1958年のフランク永井映画「羽田発7時50分」を観る

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 1957(S32)年に「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで、いっきに飛び出したスターを放っておかない。ビクターは次つぎと歌わせる。それがまた話題を生む。映画も作られる。
 当時の娯楽はラジオと映画でテレビはまだまだの時代。「夜霧の第二国道」が2月に封切られ、この「羽田発7時50分」は4月に映画館で上映された。
 当時の映画はモノクロの時代で、時間はおよそ1時間(「夜霧の第二国道」は48分で「羽田発7時50分」は61分)弱で、今のテレビドラマの1回分程度だ。だが「羽田発...」は日活スコープをうたい、およそ縦の長さに対して倍の横幅の映画となった。
 この当時映画の本場である米国でワイドスクリーンと言われたサイズの映画を日本の映画会社が連続して採用したものだ。カラーを総天然色といって驚かし、横長のスクリーンでも脅かしたものだ。
 「羽田発7時50分」の歌は宮川哲夫作詞、豊田一雄作曲、寺岡真三作曲のもので、歌詞からの連想では羽田飛行場を舞台にした悲恋もの。「待っていたけど逢えない人よ...」「見果てえぬ夢を捨てて旅立つ心は暗い...」。
 映画はどうだろうと、期待に胸を膨らまして見守る。だが、どうも自動車会社で働くテスト・ドライバーの同僚との恋愛がらみのもので、フランク永井の歌を背景にスポーツカーをガンガンぶっとばすものだった。
 題名とのつなぎは、取ってつけたようなもの。
 先にマニラに出張したドライバー(この当時はパイロットと呼称)が現地でケガ。代わりにフランクが行けと会社から言われるが、事故で謹慎中の身。親友の岡田真澄は自分が指名されるはずと思っていたのにと、悔しがる。
 岡田は後部車輪が故障したテスト車を事前点検をしないまま飛び乗り走り出す。岡田の恋人は別の自動車会社のテストドライバーを兄にもつ丘野美子。その兄(二谷英明)と無謀なスピード競争をする。
 故障した車でのスピード競争は命にかかわる危険と気づくフランクは、それを告げるために急いで後を追う。自分はマニラ行きを辞退し岡田を推し認められたと告げる。そして羽田から最終便でマニラに岡田が飛ぶ...という流れ。
 フランク永井の出演した映画では、基本的にはちょっとしか登場することはないのだが、この映画では全編に顔を出す。しかも、会社の創立三十周年記念という催しとかクラブの舞台とかに歌手(プロとしてではないが)として出て歌うという場面もある。
 この映画が有料チャンネルで過去にテレビ放送されたようだが、その時の印象がネットにあった。pj2000akiraさんによるものだが「舛田利雄監督の錆びたナイフに次ぐ作品。黄金週間に裕次郎の明日は明日の風が吹くの併映。60分位の短編でつまらない映画、岡田真澄、二谷、白木真理の主演。しかもフランク永井の主題歌を映画化しているのでフランクが出てきて臭いしばいをする、歌だけながれていればそれでよい(笑い)眠くなる映画」と酷評?している。
 まあ、この通りでもあるのだが、文四郎的にはフランク永井がからんだ映画の「記録」という視点。日本では戦後の娯楽の王様として映画があり、作成する側も、何を取り上げ、何を表現して、誰の顔を前面に出し、大衆をどう喜ばすかという挑戦の連続だったと思う。
 戦後の復興という社会と時代の巨大なテーマが覆う世だ。誰もが承知のように「日活」が名を大きく馳せたのは、石原裕次郎の登場だろう。快活なこの男を使おうと。実際に大成功をおさめた。聴衆も、製作者側が描いた映画の中での「アクション」「銃撃戦」「スピード競争」「都会の男女の恋愛」に引き付けられた。
 非現実性は百も承知で映画の中での非日常に酔ったことが、日活を活性化した。「羽田発7時50分」も、裕次郎映画とのカップリングのために作られたようだ。1時間程度の映画の2本立てが普通だった時代だ。
 今(現在)なら、そりゃダメだろう、というシーンは例によっていくつもあり、このレベルが現在地上テレビで放送できるか、BSで可能か、有料放送で可能か、DVD化ができるか等の判断基準にもなる。今回の映画での妙は、テスト車が自動車のテスト道(サーキット)ではなく、一般道と思しきところを時速百キロを超えるスピードで突っ走ることだろう。しかも、安全ベルトがない。一般車両が前方から対抗車線を走ってくるにもかかわらず、中央線を無視して並んで走る。さすがにこれは映画だけの世界とは言え、ブーだ。
 自動車工場は日産の村山工場・鶴見工場がロケで提供されたようだが、戦後すぐの様子がかいまみれる。安全とか管理とかの面でのルーズそうな感じは、現在ならと思うとその差は絶大。社員の住まいについても、ちょっと前の公団住宅のようなアパートに寮のように住んでいるのだが、日東自動車の競合他社の社員(映画では武蔵自動車の二谷英明)も住んでいること。
 ところでフランク永井は歌手だから、映画でも歌う。「羽田発7時50分」は主題歌なのだが、他にもこの映画制作時の推したい曲「哀愁ギター」が歌われている。また創立記念会場では何故か社員も「13,800円」を合唱するという大サービスだった。
 フランク永井が大好きだった自動車の運転をすることが映像化され、大変ご機嫌だったに違いない。
 ちなみに、当時羽田飛行場は国際空港でもあったが夜間飛行は騒音から制限されていた。夜8時までだったので7時50分が「最終」だと、歌の歌詞で表現されているのだが、実際はそうした便はなかった。台湾からの着便ではあったようだがが、いずれにしても飛行機便の需要が急速に求められて8時制限はまもなくなくなり、成田が建設された。

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このページは、文四郎が2019年9月 8日 12:40に書いたブログ記事です。

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