フランク永井「でっかい夢」。波乱万丈を背負った「でっかい橋=来島海峡大橋」を描いた南海放送「NEWS Ch4」

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 1967(S42)年5月にフランク永井が「道後の女(ひと)」(B面は「でっかい夢」)を発売した。これは広島県尾道市と愛媛県今治市を高架橋で結ぶという、壮大な橋の実現を求めて歌ったもの。
 現地の方がたの夢からかA面とB面を逆にした盤も発売された。この「でっかい夢」計画はその後バブルの崩壊でいったん立ち消えになる。そして平成に入るとともに「しまなみ瀬戸内リゾート開発構想」でよみがえる。
 ついに1999(H11)年に大三島橋の着工以来四半世紀をかけた「でっかい夢」が実を結ぶ。来島海峡大橋の全面開通だ。
 南海放送では平成の30年間を映像で振りかえるシリーズを「NEWS Ch4~愛媛の平成30年」、その第2回目に取り上げた。「橋をかけよう、でっかい橋を~架橋と道後と平成と~」として5月13日に放映した。
 番組は46キロを超える長大な大橋実現に至るまでのいきさつをコンパクトに要約している。地元は時の政府に要望書をまとめて陳情する。実現のためにさまざまなキャンペーンを展開する。フランク永井に託した歌もその一環だ。番組でも地元で大々的に設営されば舞台で歌った貴重な記録映像が使われた。
 「でっかい夢」「道後の女」いずれも当時第一人者であった作詞家佐伯孝夫、作曲家吉田正が作っている。地域に特化したいわゆる宣伝版もあったものと思えるが、この曲はビクターから正規の盤としてリリースされている。しかも前述のようにジャケットまで新たなAB逆面の盤(盤IDは同じ)で出されている。聴けば、当時の地域の壮大な構想と深い思い入れが伝わってくる曲になっている。
 この映像の確かですごいのは、やはりこの大橋にまつわる悲喜こもごも、波乱万丈の浮き沈みのことだろう。
 最初の政府への陳情はあの田中角栄へだ。歌の発売の1年前。しかし日本を覆う石油危機などによる景気の沈下で、いったん構想が消える。再び計画が浮上するのはバブル景気のときだが、バブルは当然はじける。そうした波乱万丈を経ても橋は完成する。このときの興奮が映像からはじける。
 だが、皮肉なものでその時の喜びもつかの間、橋のもたらす経済効果はたちまち変化する。まるで梯子をはずされたような、重く長い不景気が覆う。道後を訪れる団体客はなくなりあてにできるのは個人客。インターネット時代に突入すると、まるであり様は一変する。テーマパークは廃止に追い込まれ、芸予地震も追い打ちをかける。過疎化、老齢化はどこも同じだ。
 政治と経済の過酷な運命にほんろうされながらも、そこに住むひとびとがいる限り夢は絶えることはない。壮大な景観、瀬戸内の美しい島々。サイクリングコースは世界的にも認められてきている。
 フランク永井が歌う尾道、道後、架橋。改めて聞くと、この番組で流された映像と共に、人びとの夢と希望のかわりゆく姿が浮かぶ。
 この映像だけでもファンにはこたえられないインパクトのあるもので、南海放送に感謝したい。放送の情報と映像の閲覧の機会を提供してくださった熱いファンの方に感謝をこめて。

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このページは、文四郎が2018年7月 7日 12:19に書いたブログ記事です。

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