追悼京マチ子 2月70周年「京マチ子映画祭」で「有楽町で逢いましょう」が上映されたのを見届け

| コメント(0) | トラックバック(0)
mx20190518.jpg

 京マチ子が5月12日に亡くなり、親交のあった方々で葬儀されたことが報じられた。95歳であったとのこと。こころからご冥福をお祈り申し上げます。
 大映の代表的な大スターであった。私的にはフランク永井が世に躍り出たきっかけになった、百貨店そごうの東京進出大キャンペーン「有楽町で逢いましょう」、テレビ、小説、歌謡曲、映画と大々的な取り組みが展開され、歌はビクターから新人フランク永井が担当。その映画は大映が「大映カラー・総天然色」として制作、その主演が京マチ子だった。
 京マチ子について、中日スポーツ紙は【黒澤明監督の映画「羅生門」(1950年)では、ヒロインの真砂役を熱望し、眉毛をそってオーディションへ。黒澤監督がその心意気を買い、見事に役を射止めた。その後、溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)などに出演、スクリーンで圧倒的な存在感を見せた。51年のベネチア国際映画祭で「羅生門」、1954年のカンヌ国際映画祭で「地獄門」と、出演作が海外の映画祭で相次いで最高賞を受賞し「グランプリ女優」と呼ばれた】と紹介していた。
 筆者が最初に京マチ子で驚いたのも、まさに「羅生門」だった。好きな三船敏郎で観たのだが、彼女の熱演も強烈な印象を残した。これは外国に受けそうなキャラクター、演技だなと感じたものだった。(写真は「羅生門」の珍しいバージョン)
 それが京マチ子を大映の代表的な女優に押し上げたものだが「有楽町で逢いましょう」(1958年)までは特に気にしていなかったのだが、この映画では主役を演じきっている。この映画で主役は若い川口浩か、可愛い野添ひとみかなのかもしれないが、当時売り出しの菅原謙二とコンビの彼女の演技というか、迫力と存在感はピカ一だ。
 京マチ子がスクリーンを通しての演技がそのまま生の彼女ではないだろうが、他を圧倒するものがある。やはり、主役だと感じた。
 ストーリィは特別なものではない。急いでドラマ化したものだから、映画自体の全体としての評価はほどほどなのだが、フランク永井ファンにとってはどうしても押さえておきたくなる。
 フランク永井の出演は開始と同時に歌う主題歌。これはフランク永井の映画デビューでもあるが、当時は観たファンは喜んだと思う。現在と違い映像はほとんどない。あってもまだ普及が弱い白黒テレビの時代の「総天然色」(この名づけが!)だったのだから。主題歌は映画の後半でも流れる。それはこの映画でしか聞くことができない歌詞のもの。このときはフランク永井の映像はない、声だけ。
 百貨店そごうは現在のビッグカメラ有楽町店に変わったが、読売会館。ここに大映の後継KADOKAWAが映画館となっている。有楽町には「有楽町で逢いましょう」の歌碑あり、itoshiaがある。そごうができたことは、まだまだ戦争の爪あとが残り、闇市で有名な場所でもあった。わずか、ガード下の居酒屋にその名残というか雰囲気をとどめている。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://frank-m.org/mt-new/mt-tb.cgi/568

コメントする

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、文四郎が2019年5月18日 13:02に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「日本歌手協会歌謡祭2018で歌われたフランク永井の歌と「お座敷小唄その後」」です。

次のブログ記事は「北島三郎、フランク永井を歌う。BS-TBSで「夜霧の第二国道」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。