2018年10月アーカイブ

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 10月は、フランク永井の亡くなった月ということで、偉大な功績をたたえてさまざまなイベントがある。何よりも、生誕地宮城県大崎市松山では、先に報じたように「第10回フランク永井歌コンクール・グランドチャンピオン大会2018」が盛大に行われた。
 松山にはふるさと歴史館があり、その一角に「フランク永井展示室」が常設されている。歌コンの開催中には毎年「フランク永井レコード鑑賞会」が臨時に開催されている。訪れるファンのリクエストを気楽に受け付けて、入り口ホールのコーナーでレコードを聴くことができる。
 フランク永井展示室は、訪れるたびに感激するのは、かならず展示室に変化をだしていることだ。決して飽きさせない。生誕地ならではで保存されている珍しい写真が展示されている。ときどきに実家を訪れ、地元での公演をしたときのもの。
 保存するレコードのジャケットが部屋の一面を埋め尽くしているのには圧倒される。活躍中に取得したレコード大賞や、発売して一年間で5万枚を突破したときにビクターが授与したビクターヒット賞。これはトレードマークのニッパー犬だが、それがずらっと並ぶ。当時の優雅な活躍がわかる。
 その他さまざまな展示品がファンを喜ばすことうけあい。展示室を訪れると、松山の方々のフランク永井に対する真摯な対応が伝わってくる。
 展示室と歌コンが開かれた体育館は歩いてわずか数分。そしてこの一角には地元の銘酒「一ノ蔵」がある。華の蔵というショップが置かれてにぎわっている。
 訪れるたびに「一ノ蔵」を手に入れる。飲みやすくて実においしい。一ノ蔵はそうした全国的な高評を持っていながらも、最近は新しい作品の開発にも手を抜かないようだ。
 一つは「一ノ蔵無鑑査」。もう一つは「すず音GALA」。筆者は飲むことしかできない。うんちくはその筋つうの技なので、ご興味のある方はそちらから。ただ、今どきの若者、女性から特に好評と聞く。味わってみているが特筆ということで、フランク永井歌コン現地ルポの勢いで触れてみた次第。
 さて、この10月はフランク永井功績に敬意を払いラジオテレビでもさまなざな番組が組まれる。NHKラジオ深夜便は毎年、命日の27日前後に特集が放送されて人気だ。今年もラジオ深夜便を含めて次のような特集がわかっている。
■【再放送】NHK映像ファイル あの人に会いたい フランク永井(歌手)
 10月27日(土)午前5時40分~ 午前5時50分 NHK
 11月 2日(金)午後1時50分~ 午後2時00分 Eテレ
■NHKラジオ深夜便 フランク永井ジャズ+フランク永井作品集
 10月27日(土)2時台 フランク永井ジャズ・ポップスを唄う
 10月27日(土)3時台 昭和歌謡往年の名歌手フランク永井作品集
■煌く日本の歌手~わが心の演歌~ #10 フランク永井 篇
 11月02日(金)12:00~12:30 CS329 歌謡ポップスチャンネル
 11月21日(水)07:00~07:30 CS329 歌謡ポップスチャンネル
■【再放送】昭和の巨星スペシャル 吉田正
 11月04日(日)19:00?20:54 BS-TBS
■【初テレビ放送】幻の蔵出し映画館「青い国道」
 11月 8日(木)12:30~ CS219衛星劇場
 11月21日(水)04:00~ CS219衛星劇場
 11月27日(火)18:30~ CS219衛星劇場
 すでに放送されたラジオ深夜便。2時台はジャズ・ポップスということで「オール・オブ・ミー」から「恋の気分で」まで。特にリサイタルなどライブからの音源も含めて、従来にない選曲で構成されたのは画期的といえる。けっしてフランク永井の代表的な洋楽にこだわらない、番組編成の取り組みには拍手だった。
 3時台の歌謡曲と含めて2時間を費やした。フランク永井の昔からのファンだけでなく、若い層にも刺激を与えたに違いない作りであった。
 他は再放送が目立つが、注目したいのは【初テレビ放送】幻の蔵出し映画館「青い国道」だ。これはぜひ観たいのだが、スカパーであるために筆者にはその環境がないのが残念。「青い国道」は1958(S33)年にリリースされたレコード。決してレコード自身は大ヒットではなかったようだが、日活映画の主題歌だ。
 この時代の映画はレコード同様生産が多数で、今のテレビ2時間ドラマのようなもの。関門トンネル開通にからめた男の友情をテーマにした歌謡娯楽映画。
 別項でも触れたのだが、当時の映画は今嫌われモノになっている喫煙、放送コードに触れるセリフ、女性蔑視のようなものとかが多く、そうした映像を現代で楽しむには壁がある。ビデオ化もされないケースが多い。地上版のチャンネルでは今後も登場しにくい。
 ゆえにフランク永井が出演した映画を容易に楽しめない。だから有料のスカパーのチャンネルでの放送であっても貴重といえるのだ。あの時代には普通のなにげない出来事が、時代が変われば、やれセクハラだとか、やれ喫煙はガンの原因になるとか、と自主規制する。
 貴重な大衆文化の遺産としてみたときに、そうしたものが安易に封印されてしまうのは、ちょっと行き過ぎのような感じをうけるのだが、いかがなものだろうか。それでいて、小林旭のシリーズ映画のような、ギターを背負うのはいいとして、カウボーイ・ハットでピストルや機関銃でガンガン、馬に乗って...というのは許されDVDになっている。
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 記念すべき第10回歌コンの結果は下記のとおりでした。おめでとうございます。
★第10回フランク永井歌コンクール
<審査結果>
優 勝  添田  均  宮城県仙台市  妻を恋うる唄
準優勝  今野 中道  宮城県仙台市  冬子という女
第三位  岡田 順介  千葉県佐倉市  こいさんのラブ・コール
特別賞  関本 好紀  宮城県仙台市  逢いたくて
     神永世四郎  茨城県笠間市  夜霧の第二国道
     佐々木良二  宮城県仙台市  新東京小唄
 続いて、十周年を記念して開催された「グランドチャンピオン大会2018」は、3回目の優勝者が都合で出席できなかったが、過年度のチャンピオン8名と、上記今年の優勝者9名で競われた。その結果。
★グランドチャンピオン大会2018
優    勝 青山 譲二(第2回優勝者) 島根県鹿足市 初恋の詩
審査員特別賞 川村 忠洋(第8回優勝者) 宮城県仙台市 妻を恋うる唄
 フランク永井という宮城県大崎市松山が生んだ昭和歌謡界の大歌手の名を冠した、ユニークな歌コンクール。フランク永井のオリジナル曲という制限をもつカラオケ大会である。
 2011年には東日本大震災という直撃を開催直前に受けてその年は翌年に延期されたのだが、それにしても10年もこの歌コンが続くというのは、現代の驚異のようなもの。
 フランク永井という歌手の偉大さは当然だが、何よりも地元松山のこころざしの素晴らしさだろう。その意気込みと熱意が全国のフランク永井ファンのこころを引き付けてやまないのではなかろうか。
 フランク永井が舞台を閉じたのは1985年だから、すでにそれから四半世紀以上経つ。フランク永井を同時代で過ごした人たちは確かに高齢者だ。だが、フランク永井の歌い残した歌を聴き、それに惹かれている次の世代の人たちも静かに広く存在する。
 フランク永井の歌をレコードで聴き、ラジオやテレビで聴き、CDやテープ、今ならネットで聴いて、その独特の歌声が心に強い印象を残したのだ。働き盛りの40台の方がたまでそうしたファン層が下りてきている。
 これが歌コンを支えているパワーだ。歌コンにエントリーされた方々の十年間のリストを見てみても明らかなのだが、高齢者の熱いのど自慢者だけではない。若い層が結構多く、しかも女性の方まで多数参加しているのだ。当日会場で配布されるパンフレットがあるのだが、今年のパンフにその参加者数や男女の割合などがでていて確認できる。
 申し込みは、何故か(失礼)日本全国からあり、そればかりか海外からまで訪れている。宮城県大崎市松山という町自身は決して世界に名が知られているわけではないだろう。なにの、この申込者の実績からは「脅威的な不思議さ」を感じる。フランク永井が持つ魅力、ファンを引き付けて放さない力は、底知れぬ何かを持っていることだ。
 当日も来賓あいさつされた大崎市の伊藤市長も、自分がフランク永井ファンでありカラオケでは「おまえに」が十八番であることを隠さない。当日のグランドチャンピオン大会の進行を担当された著名な宮本アナしかり。彼はNHKを出た後も歌謡番組の司会のトップを走っている。彼もフランク永井のファンであることを公言し、CDまで出しているツワモノ。
 チャンピオン大会の審査時間では「フランク永井こぼれ話」として語る語る。歌手としてのフランク永井の主に発生の特徴や、歌に臨む姿勢のことや、さまざまな脱線で会場を爆笑にまきこみながら語り続ける。あげくはノリに乗って歌コン挑戦者さながらに「おまえに」の歌唱まで披露。
 フランク永井活躍の同時代にも、彼のファンと支援者、後援者は芸能、スポーツ界から政界まで幅広く深かったが、その後にも、一回り二回り若い層からファンが湧き出てきているのである。
 フランク永井は噺家との交流も深かったが、その世界でも若い噺家層にフランク永井ファンがちゃんと根付いているのを目にしている。まことに心強いかぎりだ。
 このフランク永井歌コンをこれからも継続させていくのは、松山のみなさんの大きな誇りと希望になっている。未来は誰にでもわからないことだが、実際に松山に来て、多くの方がたと接し、歌コンを鑑賞して、フランク永井の歌のすばらしさを改めに見つめなおす機会を得た。
 これからの課題として、フランク永井の歌の演奏曲(カラオケ)の充実も明らかになった。
 フランク永井はオリジナルとして400曲近く残しているが、カラオケ演奏はそのおよそ1割程度で、いい歌だから歌いたいけど、カラオケがなくて、という相談が絶えない。これはなかなか容易に実現はできないのだが、知恵と工夫と努力があれば少しづつでも出実現できるかもしれない。希望者は、ご意見をお寄せください。
 そのような感想をもったのが、今年の記念すべき歌コンだった。
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 先日久しぶりでご近所のNさんとばったり会った。彼はジネット・ヌヴー協会を主宰している。蓄音機に取りつかれて60年近く、それ一筋でご活躍。夜市で蓄音機やるのでフランク永井やろうよ、とのお声。
 時間の都合ができそうなので「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「羽田発7時50分」を持って現場へ。当日は国分寺で根をおろしてご活躍の芸術家、手作り、陶芸、オリジナルのさまざまな作品を創作しておられる方々と活動家の企画のお祭りのような催し。
 アンティーク・アベニューという粋なスペースで地元で活躍する人々とその支援者で熱気むんむん。中心に蓄音機ととバイオリンコーナーがあり、構造的に音響が抜群の場所。蓄音機を回すのはNさん。バイオリンはプロの演奏家Xさん。
 催し開始の主催者のご挨拶。すでに相当の人の群れ。演奏も始められた。NさんはSP盤を恐ろしく多数所有しているが、会場には全部は持ってこれないので当日の催しの時間に合わせて、数十枚を用意する。会場の趣旨や雰囲気や来場される人々に合わせて楽曲が決まる。
 1920年代に製造された愛用のビクトローラ蓄音機が今日も大活躍だ。楽曲や盤の状態で何種類かの針を使い分ける。
 「有楽町で逢いましょう」をかけてみる。フランク永井の歌がよみがえる。60年前の声が流れる。蓄音機は人間の声を忠実に再現するという点で、これ以上のものがないといわれている。当時の盤への録音は演奏と同時で原板への直の音の転写というのが多かったようだ。
 会場には見たり飲んだり観賞したり、語り合ったりとそれぞれの目的で来ていて、騒音もすごい。だが、電気を使わない蓄音機の音はそうしたノイズをものともせずに、大きくとおる。若い人も多く、実際の蓄音機演奏ははじめてという方も多く、そのパワーに皆驚く。
 来ていた方がたでフランク永井を聴いた方がたはどう受けたかは分からないが、場にあっていたと自画自賛する。選曲もあっていたのではないかと。
 ここ国分寺は名の通り古いのだが、町らしい開発はそう古いわけではないようだ。フランク永井時代の国分寺駅という写真があったのだが、これを見ると駅の周囲はガラガラ。丸井が駅ビルのようになり、今年ツインタワー(マンション+複合施設)が完成して、ほとんど都会みたいになった。
 オリンピックの年、1964年に市になった。手元に、地元のお祭りのときに何気なく入手した、市政を記念して作られた市のレコードがある。「国分寺の歌」当時よく聴いた芹洋子と多摩少年少女合唱団が歌っている。もう一枚は「東京五輪音頭」の三波春夫の歌唱による「国分寺音頭」だ。
 盆踊りなどで踊ったのであろう。振りの絵付きだ。
 筆者は国分寺に来たのはまだ20年ほど前だが、その名が記憶になるのは「三億円事件」だ。散歩コースに府中刑務所があり、その塀を見ながら、ここでその事件があったのかと思った。昭和にぬぐい切れぬ印象を残した事件だったが、それももう若い世代にはほとんど知らない出来事になっているだろう。
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 流行歌のレコードが全面的にCD化される直前あたり、つまり1980年ごろはさまざまなメディアがあふれていた。そのころ「演歌」が定着してひとつの大きなジャンルを築いた。
 マイカーの音楽装置はおおきな要素であり、そこではカセットテープが欠かせなかった。トラック野郎が八代亜紀を聴くとか、演歌も好まれた。その演歌だが、演歌とは何かと聴かれると、筆者には答えようもないのだが、ともかく日本人の感性に妙に会う歌謡曲らしい。
 若者はJポップとかニューミュージックとか、演歌に反発するが、しょせん歌はひとりひとりの嗜好品の典型なので、自由だ。「ダセー」「古っ」とか言うのも勝手だが、流行歌や演歌にも人を惹きつける、独特の魅力があることは否めない。
 Jポップとかニューミュージックを除いて、レコード会社各社から競って「演歌」のカセットは出された。各レコード会社で演歌を歌う歌手を多く抱えてはいるものの、やはりヒット曲をもつ歌手というのはそう多くない。「演歌」というタイトルでカセット1つ、あるいは2つにまとめるのは勇気がいる。
 演歌については、レコード会社横断的な協力による人気歌手をそろえたものがおのずと好まれたように思う。何度か紹介したPONYからのカセットなどは、そうした事情とうまくかみ合って、さまざまな組み合わせを成功させたのではないだろうか。
 ビクターは人気歌手を多くそろえたレコード会社のひとつ。ビクターが自らかかえる歌手で「演歌」を編集したカセットがある。それは、男性編と女性編の2つ。
 フランク永井の関係で男性編はそうとう馴染みだが、女性は松尾和子とか青江三奈とかわずかしか知らない。カセットは「男の演歌・涙」と「女の演歌・こころ」。まず、男性編についてだが、次のような16曲だ。
 01_涙きらり(森進一)
 02_おゆき(殿さまキングス)
 03_ひとり酒場で(森進一)
 04_大阪ぐらし(フランク永井)
 05_かえり船(フランク永井)
 06_北国の春(殿さまキングス)
 07_星影のワルツ(橋幸夫)
 08_別れの一本杉(日高一也)
 09_すきま風(森進一)
 10_涙の酒(殿さまキングス)
 11_雨の東京(殿さまキングス)
 12_君こそわが命(フランク永井)
 13_おまえとふたり(殿さまキングス)
 14_倖せさがして(三田明)
 15_みちづれ(森進一)
 16_新宿・みなと町(森進一)
 このリストから見ると、ビクターの演歌歌手の代表は森進一のようだ。またド演歌で宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」とともに、日本を代表するヒットをとばした殿様キングス(宮路オサム)だ。
 フランク永井はこのカセットで3曲歌っている。「大阪ぐらし」はオリジナル曲。「かえり船」と「君こそわが命」。
 「かえり船」はバタやんこと田畑義夫が戦後すぐの昭和21年に飛ばした曲。
当時東海林太郎や上原敏と三羽烏の人気だった田畑は180万枚も売ったというからすごい。これは歌のニュアンスから戦中。大陸に侵攻した日本軍の敗戦でつぎつぎと引き上げてきた、これを迎える歌とされる。戦争による理不尽な悲喜こもごもを歌った名歌だ。
 田畑の歌を聴くと、直接に戦争を経験していないものでも心を打つ。大陸に散った親族を持つ家族や、負傷して帰ってきた兵、身体はケガしていなくてもこころに大きな衝撃の跡をもつ人を抱える本人や家族の心情はいかほどか。「かえり船」が多くの人に歌われた。
 フランク永井はこれをカバーしたのは1970(S45)年のLP「上海ブルース」においてだ。これはフランク永井の懐かしのメローディー、懐メロカバー集で何度も出ているので、いつでも聴くことができる。ぜひとも一度は聴いてみてほしいが、フランク永井のカバーも完成している。
 丁寧な歌い方、低音でありながら、そこに漂うもの悲しさが控えめに歌われており、フランク版の「かえり船」も田畑の歌に引けを足らない。フランク永井の本場はムード歌謡で、演歌を歌うフランク永井は多くの人が想像できないと聞く。
 だが、実はフランク永井は演歌のカバーを相当な数だしている。オリジナル曲数以上を歌っている。内およそ100曲は洋楽だが、残りの数百曲の多くが懐メロと演歌である。
 「君こそわが命」は当時低音歌手のフランク永井、石原裕次郎、三船浩と並んで活躍した水原弘のヒット曲。荒れた水原の復帰曲でもある。彼は歌唱力があるだけにいい歌にめぐまれればいい味を出す。早くして去ったのは残念だ。
 水原の日本レコード大賞曲「黒い花びら」のフランク永井版は歌ったであろうが音源は残ってないようだ。フランク永井の「君こそ命」もなかなかいい。欠点のない歌い方が欠点なのではという思いがふと浮かんでも来るが。
 フランク永井は「かえり船」を収録した「上海ブルース」のまえ、そのペアともいうべきLP「夜霧のブルース」を出している。1968(S43)年の作品だ。戦戦中から戦争直後あたりまでの日本で多く歌われた曲のカバーだ。

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