「くちなしの花」の渡哲也が歌う「君恋し」はいかがだろうか

| コメント(0) | トラックバック(0)
mx20180722.jpg

 石原軍団は石原裕次郎を中心にした活劇俳優グループ。ボスの石原に感服する人たちで占められ、西部警察などのテレビドラマで活躍した。中でも渡哲也はその信服ぶりはずばぬけていた。この軍団はさまざまな挑戦をするが、皆歌も歌った。
 渡哲也も歌ったというか歌わされたというか、ポリドールから多くの歌を出している。なかでも「くちなしの花」(水木かおる作詞、遠藤実作曲)は名作だ。「くちなしの花」はフランク永井もカバーしている。1975年デビューして20年、のりに乗ったこの時期にフランク永井は多くのアルバムを出した。多くのカバーを歌っているが、その中の一つだ。「ベスト・コレクション75」にはじめて収められ、その後多くのアルバムに乗せられている。
 「くちなしの花」は1973年に渡が歌った大ヒットだ。1976年に「やくざの墓場 くちなしの花」でも使われている。この歌は歌詞や歌だけを聴くと、病弱な愛する人と可憐な花クチナシをかぶせたもので、具体性は聴く人のイメージに投げられたものだ。おもわせぶりな歌詞と遠藤による素朴・シンプルで誰にでも歌えそうなメロディーが抜群にいい。それを素朴を地で行くような渡の歌唱というか、そのまま飾らない歌がピッタリだった。はまり歌である。
 だが、この「くちなしの花」の誕生には、実は深いドラマがある。宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集『くちなしの花』、遠藤実『私の履歴書』が詳しいのだが、それには触れない。当時まだ郵便局の職にあったという『アカシアの雨』(これもフランク永井がカバーしている)を書いた水木かおるが、遺稿集に触発されて、その実ドラマにはまったく触れずに書いたというのが「くちなしの花」なのだ。この点を賞賛したい。
 小説は具体性を掘り下げて実情を展開していくが、詩や詞の世界では別の手法がある。あくまでも視聴者・読者のひとりひとりの想像力に投げかけるもので、事実や具体性を限りなく押さえて表現する。いかに想像力を刺激するか、ひとりひとりの感性を触発させるか、誰しもがもつ秘められて経験を思い起こさせるかなのだ。
  大ヒットした「くちなしの花」は同じポリドールの先輩後輩の関係で牧村三枝子の求めに応えて、渡は軽く譲る。渡はもともと自分は裕次郎と同じく、歌手が主ではなく俳優だから、とこの点は割りきっている。裕次郎も渡も自らを歌がうまいと思っていたわけではない。それ自身がファンから見たら飾らない歌い方が独自の色に感じられた。牧村はこの歌を心底好きで求めただけに、それなりの味の出し方に成功して、長期のヒットを継続することになった。
 表題のテーマから離れてしまったが、その渡哲也がフランク永井の大ヒット曲「君恋し」を歌っているという紹介だった。
 フランク永井が歌った「君恋し」自身がカバーで、裕次郎や渡が歌った「君恋し」も数十年も前のはやりうたのカバー。フランク永井の「君恋し」のカバーというわけではない。二村定一が歌った「君恋し」はその曲の優秀性ゆえに多くの人に歌い継がれている。フランク永井の「君恋し」が異色の注目を浴びたのは、何といっても編曲者寺岡真三のジャズ風味付けの秀逸性にある。それを当時伸び盛りのフランク永井が、他を寄せ付けないスィングで歌い上げた。これが日本レコード大賞に実を結んだもの。
 つまり、フランク永井が歌った「君恋し」、寺岡真三編曲をベースにしたカバーも多くの歌手が挑戦しているが、一般的には原曲の「君恋し」をベースにしてカバーしている。ひばり、裕次郎、渡の「君恋し」もそうである。
 1977発売「渡哲也ゴールデン・ダブル・デラックス」に掲載された一曲である。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://frank-m.org/mt-new/mt-tb.cgi/522

コメントする

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、文四郎が2018年7月22日 11:55に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「フランク永井「慕情、南国の女」と「長崎鼻慕情」に宿す薩摩半島南端の情景」です。

次のブログ記事は「フランク永井「モスクワの夜は更けて」「黒い瞳」(1962)とディミトリー・ホロストフスキー」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。