古賀政男音楽博物館「大衆音楽の殿堂」に顕彰されているフランク永井(H21)

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 大衆音楽の殿堂にフランク永井が顕彰されている。機会があえばいっしょに尋ねないかと長年親しくしている方に誘われて訪ねてみた。NHKラジオ歌謡歌う会の関係者の方で、当日は作曲家弘田龍太郎についての講演があった。
 講師は三代目海沼実で彼が主宰している音羽ゆりかご会の合唱も楽しめる催し。併設されているコガ・ミュージアムの地下一回けやきホールに、童謡のファンや研究者がつめかけていた。
 不要かとは思うけど、ちょっと説明。弘田は「浜千鳥」「叱られて」「雨」などの作曲家。音羽ゆりかご会はかつての「東京放送児童合唱団」。海沼は「みかんの花咲く丘」などの作曲家。同名三代目ということはそのお孫さん。
 古賀政男が長年自宅を構えていた場所は筆者がやはり何十年も前だが、散歩で何度か通って知っていた。のだが時の流れはすっかり様相を変えていた。立派な記念館=博物館としてビルが建ち、内部に当時の私邸の門構えや作曲に従事した部屋が再現されている。お隣はJASRACのビルになっている。
 古賀政男音楽博物館は古賀政男の遺産はいうまでもないことだが、日本の音楽の歴史の遺産をも収められてる。その象徴的なものが「大衆音楽の殿堂」。
 日本音楽の発展に貢献された方々の功績を顕彰するものとして、殿堂ホールに、顕彰者のレリーフを掲げている。、その年の顕彰者ゆかりの品々の展示もあり、直近の平尾昌晃らのパネルが飾られていた。
 平成9年に始まり、作詞家、作曲家、歌手、編曲家、演奏家などが、総勢283人が顕彰されている。
 フランク永井については、2009(平成21)年になされた。歌手では大津美子、北原謙二、日野てる子と4名同時であった。
 殿堂入りするというのは他の業界と同様にそれだけ大きな業績を残した証として、たいへん栄誉なことである。フランク永井の場合は、やはり「有楽町で逢いましょう」「おまえに」を歌いこれから長く歌い続けられるだろう。「君恋し」で明治の歌を鮮やかにリバイバルさせて、一大ブームを起こした。懐かしのメロディー、リバイバル・カバーをひとつのジャンルにしていったといえる。
 恩師吉田正がめざした都会での大人の憩いを、フランク永井が歌で表現して実を結び、ムード歌謡というジャンルを定着させたことも貢献だろう。
 現在は日本の歌といったときに、童謡や抒情歌、唱歌などはちっと沈み切っているが、大きく歌謡曲・演歌とニュー・ミュージック系に分け、レコード店でもCD等の置き場所を区別している。ムード歌謡は歌謡曲・演歌の一角のようだが、当時は都会派ムード歌謡の独自のコーナーもあったことがある。
 大衆に音楽の広がりを与えた明治・大正。大衆がくちずさむ歌が多く生まれる。
 その傾向を分析して突出した作品にまとめ上げた最大の功労者が古賀政男といえる。日本的なということばでくくられる大衆の歌。演歌。その大道を開いた。日本人の感性をまとめ上げた世界が、時代的に高音、故郷、義理人情の表現であった。以後の日本の大衆の歌は皆ここから影響を受けた。
 戦後日本は米国を柱にした占領軍に統治され、1950年の朝鮮戦争を経て、独立の装いをした従属国になる。日本の社会には欧米化の波が押し寄せる。衣食住が一変する。都会に人口が集中する。大衆の歌のニーズも変化する。
 これを敏感に察知して切り開かれたのが吉田メロディーだ。低音、都会、クールの表現。ややバタ臭さを加え、若者は真剣な恋の悩み、恋愛と別れを語る。当時まだ今ほど普通でなかった簡単な洋語、例えばティー・ルームとかバック・ミラーとかキャデラックとかをふりかけのようにまぶしたのが、ムード歌謡だった。
 吉田正の大衆文化への貢献はここにある。古賀政男や吉田正が文化功労章を得たのはその評価である。
 憧れのハワイ、常夏のハワイ。その歌を歌うマヒナスターズは和田弘の独特な演奏と相まって、豪華できらびやかな夢を感じた。都会に集まる若者(や大人にも)望まれ喜ばれた。フランク永井や松尾和子を見出し、吉田正はいっきに都会派ムード歌謡を発展させていった。
 朝鮮戦争が終わるとベトナム戦争と泥沼がふかまる。若者には嫌戦ムードが高まる。日本にも影響を与える。すると、反権力というか既成のシステムに対する抵抗、反発が顕著化する。
 大衆の歌の世界にも反映する。日本語のことばをベースにし、イントネーションとか発音とかを重視したものといえる。古賀政男とかその後の遠藤実とか吉田正が作り上げてきたものともいえる。日本的なリズム、音階も定着していっていた。レコード会社専属制度は結果的にできていた。
 それに対して、そのようなくくりがうざい、古臭い、汗臭いとか言って、それと違うリズム、歌詞、演奏をフレッシュな音楽といって出てきたのをニュー・ミュージックと自称した。
 ロックやビートルズといった騒がしくやかましい洋楽への傾倒。反戦的なフォークやカントリーへの共感。それらの欧米崇拝と日本的なものの折衷が生まれる。これこそが新たな時代の音楽だ、グローバリズムの波を反映した音楽だとなる。どんどん真似たりしながら切り開いていった。そのエネルギーとパワーはたいしたものである。
 ニュー・ミュージック、Jポップスは生まれた。しかし、大衆は歌謡曲とJポップスのどちらかを選ぶということではない。現に共存しており、双方の良さを互いに尊重する時代になっている。つまりは、日本文化といっても、以前と比べて広がり多様化したといってよい。
 「ステレオが高い音を出して困ると」いうような苦情は死語になった。マスクにイヤホンは陰険な私服警察のものだったのだが、いまや待ち行く人びとは携帯とイヤホンで、音楽はイヤホンで自分だけが好きに楽しむ時代になった。

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コメント(1)

文四郎様
ご無沙汰しております。
いつも楽しく読ませて頂いております。

「大衆音楽の殿堂」の存在を初めて知りとても興味深く読ませてもらいました。

多くの人々から愛された音楽はいつの時でも時代背景がしっかりしているものですね。

戦後の日本が目まぐるしく発展してきた時に...平成の時代を生きている今の私たちにも、又、もうすぐやってくるであろう新しい元号を迎える時にだって、多くの方々が耳を傾ける素敵な音楽がいつも流れているのだと思います。


「大衆音楽」は、時代を超えて多くの人々の心の奥に確実に残るものなのだと思います。
いい曲は時代を超える力を持ち、いい音楽は人を癒し、いつだって私たちによく生きることを教えてくれるものだと思います。

一人だけで自分の好きな音楽を楽しむこともいいですが、気の合う仲間たちと一緒に好きな音楽を聴く時間や一緒に歌う時間を共有できることも楽しいことです。
多くの人々が好む音楽はいろいろな事を全てシンプルにして、ただただ私たちに豊かな時間を与えてくれます。

今後の「文四郎日記」を楽しみにしています。    kyoko

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このページは、文四郎が2019年3月 2日 16:13に書いたブログ記事です。

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