2019年2月アーカイブ

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 待ちに待ったDVDが届いた。内容は映画館でみたままなのだが、テレビで寝転がって鑑賞するのもいいものである。
 DVD化は、現在というか本日から開催されている上映企画『京マチ子映画祭』に合わせて、発売されたもの。(3月21日まで)
 ここであらためて説明するまでもなく、1958(S33)年の新年に封切りされたもの。レコードは前年11月に発売された。大阪のデパート「そごう」が有楽町駅気前に進展してくるイベントに、平凡、テレビ、映画、ビクターが統合大企画を実現しての大イベントの一環だった。
 特に、三浦洸一へという歌の要請(当然だが他の歌手名も候補として押されていた)にもかかわらず、恩師吉田正が、あえてフランク永井を推し、大ヒットになったものだ。
 映画では、開始とともにいきなり、フランク永井が登場して歌い始める。階段をゆっくりと降りながら「あなたを待てば雨が降る...」と唄う。1番を歌い終わらぬうちに映像はタイトリングに変わっていく。。。
 後にフランク永井は舞台でのトークで、わずか1分にも満たない自分の姿と歌を、場末の映画館で密かにみたが、はずかしくて目を覆うほどだったと述懐している。
 だが、いま改めて観るとこれは貴重だ。そもそもまだまだモノクロ時代に、この映画はきばってのカラー作品。しかも時期的にフランク永井が全国区に躍り出ることを誰もがまだ知らない時期の映像となった。白いスーツ姿が実に初々しいのが印象的。
 フランク永井の音声としては後半でも流れる。いつも触れることだが、レコードにない4番ともいえる歌詞で歌うのを楽しめる。
 さて、今回のDVDは、最初に触れたように、京マチ子映画祭の一環だ。大映の誇る大女優の一人である。新聞でも前半の広告がでている。劇場での有楽町...の上映予定は後半で、3月11日、14日、19日、21日の4回。映画館での鑑賞がたのしめるので、可能な方はぜひ訪れてみてほしい。
 「羅生門」「雨月物語」といった芸術色の高い作品でどうどうたる演技をしている。大映が有楽町...に彼女を主役にあて、当時売り出し中の菅原謙二、川口浩、野添ひとみのコンビをだしているところに、力のいれているのが伝わる。
 ということで、フランク永井のデビューして初めてのヒット曲「有楽町で逢いましょう」の記念的な作品に、うなずきながらの鑑賞でした。
 写真左は冒頭のシーンと撮影現場のスチール。右は、映画ポスター3点。横長など珍しい版のポスター。
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 フランク永井が歌った「君恋し」。レコードは1961(S36)年の発売。この時期はすでに78回転のSPは終え、EP時代に移行していた。ただステレオになる前で、盤IDがVS-537(VSシリーズはまもなく、ステレオのSVになる)。
 「君恋し」はその年末、日本レコード大賞を獲得する。どうも録音はステレオでなされたともいわれているが、あくまで「君恋し」のこの版はモノラルである。
 「君恋し」はフランク永井の代表曲で、この名をタイトルにしたLP版がその後多数でている。リバイバルブームのときだったので、懐かしの曲をカバーしたものが多い。
 異色なのはイタリアの有名なトランぺッター、ニニ・ロッソとNHK紅白歌合戦で共演したのをきっかけに作った「君恋し~ニニ・ロッソと唄う」であろう。紅白出演の翌年、イタリアで録音した。
 全曲がトランペットの演奏がついていて、ジャズの編曲がなされている。「君恋し」は前田憲男の編曲。大半が彼の手で編曲されていて、独特のムードが楽しめる。
 奏でるリズムに乗るフランク永井は、場所がイタリアという異国にいることから、明らかに異次元の感覚を伴って歌ったような気が伝わる。
 「君恋し」だけではないが、フランク永井は別のLPでも同名の曲を吹き込んでいるが、ここでの曲は別の味わいがある。(このLPはビクターヒット賞。ビクターから正式にCD復刻発売された。2005年)
 「君恋し」は1977S(52)年暮れのNHKビッグショー「酒・女・そして...」に出演して、近藤進編曲でも歌っている。これは生の演奏ということもあるが、憂いに満ちていて、こころを揺るがす。オリジナルの寺岡真三編曲は世を驚かせたが、それほどの味がある。
 さて「君恋し」がヒットすると、映画化が実現する。「君恋し」は、大正の末期から昭和初期にかけて、佐々紅華作詞作曲で二村定一が歌って大人気をえたもの。1928年に時雨音羽作詞でビクターがレコード化した。このときに、当然だが映画化されている。
 資料では1929年「一字書き娘系図」改題「君恋し」。小唄映画(現代劇)三枝源次郎監督。製作国:太秦とある(?!)。うずまさは京都だから日本じゃないの。
 フランク永井のにあわせた映画は日活がモノクロで1時間弱のもの。森永健次郎監督。日活のキャッチは「魅力の低音、胸をふるわす哀愁、堂々日本レコード大賞に輝いたフランク・永井"君恋し"の映画化」とうたって宣伝した。フランク永井自身も「流しの高井」として出演した。
 残念ながらDVD化発売はされていないようだ。君恋しだから物語はそう驚くことのない恋模様。
 ポスターは、写真のように大判は2種類あって相違はフランク永井が出ているかどうかだ。珍しいのではないかというポスターは右の横版でフランク永井はでていない。
 今日もポスターを眺め、好きなレコードを聴いてフランク永井を楽しむのであった。
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 フランクの永井の「夜霧の第二国道」は1957(S32)年10月に発売されたSPレコード。実は翌月に発売された「有楽町で逢いましょう」よりちっとだけ早く出た。「有楽町...」と同時に発売されたのは「羽田発7時50分」もあり、これらいずれも大ヒットした。
 何といっても「有楽町...」でフランク永井の名が世に知れ、これはすごいぞ、ということで「歌手買い」に火が付き、デビュー当時までさかのぼって飛ぶように売れていったのだ。流行歌転向第1号の「場末のペット吹き」から「東京午前三時」と。
 「有楽町...」は映画が翌1958(S33)年開けに封切られた。これは計画されて上映されたものでヒットした。この成功におんぶして、ここで名をあげた歌は次つぎと映画化されていく。「夜霧の第二国道」は日活で制作された。日活の新星ダイナマイト・ガイ小林旭主役の娯楽映画だ。現在のテレビドラマの制作のような感じで撮影され「有楽町...」に続く形で2月に封切られた。
 映画のストーリーは例によってギャング、宝石、恋愛、ハワイと荒唐無稽なもので、かこつけたようにフランク永井の歌う「夜霧の第二国道」だけ(失礼)が見ものの48分もの。
 だが、当時の社会情勢では、こうしたものがそれなりに大衆娯楽として喜ばれたもので、それなりに映画館を潤した。
 映画のポスターを見てみると、広く世に知られた(?)フランク永井の顔も出ている左側のものと、もう一つの別版がある。こちらはフランク永井の顔はなく、小林旭のふんばっている顔が圧倒している。
 「夜霧の第二国道」はおそらくフランク永井の名を知るなら必ず連動して知っているに違いないほど知名度は高い。フランク永井ファンが多いあの台湾でも、多数のカバーが歌われているようだ。
 この歌については当「文四郎日記」でもたびたび話題にしているが、作詞はあの宮川哲夫作品。作詞は恩師吉田正で、名人寺岡真三が編曲している。「夜霧の」というフレーズは、1947(S22)年の松竹映画「地獄の顔」主題歌でディックミネが歌った「夜霧のブルース」が先にあるのだが、フランク永井の曲によって再点火されたように流行語となった。
 吉田正も宮川もフランク永井の中古車に乗って、実際の第二国道を走って確かめた。言ってしまえば第二国道は後の「国道1号線」なのだが、日本の産業の基盤となる輸送の要である国道が目まぐるしく建設され整備されていった。その戦後復興の建設を象徴するような名称。同時に来るべきマイカー時代を予言したような名称が、まさに時代を反映したものだった。
 これが当時の日本人に強い印象を残した。歌は「つらい恋なら...」という恋模様を歌っているが、サイドミラー、バックミラー、サインボードという洋物言葉が、スピード性やハイカラ性をかもしだして、夢を広げさせた。つまり、貧しい日本から大きく復興で未来にはばたくイメージを表した結晶であったのだ。
 宮川哲夫の歌詞をフランク永井が恩師吉田正のメロディーで歌う。流行歌は数々あったが、このコンビから出た歌が多くの人の胸を打ったのは、結果として社会を、時代をあざやかに切り取っていたからに違いない。
 SPレコードは、その後時代の要請を受けてステレオで吹き込みなおされた。CD化からストリーム化を経て耳に慣れているのは後者かもしれないが、今年発売された「日本の流行歌スターたち#1フランク永井」には最初のSP版が入っている。
 映画「夜霧の第二国道」はカットというか短いシーンがカラオケ映像や、フランク永井特集のときに使われたことはあるが、DVDとしてはまだ出ていないのではないだろうか。今月末に「有楽町で逢いましょう」はDVDがでる。「夜霧の第二国道」もぜひ発売してほしいものである。
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 森進一が1972(S47)年に吉田正の名曲のカバーとして、アルバム「再会」をリリースしている。フランク永井の恩師吉田正と同じビクターでも森進一はターゲットの微妙な違いから、互いに別路線で走ってきていた。
 フランク永井と松尾和子のように吉田正ラインが明確なコンビにたいして、森進一はレコードのレーベルはビクターでありながらもデビュー時の事務所は渡辺プロダクションであったり、当時同じくため息路線でデビューした青江三奈とともに走ってきた歌手だ。
 「女のため息」作曲の猪俣公章「おふくろさん」作詞の川内康範の印象が強いが、森進一が現在までに歌謡曲の歴史に残した足跡は半端じゃないものがある。彼は流行歌の歌手であることを主張しているが、当然艶歌とかポップス系のものにも幅広く手を広げて実績を残している。
 デビュー当時恩師でもあったチャーリー石黒に勧められて、逃げた女房の一節太郎と同様に声を潰した。この歌詞、この譜面から誰が歌えばこんな歌になるという普通に期待する歌があるが、森は必ずその期待を超えた、裏切りをする。
 それは森がその歌を自分で解釈し自分の表現に変える力を持っているからに違いない。強烈な個性を持つだけに、ファン層も別れ気味だが、並みを超えたパワー持ち主であることには変わりない。
 カバー曲をどう歌いこなせるかということに、よくその人の実力が現れる。森はさまざまな方向の歌手や歌のカバーを残している。その代表的な一つは古賀政男の曲をあつめた「影を慕いて」(1968(S43))だ。従来の懐かしのメロディーに異様な表現をあたえたことで、彼の歌唱が評価された。
 そのような森進一が同じビクターの帝王吉田正のメロディーに挑まないわけがない。吉田正といえば弟子の筆頭は鶴田浩二かもしれないが、彼は別格で、フランク永井や松尾和子ははずせない。むしろ中心的なものになる。
 というわけで、このアルバムのタイトルにもなっている「再会」をスタートにしている。鶴田、橋幸夫の曲を加えた12曲が楽しめる。
  01_再会(元:松尾和子)
  02_好きだった(元:鶴田浩二)
  03_寒い朝(元:吉永小百合/橋幸夫)
  04_夜霧の第二国道(フランク永井)
  05_有楽町で逢いましょう(フランク永井)
  06_西銀座駅前(フランク永井)
  07_赤と黒のブルース(元:鶴田浩二)
  08_誰よりも君を愛す(元:和田弘とマヒナスターズ/松尾和子)
  09_東京午前三時(フランク永井)
  10_舞妓はん(元:橋幸夫)
  11_江梨子(元:橋幸夫)
  12_街のサンドイッチマン(元:鶴田浩二)
 フランク永井の曲では初期の4つの代表的な曲が歌われている。
 レコーディングに3日かかったという。自ら立ち会った吉田正は「うまい。自分を追いつめて解釈した情感がじわじわとにじみ出てくるようだ」とほめている。歌唱に際しては注文をださずに、森に自由に歌わせた。
 アルバムの解説は山上敬三が書いている。そこで「有楽町であいましょう」についてエピソードを披露している。順調にレコーディングが進んで、周囲がOKを出した「有楽町で逢いましょう」直後に、森はふと躊躇をみせ、もう一回歌いたいと言って別テークを取ったという。
 取り直したのは森節がいっそう強調というよりも、がらりと雰囲気が変わったものでよりソフトなものだったという。それはそれで周囲をおおいに感心させる歌唱だった。だが、最終的に吉田正は、最初のテークを採用したとのことだ。
 アルバム全体の統一性ということもあるし、吉田の代表的な曲でもある「有楽町で逢いましょう」を森が歌うというときの、期待して購入して聴く聴衆の印象への思いからだ。
 捨てがたいものでも、いずれかを選択をせざるを得ない問題を大先生に思わせる。ここにこのアルバムの価値がある。森の真価が現れているようだ。ファンにとってみれば、ここまで聞かされて、ここで捨てがたくも没になったバージョンを聴いてみたくなる。
 このアルバムはフランク永井の歌でも、同じビクターオーケストラが演奏しているとはいえ、編曲が竹村次郎、小谷充の手によるもので、その微妙な違いも楽しめる。2009年にCD化された。

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