フランク永井「おまえに」を日本歌手協会第7回歌謡祭で歌っていた

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 一般社団法人日本歌手協会は日本の歌手が参加している組織だ。さまざまな催しを行っているが、秋から初冬に行われる「歌謡祭」は名が知れている。昨年は11月13日14日の2日間、昼夜あわせて8部公演され、およそ200曲がうたわれた。この模様は暮れにテレビ東京で二夜8時間分が放送された。さらに年開けて12時間分(4部)の連続放映が成された。第45回目になる。
 日本歌手協会はプロ歌手の著作権等の権利や資産、栄誉を守る目的で1963年に作られた。著作権の扱いへの関与が変化することもあったが、日本の歌手総勢が寄ってチャリティーなどへの貢献をしていることの意義は定着している。
 東海林太郎が最初の会長をつとめ、その後藤山一郎、ディック・ミネ、林伊佐緒、田端義夫、青木光一、ペギー葉山とリレーされ、2010年からは田辺靖雄がその任についている。
 歌謡祭はテレビでは放映されるものの、時間の関係でどうしても名が馳せている歌手から順となるために、放送されない歌手も多く出る。総出のイベントであるだけに、声援する歌手が登壇する部(日にちと昼夜で別れる)を特定して券を得るか、余裕があれば通しで会場に足を運ぶしかない。
 筆者は、実は一度も行ってはいないのだが、十年ほど前に寸前までその気になっていたことがあった。それは知り合い?の歌手がいて歌う予定だったのだが、急にプロらしくなく体調不全でキャンセルになったため、他にどうしてもやらなばならないほうに都合をあててしまって行けなかったもの。
 さて、フランク永井だが、歌謡祭にはどうだったのだろうか。などと、年明けに放送された長時間番組のビデオを、何回かに分けて観終わって思っていたところに、熱心な知り合いの方から情報をいただいた。それによれば、一回だけ出場していて、そのときの映像を録画して秘蔵しているとのこと。
 この時期に会長に任にあったのがディック・ミネ。彼こそフランク永井がジャズ歌手から歌謡曲に転向するかで悩んでいたときに背中を押してくれた先輩。彼がフランク永井の登壇を強く望んで実現したのではないかと。
 ならばということで、お願いして、このたび鑑賞する機会を得た次第で、大変感謝もうしあげます。
 それは、1985(S60)年2月26日、新橋演舞場で行われた第7回歌謡祭。この昼の部の45人目あたりで登場し「おまえに」を歌ったものだ。放送では順番がまったく無視された編集になっていて5番目。2時間番組(CM含む)。
 この年の暮れにフランク永井は舞台を降りたので映像としては貴重なもの。音撮りもやや不満はあるものの何かのどの疲れを感じる歌唱のようだった。
 筆者は当時テレビをほとんど見なかったので、どういった歌手がどんな歌を歌っていたのかということがわからない。影像を観ていると、相当数の歌手のことを知らないばかりか、知っている歌手でも歌っている歌に覚えがないというのが多く、ずいぶんとフレッシュな感じで鑑賞した。
 大川栄策「冬花火」とか、山本リンダ「酒場で」。春日八郎「その後のお富さん」二葉百合子「みちのく旅鴉」等々。
 同じことは、今年放映の12時間放送もそうだ。そうとう多くの歌手について名前も曲も知らない。テレビに出るということで歌手は名を、全国区にする。生まれた故郷や知人、友人、親戚の世界から、初めて名も曲もその人の映像イメージも他人の記憶にのこり、注目もされる機会になる。
 現在のyoutubeでの作戦と同じ。だが、注目されるのは大変なこと。影像の時代。まずは、容姿、声、曲、振り...。こうしたことで、視聴者に「あれっ」と感じさせ、もっと見てみたい、聴いてみたいという気持ちにさせていかなけれえばならないという世界。つくづく厳しい世界だ。
 長年テレビで歌謡番組を観ているが、前に活躍していたのに今はいない。それぞれ事情はあるのだろうが、何も知らされることなく姿を消した(消された)人も多い。つまり、僅かの曲が注目されて売れた、というだけではダメなのだ。永続的に視聴者にフレッシュな風を当てる力と、決定的なのはその歌手の人柄だろう。人として嫌われたらお終いだ。
 社会的な犯罪などもってのほか。筆者の記憶にはヤク、殺人に関与した人までいた。個性を勘違いして他人に対する口の利き方、行動で迷惑を顧みないという人もいた。そうした人を崇めるような勘違いしたファンもいるから面倒だ。
 大衆文化の先を行くものが、己の与える影響について自覚を持つことは大事なのではないだろうか。本人は言わずもがなだが、取り巻きにも同じことが言える。商業主義やグローバリズムの波の勢いを背後に感じて、常識の破壊を当然視するような風潮との対峙も必要ではなかろうか。
 フランク永井の恩師吉田正は、子弟をまずそうした点から諭した。上手な歌手を目指しても、子弟として許すのはまず人柄を観て人としての価値、後々まで視聴者を人として裏切らない素養を磨かした。もちろん、そうしたことは個人の自由に関係する。自ずと限界がある。だが、そうした姿勢を大切にする気持ちは伝えた。
 加齢と酒の勢いで、30年以上前の映像を観ながらやや混乱したかも知れないがご容赦を。
 また、古いテレビ録画には必ず?CMが入る。これも妙にフレッシュだ。驚くようなときがある。時代の最先端のイメージを訴えるのがCM。今のCMもそうだが、つっこみ満載だ。だからまぁ、お愛嬌で楽しむしかない。

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このページは、文四郎が2019年4月20日 16:26に書いたブログ記事です。

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