フランク永井「たそがれ酒場」(1958)と小説半村良著「たそがれ酒場」(1994)

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 フランク永井は東京オリンピックの前年に「たそがれ酒場」を歌った。しかしこれはB面「公園の手品師」が圧倒的な人気で、やや裏に隠れてしまった。
 この時期というのは「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした時期。フランク永井がいきなり表に出たもので、フランク永井ってどんな歌手なのかと興味が広がった時でもある。1958(S33)年のビクターの「売れた」リストは次のごとくだ。
 街角のギター(フランク永井)    公園の手品師(フランク永井)
 東京詩集(鶴田浩二)        大阪の人(三浦洸一)
 西銀座駅前(フランク永井)     ラブ・レター(フランク永井)
 釧路の駅でさようなら(三浦洸一)  こいさんのラブ・コール(フランク) 
 泣かないで(和田弘とマヒナスターズ)俺は淋しいんだ(フランク永井)

 テレビが累計で百万台売れた年。一万円札が出た年。東京タワーができた年。それが1958年。
 当時の流行歌の勢いというのが分かろうというもの。ビクターは男衆5~6人だけでやってんのかい、と聞こえてきそうだ。「公園の手品師」は1956年にABCホームソングで異常な人気で倍の期間の放送をしたもので、これを「有楽町...」人気で急きょ売り出したものだ。そのB面が「たそがれ酒場」(清水みのる作詞、刀根一郎作編曲)。
 「かえり船」「捨てられた街」を書いた清水みのると刀根一郎の曲だが、たそがれ酒場は「暗い」歌だ。フランク永井は別項でも書いたが、今では信じられないような暗い、沈んだ、絶望のような歌をいくつか歌っている。あの低音で全編真っ暗く歌う曲など、誰が聴きたいか、といいたくなるような曲だ。
 ふがいない男が朽ちた止まり木で強い酒をあおる。年齢は不詳だが、自分の気持ちがたそがれ時期になっているに、それが自分でなく行く酒場がそうであるように思いたい...、とまぁ、どうしようもない若い時の一時の落ち込んだ気持ちを描いたものだ。
 だが、幾度か聴けば切ない気持ちが分からないでもないような気になる曲になる。それがフランク永井が歌う「たそがれ酒場」。
 この「たそがれ...」というのは歌にしたかったようだ。デビュー間もなく「たそがれシャンソン」を歌い、東京タワーを歌った「たそがれのテレビ塔」、後に「たそがれのビギン」(これは水原弘やちあきなおみの歌ったのとは別)、「たそがれの渚」と歌っている。
 たそがれの...は、よほど工夫がないとそのまま明にたいして暗、前にたいして後のイメージが付きまとう。シリーズで売り出したいというには、やや弱かった。
 たそがれは黄昏、逢魔が時、トワイライト。鳥目の筆者には酷な時間帯だ。魔が差すような異様な時間帯というかゾーンは、人をふと迷わせる。こわい。それゆえに、人をどこか惹きつけるものがあるのも事実。
 この「たそがれ酒場」は島津悅子も同名異曲を歌っている。古い年代には同名映画を覚えておられる方もあろう。内田吐夢監督作品。大衆酒場を舞台に繰り広げられる人間模様が描かれた。
 ここでは、もう一つ、小説を紹介したい。半村良著「たそがれ酒場」。半村良といえば「戦国自衛隊」を想起するが、伝奇SFの先駆者であり、直木賞作家で一昔前の、しかも気骨ある作家。カバーするフィールドが広く多方面で活躍した。
 「たそがれ酒場」は作者のどの位置づけにあるのかは分からないが、気楽に読める小説だ。主人公の年齢が60歳ほどで、神田駅に近い場所のいわくあるホテル(旅館?)+中華料理店+バーのマネージャー。60歳がたそがれ年齢かどうかは異論もあろうが、小説ではそうだ。
 若いころから様々な体験をして、業界の甘い辛いを積み重ねてきたゆえに得た豊富な知識と心構え。親友、知人、お客とも軽妙なやりとりが作者ならではの味わいを出している。読んでいて楽しい。テレビドラマをなぞるようなテンポで、あれこれさまざまな人間模様が展開する。
 フランク永井の「たそがれ酒場」のような暗さはない。

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このページは、文四郎が2018年8月 4日 17:21に書いたブログ記事です。

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