に歌わせることにした」と断ったという話。
 1957(S32)年11月にレコードは出された。そごうの開店も大盛況だった。映画は翌年新春の封切で、これも大いにヒットした。当時まだモノクロの時代だが、カラー作品で目をひいた。
 フランク永井の関係した映画では、この映画が1作目で、翌2月「夜霧の第二国道」が公開。4月「羽田発7時50分」、5月「場末のペット吹き」と「夜の波紋」。7月「西銀座駅前」、8月「ロマンス祭」、10月「有楽町0番地」、11月「夜霧の南京街」「東京午前三時」と続く。何とこの年だけで10作の映画に出演したり主題歌を歌ったりしている。
 あらためて見て見ると、シングル盤32枚、LPアルバム3枚をも出している。誰が見ても過労を地で行く多忙さだ。
 「有楽町で逢いましょう」で気を良くした大映は、フランク永井のヒット作品「好き好き好き」をテーマに、1960年の新春封切「セクシー・サイン 好き好き好き」を作る。川口浩、野添ひとみ、叶順子と人気スタッフが顔をそろえる。さらに、翌2月末の上映となる「嫌い嫌い嫌い」が続く。
 川口、野添コンビではない。菅原謙二、叶順子が出る。ここでは伊丹十三、田宮二郎といった新人に金田一敦子、左幸子といった面々が新たに加わる。源氏鶏太の「花のサラリーマン」が原作の愉快なドラマ。
 主題歌は松尾和子の「嫌い嫌い嫌い」で、松尾が唐突に画面で歌うシーンも入っている。「嫌い嫌い嫌い」はほとんど「好き好き好き」のお遊び・余裕の(?)だじゃれ。映画主題歌にあわせて、佐伯孝夫が作詞、吉田正が作曲した。
 ゴロがいいので、松尾のセクシーな歌唱にもあい、多くの人の耳に残った。松尾のセレクションには入ることも多い曲だ。
 フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が生まれなければ、生れなかった映画と曲。今年はフランク永井の映画にまつわるテーマが多かった。
 ことしの文四郎日記はこれでおしまい。ご覧いただき、また、愉快なご指摘までいただき、感謝に絶えません。
 来年にはまたお会いできればと思います。良いお年をお迎えください。

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このページは、文四郎が2019年12月27日 16:24に書いたブログ記事です。

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