フランク永井とレコード・ジャケットの表裏を飾った華麗なる歌手たち

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 フランク永井が現役時代に発売したシングル盤はおよそ500枚。1955(S30)年から1985(S60)年まで。枚数をおよそ、と言ったのは後年の時代のレコード会社のさまざまな企画で、アンコール・シリーズとか別カップリングでの再版が多数あって、それを数えると相当数に及ぶために、フランク永井データブックの基準(ダブりをなるべく抑えた)で数えたものである。
 別項で取り上げたのは、1966(S41)年ごろまでのレコード会社の方針で、レコードの表裏(A面・B面)を別の歌手にする傾向が強かったということ。フランク永井については、デビュー盤以来半数を超える盤に別の歌手が組まれたと。
 歌手名だけで50余名に及ぶのだが、並べてみると圧巻。
 一番多く組んでいるのは、藤本二三代で17回。ついで松尾和子14回。朝倉ユリ11回。和田弘とマヒナ・スターズ11回。三浦洸一8回。曽根史郎7回。全体は下記に。
 ゴールデン・デュエットの松尾和子が多いと思ったのだが、藤本が一番多かった。久しく聞かない朝倉ユリも意外に多かった。男性陣では三浦洸一、曽根史郎が目立つ。お二人ともフランク永井と比べてもファンも多く名が通っていたので、カップリングをするレコード会社の意図はどこにあったのか、と今も思う。
 高島忠夫、立川澄人、灰田勝彦、橋幸夫、ウイリー沖山、松島アキラ、宮城まり子、田代美代子とそうそうたる名前が連なる。筆者の近所で新聞の配達時に配布される「定年時代」というタブロイド紙があるのだが、ウイリー沖山が紹介されていた。85歳(現在は86歳かな)で、膠原病(こうげんびょう)に襲われたが克服し、ヨーデルは無理だが現在も「歌こそ命」でコンサートを開いたりされていると。素晴らしいことである。
 当然、多くの方はすでにお亡くなりになったが、まだまだお元気な方もおられる。雪村いづみは、フランク永井デビュー時のジャズ3曲の片面を飾ってくれた。藤田功はフランク永井に作曲を提供している曽根幸明。知らない名前の方もおられる。新人歌手だったのだろうか。羽生奈々子はフランク永井のデビュー曲のA面だが、その後どこでも聞かない。こうした方々がおられてのフランク永井であったと思わせる、カップリングの顔顔である。

藤本二三代(17回)、松尾和子(14回)、朝倉ユリ(11回)、和田弘とマヒナ・スターズ(11回)、三浦洸一(8回)、曽根史郎(7回)、市丸(4回)、多摩幸子(4回)、藤田功(3回)、神楽坂浮子(3回)、雪村いづみ(3回)、野村雪子(3回)、橋幸夫(2回)、中沢銀司(2回)、明石光司(2回)、三沢あけみ(2回)、清水まどか(2回)、中原葉子(2回)、藤村真紀(2回)、ウイリー沖山(1回)、河村淳(1回)、灰田勝彦(1回)、宮島三郎(1回)、熊倉一雄(1回)、広瀬一声(1回)、高島忠夫(1回)、今村隆志(1回)、坂本博士(1回)、勝三四郎(1回)、松島アキラ(1回)、村崎貞二(1回)、平尾昌章(1回)、立川澄人(1回)、ロミ山田(1回)、安西愛子(1回)、羽生奈々子(1回)、岡部幸恵(1回)、菊池章子(1回)、宮城まり子(1回)、山中みゆき(1回)、小桜姉妹(1回)、松島みのり(1回)、真理ヨシコ(1回)、大川さゆり(1回)、大津美子(1回)、大塚美晴(1回)、中尾ミエ(1回)、中野千鶴子(1回)、中矢孝子(1回)、田代美代子(1回)、内海京子(1回)、美野早苗(1回)、ニュー・キャリナーズ(1回)、ビクター少年民謡会(1回)、焼津市南小学校合唱団(1回)

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【余談】昔から見てくださっている方からご指摘があった歌手名についてひとこと感謝と共に触れたい。まだ現役でご活躍の曾根史朗(たいへん僭越ながら敬称を略させていただいてます)。曾根は一般表記を優先して曽根と記載させていただいている。名前は史朗が現在の表記で、フランク永井と現役を共にしていた時代は史郎。同様に平尾昌晃だが、ご活躍であった時代から、主に歌手と作曲家で使い分けたりされておられたようだが、マスコミ等周囲が十分についていけずに混乱があった。後年作曲家が主になったことから平尾昌晃で統一された。フランク永井と同時代であった歌手時代は平尾昌章。
 人名は本人の表記への意思を尊重したい。だがちょっと複雑な事情もともなうことがある。それはフランク永井の恩師吉田正の表記。吉田の吉はご本人の意図としては、土+口が正式で可能な限りそうして欲しいというものだった。だが、これは一般的な文字表記としては、士+口の吉が使われている。事情は漢字のコンピュータでの字形の規定をJISで採用する際に、吉が土+口の文字を許容して含むという判断をしたことによる。通産省系の判断が優先された。というのは、同時期に分母が無数に近い手書きの人名文字をコンピュータ化するために、取り組んでいた総務省系の部署が取り組んで、一部現場でも使用されていた。だが、余りにも無茶無理があるために統一性を持たせることが困難で、通産省系がJIS第一水準で決まってしまい、多少の修正をされながら今日に至っている。
 吉田をご本人の意図尊重で正しく表現したくても、それは例え同じ意図を持つ本人でも表現できないというのが現実。そのことから、吉田正の吉は士+口が一般に使用されている。だが、求める側との力関係で見かけるのは主に外字として別途作られて使用されているのもある。だが、ビジネス文書やPC系での一般文と異なり、書籍系では土+口が表現できる。それは世界的な標準であるアドビ社のアプリで作られるものだ。このアプリではJISとは別に多数の異字体を含むフォントが使える仕様になっているため。渡辺の辺など2桁に及ぶのではないかと思える異字体でも、容易に表現できる。

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このページは、文四郎が2019年8月24日 13:08に書いたブログ記事です。

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