2019年5月アーカイブ

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 5月18日BS-TBS番組「北島三郎 芸道58年 歌魂の贈りもの~昭和・平成・令和 歌い継がれる日本の心~」を観た。
 北島三郎の集大成とまでは言わないまでも、題目通り彼の現在の心境を番組にしたように感じた。過去を振り返るコーナーで彼は真っ先に好きな歌として、フランク永井の「夜霧の第二国道」をあげ、北山たけしとともに歌った。
 フランク永井も昭和の歌謡界の歴史に大きな足音を残したが、北島三郎もまさに長期にその存在を示し続けてきた。この二人の接点は過去になかなか直接語られることはなかったのだが、この番組で初めて触れられた。
 美空ひばりや石原裕次郎の話題のときにも触れたが、大衆文化に自らの存在を刻み付けたスター同士は、よほどのことがない限り互いへの尊敬を守っている。互いに強烈な色というか個性を誇るだけに、その個性に魅力を感じるファンがいる。
 そのファンの色合いは互いに強力なライバルであり、相手を意識することでより磨かれ、いっそうその色合いをあでやかにする。
 フランク永井はビクターの帝王たる吉田正を恩師に一つの世界を作ってきた。歌謡曲の色合いとしては「都会派ムード歌謡」とか言われる。北島三郎は船村徹を恩師に持つ。いわゆる典型的な演歌の世界だ。
 北島が圧倒的にすごいのはその演歌の演歌たるところを見事に歌うところだ。こぶしコロコロというのではないが、演歌のツボであるところを歌う表現力は天性のものだ。例えばメロディーとしてフラットな「与作」などは北島の手(のど?)にかかれば、メリハリといい、感情表現といい、驚くべき状況を表現する。
 彼のこの歌い方を天性に引き継ぐのは大江裕かも知れない。大江は三波春夫の「雪の渡り鳥」を歌った。サビのまわしどこ、というか演歌の勘所を本能的に表現するものを持っている。このような歌い方は吉田正・フランク永井にはないもので、船村徹が描いた世界とぴったり合うものだ。
 何年も前に「さんまのからくりテレビ」という番組があった。ここで大江は北島にあこがれ弟子になるのだといい、さまざまな(こっけいな)試行錯誤を繰り返した。
 弟子は北山を最後にあとは取らないと断られつつも、現在に見るようにちゃんと弟子の地位を得ている。大江の北島コピーはやや大げさに見えるものもあるが、しょせん大衆芸能の世界なので楽しく受け入れるのがいいのだろう。
 フランク永井の方だが、北島三郎の歌をひっそりとカバーしている。「兄弟仁義」「函館の女」で、後者は2014年発売の「ザ・カバーズ」でCD化された。
 ちなみに、今回の番組についての放送局側の紹介は次のようなものだった。
 【過去3回放送してきた北島三郎の芸道シリーズスペシャルの第4弾。昭和・平成と歌い続けてきた北島三郎の歌は、昭和では「演歌」、平成では「艶歌」と、変化していった。今回の特番では、令和となる今「縁歌」をテーマにお世話になったファンとの縁を大切にしたいとの思いを込め「歌魂の贈りもの」として名曲の数々を歌い上げる。スペシャルゲストに昭和期を北島三郎と同じく歌と共に生きた二葉百合子さんが登場!2010年に引退を発表した二葉さんが一夜限りの名曲「岸壁の母」を熱唱する。また、数々の流行歌・歌謡曲・演歌を手掛けた作曲家・弦哲也さんをお迎えして昭和~平成と変容してきた音楽を振り返る。さらに、北島ファミリーの北山たけし、大江裕も登場。昭和・平成・令和と歌い継がれる日本の心をテーマにおおくりする豪華な 2 時間スペシャル】
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 京マチ子が5月12日に亡くなり、親交のあった方々で葬儀されたことが報じられた。95歳であったとのこと。こころからご冥福をお祈り申し上げます。
 大映の代表的な大スターであった。私的にはフランク永井が世に躍り出たきっかけになった、百貨店そごうの東京進出大キャンペーン「有楽町で逢いましょう」、テレビ、小説、歌謡曲、映画と大々的な取り組みが展開され、歌はビクターから新人フランク永井が担当。その映画は大映が「大映カラー・総天然色」として制作、その主演が京マチ子だった。
 京マチ子について、中日スポーツ紙は【黒澤明監督の映画「羅生門」(1950年)では、ヒロインの真砂役を熱望し、眉毛をそってオーディションへ。黒澤監督がその心意気を買い、見事に役を射止めた。その後、溝口健二監督の「雨月物語」(1953年)などに出演、スクリーンで圧倒的な存在感を見せた。51年のベネチア国際映画祭で「羅生門」、1954年のカンヌ国際映画祭で「地獄門」と、出演作が海外の映画祭で相次いで最高賞を受賞し「グランプリ女優」と呼ばれた】と紹介していた。
 筆者が最初に京マチ子で驚いたのも、まさに「羅生門」だった。好きな三船敏郎で観たのだが、彼女の熱演も強烈な印象を残した。これは外国に受けそうなキャラクター、演技だなと感じたものだった。(写真は「羅生門」の珍しいバージョン)
 それが京マチ子を大映の代表的な女優に押し上げたものだが「有楽町で逢いましょう」(1958年)までは特に気にしていなかったのだが、この映画では主役を演じきっている。この映画で主役は若い川口浩か、可愛い野添ひとみかなのかもしれないが、当時売り出しの菅原謙二とコンビの彼女の演技というか、迫力と存在感はピカ一だ。
 京マチ子がスクリーンを通しての演技がそのまま生の彼女ではないだろうが、他を圧倒するものがある。やはり、主役だと感じた。
 ストーリィは特別なものではない。急いでドラマ化したものだから、映画自体の全体としての評価はほどほどなのだが、フランク永井ファンにとってはどうしても押さえておきたくなる。
 フランク永井の出演は開始と同時に歌う主題歌。これはフランク永井の映画デビューでもあるが、当時は観たファンは喜んだと思う。現在と違い映像はほとんどない。あってもまだ普及が弱い白黒テレビの時代の「総天然色」(この名づけが!)だったのだから。主題歌は映画の後半でも流れる。それはこの映画でしか聞くことができない歌詞のもの。このときはフランク永井の映像はない、声だけ。
 百貨店そごうは現在のビッグカメラ有楽町店に変わったが、読売会館。ここに大映の後継KADOKAWAが映画館となっている。有楽町には「有楽町で逢いましょう」の歌碑あり、itoshiaがある。そごうができたことは、まだまだ戦争の爪あとが残り、闇市で有名な場所でもあった。わずか、ガード下の居酒屋にその名残というか雰囲気をとどめている。
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 5月11日の朝日新聞の「サザエさんをさがして」欄を読んだ。それは、1月に発売された「日本の流行歌スターたち[2]松尾和子」の「お座敷小唄」(1964ビクター、作詞不詳、作曲陸奥明、採譜和田弘、編曲寺岡真三)について書いてあった。
 上記CDについての若干の私的説明を付けたものとして触れておく次第。それは当初の発売、その後についてのことが記されているからだ。翌年にも新編曲で「続お座敷小唄」が出たのだがいずれも、作詞・作曲:不詳、採譜:和田弘として発売されたが、そのレコードは200万枚を超える大ヒットとなる。
 先に記したように現在は、作曲陸奥明が明記されている。菅原都々子の父君。発売当時からしばらくして陸奥明の「籠の鳥エレジー」(1954年)のメロディーだったということで、改めて「確認」されたもの。言うまでもないことだが、当時はいいメロディーであるがゆえに勝手に詞が変えられたり変更されたりして、誰の歌かも知れずに広まることが、よくある時代だった。
 メロディーを発見したときのことは、松平直樹も近年までエピソードとして語っているので有名だ。
 現象として面白いというか、ここで取り上げたのは、当時「作者不詳」と記されていて、それが「お座敷小唄」のように大人気を得て売り上げがあがると、そこに「俺こそが作者だ」と名乗り出てくるものがあったということ。
 フランク永井の恩師吉田正がシベリア時代に作曲した「異国の丘」(作曲時は「昨日も今日も」。NHK素人のど自慢で中村耕造が歌ったときは「俘虜の歌える」。竹山逸郎、中村耕造でレコード発売したときに「異国の丘」となった)のエピソードのときも同じだ。NHKが全国に作者を探したのに、何人もが申し出た。
 「お座敷小唄」では、「1943年に広東で作った『広東小唄』の一部が使われている」と訴訟された。「1944年に作った『茶碗酒』の歌詞が使われた」との訴えもあった。この二つは1967年正式に裁判で退けられた。だが、ややこしいのは歌詞。和田弘が強い興味を持った時点でも、十番を超す歌詞があり、そこからこれはという6つを選択した。いわば替え歌としていくつあるかわからなかった。レコードがでると、またそれにいくつもも替え歌の歌詞が発明されて追加されていく。
 この歌は人気が半端じゃない。当然だが何人もの歌手でカバーが出る。だが、ここでは歌詞が同じでないのがいくつも出る。その歌詞がれっきとした別の歌のものというもの出てくる(1981年、藤山一郎歌唱のものは小俣八郎作詞「吉田芸者小唄」が元歌だと認められたケースもある)。
 と、いろいろな問題が浮き彫りになるのだが、和田弘とマヒナスターズと松尾和子のバージョンを他のものが超えることはなかった。
 さて話はまるきし別のに変わる。「お座敷小唄」はフランク永井と直接関係ないので。少し前に日本歌手協会の歌謡祭を取り上げた。この続きということで、すこし追加してみたい。
 昨年暮れと今年年頭にテレビで放送されたのは歌謡祭2018なのだが、ここではフランク永井当人は当然でない。だが、日本歌手協会の歴代の会長の紹介、つまり日本の戦後の流行歌の歴史のようなものの紹介コーナーがあって、ここでフランク永井の歌も取り上げられたのだ。
 レコード大賞に輝いた「君恋し」は現在の会長田辺靖雄が歌った。ちなみに、歌手協会は1963(S38)年に発足。初代会長は東海林太郎。以下藤山一郎、ディック・ミネ、林伊佐緒、田端義夫、青木光一、ペギー葉山を経て現在は田辺靖雄が八代会長。「有楽町で逢いましょう」も宇山保夫によって歌われた。不勉強で歌手宇山保夫は存じ上げないが、知る人ぞ知る歌のうまい方だという。
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 つねづね、昭和歌謡における異彩というか、たいへんユニークな作曲家として私的に(つまり勝手に)注目をしているのが、浜口庫之助、山本直純、小林亜星。
 もちろんフランク永井の恩師である吉田正やスタンダードな遠藤実、古賀政男といった歴史に名を残す作曲家はいうまでもないのだが、上記ご三方は何か妙な親しみを感じる。それはおそらく彼らの生きざまなのかもしれない。
 テレビ番組で特集が組まれるたびにじっくり観させてもらう。この度は4月20日にBSフジで組まれた浜口庫之助~素顔と真実時を越えた名曲の全て」について触れたい。
 浜口庫之助の生涯の活動を、実にみごとにまとめあげた2時間番組といえるのではなかろうか。しかもいままで私的にだが見ていない珍しい映像も交えてあった。そして、彼の作った歌を歌った歌手が勢ぞろいで紹介されていた。
 ゆえに、見ても小さくて判別できないのを承知で番組のシーンを撮影したのをわんさか並べてみた。
 浜口の作った歌は裕次郎が歌った「夜霧よ今夜も有難う」はストレートというか、流行歌の線をまっすぐに押さえたような歌だが、これはむしろ少ないのではないだろうか。こうした線よりも、ちょっと違い、いちど耳にしたら、あれっと感じ、耳にここちよく張り付くようなのが多い。これが彼が追い求めた曲調なのかと思う。
 番組で紹介された曲をみると、それがよくわかる。
 黄色いさくらんぼ(浜口庫之助ほか)/僕は泣いちっち(守屋浩)/バラが咲いた(マイク眞木ほか)/人生いろいろ(島倉千代子)/愛のさざなみ(島倉千代子)/星のフラメンコ(西郷輝彦)/夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎)/涙くんさよなら(浜口庫之助)/恍惚のブルース(青江三奈)/もう恋なのか(錦野旦)/空に太陽がある限り(錦野旦)/愛して愛して愛して愛しちゃったのよ(浜口夫妻)/涙と幸せ(江利チエミ)/へんな女(水原弘)/有難や節(浜口庫之助)...
 「黄色いサクランボ」「バラが咲いた」「愛して愛してあいしちゃったのよ」などはその最たるものと感じる。いちど聴くと頭の中で勝手に何度もリピートされる。水原弘の「へんな女」などは、実にばかばかしい曲なのだが、彼の歌唱のうまさもあるが、聴けば妙に楽しくさせる。
 浜口は若い時からバンドを組み彼自身がボーカルで歌っていた。だが、自分が歌ってきた歌のほとんどが洋楽で、これは本当に自分が歌いたい曲なのだろうかと疑問を感じるようになる。なら、自分で満足いくものを作る側になろうと、作曲に仕事のウエイトを移していく。
 最後まで寄り添った夫人が証言する。いつでもギターを手にしていた。生活のことごとく、何気ない会話のひとことひとこと、飲みに行ってもそこで話されるあれこれ、それらを常に曲との関係でつながることを頭に持っていたと。
 多くの作曲家もそうであるようだが、浜口はそれを実際に曲にして適切な歌手に歌わせて、視聴者の気持ちにつなげている。
 作曲家はしかし自分の思うものだけを作り続けるのは難しい。関係者からの依頼を受けてそれに対応して作る必要もある。映画のテーマ曲とか歌手やレコード会社の求めとかある。当然その場合でも見事な対応をするのが、さすがの作曲家だ。
 青江三奈が歌った「恍惚のブルース」は有名だ。
 さてフランク永井にも提供している。1967(S42)年の一枚のEPの表裏。「風と二人で」「明かりを消そうよ」。いずれも聴けばユニークな雰囲気を歌詞でもメロディーでも実現されている。それなりに完成した曲だ。だがヒットを得ることはできなかった。
 それはなぜだろう、と考えながら幾度か聴いてみる。やはりビクターがフランク永井に付けてきた色と合わなかったのではなかろうか。レコード会社が歌手を売り出すときに、イメージ展開を欠かすことはない。それが成功してヒットを出し、歌手の名も広がるのだが、これが新しい展開の障壁になることもある。
 フランク永井の場合は実際は実の幅広い分野に挑戦していて、それぞれの分野の実勢を残してもいるが、ファンの方はどうしても作られた色に寄ることが多い。その歌手の全体像を客観的に見て評価し支援するということは主ではない。私的な趣向がすべてに優先される傾向がある。それは大衆文化の強みでもあるので、ここをとやかく言ってもしかたない。
 フランク永井については、都会派ムード歌謡、低音の魅力、カバーにめっぽう強いなどだろうか。そうそう、カバーでは錦野旦の「もう恋なのか」を歌っている。フランク永井が舞台を降りて30年を超える。今となって残された遺産を整理してみると、ファンの気持ちはほとぼりが冷めて、ようやく、当時ヒットはしなかった曲であっても、冷静に目を向けられる。
 そんな思いを巡らせてくれる、浜口庫之助番組であった。

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