2018年7月アーカイブ

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 1962(S37)年といえば、まだデビューして7年目。前年に「君恋し」が日本レコード大賞を獲得、この年は「霧子のタンゴ」が大ヒットした年だ。テレビの出荷台数が1千万台に到達したばかりだが、2年後の「東京オリンピック」開催に向けて、国中の意気が上がっていた。
 この年に、フランク永井は「モスクワの夜は更けて」(B面は「黒い瞳」)を出している。洋楽カバーであることから、盤IDはPV-19で当時のモノラル・シングル盤のIDであるVSと異なる。編曲はいずれも竹村次郎。A面はデキシーランドジャズ仕様。B面はタンゴ仕様だ。演奏はA面がビクター・デキシーランダーズ。B面が小野満とシンフォニック・タンゴ・オーケストラ。
 社会的にロシア民謡が広く流行っていた。「カチューシャ」「ポーレシュカ・ポーレ(愛しき草原)」などの曲は覚えておられる方も多いと思う。歌声喫茶では定番だった。
 こうした社会的なニーズを背景にして各レコード会社も競って、人気歌手にロシア民謡を歌わせる。フランク永井は当初から労音での人気があったことから公演でも歌ったと思われる。それが発売された。盤には「外国曲」と表記されているが、誰のが知るロシア民謡である。外国曲といえばデビュー曲「恋人よわれに帰れ」をはじめビクターの多くが井田誠一の訳詞だ。
 時代を想起させるこうした曲を、たまに聴いてみるのもおつなものではないだろうか。
 そのロシアでは昔から「ロシア民謡」は特別な思いをもって、おそらく国家的な文化遺産として手厚い保護を受けていて、さまざまな音源だ守られている。演奏と合唱では赤軍合唱団、アレクサンドロフ・アンサンブルが有名だ。かれらの力強い圧倒的な声量による歌い上げは、まさしく聴いてパワーを感じさせる。
 ソロの歌手も昔から多く出ていて、録音ができるようになった時代からの古い音源も残されている。一世紀半の歴史を誇る「ボルガの舟唄」もロシア民謡。世界に広く広めたのはシャリアピンの歌唱とそのレコードだ。イリヤ・レーピンの絵画「ヴォルガの舟曳き」とともに印象深い。
 さて、本題の「モスクワの夜は更けて」「黒い瞳」だが、この歌を歌ったひとりにディミトリィ・ホロストフスキーがいる。彼は惜しくも昨年暮れに音楽人生の半分ほど暮らしたロンドンで亡くなった。彼は知る人ぞ知るロシア出身の世界的トップのオペラ歌手。端正な顔立ち、髪はプラチナブロンドでやや長め。全身が楽器のような体格で、顔面の筋肉はすべてが歌うために無駄が無く、バリトンの声が美しい。
 彼の歌は聴く人の心をわしづかみする。以前から同じオペラ手のアンナ・ネトレプコとのデュエットで「MOSCOW NIGHTS」を歌っている。モスクワ赤の広場でたびたび夕暮れコンサートをしているが、そこでの披露が絶大な人気だ。会場のオーディアンスもすごい。一緒に歌い、涙をぬぐう。最高の感動に皆がこれ以上ないといった満足の表情だ。至福のひとときを映像は映し出す。
 「MOSCOW NIGHT」につていくつもの映像を残している。彼は「DARK EYES(黒い瞳)」も残している。日本人が耳に残っている「カチューシャ」もある。
 彼はオペラ歌手なのだが、カバーするフィールドは広く、その分野ごとに多くのファンを持っていた。訪日があったかどうかは知らないが、偉大な歌手が若くして病死したことはまことに残念である。ひとそれぞれ皆がそれぞれ多くの困難を抱えている。そうした時に、ディミトリィ・ホロストフスキーを聴いてみたらいかがだろうか。人間の尊厳と中なら浮き出るような勇気が得られると思う。
 ずいぶん前にディミトリィ・ホロストフスキーを知らせてくれた友に感謝!
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 石原軍団は石原裕次郎を中心にした活劇俳優グループ。ボスの石原に感服する人たちで占められ、西部警察などのテレビドラマで活躍した。中でも渡哲也はその信服ぶりはずばぬけていた。この軍団はさまざまな挑戦をするが、皆歌も歌った。
 渡哲也も歌ったというか歌わされたというか、ポリドールから多くの歌を出している。なかでも「くちなしの花」(水木かおる作詞、遠藤実作曲)は名作だ。「くちなしの花」はフランク永井もカバーしている。1975年デビューして20年、のりに乗ったこの時期にフランク永井は多くのアルバムを出した。多くのカバーを歌っているが、その中の一つだ。「ベスト・コレクション75」にはじめて収められ、その後多くのアルバムに乗せられている。
 「くちなしの花」は1973年に渡が歌った大ヒットだ。1976年に「やくざの墓場 くちなしの花」でも使われている。この歌は歌詞や歌だけを聴くと、病弱な愛する人と可憐な花クチナシをかぶせたもので、具体性は聴く人のイメージに投げられたものだ。おもわせぶりな歌詞と遠藤による素朴・シンプルで誰にでも歌えそうなメロディーが抜群にいい。それを素朴を地で行くような渡の歌唱というか、そのまま飾らない歌がピッタリだった。はまり歌である。
 だが、この「くちなしの花」の誕生には、実は深いドラマがある。宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集『くちなしの花』、遠藤実『私の履歴書』が詳しいのだが、それには触れない。当時まだ郵便局の職にあったという『アカシアの雨』(これもフランク永井がカバーしている)を書いた水木かおるが、遺稿集に触発されて、その実ドラマにはまったく触れずに書いたというのが「くちなしの花」なのだ。この点を賞賛したい。
 小説は具体性を掘り下げて実情を展開していくが、詩や詞の世界では別の手法がある。あくまでも視聴者・読者のひとりひとりの想像力に投げかけるもので、事実や具体性を限りなく押さえて表現する。いかに想像力を刺激するか、ひとりひとりの感性を触発させるか、誰しもがもつ秘められて経験を思い起こさせるかなのだ。
  大ヒットした「くちなしの花」は同じポリドールの先輩後輩の関係で牧村三枝子の求めに応えて、渡は軽く譲る。渡はもともと自分は裕次郎と同じく、歌手が主ではなく俳優だから、とこの点は割りきっている。裕次郎も渡も自らを歌がうまいと思っていたわけではない。それ自身がファンから見たら飾らない歌い方が独自の色に感じられた。牧村はこの歌を心底好きで求めただけに、それなりの味の出し方に成功して、長期のヒットを継続することになった。
 表題のテーマから離れてしまったが、その渡哲也がフランク永井の大ヒット曲「君恋し」を歌っているという紹介だった。
 フランク永井が歌った「君恋し」自身がカバーで、裕次郎や渡が歌った「君恋し」も数十年も前のはやりうたのカバー。フランク永井の「君恋し」のカバーというわけではない。二村定一が歌った「君恋し」はその曲の優秀性ゆえに多くの人に歌い継がれている。フランク永井の「君恋し」が異色の注目を浴びたのは、何といっても編曲者寺岡真三のジャズ風味付けの秀逸性にある。それを当時伸び盛りのフランク永井が、他を寄せ付けないスィングで歌い上げた。これが日本レコード大賞に実を結んだもの。
 つまり、フランク永井が歌った「君恋し」、寺岡真三編曲をベースにしたカバーも多くの歌手が挑戦しているが、一般的には原曲の「君恋し」をベースにしてカバーしている。ひばり、裕次郎、渡の「君恋し」もそうである。
 1977発売「渡哲也ゴールデン・ダブル・デラックス」に掲載された一曲である。
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 前回に「しまなみ海道」を歌ったフランク永井「でっかい夢」を紹介した。普段であれば情景豊かなこの一帯が、突然襲いかかった西日本豪雨で大きな被害を出している。九州から近畿を覆い多くの箇所に甚大な傷跡を残した。被害を受けた関係者にこころからお見舞いを申し上げるとともに、早い復興をお祈りします。
 さて、当「文四郎日記」をご覧いただいている方がたで、10月の「第10回フランク永井歌コンクール(&グランド・チャンピオン大会)」に歌の披露でエントリーをご予定の方がおられたら、ここ数日中に申し込みされるようお願いします。
 7月1日から申し込みを開始したのだが、記念すべき第10回ということもあり、記念して開催予定の過去9回のチャンピオンによって競われるグランドチャンピオン大会があるために、申し込みが多くきております。
 今年は先着110組で締め切りとなります。
 ここから今回の本題。前回の「でっかい夢」「道後の女」のように、地域密着でのイベント、あるいは観光推進でフランク永井はいくつも曲を出しています。これらは「でっかい夢」のようにビクターから正式にリリースしたものもあるのですが、PR版として限定的な販売がなされたものの多数あります。
 例えば同じ瀬戸内海を歌った「瀬戸内海ブルース」などです。
 PR版と正式版の両方も発売されたというのもあり、そのひとつが今回の「長崎鼻慕情」(PRA-10455)です。だが、正式版は題名を「慕情、南国の女(ひと)」(1972:SV-2234)。B面はいずれの盤でも「哀愁のカルデラ湖」。A面は青山喬作詞、B面は宮川哲夫作詞。作編曲は吉田正。
 フランク永井データブックを編纂したのが2010年なのですが、この時点では「長崎鼻慕情」の存在は知りませんでした。同じフランク永井ファンがその翌年に所有していることを知りましたが、ジャケットも含めて詳細は最近までわかりませんでした。
 しかし聴いたこともない盤となると、どうしても知りたいのは人情というかファンの性(さが)。ただ、B面が「哀愁のカルデラ湖」であることは分かっていたので、データブックにあたって検討を付けると「長崎鼻慕情」はもしかして、A面の「慕情、南国の人」なのではないかという疑いがありました。
 一方は正式盤だが、一方はPR盤。タイトルを変えてということはままあること。この謎は近年に盤を入手することで判明、やはり予想通り同一巨でした。
 だだ、新たな疑問も。それは「長崎鼻慕情」のジャケットのビクター・ロゴです。
 西郷と同じところの知人にも依頼していたのですが、てがかりがないまま。日本の西方、まして九州となるとまるで何も知らない筆者は途方にくれるばかり。
 だが、後にいろいろとうかがえば、歌に歌われているように素晴らしいところだと分かった。薩摩半島の南端で温泉で有名ないぶすき(指宿)。長崎鼻はその端の名所。菜の花畑が美しくウナギの養殖もしていると。
 そしてB面で歌われているカルデラ湖は池田湖。双方から開聞岳が夜景に美しくジャケットでその写真が使われている。池田湖はかつて、ネス湖のネッシーのようなものがいると話題にもなったところで、イッシーが有名。
 長崎鼻の鼻はどこから命名されたのか、岬の形状なのだろうか。鼻という文字のインパクトは大きい。そこらを知る人がフランク永井の歌を聴いて思い受けべるものと、まったく聴いてイメージだけを膨らますものとでは、きっと大きな違いがあるに相違ない。
 それにしても、いろいろと想像をめぐらす「長崎鼻慕情」でした。
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 1967(S42)年5月にフランク永井が「道後の女(ひと)」(B面は「でっかい夢」)を発売した。これは広島県尾道市と愛媛県今治市を高架橋で結ぶという、壮大な橋の実現を求めて歌ったもの。
 現地の方がたの夢からかA面とB面を逆にした盤も発売された。この「でっかい夢」計画はその後バブルの崩壊でいったん立ち消えになる。そして平成に入るとともに「しまなみ瀬戸内リゾート開発構想」でよみがえる。
 ついに1999(H11)年に大三島橋の着工以来四半世紀をかけた「でっかい夢」が実を結ぶ。来島海峡大橋の全面開通だ。
 南海放送では平成の30年間を映像で振りかえるシリーズを「NEWS Ch4~愛媛の平成30年」、その第2回目に取り上げた。「橋をかけよう、でっかい橋を~架橋と道後と平成と~」として5月13日に放映した。
 番組は46キロを超える長大な大橋実現に至るまでのいきさつをコンパクトに要約している。地元は時の政府に要望書をまとめて陳情する。実現のためにさまざまなキャンペーンを展開する。フランク永井に託した歌もその一環だ。番組でも地元で大々的に設営されば舞台で歌った貴重な記録映像が使われた。
 「でっかい夢」「道後の女」いずれも当時第一人者であった作詞家佐伯孝夫、作曲家吉田正が作っている。地域に特化したいわゆる宣伝版もあったものと思えるが、この曲はビクターから正規の盤としてリリースされている。しかも前述のようにジャケットまで新たなAB逆面の盤(盤IDは同じ)で出されている。聴けば、当時の地域の壮大な構想と深い思い入れが伝わってくる曲になっている。
 この映像の確かですごいのは、やはりこの大橋にまつわる悲喜こもごも、波乱万丈の浮き沈みのことだろう。
 最初の政府への陳情はあの田中角栄へだ。歌の発売の1年前。しかし日本を覆う石油危機などによる景気の沈下で、いったん構想が消える。再び計画が浮上するのはバブル景気のときだが、バブルは当然はじける。そうした波乱万丈を経ても橋は完成する。このときの興奮が映像からはじける。
 だが、皮肉なものでその時の喜びもつかの間、橋のもたらす経済効果はたちまち変化する。まるで梯子をはずされたような、重く長い不景気が覆う。道後を訪れる団体客はなくなりあてにできるのは個人客。インターネット時代に突入すると、まるであり様は一変する。テーマパークは廃止に追い込まれ、芸予地震も追い打ちをかける。過疎化、老齢化はどこも同じだ。
 政治と経済の過酷な運命にほんろうされながらも、そこに住むひとびとがいる限り夢は絶えることはない。壮大な景観、瀬戸内の美しい島々。サイクリングコースは世界的にも認められてきている。
 フランク永井が歌う尾道、道後、架橋。改めて聞くと、この番組で流された映像と共に、人びとの夢と希望のかわりゆく姿が浮かぶ。
 この映像だけでもファンにはこたえられないインパクトのあるもので、南海放送に感謝したい。放送の情報と映像の閲覧の機会を提供してくださった熱いファンの方に感謝をこめて。

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