フランク永井封印のテレビ20年間を、古いビデオテープでちょっと振り返る

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 フランク永井は1985年の年末に世間を騒がした。それからすでに33年が経過した。ファンにとって残念なことに、これを境に舞台でフランク永井を見ることができなくなった。そればかりか、テレビの歌謡番組にも登場することがなくなり、さもフランク永井は昭和歌謡に存在しなかったかのような扱われ方だった。番組があいまいに自主規制したのだ。「フランク永井の長い封印」時代に突入したのだ。
 喫煙は古来からの人の営みに密着した存在そのものだったのが、ここ数十年になるが喫煙者はまるで反社会人のような扱いになっている。筆者はタバコは吸わないが周囲の大半は喫煙者だった。近年タバコの生産が国家独占になりその品質を一定にするために手を加えたためか、確かに喫煙者は肺がんになる確率が多いと聞く。だから現在は吸わないほうがいい。
 しかし、喫煙者をここまで反社会的に扱うのはいかがなものだろうか。少し横道に反れたが、フランク永井の長い封印時代には、フランク永井ご自身や関係者とファンがまるで今の喫煙者のような雰囲気にあった。
 フランク永井は戦争が集終わって10年、1955年にデビューした。1957年の「有楽町で逢いましょう」で爆発的な人気を得て、1961年には「君恋し」で日本レコード大賞を受賞した。昭和を代表する歌唱力の持ち主として、安定的な大衆からの支持を得ていた。
 これが職業病ともいえる喉のしつこい障害に悩まされ、往年のあの輝くビロードのような声が出にくくなっていた。フランク永井の声は「低音の魅力」と呼ばれていたのだが、実際は彼が持つ幅の広い音域のコントロールのなせる業の一面の魅力で、ファンは低音から高音まで質を変えずに一直線に伸びる高音の美しさを注目していたものだ。
 後年オクターブを意識的に下げて、低音を強調する歌唱が歳相応の彼のカバー技巧として評価されたのだが、一方では「ファンが以前と変わらないあの当時の声で歌って欲しい」という声も気にしていた。同様なファンの声を聴いて「また逢う日まで」の歌仲間尾崎紀世彦などは「そりゃ分かるけど、基本的に無理なんだ。私なんかはむしろ、毎回歌い方を変えているぐらいだ」といっていた。
 フランク永井は歌謡界におりながらも、趣味は初期は自動車や野球、後はゴルフとお酒ぐらいだったようで、基本的に人生のすべてを歌に傾注していた。喉と声は歌手のかけがえのない命。その喉と声が思うように出ない、出せないといのは嫌でも彼を悩ませたのはいうまでもない。
 当時のテレビ出演や1985年に開催した「歌手生活30周年ライブ」を聞き返せば、ひしひしと伝わってくる。現在では歌手という職業の人はさまざまな対処法、予防法を気にかけ、その実施を欠かさない。だが、当時は歌手は水商売、売れることが花として、タバコや酒をはじめとする遊びも仕事のひとつのような雰囲気があった。フランク永井も今のような喉と声を手当てする処方を実施していたならば...という思いを持つ。
 さて、その封印が解けたのは2007年。NHK-BSがシリーズ「昭和歌謡黄金時代」で「フランク永井・松尾和子」を放映したことだ。ファンはその番組をみて、涙を流して喜んだのは言うまでもない。フランク永井の昭和歌謡に残した大きな遺産を余すところなく、率直に評価したものだった。そして、フランク永井の盟友である松尾和子についても、同様にきたんない評価を与えた。
 これを観たファンは、ようやく長い冬の時代が明けると思った。その期待に全面的に応えたのは2009年に同じNHK-BSで放映された「歌伝説~フランク永井の世界」である。これはフランク永井の生涯、歌唱についてのすべてを丁寧にとりあげて、多くの人たちが忘れそうにあっていた昭和歌謡に、フランク永井とはこのような人であったと示してくれた。
 紹介した2つの番組の影響は絶大で、他の放送局での歌謡曲番組も「封印」などなかったかのように、普通にフランク永井を取り上げるようになった。しかし、20年という期間の影響は甚大で、ある意味「遅かった」ことが悔やまれる。
 フランク永井のデビューを知り、その歌唱のすばらしさをリアルタイムで知っているファン層の年代は高齢になっているからだ。若い人々にも多くのファンはいるが、全体としては知るのが遅すぎた感がある。
 さて、押し入れの奥に20~30年程度前のVHSテープが何本かあって、その中に当時の歌謡番組を録画したのもある。それを見てみようとトライしてみた。
 まだ数本しか見ていないが、基本的に上記に記した著者の印象を裏づけていたといってよい。「戦後50年スペシャル究極の昭和歌謡史」という長い番組では、フランク永井は登場しない。
 「歌う昭和歌謡180分」では「君恋し」を歌うシーンが入っていた。「昭和歌謡大全集」という番組があった。1993年の第6弾では「羽田発7時50分」「夜霧の第二国道」の2曲を歌っている。
 また、番外的に「平凡スター40年」というのがあった。平凡はやはり、美空ひばりであり裕次郎であり錦之助。フランク永井も大いに関係したのだからどこかにいるはずと、眼をこらして見ていると、平凡が主催して毎年行われていたスター総出演の野球の箇所で、平凡のネームプレートを付けた箇所に登場していて、ホッとした。恩師吉田正の1000曲記念リサイタルのシーンでの一コマも。

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このページは、文四郎が2018年9月 1日 15:37に書いたブログ記事です。

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