フランク永井「モスクワの夜は更けて」「黒い瞳」(1962)とディミトリー・ホロストフスキー

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 1962(S37)年といえば、まだデビューして7年目。前年に「君恋し」が日本レコード大賞を獲得、この年は「霧子のタンゴ」が大ヒットした年だ。テレビの出荷台数が1千万台に到達したばかりだが、2年後の「東京オリンピック」開催に向けて、国中の意気が上がっていた。
 この年に、フランク永井は「モスクワの夜は更けて」(B面は「黒い瞳」)を出している。洋楽カバーであることから、盤IDはPV-19で当時のモノラル・シングル盤のIDであるVSと異なる。編曲はいずれも竹村次郎。A面はデキシーランドジャズ仕様。B面はタンゴ仕様だ。演奏はA面がビクター・デキシーランダーズ。B面が小野満とシンフォニック・タンゴ・オーケストラ。
 社会的にロシア民謡が広く流行っていた。「カチューシャ」「ポーレシュカ・ポーレ(愛しき草原)」などの曲は覚えておられる方も多いと思う。歌声喫茶では定番だった。
 こうした社会的なニーズを背景にして各レコード会社も競って、人気歌手にロシア民謡を歌わせる。フランク永井は当初から労音での人気があったことから公演でも歌ったと思われる。それが発売された。盤には「外国曲」と表記されているが、誰のが知るロシア民謡である。外国曲といえばデビュー曲「恋人よわれに帰れ」をはじめビクターの多くが井田誠一の訳詞だ。
 時代を想起させるこうした曲を、たまに聴いてみるのもおつなものではないだろうか。
 そのロシアでは昔から「ロシア民謡」は特別な思いをもって、おそらく国家的な文化遺産として手厚い保護を受けていて、さまざまな音源だ守られている。演奏と合唱では赤軍合唱団、アレクサンドロフ・アンサンブルが有名だ。かれらの力強い圧倒的な声量による歌い上げは、まさしく聴いてパワーを感じさせる。
 ソロの歌手も昔から多く出ていて、録音ができるようになった時代からの古い音源も残されている。一世紀半の歴史を誇る「ボルガの舟唄」もロシア民謡。世界に広く広めたのはシャリアピンの歌唱とそのレコードだ。イリヤ・レーピンの絵画「ヴォルガの舟曳き」とともに印象深い。
 さて、本題の「モスクワの夜は更けて」「黒い瞳」だが、この歌を歌ったひとりにディミトリィ・ホロストフスキーがいる。彼は惜しくも昨年暮れに音楽人生の半分ほど暮らしたロンドンで亡くなった。彼は知る人ぞ知るロシア出身の世界的トップのオペラ歌手。端正な顔立ち、髪はプラチナブロンドでやや長め。全身が楽器のような体格で、顔面の筋肉はすべてが歌うために無駄が無く、バリトンの声が美しい。
 彼の歌は聴く人の心をわしづかみする。以前から同じオペラ手のアンナ・ネトレプコとのデュエットで「MOSCOW NIGHTS」を歌っている。モスクワ赤の広場でたびたび夕暮れコンサートをしているが、そこでの披露が絶大な人気だ。会場のオーディアンスもすごい。一緒に歌い、涙をぬぐう。最高の感動に皆がこれ以上ないといった満足の表情だ。至福のひとときを映像は映し出す。
 「MOSCOW NIGHT」につていくつもの映像を残している。彼は「DARK EYES(黒い瞳)」も残している。日本人が耳に残っている「カチューシャ」もある。
 彼はオペラ歌手なのだが、カバーするフィールドは広く、その分野ごとに多くのファンを持っていた。訪日があったかどうかは知らないが、偉大な歌手が若くして病死したことはまことに残念である。ひとそれぞれ皆がそれぞれ多くの困難を抱えている。そうした時に、ディミトリィ・ホロストフスキーを聴いてみたらいかがだろうか。人間の尊厳と中なら浮き出るような勇気が得られると思う。
 ずいぶん前にディミトリィ・ホロストフスキーを知らせてくれた友に感謝!

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このページは、文四郎が2018年7月28日 18:55に書いたブログ記事です。

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