2019年4月アーカイブ

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 先日ヤフオクで「部長刑事」というLPを得た。写真の真ん中のもので、下のジャケットはその中にあった2枚のLP。部長刑事は1958年から2002年まで関西の大阪テレビ、朝日放送大阪テレビ、朝日放送で放送されていた関西ローカルの刑事ドラマシリーズとのこと。フランク永井がこのドラマの主題歌、あるいは挿入歌でも歌っているのではないかという想像から購入に至ったもの。
 開いてみたら予想とは異なり、ドラマの放送が20年連続でなされたことが、業界(世界を含む)での偉業ということで、それを記念した作品。朝日放送、大阪府警察本部、大阪ガスが協賛して、ビクターが制作した。
 ドラマが最初に放送された年から2千回を迎えるまでの20年間を、そのときどきに流行した歌を2枚のアルバムにしたもの。ビクター歌手がそれぞれの年に大ヒットで話題を呼んだ曲を連ねたものだ。
 最初にフランク永井の「こいさんのラブ・コール」があり、4曲目に「君恋し」が採用されているというもの。最後はピンク・レディーの「ウォンテッド」。なるほど、という構成だ。
 だが、タイトルが「部長刑事」というのに、収録されている曲がドラマとはほとんど無関係というのだから、驚きもするのだが、聴いてみれば名司会者浜村淳が全曲を紹介する使用になっている。トークに曲がかぶさる、つまりこのスタイルで当時よくあったラジオの番組を聴くような感じだ。
 またケース内には20余ページにおよぶ部長刑事の解説がついていて、これは丁寧だ。時代を反映したものであることがわかる。その年にまつわる歴史のエピソードが概観できる。
 ちなみに、このドラマはローカル局の放送で、関西以外では知らないのが多いと思う。近年BSの番組で以前のドラマの再放送をしているが、この時代のものは映像も残っていないようで、今は当時観た人の頭の中にのみ残っている。刑事もののはしりなのだろう。後に石原軍団も含めて「後継?」のドラマを続々手にした。
 
 さて、この企業の記念盤で思い出したのは、写真右の「モービル70」というLP。
 モービル石油は、正確には何も知らないのだが、その後に企業の合併が幾度かあって、現在ENEOSになっているのではないか。モービル石油は明治26(1893)年にスタートし、このLPができたのはその70周年記念とのこと。つまり昭和38(1963)年だ。この70年間の間にビクター歌手で流行した曲をつづり、20曲1枚のLPにしている。
 面白いことに、厳密ではないが、先の部長刑事盤はこのモービル盤に続いたようなものになる。
 この盤では明治26年に発売されたとされる「凱旋」(佐々木信綱作詞納所弁次郎作曲かちどき合唱団唄)というものが1曲目。不勉強ながら初めて聴いた。
19曲目にフランク永井の「有楽町で逢いましょう」、最後の曲は「いつでも夢を」。
 モービル石油の70年というのに、ここでも特にその企業と直結した曲が入れられているわけではない。山上敬三が見開きに時代の外観を解説している。読むと時代の流れ、変化がわかる。特に70年というスパンはほとんど人生の長さにかぶさる。
 和暦の平成があと数日後に令和に変わる。だから何だということは何もないのだが、この機会にとこの2つのLPを取り上げて聴いてみた次第。
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 一般社団法人日本歌手協会は日本の歌手が参加している組織だ。さまざまな催しを行っているが、秋から初冬に行われる「歌謡祭」は名が知れている。昨年は11月13日14日の2日間、昼夜あわせて8部公演され、およそ200曲がうたわれた。この模様は暮れにテレビ東京で二夜8時間分が放送された。さらに年開けて12時間分(4部)の連続放映が成された。第45回目になる。
 日本歌手協会はプロ歌手の著作権等の権利や資産、栄誉を守る目的で1963年に作られた。著作権の扱いへの関与が変化することもあったが、日本の歌手総勢が寄ってチャリティーなどへの貢献をしていることの意義は定着している。
 東海林太郎が最初の会長をつとめ、その後藤山一郎、ディック・ミネ、林伊佐緒、田端義夫、青木光一、ペギー葉山とリレーされ、2010年からは田辺靖雄がその任についている。
 歌謡祭はテレビでは放映されるものの、時間の関係でどうしても名が馳せている歌手から順となるために、放送されない歌手も多く出る。総出のイベントであるだけに、声援する歌手が登壇する部(日にちと昼夜で別れる)を特定して券を得るか、余裕があれば通しで会場に足を運ぶしかない。
 筆者は、実は一度も行ってはいないのだが、十年ほど前に寸前までその気になっていたことがあった。それは知り合い?の歌手がいて歌う予定だったのだが、急にプロらしくなく体調不全でキャンセルになったため、他にどうしてもやらなばならないほうに都合をあててしまって行けなかったもの。
 さて、フランク永井だが、歌謡祭にはどうだったのだろうか。などと、年明けに放送された長時間番組のビデオを、何回かに分けて観終わって思っていたところに、熱心な知り合いの方から情報をいただいた。それによれば、一回だけ出場していて、そのときの映像を録画して秘蔵しているとのこと。
 この時期に会長に任にあったのがディック・ミネ。彼こそフランク永井がジャズ歌手から歌謡曲に転向するかで悩んでいたときに背中を押してくれた先輩。彼がフランク永井の登壇を強く望んで実現したのではないかと。
 ならばということで、お願いして、このたび鑑賞する機会を得た次第で、大変感謝もうしあげます。
 それは、1985(S60)年2月26日、新橋演舞場で行われた第7回歌謡祭。この昼の部の45人目あたりで登場し「おまえに」を歌ったものだ。放送では順番がまったく無視された編集になっていて5番目。2時間番組(CM含む)。
 この年の暮れにフランク永井は舞台を降りたので映像としては貴重なもの。音撮りもやや不満はあるものの何かのどの疲れを感じる歌唱のようだった。
 筆者は当時テレビをほとんど見なかったので、どういった歌手がどんな歌を歌っていたのかということがわからない。影像を観ていると、相当数の歌手のことを知らないばかりか、知っている歌手でも歌っている歌に覚えがないというのが多く、ずいぶんとフレッシュな感じで鑑賞した。
 大川栄策「冬花火」とか、山本リンダ「酒場で」。春日八郎「その後のお富さん」二葉百合子「みちのく旅鴉」等々。
 同じことは、今年放映の12時間放送もそうだ。そうとう多くの歌手について名前も曲も知らない。テレビに出るということで歌手は名を、全国区にする。生まれた故郷や知人、友人、親戚の世界から、初めて名も曲もその人の映像イメージも他人の記憶にのこり、注目もされる機会になる。
 現在のyoutubeでの作戦と同じ。だが、注目されるのは大変なこと。影像の時代。まずは、容姿、声、曲、振り...。こうしたことで、視聴者に「あれっ」と感じさせ、もっと見てみたい、聴いてみたいという気持ちにさせていかなけれえばならないという世界。つくづく厳しい世界だ。
 長年テレビで歌謡番組を観ているが、前に活躍していたのに今はいない。それぞれ事情はあるのだろうが、何も知らされることなく姿を消した(消された)人も多い。つまり、僅かの曲が注目されて売れた、というだけではダメなのだ。永続的に視聴者にフレッシュな風を当てる力と、決定的なのはその歌手の人柄だろう。人として嫌われたらお終いだ。
 社会的な犯罪などもってのほか。筆者の記憶にはヤク、殺人に関与した人までいた。個性を勘違いして他人に対する口の利き方、行動で迷惑を顧みないという人もいた。そうした人を崇めるような勘違いしたファンもいるから面倒だ。
 大衆文化の先を行くものが、己の与える影響について自覚を持つことは大事なのではないだろうか。本人は言わずもがなだが、取り巻きにも同じことが言える。商業主義やグローバリズムの波の勢いを背後に感じて、常識の破壊を当然視するような風潮との対峙も必要ではなかろうか。
 フランク永井の恩師吉田正は、子弟をまずそうした点から諭した。上手な歌手を目指しても、子弟として許すのはまず人柄を観て人としての価値、後々まで視聴者を人として裏切らない素養を磨かした。もちろん、そうしたことは個人の自由に関係する。自ずと限界がある。だが、そうした姿勢を大切にする気持ちは伝えた。
 加齢と酒の勢いで、30年以上前の映像を観ながらやや混乱したかも知れないがご容赦を。
 また、古いテレビ録画には必ず?CMが入る。これも妙にフレッシュだ。驚くようなときがある。時代の最先端のイメージを訴えるのがCM。今のCMもそうだが、つっこみ満載だ。だからまぁ、お愛嬌で楽しむしかない。
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 日活の大スター、テイチクの稼ぎ頭である石原裕次郎。日本で一番愛された男というキャッチも使われた。文句は誰もつけなかった。まあ、昭和日本で男のスターといえば、認めざるを得ないだろう。
 フランク永井、石原裕次郎は当時「低音の魅力」の代表として、誰もが知っていた。最初は三船浩が三人目としてあがっていたが、その後幾人かに変わったようだ。低音ブームがフランク永井の「有楽町で逢いましょう」のヒット以来盛り上がった。
 そのフランク永井のいくつかのヒット曲は、数多くの歌手がカバーしたのだが、低音の歌い手の双璧石原裕次郎がカバーするのは格別といえる。
 フランク永井のビクターに資本的にやや関係が近かった時期もあるテイチクの裕次郎と、特別な交換契約のような関係で、フランク永井が裕次郎の歌を歌い、裕次郎がフランク永井の歌を歌うというのが実現した。もちろん、背景にはカバーブームが盛り上がったということもある。
 しかし、低音を代表する二人が同じように歌うのは芸がない。そのあたりの工夫は当時のプロデューサーが大変苦労したことだろう。
 石原裕次郎が歌ったフランク永井曲は多くない。「東京午前三時」「俺は淋しいんだ」「東京ナイトクラブ」がある。「君恋し」はフランク・バージョンのカバーとはちょっと異なる。裕次郎は懐メロとかカバーに多数挑戦していて、もしかしてフランク永井のカバー(邦楽、洋楽あわせておよそ400曲)よりも多いかもしれない。
 そのレコードはフランク永井活躍時期とかさなるが、同じようにシングル、LP、カセット、ソノシートと多数ある。裕次郎の場合は、没後もすざまじい人気が続き、CDや映像もコンスタントに売れてきた。ご本人は「俺は歌手ではない。俳優」だ、と言い放ち要請されても、NHK紅白歌合戦には出なかった。また、歌は歌い終わったら歌詞などすっかり記憶から消し、出演で歌の要請があれば再度思い起こして、ADが指し示すボードで歌うということも多かったという。
 彼は後年自分の思う映画への思い入れで巨費を投じたのだが、その費用を全国歌の公演で補填したともいう。歌手であるかどうかというよりも、ご本人はそれをさらっと実行できるほどの歌の実力を持っていたのも事実だ。
 このたび、石原裕次郎の全集には手が届かなかったが「石原裕次郎愛唱歌ベスト40」(2009年)をじっくり聴いてみた。このタイトルでLPは確かなかったと思うが、当時数多く吹き込んだムード歌謡のジャンルに入る40曲。フランク永井のカバーがそろって収められている。
 1.東京ナイトクラブ(デュエット:八代亜紀) 2.赤いグラス(デュエット:八代亜紀) 3.ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 4.赤坂の夜は更けて 5.知りすぎたのね 6.グッド・ナイト 7.東京午前三時 8.赤と黒のブルース 9.ラブユー東京 10.今日でお別れ 11.柳ヶ瀬ブルース 12.よこはま・たそがれ 13.再会 14.俺は淋しいんだ 15.君こそわが命 16.霧にむせぶ夜 17.銀座ブルース 18.知りたくないの 19.小樽のひとよ 20.港町ブルース
 21.知床旅情 22.誰もいない海 23.シクラメンのかほり 24.白いブランコ 25.ひとり寝の子守唄 26.遠くへ行きたい 27.時には母のない子のように 28.四季の歌 29.希望 30.女ひとり 31.爪 32.くちなしの花 33.ウナ・セラ・ディ東京 34.ベッドで煙草を吸わないで 35.喝采 36.あいつ 37.夜明けのうた 38.倖せはここに 39.この胸の高なりを 40.そっとおやすみ
 さすがに「ムード歌謡」代表曲といったところ。ということで帝王のフランク永井もほとんどをカバーしている。裕次郎の歌は緻密さというのはない。ご本人は感情の限りをつくして緻密に挑戦しているのだろうが、そこが聴く人の印象との違いだ。図太い大砲の射撃のようにズドンと一本調子に歌う。
 フランク永井の恩師吉田正はフランク永井にはレコードを聴く人に日本語的な違和感を感じさせてはならない、と厳しい発声の訓練をした。語尾、滑舌で手を抜くような歌い方を容赦なく諭した。裕次郎にも聴かせてあげたいような感想を抱くのだが、実はこれは裕次郎にはおそらく逆効果にしかならないだろう。ここがプロと自称「歌手でない」人との相違。
 裕次郎のラフさ加減。多少譜面に忠実でないところ。それでいて目に見えない本人の工夫。彼の持つ独特の粗さとソフトな声。裕次郎ファンにはこのびっきらぼうがたまらないのだ。彼の売り出しイメージがタフガイ。やんちゃなわがままボーイ。実際はそうであるはずはないのだが、彼は生涯そう演じきった。だから、彼が残した歌もばっちりとその装飾に加担している。
 裕次郎のビジョンを作り、世に出した多数の人たちの圧倒的な勝利だ。ファンはしょせん浮草のような、ちょっとねじれを持っている。論理的でもなく、絵にかいたような高尚さを全く求めていない。そこを突いた創作者たちに、裕次郎は生涯全身で答えたといえる。
 あらぬ方向に話が及んでしまい済まない。さて、このアルバムに注目したのは「俺は淋しいんだ」。これがいままで、なかなか聴けなかったからだ。この曲も「東京午前三時」も、フランク・バージョンとはまったく異なる編曲が、裕次郎らしさを押し出している。オリジナルのフランク永井への敬意。そしてそうした名曲に裕次郎らしいオリジナル性を加えるというトライだ。
 「東京ナイトクラブ」は八代亜紀とのデュエット。裕次郎はデュエット曲の再吹込み時に八代と多くを歌っている。八代亜紀は実はフランク永井とも「東京ナイトクラブ」をデュエットしている。フランク永井と深い信頼関係をもっていた藤田まこと。彼はフランク永井の歌をいくつも歌っているが、この「東京ナイトクラブ」を同様に八代と歌っている。だから、八代は本家フランク永井だけでなく、裕次郎や藤田ともご一緒するという栄誉を得た。
 さて、フランク永井は「ブランデーグラス」「夜霧よ今夜も有難う」「銀座委の恋の物語」「夜明けの街」といったところを歌っている。
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●たそがれの東京タワー(主題歌は「たそがれのテレビ塔」)
 5/29-6/1 15:00~
 6/2~6/4 13:00~
●西銀座駅前
 5/29~6/1 18:30~
 6/2~6/4 15:50~
●らぶれたあ/夜霧に消えたちゃこ
 6/9~6/11 18:30~
 6/12~6/15 15:50~
ラピュタ阿佐ヶ谷
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/sp_paradise2019/
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 この拙い「フランク永井あれこれ」の記事をご覧いただき、以前からさまざまな面白い情報を寄せてくださるDさんからいただいたお話です。
 感謝をこめて紹介させていただきます。
 旅先でふと見つけたお土産「苺恋し」。嬉しくなって思わず写真を撮ったとのお知らせ。その後、思い起こせば似たようなものがもっとあった、ということで、調べてみたらこれだったと教えていただいたのが「きみ恋し」「黄身恋し」「麦恋し」。どうみても、フランク永井が歌った「君恋し」に刺激されて付けた名前だろうと。
 面白い! 先に知っていたのがお酒の「君恋し」。これは名もそのままだ。
 Dさんはフランク永井の歌に思いをよせておられて、昨年のフランク永井歌コンクールに参戦はなかったのだが、大崎市松山の会場に駆け付けているファン。
 【「君恋し」の存在が大きいということだと思います。なかなか曲名が60年過ぎても商品名で使われるのはすごいと思います。大変うれしくて職場仲間の間でも話題にしました。
 すっかり毎日の生活にフランク永井さんが存在しているようになりました。改めて、本当にフランク永井さんの存在やら、音楽の存在というのは素晴らしいと思います】と。
 ちなみに、この後に「大阪ぐらし」が関西の有名な菓子店から長らく発売されているということが分かった。しかし詳細は不明なのだが、それは現在発売が終わっているとのこと。残念である。
 ここで紹介した商品以外にも、きっともっとあるに違いない。ご存知のかたがおられたら、ぜひお知らせください。
 写真をみただけでも、こころのこもった作品で、いちど食してみたいと思えるもの。ご関心ある方はインターネットでも発売しているものなので、トライしてみたらいかがでしょう。
 フランク永井が歌った「君恋し」。最初にこの歌が歌われた昭和初期(1929=S4)からすでに90年経ったことになる。フランク永井が歌ったのが1961(S36)なので、それからでもおよそ60年も経つ。映画もあり、多くの歌手によるカバーもあって、それぞれにドラマをもっている。そして、今も歌われているばかりか、こうしたお土産やお菓子などで親しまれているというのは、嬉しいことであり、感服するばかり。
 佐々紅華のメロディーが優れていたのだろう。最初は彼が詞をつけていたのが歌われ、その後時雨音羽が三番までの詩を付け、レコード化された。戦後フランク永井が歌ったときは、よりジャズ風なリズムとテンポになり、詞もフランク永井のアイデアで2番まで+サビの繰り返しに変わっていった。
 カバーなのにフランク永井のオリジナルといっても、誰も認めてしまう現在の形になったのだが、それだけに完成度の高い「君恋し」ができたと言える。よく言われるように、当時恩師吉田正と組んで見事な編曲を作ってきた第一人者だった寺岡真三の職人技の結構でもあった。
 昭和初期の大ヒット作を、鮮やかに蘇らせた。この功績は他のカバーやリバイバル作品とは異なる魅力を付加したものだった。佐々紅華は、実はフランク永井の発売の直前(1961年1月)に亡くなった。日本レコード大賞の受賞に輝くのは直接みていないが、あちらでこの上なく喜んだことであろう。

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