2019年10月アーカイブ

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 フランク永井のファン仲間から「フランク永井の番組があるよ」との情報をいただいて、録画しておいたのを鑑賞した。放送が歌コンに出かける直前であったことから、放送日には観ることができなかったもの。
 BS-TBSで放送された。「名曲にっぽん」という番組。司会は徳光和夫と城南海(きずきみなみ)で、日本の歌謡曲に名を残し尊敬されている歌手ということで、フランク永井に焦点をあてた番組であった。番組を観ていくと、2013年の10月に放送されたものの再放送だとのこと。フランク永井の出演する番組と聞けば、逃さずに観る気になっていたものとしては、この放送は見逃していたようだ。教えていただいて感謝である。
 フランク永井のいままで見たことのない映像が観たい。とにかく残された映像が少ないので、番組があるというと期待して観てしまう。だが、そう簡単にそれが満たされることはない。もちろん過去に放送された映像記録から、曲の担当者は探しに探して、これはテーマに会っているとか、これは珍しそうだとか、これはいままで放送していなカットが含まれていそうだとか、いろいろと努力はされていているのは、十分に察せられるのだが。
 今回の番組では特別に新しい発見があったわけではなかったが、再放送してくれたことにはこころから敬意を表したい。この十月はフランク永井の亡くなった月であることから、歌コンはもちろんのこと、別項で予告のアップをしたが、NHKラジオ総合では「ラジオ深夜便」で特集をしてくれる。まことにファンにとってありがたいこと。
 舞台を降りて30余年。亡くなってからも随分と経つのに、ラジオ・テレビがフランク永井をこの月に思い出してくれるというのは、素晴らしいことだと思う。それだけ大きな印象をひとびとに与えたということ。
 フランク永井の映像は、実際にはNHKをはじめ各放送局に多数残されているはず。フランク永井に限らず過去の記録が膨大で、記録が十分でなくデータベースが不完全ということがいわれる。これは未発表の曲ということでもいえる。日本が欧米と比べて、文化遺産のアーカイブという思想に立ち遅れがあったためといわれる。
 これが、美空ひばりや石原裕次郎のようなビッグ・ネームになると、その遺産を整理したり、著作権管理をしたりする事務所が、継続的に発掘の作業をしている。この組織の考え方と力量に依存している。
 指摘したいのは、税も投入されているNHKや大手の放送局などのメディア機関、所属事務所・レコード会社などが、本来はもっとしっかりしなければならない。放送したものの所有や再放送の権利を独り占め?していながらも、その保管とデータベース化に弱さがある。
 今どき放送の記録はもとより貴重?なテープを上書きで使ってしまいなくなった、などということはさすがにないだろう。しかし、アーカイブは業務に対する責任と思想といっていい。流行歌といえども十分に立派な大衆文化で、人びとの歴史と密着したもの。この盛隆はターゲットである大衆があってのもの。民主主義、民権主義という言葉があるが、ファンあっての流行歌である。
 つまり残されたレコードや映像というものは、権利を持つとされる作者や歌手やレコード会社(事務所)の資産であるとともに、忘れてはならないのは大衆という聴かせる・見せるターゲットだ。大衆のつまり多くの人びとの歴史的な財産だという考え。
 この思いを大事にするか否か。それとも使い捨て、投げ捨て。もうけは考えるが後(他)は知らないという考えがあったからだと指摘されてもしかたない。欧米ではそこが根底から異なる。公的な組織や機関とさまざまな民間事業体が組んで、大衆文化のアーカイブを構築している。
 まあ日本の場合はお上が公文書を廃棄したり改ざんまでしているという。オレだけカネだけイマだけという世だという。アーカイブの話には「アーソナノ」という程度。貴重な遺産が散逸し、破棄され、後世に残ることもない。時代が過ぎたら、皆忘れる。フランク永井という歌手の業績は、そんなことであってはならないと思う。
 「徳光の名曲にっぽん」のビデオを観て、多少お酒が入った頭にそなんなことがよどんだ。。。城南海の笑顔がイイ。
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 宮城県大崎市は台風19号の被害が報道でも大きく扱われたように、中止が危ぶまれていました。そんななか開かれた11回目の歌コンクールの審査結果は、下記のとおりでした。こころからお祝い申し上げます。

優 勝 神永 世四郎 「夜霧に消えたチャコ」
    (茨城県笠間市)
準優勝 佐々木 良二 「新東京小唄」
    (宮城県仙台市泉区)
第3位 今野 中道  「冬子という女」
    (宮城県仙台市宮城野区)
特別賞 佐藤 宏実知 「君恋し」
    (秋田県由利本荘市)
    千葉 智弘  「六本木ワルツ」
    (岩手県奥州市)
    岡田 順介  「東京午前三時」
    (千葉県佐倉市)

 歌コンの催しが災害と重なってのことで、全員の黙とうで始まるという異例の大会になりました。当然、大崎市ではすべての催しが中止されたのですが、歌コンは全国的な催しで、直前の告知の徹底をすることができないという制限のなかで開かれたものです。
 実際に準備を進められていた関係者や、地元の方や、途中を観察しながら車で来られた方に聞きましたが、多数の爪痕が残っている状況でした。広大な広さを誇る大崎市の平野。河川の管理は抜け目なくやっていても、かつてない雨量にあえば、どうしても弱いところで被害がでます。
 歌コンの会場周辺もそうした浸水にあっていました。当日の催しを楽しみにされていた方々も、対応に追われてこられなかった方もおりました。

 さて、歌コンの当日の様子に戻ります。歌コンで歌われる歌のリストは、会場に来られた方に配られるパンフレットに書かれています。111組のリストを見ると、まず気付くのは、フランク永井の歌で今まで歌コンといえども歌われなかった歌が、比較的多かったことです。
 それには演奏(カラオケ)数が限られているというのが一番大きな理由と思われますが、独自に準備されたり、エントリーする方の熱意の賜物かと。
 「届かない手紙」「東京しぐれ」「WOMAN」「ふるさとの風」「つかの間の恋」「幸せって奴は」「季節はずれの風鈴」「わかれ」といった名作への挑戦がありました。
 そうした曲にはいままでファンであっても、そうとうフレッシュに感じたのではないでしょうか。同時に年代的にも若い層の方や、女性の方の挑戦者が増えた気がします。

 長年にわたって審査をされてこられた白井先生から、審査委員長が井上先生に変わりました。決勝大会での講評では、まずフランク永井の日本語の発音の良さを見習いなさいと。そして、同時にフランク永井のマネをしちゃいけないのはタメだよと。
 その歌の技巧はフランク永井という歌の天才のなせる技で、それはなみなみならない努力と鍛錬で計算されて生かされているもの。これを一般の歌好きが安易にまねてもイヤミにしか聞こえないものだという旨の話をされてました。
 やはり聴く人を感心させたり、うなずかせたりするのは、発音のきれいさ、音程への素直さは基本中の基本だと。その上で、歌への余裕ある姿勢がないと、聴いていて気持ちが押され詰まってしまう。聴く人がいる「歌」の心得がわかりやすかったと、多くの方が感じていたようです。
 また、なるほどと思ったことがありました。それは、フランク永井の歌の素晴らしさをなかなか、日本人が気付かない点ということ。以前に、歌コンに米国からわざわざ参加された方がおられました。この方はフランク永井の日本語の発声について、日本人は気づいていない、あるいは軽視していると「怒って」いたといいます。
 また、同様にハンガリーからエントリーされた方も同じ。日本語の教師をされているという。その方はフランク永井の歌を知って、日本語の発音の美しさに感激したという。
 一概にいうのは適切ではないかもしれないが、大陸でつながる外国の方は日本人と音域や発が相当異なっています。そうした方は日本で言う「低音」がどうだという発想はでてきません。むしろ、純粋に言葉と発のよさに敏感です。これがフランク永井の歌を聴いて、日本人とは少し異なる視点からの気づきなのかと思います。
 フランク永井はナイトクラブとかでいわばBGMとして歌っていました。それは、歌が恋人や友との会話を邪魔しない。それでいてムードをだし、癒しの効果を感じさせてくれるという特性があります。だが、フランク永井のファンは一歩進めて、フランク永井の歌をじっくりと、気を集中させてきくこともします。するとどうでしょう。一曲ごと、一フレーズ毎、そこにはプロの歌手であることを納得させる、実に深い歌への理解と思いが聴き取れます。
 フランク永井のような歌手がもう現れないのか。そう吉田正という稀有の偉大な教師に巡り合えたこともあったが、やはり、フランク永井自身の歌への追及心に対して、並ぶような歌手がいないのだろうと思います。

 審査のあいだは、アトラクションのお時間。今年も松山中学校の吹奏楽部のみなさんがフランク永井の曲にトライしてくださった。また日本の古くからの芸能のひとつ龍笛演奏を在松山の山下進氏が披露されました。これも「君恋し」など他では聴くことができない素晴らしい演奏が楽しめました。
 また、会場に装飾された今回の展示では「フランク永井が残したレコードの全ジャケット」と「フランク永井が出演・主題歌を提供した全映画のポスター」(都合で全部展示できなかったのが残念)が披露されました。いずれも、数十年間に及ぶ収集品で、空前絶後、ここだけでしか見られない展示で来客者の目をひきつけていました。
 今回は、ちょっと書き方を変えてみました。ということでまた次回。


【追記】2019.10.22「タメ」についての若干の私的コメント
 なお、音楽とカラオケについての素人の独断の認識です。
 カラオケは誰でも好きなように歌うもので、歌い方に拘束は皆無です。
 ただ、ひとたび誰かに「聴かせる」となると、聴く人はそれこそ、無責任・勝手に何らかの感想を持つことになります。聴く人は百人百色で受け止め、その気持ちが歌い手を拘束することもありません。
 これが、カラオケ・バトルとかカラオケ・コンクールとなると、審査があります。歌う方はうまくなりたい、聴かせたいという意志があります。審査側は歌い手の「差・違い」を何かの基準で数値化して比較することになります。結果はなるべく公正ではないかと想定した基準から導き出します。もちろんこの結果は歌った歌い手一人に対してだけ通用するものです。なので、スポーツのアスリートの順位と同じです。これが、誤解とすり替えから、争いとか根に持つような感じになることがありますが、それは厳しく戒めるべきだと思います。
 さて、カラオケでの基準は「リズム」「音程」「安定感」「抑揚」「ロングトーン」「テクニック」の視点からみるのが一般的と言われています。こぶし、しゃくり、ビブラートという表現技術は「テクニック」にはいります。
 「リズム」は言うまでもなく、音符に示されたポイントで歌い手が正確に発声するということです。カラオケの演奏はプロが楽譜に忠実にリズムを再現します。歌うのが人間であるためにそのリズムとずれることがあります。評価では前にずれたり(走る)、後ろにずれたり(タメる)は大前提としてダメです。
 前回の記事で「AIで再現する美空ひばり」番組をとりあげました。ひばりの歌をYAMAHAチームが徹底的に分析したのですが、その一つにこの走る・タメるがわずかに入っているのを確認したのですね。音符通りとずれたのとの相違は、聴く人に情感の伝え方だと。ほんのわずかで、聴く人には、その方が自然に聴こえるレベルのものということでした。
 ところが、このタメ(タメると走る)は、歌手の詞の解釈力とプロの歌手としての常人では説明し難い天才のセンスと練習から生まれたものだという。これを一般の人が他の「テクニック」と同列に誤解してやってみるようなことをすると、必ず失敗するものだという。フランク永井歌コンクールでの審査委員長のお話でした。
 同列ではないし、そもそも徹底的に音符に忠実に歌い、音程・安定感・抑揚・ロングトーンなどのレベルが十分なレベルに達した人が、自然な表現技術として「漏れた」ようなものがタメといえるようです。

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 9月末にNHK総合で放送された。やはり、賛否両論のようだった。
 「フランク永井、AIでのそっくりさん復刻をファンは望むか? それとも楽しむ?」という記事にたいして、文四郎はどうなんだともいわれて、追加記事をちょっとだけ書いてみたい。
 美空ひばりは1989(H1)年に亡くなっておられるので、それからすでに30年。フランク永井と同様ファン層が大きく変化していいるのは避けられない。同時代のファンが高齢化しているのはやむを得ない。
 そうしたなかで、この番組の企画は大きな期待と刺激を与えてくれた。現在の日本の最高水準の技術で「甦らせてみよう」と企画して1年間、参加したエンジニアと関係者は何百人にも及んだとのこと。ソフトの感性を迎え、収録でNHK会場に集合して、結果を見ての感想は大いに感心した、感激したというところだった。
 生きているような姿に涙を流す人も多かった。「AIでよみがえる美空ひばり」企画に携わった方々の、エネルギーの注ぎ込みようが伝わってきた。曲作り、演奏は実演。曲は「あれから」という題目。セリフ入りになっている。最終的には3DCG、つまり高解像度の3次元映像にして、会場中央のスクリーンに投影する方式であった。これはホログラムなのか、ちょとと疑問だった。
 音声再現の担当は、ボーカロイドを世に送ったYAMAHAチーム。美空ひばりの歌唱のすごさは1フレーズ単位で表現を変えるのをベースにしながらも、1音単位で表情をだしていること。これが他に絶対にまねのできない歌唱にしている。音符と音声の微妙なタイミングのズレ、ときにはホーミー(モンゴルの特徴的な発声で高次倍音)が入るという高度なもの。これをAIに学習させたという。確かに、歌唱に奥行きが表現される。
 「あれから」にはセリフが入る。語りを入れるのはボーカロイド・チームでは初めてという。これは本人が息子に残したテープ音声が利用された。曲間の語りが自然さを増した。
 さらには映像化の課題。残されたひばり映像から後年と思える新たな映像を作る。振り付け、髪型が新たに創作される。ほとんど新曲発表と同じ手順だ。振り付けは天童よしみに実際に歌ってやってみたものをベースにする。しかし、何といっても最大の難問は歌う表情であろう。
 文四郎的には、出来上がったアンドロイドの表情がやや不満だったかな。
 歌唱はわずか、フレーズ間に無理な箇所が感じられてものはあったが、おおむねひばりの歌唱は再現されていたと思う。セリフも含めて歌唱の再現性としてはよかったと思う。だが、アンドロイドというかひばりロイドというか、やはり生きた人間と異なるなと。遠目はこれでいいのだろうけど、アップはやや厳しい。目つきもやや変だが、歌う口元がアテレコ風な感じ。あと、ひばりはややオーバー・アクションぎみなところがあるのだが、そこが抑えられ過ぎた感じ。歌のテーマとの関係かも知れないが、ほほ笑み伝わってこない。
 だが、この画期的な挑戦には拍手を送りたい。
 この番組を観る前に思うところがあった。それは、番組でも紹介されていたが、米国や外国ではとびぬけた技術がすでに存在し、その結果が報じられていることだ。
 例えば、オバマとかトランプ映像だ。そうとう細かく検証でもしなければフェイクとは判断できない。プーチンについてもさまざまな噂がある。報道される映像の中にはバーチャルで作られた映像で語られているのがあるとか。
 映画のは使用目的が限定されているとはいうものの、音+映像+表情の加工はあって当たり前になってきている。実写だけではなく、アニメの世界になると、文四郎世代になるとさらに驚く。例えばディズニー作品「トイ・ストーリー」などにおける、感情表情表現は完成している。
 コマーシャルの世界も同じで今放映されている携帯Galaxy。巨大なスタジアムの中央にサーフィン映像がホログラムで浮き上がる。当然かもしれないが瞬時「演出だよ、イメージだよ」という意味合いのキャプションがでる。だが、実は同様のことが現存しているということで、いくつか映像を観たことがある。未確認だが、ドバイでは観光としてそれを見せているという。来年の東京オリンピックの開会式は綿密な企画が進んでいると思えるが、Galaxyでみせたホログラムが登場するかもしれない。
 フランク永井の甦りはどうなのか?って。今回の番組を観る限りでは、近く再現することはないね。費用効果がなさそうだ。ボーカロイドのように、その気があれば安価にだれでもトライできる技術公開がなされ、映像のほうも多くの人たちが遊びのようにさまざまいじられるような環境ができたなら、どなたかが作るかもしれない。
 若い人が言うには、携帯で自撮りした自分の顔をその場で、瞬時に若返らせたり、年寄りにしたりすることでふざけあうアプリが流行っているのだとか。性別の変換までしてみせるというからきっと気楽で楽しいに違いない。
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 大人の人気デュエット曲は数多くあるが、その走りはやはり「東京ナイト・クラブ」。1959(S34)年で、これは松尾和子のデビュー曲。なかなかよくできた曲で、当時はこのような都会の大人の男女のムードを扱った曲がなかっただけに、大きなヒットとなった。ビクターの名コンビであった佐伯孝夫と吉田正の名曲。この後数多く歌われるだけに、ステレオ化され優雅で奥行きある編曲が多数された。初期の編曲は小沢直与志。
 「東京ナイト・クラブ」にならって、テイチクは石原裕次郎に「銀座の恋の物語」を唄わす。裕次郎人気もすごい時代で、たちまち大人気曲になり、両曲そろって都会の大人の社交場であるナイトクラブ、キャバレーが普及していった。
 ビクターはフランクと松尾の人気が高いのを追うように「魅惑のゴールデン・デュエット」と命名した。「国道18号線」(1964年)を出していく。ドラマの主題歌にも採用され、ヒットするが「東京ナイト・クラブ」には及ばない。このコンビでカバーを含んだLPを後に出す。「魅惑のゴールデン・デュエット」として2枚リリースされた。フランク永井と松尾和子の魅力が、余すところなく盛り込まれている。
 二人が残したデュエット曲はおよそ30曲ほどあるのだが、残念なことに知名度は「東京ナイト・クラブ」と他の曲では圧倒的な差がある。同じことだが、フランク永井のデュエットで残されている映像にも言える。まあ、半世紀以上もまえのことだし、仕方ないのかもしれない。
 フランク永井と松尾和子の歌う「東京ナイト・クラブ」はテレビでも相当流されたので、数えられないが10本は超えているだろう。時代が流れ、その後の歌手たちが数多くこの曲をカバーしている。このブログで何度か紹介してきたとおりである。
 そんなことから、いくつか、他の歌手によって歌われた「東京ナイト・クラブ」を続編でいくつか紹介してみたい。
 フランク永井自身が松尾和子以外の歌手と歌った「東京ナイト・クラブ」がいくつかある。島倉千代子、青江三奈、岩崎宏美、生田悦子。
 このデュエット曲が単独でつまり相手なしで歌っているのは青江三奈。これは珍しい。
 有名なのは「東京ナイト・クラブ」を「銀座の恋の物語」を2回目の吹き替えで組んだ八代亜紀と歌っていることだろう。その八代亜紀は藤田まことと山川豊と歌い、山川はさらに藤あや子と。
 五木ひろしは石川さゆり、木の実ナナ、五輪真弓、伍代夏子とコンビを組んだのが残っている。伍代夏子は千昌夫と冠二郎と歌っている。最近歌謡番組によく顔をだす高橋英樹は長山洋子と神野美伽と歌っている。瀬川瑛子は竹島宏と宮路オサムとのデュエットを残している。山内惠介は川中美幸と。川中は吉幾三と。サザンオールスターズの桑田佳祐は昭和歌謡をたたえるアルバムで原由子と歌ってる。
 ここまでしりとりのように紹介してきたが、以下はダブりのないコンビで歌っている。
 ヒデ/美咲
 橋幸夫/古都清乃
 三山ひろし/水森かおり
 三條正人/田代美代子
 鳥羽一郎/林あさ美
 湯原昌幸/キム・ヨンジャ
 藤原浩/門倉有希
 武田鉄也/谷村新司
 北山たけし/田川寿美
 北島三郎/水前寺清子
 里見浩太郎/都はるみ
 徳光和夫/おかゆ
 氷川きよし/石原詢子
 三善英史も歌っているのだが、相方について分からない。また、相手自身を次つぎに変える趣向で、五木ひろし/森進一/五輪真弓/河合奈保子と歌うのも残されている。
 とうぜん、もっと存在しているのであろうが、これらは手元のメモに残っているものだけである。
 実は文四郎の大変親しい方が「ひとり『東京ナイトクラブ』」の名人がいて、何とか露出をと考えているのがある。男女のパートを一人でやる。薄暗いカラオケ室で、相方としてマイクをもってダミーを演じても、誰も気づかないという芸。だから、露出となるとバレちゃうし、露出しなきゃこの芸が認める場が限られるしで、そうとう長い期間悩んでいる!?
 「東京ナイト・クラブ」はあまりに有名なだけに、たいがいの歌手は知っているので、特別な練習もなく歌うという流れが多いせいか、歌唱そのものには期待できない。気楽な余興というところだ。
 余談だが、先月BS-TBSの番組「甦る昭和の名曲3時間スペシャル」というのがあった(2015年の再放送)。ひさびさのカバーで感動を得たのは美空ひばりの「愛燦燦」をメイJが歌ったときだ。彼女が歌うまなのは知っているが、このときの歌唱はすごい。多くの歌手のカバーを聴いてきたがメイJの「愛燦燦」は絶賛であった。

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