2018年10月アーカイブ

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 先日久しぶりでご近所のNさんとばったり会った。彼はジネット・ヌヴー協会を主宰している。蓄音機に取りつかれて60年近く、それ一筋でご活躍。夜市で蓄音機やるのでフランク永井やろうよ、とのお声。
 時間の都合ができそうなので「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「羽田発7時50分」を持って現場へ。当日は国分寺で根をおろしてご活躍の芸術家、手作り、陶芸、オリジナルのさまざまな作品を創作しておられる方々と活動家の企画のお祭りのような催し。
 アンティーク・アベニューという粋なスペースで地元で活躍する人々とその支援者で熱気むんむん。中心に蓄音機ととバイオリンコーナーがあり、構造的に音響が抜群の場所。蓄音機を回すのはNさん。バイオリンはプロの演奏家Xさん。
 催し開始の主催者のご挨拶。すでに相当の人の群れ。演奏も始められた。NさんはSP盤を恐ろしく多数所有しているが、会場には全部は持ってこれないので当日の催しの時間に合わせて、数十枚を用意する。会場の趣旨や雰囲気や来場される人々に合わせて楽曲が決まる。
 1920年代に製造された愛用のビクトローラ蓄音機が今日も大活躍だ。楽曲や盤の状態で何種類かの針を使い分ける。
 「有楽町で逢いましょう」をかけてみる。フランク永井の歌がよみがえる。60年前の声が流れる。蓄音機は人間の声を忠実に再現するという点で、これ以上のものがないといわれている。当時の盤への録音は演奏と同時で原板への直の音の転写というのが多かったようだ。
 会場には見たり飲んだり観賞したり、語り合ったりとそれぞれの目的で来ていて、騒音もすごい。だが、電気を使わない蓄音機の音はそうしたノイズをものともせずに、大きくとおる。若い人も多く、実際の蓄音機演奏ははじめてという方も多く、そのパワーに皆驚く。
 来ていた方がたでフランク永井を聴いた方がたはどう受けたかは分からないが、場にあっていたと自画自賛する。選曲もあっていたのではないかと。
 ここ国分寺は名の通り古いのだが、町らしい開発はそう古いわけではないようだ。フランク永井時代の国分寺駅という写真があったのだが、これを見ると駅の周囲はガラガラ。丸井が駅ビルのようになり、今年ツインタワー(マンション+複合施設)が完成して、ほとんど都会みたいになった。
 オリンピックの年、1964年に市になった。手元に、地元のお祭りのときに何気なく入手した、市政を記念して作られた市のレコードがある。「国分寺の歌」当時よく聴いた芹洋子と多摩少年少女合唱団が歌っている。もう一枚は「東京五輪音頭」の三波春夫の歌唱による「国分寺音頭」だ。
 盆踊りなどで踊ったのであろう。振りの絵付きだ。
 筆者は国分寺に来たのはまだ20年ほど前だが、その名が記憶になるのは「三億円事件」だ。散歩コースに府中刑務所があり、その塀を見ながら、ここでその事件があったのかと思った。昭和にぬぐい切れぬ印象を残した事件だったが、それももう若い世代にはほとんど知らない出来事になっているだろう。
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 流行歌のレコードが全面的にCD化される直前あたり、つまり1980年ごろはさまざまなメディアがあふれていた。そのころ「演歌」が定着してひとつの大きなジャンルを築いた。
 マイカーの音楽装置はおおきな要素であり、そこではカセットテープが欠かせなかった。トラック野郎が八代亜紀を聴くとか、演歌も好まれた。その演歌だが、演歌とは何かと聴かれると、筆者には答えようもないのだが、ともかく日本人の感性に妙に会う歌謡曲らしい。
 若者はJポップとかニューミュージックとか、演歌に反発するが、しょせん歌はひとりひとりの嗜好品の典型なので、自由だ。「ダセー」「古っ」とか言うのも勝手だが、流行歌や演歌にも人を惹きつける、独特の魅力があることは否めない。
 Jポップとかニューミュージックを除いて、レコード会社各社から競って「演歌」のカセットは出された。各レコード会社で演歌を歌う歌手を多く抱えてはいるものの、やはりヒット曲をもつ歌手というのはそう多くない。「演歌」というタイトルでカセット1つ、あるいは2つにまとめるのは勇気がいる。
 演歌については、レコード会社横断的な協力による人気歌手をそろえたものがおのずと好まれたように思う。何度か紹介したPONYからのカセットなどは、そうした事情とうまくかみ合って、さまざまな組み合わせを成功させたのではないだろうか。
 ビクターは人気歌手を多くそろえたレコード会社のひとつ。ビクターが自らかかえる歌手で「演歌」を編集したカセットがある。それは、男性編と女性編の2つ。
 フランク永井の関係で男性編はそうとう馴染みだが、女性は松尾和子とか青江三奈とかわずかしか知らない。カセットは「男の演歌・涙」と「女の演歌・こころ」。まず、男性編についてだが、次のような16曲だ。
 01_涙きらり(森進一)
 02_おゆき(殿さまキングス)
 03_ひとり酒場で(森進一)
 04_大阪ぐらし(フランク永井)
 05_かえり船(フランク永井)
 06_北国の春(殿さまキングス)
 07_星影のワルツ(橋幸夫)
 08_別れの一本杉(日高一也)
 09_すきま風(森進一)
 10_涙の酒(殿さまキングス)
 11_雨の東京(殿さまキングス)
 12_君こそわが命(フランク永井)
 13_おまえとふたり(殿さまキングス)
 14_倖せさがして(三田明)
 15_みちづれ(森進一)
 16_新宿・みなと町(森進一)
 このリストから見ると、ビクターの演歌歌手の代表は森進一のようだ。またド演歌で宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」とともに、日本を代表するヒットをとばした殿様キングス(宮路オサム)だ。
 フランク永井はこのカセットで3曲歌っている。「大阪ぐらし」はオリジナル曲。「かえり船」と「君こそわが命」。
 「かえり船」はバタやんこと田畑義夫が戦後すぐの昭和21年に飛ばした曲。
当時東海林太郎や上原敏と三羽烏の人気だった田畑は180万枚も売ったというからすごい。これは歌のニュアンスから戦中。大陸に侵攻した日本軍の敗戦でつぎつぎと引き上げてきた、これを迎える歌とされる。戦争による理不尽な悲喜こもごもを歌った名歌だ。
 田畑の歌を聴くと、直接に戦争を経験していないものでも心を打つ。大陸に散った親族を持つ家族や、負傷して帰ってきた兵、身体はケガしていなくてもこころに大きな衝撃の跡をもつ人を抱える本人や家族の心情はいかほどか。「かえり船」が多くの人に歌われた。
 フランク永井はこれをカバーしたのは1970(S45)年のLP「上海ブルース」においてだ。これはフランク永井の懐かしのメローディー、懐メロカバー集で何度も出ているので、いつでも聴くことができる。ぜひとも一度は聴いてみてほしいが、フランク永井のカバーも完成している。
 丁寧な歌い方、低音でありながら、そこに漂うもの悲しさが控えめに歌われており、フランク版の「かえり船」も田畑の歌に引けを足らない。フランク永井の本場はムード歌謡で、演歌を歌うフランク永井は多くの人が想像できないと聞く。
 だが、実はフランク永井は演歌のカバーを相当な数だしている。オリジナル曲数以上を歌っている。内およそ100曲は洋楽だが、残りの数百曲の多くが懐メロと演歌である。
 「君こそわが命」は当時低音歌手のフランク永井、石原裕次郎、三船浩と並んで活躍した水原弘のヒット曲。荒れた水原の復帰曲でもある。彼は歌唱力があるだけにいい歌にめぐまれればいい味を出す。早くして去ったのは残念だ。
 水原の日本レコード大賞曲「黒い花びら」のフランク永井版は歌ったであろうが音源は残ってないようだ。フランク永井の「君こそ命」もなかなかいい。欠点のない歌い方が欠点なのではという思いがふと浮かんでも来るが。
 フランク永井は「かえり船」を収録した「上海ブルース」のまえ、そのペアともいうべきLP「夜霧のブルース」を出している。1968(S43)年の作品だ。戦戦中から戦争直後あたりまでの日本で多く歌われた曲のカバーだ。

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