2018年8月アーカイブ

mx20180825.jpg

 暑いさなかの8月、最近ほとんどみることがないのだが、NHK火曜日夕刻の五木ひろしが先生になる歌謡番組がつけたままのテレビでやっていて、ゲストの福田こうへいが「有楽町で逢いましょう」を歌っている。
 おやっと思って聴いた。しばらくしてゲストの島津亜矢が五木と「東京ナイトクラブ」になった。あまり見なかったわけが五木の歌唱がやや食傷ぎみだからだったからだが、島津はうまいのでどうこなすのかと。
 ごたくはあさておき、こうしてフランク永井が残した名曲をときたたでも、取り上げて流してくれるだけでもありがたいことなのだ。五木よごめん! 下記をみれば五木の登場が突出しているのがわかる。
 別項で著者の身近にある「東京ナイトクラブ」の過去に歌われたデュエットのリストを紹介したことがある。それは以下の20組だった。
  フランク永井/青江三奈  フランク永井/島倉千代子
  フランク永井/八代亜紀  キム・ヨンジャ/湯原昌幸
  冠二郎/伍代夏子     宮路オサム/瀬川英子
  五木ひろし/石川さゆり  五木ひろし/木の実ナナ
  高橋英樹/長山洋子    山川豊/八代亜紀
  水森かおり/三山ひろし  石原裕次郎/八代亜紀
  川中美幸/吉幾三     竹島宏/瀬川瑛子
  田川寿美/北山たけし   藤あや子/山川豊
  藤田まこと/八代亜紀   武田鉄也/谷村新司
  門倉有希/藤原浩     林あさ美/鳥羽一郎
 その後、散らばったのを整理していてみつかったのは8組。
  五木ひろし/島津亜矢   都はるみ/里見浩太郎
  田辺靖雄/九重佑三子   五輪真弓/五木ひろし
  河合奈保子/森進一    千昌夫/伍代夏子
  三善英史/??      山内惠介/川中美幸
 三善英史の相方は分からないのが残念。
 先日に「情熱、熱情、感激」をひとりじめにしたような西城秀樹が惜しまれながらも亡くなった。こころからご冥福を送りたい。その西城を追悼するとのことでyoutubeで貴重なシーンがよみがえった。
 フランク永井が舞台を降りた1985年の夏にTBSから放送された「吉田正2000曲記念~限りなき明日への歌声」の終盤の箇所だ。ここでは感動の場面が収められている(https://www.youtube.com/watch?v=bSaZOGXgbkQ)。
 フランク永井の恩師吉田正を扱った番組としては特筆すべきもので、門下生だった歌手が勢ぞろいした。そして当時売れっ子の若い歌手が花をそえていることだ。
 フランク永井、松尾和子、橋幸夫、吉永小百合、和田弘とマヒナスターズが当時に出演したのも最後。若い世代では五木ひろし、西城秀樹、河合奈保子、近藤真彦の顔が見える。
 最後は「寒い朝」の全員合唱で締めくくられたのだが、そのまえに「東京ナイトクラブ」が次のようなコンビでデュエットされる。
  松尾和子/西城秀樹    松尾和子/五木ひろし
  松尾和子/近藤真彦    フランク永井/河合奈保子
  松平直樹/河合奈保子   橋幸夫/河合奈保子
 この歌はゴールデン・デュエットという呼び方を独り占めした松尾和子が「...もうわたし、欲しくはないのね...」と歌うあたりが、あまりにもつやっぽ過ぎるとのことで、放送自粛という噂がとんだ。今どきは考えられないことだが、作詞家佐伯孝夫は意識して放送コードギギギりの歌詞を挿入した。
 しかも大人の男女がフレーズを交互にやり取りするというデュエットの形式を吉田が使う。男女二人で歌うという方式は以前もあったが、この掛け合い方式がナイトクラブのムードを盛り上げた。
 この「東京ナイトクラブ」がその後の大人のムード歌謡デュエットの先駆けになって、「銀座の恋の物語」など次つぎとでてくるようになったものだ。ゆえにいまではそうしたことへの敬意が表されるほどの位置にある。

mx20180818.png

 暑さが異常と言われる今年。台風も連続して日本を襲うよう間の休日はあいまのようだが、比較的しのぎやすい気温で助かる。蝉がなぜかベランダにとまり泣きだした。あんな小さなからだから、どうしてこんな音量が出るのだろう。何が気に入ったのかしばらく泣いていた。
 都会だと蝉の声が遠くで聴こえていても、木々が少なくなったせいか、蝉の声を落ち着いて聞くことが少なくなった。懐かしいような、それでいて急いで過ぎていく夏の象徴のようで少しばかり寂しさを感じさせる蝉の声だった。
 蝉の声をを聴きながら、ふと大音量で蓄音機を回したくなった。蓄音機もずうたいが小さな癖に、どでかい音を発する。「有楽町で逢いましょう」に針を落とした。思ったような音が響いた。
 だが、ちょっと大きな音はご近所迷惑というご時世で、窓を大きく開いているので、自粛して一曲だけでやめ、その横においてあるラジカセで、カセットテープを使うことにした。
 テープをひろげる。改めて見てみると、最近は整理もしていなかったが、およそ40本以上ある。これぞと感じるままに、片っ端からかける。表がおわれば裏に入れ替えて、演奏ボタンを押す。カシっ(この音さもオレが押してスタートさせるのだという感じを抱かせる)という音を発し、しばらくすると次々に曲が流れる。
 普段はCDやデジタルなんたらで聴いているのだが、カセットで聴くのもなかなかいい。やはり、レコードと同じアナログであることが耳に優しいのかもしれない。デジタル音は確かに驚くほどのクリアさを持っている。フランク永井の歌は基本的にアナログ時代のものなので、いくらデジタル化されていても、もとがアナログなだけに、ノイズが無くなっているとか変換時にメリハリを技術的に調整しているとかの相違しかない。
 しかしデジタル時代の電子的に作成された最近の楽曲を聴くと、その相違が明確だ。あまりにも、クリアで、音の分離というか、メリハリの付け方は究極まで作りこまれている。これだけを聴いている若者は普通なのかもしれない。だが、筆者の年代、いや個人差かも知れないが、ややこたえる。
 疲れるというか、聴き続けるのはきついところがある。
 それが、カセットテープの音だと妙な落ち着きというか、安心感が得られる。好きなフランク永井の曲を聴いていると、いくら聴いても飽きないし、疲れが飛ぶような気になる。実際には、なにかしながら聞くので、BGMという扱いで、気を集中して聴くわけではない。それにはぴったりという感じだ。
 カセットを眺めていたら、Best Music In Cassette とタイトルに書かれているのが2つあった。緑と赤。緑はフランク永井の写真がついている。赤は青江三奈だ。いずれも、中身は全く同じで、裏表に3曲づつ計6曲が入ったもの。
 ①伊勢佐木町ブルース(青江三奈)、②加茂川ブルース(フランク永井)、③帰り道は遠かった(チコとビーグルス)、④花と蝶(秋山実とビクター・ギター・アンサンブル)、⑤恋の季節(ナショナル・ポップス)、⑥ブルーライトヨコハマ(松浦ヤスノブとムード・キングス)
 これは表紙に懐かしいナショナルのロゴが入っているように、現パナソニックである松下電器製のカセット再生機(ラジカセなど)にサンプルでついていたものだ。当時はレコード・プレーヤー(ステレオ装置といった)を買うとサンプルのレコード盤がついていた。
 カセット同じように特製の盤がついていたのだ。松下電器は当時ビクターに資本を提供していて、というより一時は親会社的な存在だった。だから、当時ビクターの看板でもあったフランク永井はこのサンプルによく使われた。
 松下が親会社だった時代には、当時テイチクも傘下で、いっそ「パナソニック・レコード」に統合しようといううわさまであったほどだ。この業界は水商売だから何年ごとにそんなことを繰り返しているのが常なわけなので、実現はされなかった。
 ソフトバンクがどうするなどというときも話題になったが、フランク永井の楽曲が「ビクター」のレーベル以外で出るというのは、ピンとこないし、ついていけない。基本的にレーベルは変えないでほしい、とファンは思うのではないだろうか。これだけは、外で言ってもどうにかなるわけではないが。
 などと、いつものように横道にそれてしまったが、カセットから流れるフランク永井を聴きながらつらつら思い起こした次第でした。
mx20180811.png

 ビクターの専属作詞家であった宮川哲夫。作詞家で専属といえば絶対的な地位にいたのは佐伯孝夫だ。佐伯は新聞記者出身だが戦前からビクターの押しも押されぬ作詞で「無情の夢」からはじまり、ヒット曲はキリがない。フランク永井にも「有楽町で逢いましょう」を提供したのは皆が知るところだ。
 戦後も大活躍した。フランク永井が登場した時期はビクターから宮川哲夫がいた。フランク永井の恩師吉田正とも組んで多くのヒットを飛ばした作詞家だ。宮川を取り上げるときにいつも代表曲として挙げるのは「街のサンドイッチマン」(唄:鶴田浩二)と「ガード下の靴磨き」(唄」宮城まり子)だ。
 フランク永井との関係をもう少し深めてみよう。
 フランク永井がジャズ歌手で大成することへのこだわりが固く、恩師が流行歌への転向を進めていたのだが、なかなか乗らない。だが、あるときついにフランク永井が「先生の作った《街のサンドイッチマン》のような曲なら歌ってもいい」といったという。
 吉田正はフランク永井に作った「有楽町で逢いましょう」のヒットを得て「自分の肩書を作曲家と書けるようになった」といっているが「街のサンドイッチマン」の成功で「自分は作曲を続けていける自信がついた」と残している。
 だからフランク永井が「その曲のようなら」といったのを聞き、ひそかに喜んだ。フランク永井の唄的な発声や歌への姿勢などを訓練している時に、フランク永井の声こそ吉田が考える日本の都会的な歌が生まれるのだと、確証的な信念を心に固めていたからだ。
 そこで一時鶴田にも歌わして練習に使っていた「場末のペット吹き」を流行歌転向第一号にあてた。発売時に注目されはしなかったが、目指した華やかの都会の裏でうごめく人たちの息遣いをフランク永井はうまく表現した。この作詞が宮川哲夫のものだ。
 「バーでいえば佐伯孝夫は銀座だが、オレ宮川は新宿のバーだ」という表現のように、明るくおしゃれで前向きな未来を見つめる佐伯孝夫の表現する都会。それに対して宮川は都会のひねるが入る。都会の裏方を支える多くの人がおり、悲喜こもごもの生活感も底辺をみつめる。
 都会の悲しさ、逃げ出したい、グチ、めそめそといった暗さ、据えた匂いが宮川の独断場だ。「夜霧の第二国道」では「つらい恋ならネオンの海へ...」となる。つづく「羽田発7時50分」では「星も見えない空、淋しく眺め」と、都下的なテーマではあっても、佐伯の描き出す都会が表なら、常に裏に徹する。
 1959(S34)年「好き好き好き」は宮川の作品ではないがヒットする。このB面が宮川の作った「らくがき酒場」。別項でも紹介した「たそがれ酒場」の連作でもないのだが「らくがき酒場のらく書きにゃ、ほんとの言葉が泣いている...」という塩梅だ。
 フランク永井には多くの詞を提供しているが、やはり特筆は「公園の手品師」であろう。宮川が故郷である大島から出てきて最初に移り住んだ町田。ここで作詞と教員のふたまたからビクター専属になるのだが、この地で散歩した公園でのシーンを詞にしたという。歌謡曲の作詞は「詞」と書くが「公園の手品師」は「詩」ではなかろうか。
 吉田正の作曲も飛びぬけているが、この詩は宮川の書く都会の裏とはまた異なる、イメージの大きく膨らむ世界がある。時代という概念を超えた歌だ。いつ聴いても古さ、新しさを感じない、そのような特別な傑作である。
 宮川は多くのヒット曲を作っておきながらも、彼の性格から他人との打ち解けた交流は残されていない。作曲を共にした吉田や渡久地政信や当時のディレクターの方がたとも、酒を飲んだりしたことはなかったようだ。だから、フランク永井や鶴田浩二、橋幸夫や三田明ともない。
 細々とだが接点があったのは、ビクター専属になる前の同報誌仲間など。石坂まさを、石本美由紀や星野哲郎たち。「魂で詩を書いてるか」が宮川の口癖だったという。
 そんなことをつらつらと思い起こしながら、お酒をちびちびやるのもどうだろうか。

mx20180804.png

 フランク永井は東京オリンピックの前年に「たそがれ酒場」を歌った。しかしこれはB面「公園の手品師」が圧倒的な人気で、やや裏に隠れてしまった。
 この時期というのは「有楽町で逢いましょう」が大ヒットした時期。フランク永井がいきなり表に出たもので、フランク永井ってどんな歌手なのかと興味が広がった時でもある。1958(S33)年のビクターの「売れた」リストは次のごとくだ。
 街角のギター(フランク永井)    公園の手品師(フランク永井)
 東京詩集(鶴田浩二)        大阪の人(三浦洸一)
 西銀座駅前(フランク永井)     ラブ・レター(フランク永井)
 釧路の駅でさようなら(三浦洸一)  こいさんのラブ・コール(フランク) 
 泣かないで(和田弘とマヒナスターズ)俺は淋しいんだ(フランク永井)

 テレビが累計で百万台売れた年。一万円札が出た年。東京タワーができた年。それが1958年。
 当時の流行歌の勢いというのが分かろうというもの。ビクターは男衆5~6人だけでやってんのかい、と聞こえてきそうだ。「公園の手品師」は1956年にABCホームソングで異常な人気で倍の期間の放送をしたもので、これを「有楽町...」人気で急きょ売り出したものだ。そのB面が「たそがれ酒場」(清水みのる作詞、刀根一郎作編曲)。
 「かえり船」「捨てられた街」を書いた清水みのると刀根一郎の曲だが、たそがれ酒場は「暗い」歌だ。フランク永井は別項でも書いたが、今では信じられないような暗い、沈んだ、絶望のような歌をいくつか歌っている。あの低音で全編真っ暗く歌う曲など、誰が聴きたいか、といいたくなるような曲だ。
 ふがいない男が朽ちた止まり木で強い酒をあおる。年齢は不詳だが、自分の気持ちがたそがれ時期になっているに、それが自分でなく行く酒場がそうであるように思いたい...、とまぁ、どうしようもない若い時の一時の落ち込んだ気持ちを描いたものだ。
 だが、幾度か聴けば切ない気持ちが分からないでもないような気になる曲になる。それがフランク永井が歌う「たそがれ酒場」。
 この「たそがれ...」というのは歌にしたかったようだ。デビュー間もなく「たそがれシャンソン」を歌い、東京タワーを歌った「たそがれのテレビ塔」、後に「たそがれのビギン」(これは水原弘やちあきなおみの歌ったのとは別)、「たそがれの渚」と歌っている。
 たそがれの...は、よほど工夫がないとそのまま明にたいして暗、前にたいして後のイメージが付きまとう。シリーズで売り出したいというには、やや弱かった。
 たそがれは黄昏、逢魔が時、トワイライト。鳥目の筆者には酷な時間帯だ。魔が差すような異様な時間帯というかゾーンは、人をふと迷わせる。こわい。それゆえに、人をどこか惹きつけるものがあるのも事実。
 この「たそがれ酒場」は島津悅子も同名異曲を歌っている。古い年代には同名映画を覚えておられる方もあろう。内田吐夢監督作品。大衆酒場を舞台に繰り広げられる人間模様が描かれた。
 ここでは、もう一つ、小説を紹介したい。半村良著「たそがれ酒場」。半村良といえば「戦国自衛隊」を想起するが、伝奇SFの先駆者であり、直木賞作家で一昔前の、しかも気骨ある作家。カバーするフィールドが広く多方面で活躍した。
 「たそがれ酒場」は作者のどの位置づけにあるのかは分からないが、気楽に読める小説だ。主人公の年齢が60歳ほどで、神田駅に近い場所のいわくあるホテル(旅館?)+中華料理店+バーのマネージャー。60歳がたそがれ年齢かどうかは異論もあろうが、小説ではそうだ。
 若いころから様々な体験をして、業界の甘い辛いを積み重ねてきたゆえに得た豊富な知識と心構え。親友、知人、お客とも軽妙なやりとりが作者ならではの味わいを出している。読んでいて楽しい。テレビドラマをなぞるようなテンポで、あれこれさまざまな人間模様が展開する。
 フランク永井の「たそがれ酒場」のような暗さはない。

カテゴリ

このアーカイブについて

このページには、2018年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2018年7月です。

次のアーカイブは2018年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。