日本歌手協会歌謡祭2018で歌われたフランク永井の歌と「お座敷小唄その後」

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 5月11日の朝日新聞の「サザエさんをさがして」欄を読んだ。それは、1月に発売された「日本の流行歌スターたち[2]松尾和子」の「お座敷小唄」(1964ビクター、作詞不詳、作曲陸奥明、採譜和田弘、編曲寺岡真三)について書いてあった。
 上記CDについての若干の私的説明を付けたものとして触れておく次第。それは当初の発売、その後についてのことが記されているからだ。翌年にも新編曲で「続お座敷小唄」が出たのだがいずれも、作詞・作曲:不詳、採譜:和田弘として発売されたが、そのレコードは200万枚を超える大ヒットとなる。
 先に記したように現在は、作曲陸奥明が明記されている。菅原都々子の父君。発売当時からしばらくして陸奥明の「籠の鳥エレジー」(1954年)のメロディーだったということで、改めて「確認」されたもの。言うまでもないことだが、当時はいいメロディーであるがゆえに勝手に詞が変えられたり変更されたりして、誰の歌かも知れずに広まることが、よくある時代だった。
 メロディーを発見したときのことは、松平直樹も近年までエピソードとして語っているので有名だ。
 現象として面白いというか、ここで取り上げたのは、当時「作者不詳」と記されていて、それが「お座敷小唄」のように大人気を得て売り上げがあがると、そこに「俺こそが作者だ」と名乗り出てくるものがあったということ。
 フランク永井の恩師吉田正がシベリア時代に作曲した「異国の丘」(作曲時は「昨日も今日も」。NHK素人のど自慢で中村耕造が歌ったときは「俘虜の歌える」。竹山逸郎、中村耕造でレコード発売したときに「異国の丘」となった)のエピソードのときも同じだ。NHKが全国に作者を探したのに、何人もが申し出た。
 「お座敷小唄」では、「1943年に広東で作った『広東小唄』の一部が使われている」と訴訟された。「1944年に作った『茶碗酒』の歌詞が使われた」との訴えもあった。この二つは1967年正式に裁判で退けられた。だが、ややこしいのは歌詞。和田弘が強い興味を持った時点でも、十番を超す歌詞があり、そこからこれはという6つを選択した。いわば替え歌としていくつあるかわからなかった。レコードがでると、またそれにいくつもも替え歌の歌詞が発明されて追加されていく。
 この歌は人気が半端じゃない。当然だが何人もの歌手でカバーが出る。だが、ここでは歌詞が同じでないのがいくつも出る。その歌詞がれっきとした別の歌のものというもの出てくる(1981年、藤山一郎歌唱のものは小俣八郎作詞「吉田芸者小唄」が元歌だと認められたケースもある)。
 と、いろいろな問題が浮き彫りになるのだが、和田弘とマヒナスターズと松尾和子のバージョンを他のものが超えることはなかった。
 さて話はまるきし別のに変わる。「お座敷小唄」はフランク永井と直接関係ないので。少し前に日本歌手協会の歌謡祭を取り上げた。この続きということで、すこし追加してみたい。
 昨年暮れと今年年頭にテレビで放送されたのは歌謡祭2018なのだが、ここではフランク永井当人は当然でない。だが、日本歌手協会の歴代の会長の紹介、つまり日本の戦後の流行歌の歴史のようなものの紹介コーナーがあって、ここでフランク永井の歌も取り上げられたのだ。
 レコード大賞に輝いた「君恋し」は現在の会長田辺靖雄が歌った。ちなみに、歌手協会は1963(S38)年に発足。初代会長は東海林太郎。以下藤山一郎、ディック・ミネ、林伊佐緒、田端義夫、青木光一、ペギー葉山を経て現在は田辺靖雄が八代会長。「有楽町で逢いましょう」も宇山保夫によって歌われた。不勉強で歌手宇山保夫は存じ上げないが、知る人ぞ知る歌のうまい方だという。

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このページは、文四郎が2019年5月11日 17:19に書いたブログ記事です。

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