2018年6月アーカイブ

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 街がかかえる歴史、人物、エピソードを深く取り上げて紹介しようというNHKの番組TOKYOディープ。2018年6月18日「回る回るよ 時代が回る有楽町」ということで、今回は有楽町を紹介。
 この番組はかつて私の親しい友人が営む神田・神保町の古く小さなショットバーを紹介したとき以来、気にかけていた番組。
 とらえどころがなかなかの番組。この度も、かつて闇市のイメージを強く持つ有楽町をいっきにおしゃれな街に変身させた流れを的確に追っていた。
 新宿に移転するまで都庁は有楽町にあっただけに、ここはまさに昔からの政治の中心だった。大岡越前守の裁きがあった場所、戦後のいこいの場のなごりをいまも持ち続けるガード下の焼き鳥屋、そしてかつて大きな新聞社が寄っていていて、記者たちに定食を提供した店、映画館、東京交通会館と紹介。
 もちろん「有楽町」では欠かしてはならない「有楽町で逢いましょう碑」の紹介も。その前で、ビクターの谷田ディレクターが思いで深くその誕生秘話を語った。
 有楽町はその名のイメージがいい。楽しいことがありそうな街。戦後の暗く汚いイメージの街をいっきに若者のデートの街にイメージ変換させたのは、まさに「有楽町で逢いましょう」の曲。
 皆が知るように大阪から東京に進出してきた百貨店そごうの開店キャンペーンの中からだった。これがすごいのは、ここで後にも先にもない一大連携が実現したことだ。
 まず、そごう宣伝部は米映画「ラスベガスで逢いましょう」からヒントを得て「有楽町で逢いましょう」というキャッチ・フレーズを思いつく。
 始まったばかりのテレビ放送の番組名を得る。ビクターの代表的な作詞家佐伯孝夫が、このキャッチからインスパイア―を受けて流行歌の詞を書く。そして新進の吉田正が作曲を受け持つ。実際に有楽町に取材、屋根におとする雨音からあのイントロができる。
 芸能界の宣伝を一手に展開する雑誌平凡では同名小説の連載を開始する。そればかりか映画大峡が映画化で参加するというところまで発展した。時代のムードが生んだ異様で強力なユニットが実現した。
 当初そこうは「有楽町で逢いましょう」をビクターの最大人気歌手で歌わせようとした。だが、吉田正は当時自分の歌謡曲での独自色の表現に悩んでいて、フランク永井の声質と歌唱に新たな展開を模索していた。
 有楽町で繰り広げられているかつてなく、これからもないだろう一大連携作戦という大チャンスに、フランク永井を起用することに情熱をかけて押し切った。とにかく「デモ・テープを聞いてみてくれJ と。
 確かにそれまでは哀愁を前面に感じる高音の望郷哀愁歌謡とは、まっこうから対峙する刺激的な曲と歌唱だった。有楽町の未来を予感させるに十分な曲だった。
 恩師吉田正のもくろみどおり、実際に歌は大ヒットだった。雨にもかかわらずそごうの開店には長い行列ができた。
 吉田正はこれまで自分の肩書を「作曲家」と記載することに躊躇があったのが、この成功を機に自信をもって以後書けるようになったと振り返っている。
 映画も大成功だった。モノクロが普通の時代に気張ってフルカラーで、ドラマを明るく仕上げているだけではない。都会のデパートというものがどのようなものかを、あますところなく宣伝することにも貢献した。
 全国から若者が東京に集まってくる。来る人にも、来れない人にも、東京という都会のイメージを強烈に植え付けたのが、こうした映画とフランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」だった。
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 今年の「フランク永井歌コンクール」は第10回を迎える。それを記念して過去の大会で優勝された方を一堂に会した「グランド・チャンピオン大会2018」が開かれる予定だ。例年通り、大崎市松山体育館で開催される。
 このたび実行委員会から発表されたポスターによれば、司会が元NHKアナの宮本隆治さんがされる。どのような進行になるのか、どなたがグランド・チャンピオンに輝くのか、いまから期待される。
 2011年は開催予定の直前に、東日本大震災の直撃をうけて延期された。また、開催が2014年からフランク永井の命日が10月であることから秋の開催になった。
 過去の優勝者は以下のとおり。やはり一覧すると地元宮城県が強い。だが、大会には全国から駆け付けてきている。意気込みや練習にも熱気がこもっている。熱戦が繰り広げられることは間違いない。
 注目したいのは優勝者が歌った歌だが、みごとなバラエティーに富み、ダブりがない。いずれもフランク永井が昭和の歴史に刻み付けた名曲で、大ヒットし、社会に強い印象を残したもの。
2008 1回「有楽町で逢いましょう」鈴 木 由 壽(宮城県塩釜市)
2009 2回「初恋の詩」      青 山 譲 二(島根県古賀町)
2010 3回「東京午前三時」    長 野 康 二(東京都狛江市)
2012 4回「羽田発7時50分」   三 島   良(宮城県大崎市古川)
2013 5回「東京カチート」    石 川 たい子(宮城県多賀城市)
2014 6回「霧子のタンゴ」    女 川 孝 俊(宮城県涌谷町)
2015 7回「君恋し」       高 橋 ひとみ(宮城県大崎市松山)
2016 8回「妻を恋うる唄」    川 村 忠 洋(宮城県仙台市)
2017 9回「公園の手品師」    武 田 夏 子(宮城県大崎市古川)
 参加者は若い方からご高齢の方、女性も入っていて嬉しい。歌コン10回を記念してのグランド・チャンピオン大会は大いに歓迎したところだ。先の優勝者はその後も歌唱を続けて、その味わいが大きく進展しているに違いないからだ。
 グランド・チャンピオン大会は、午後1時から予定されている。前日に行われる歌コン予選で選出された20組による決勝大会は、グランド・チャンピオン大会の前行われる。
 フランク永井の名を冠したこのユニークな大会。今年はどうか分からないが、外国からもエントリーが過去にあったほど、広く人気を集めている大会だ。
 フランク永井の功績の偉大さを象徴したものだが、この意味をしっかりとくみ取り現実にしていることが、歌コン実行委員会とファンの力だ。
 のどに自信がある方は、今からでも申し込みができるはずだ。今年は110組までで申し込みが切り上げられるが、ぜひともチャレンジしてほしい。
 お問い合わせは、フランク永井歌コンクール実行委員会事務局、090-1492-0438(松元)0229-25-4774(浅野、片岡)まで。
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 「宮川哲夫展~都会調歌謡と青春の歌」が日立市の吉田正音楽記念館で二年まえに開催された。
 宮川哲夫展は人気の企画で、その都度さまざまな工夫をこしらえて展示されている。
 フランク永井に歌詞を提供した作詞家は多いが、宮川哲夫は中でも絶対に欠かせない人だ。宮川が書く詞は昭和のそのときどきの匂いが独特のタッチで描かれていて、その詞が醸し出す雰囲気は強く頭に残る。
 フランク永井のデビュー初期の流行歌第一号「場末のペット吹き」。そして「夜霧の第二国道」と「羽田発7時50分」。ここまで紹介しただけでそのパワーははじけているのだが、決定打は「公園の手品師」かもしれない。
 戦後の荒廃から必死に立ち上がろうとうごめく都会の大人たち。場末の酒場の雰囲気がドーンと胸に迫る。この少し前にフランク永井の恩師吉田正と組んでヒットさせたのが鶴田浩二「街のサンドイッチマン」。何とも哀愁に満ちている。
 当時の人ならだれもがくちずさんだ宮城まり子「ガード下の靴磨き」。
 「ねぇ おじさん みがかせておくれよ。ホラ まだこれっぽちさ。てんでしけてんだ。えっ お父さん? 死んじゃった...。お母さん 病気なんだ...」
 これは宮城がみごとに歌い上げているのだが、詩の中身を思うと切なくて誰もが涙する。磨きなあら客の問。小僧は応える。「お父さん? 死んじゃった...」。戦争の落としご、孤児のやるせなくもたくましい生活の断片だ。二度とこの悲劇を起こしてはならない、街にあふれる彼らをみんなの温かい目で守らなければならない、という思いが伝わるからだ。
 三田明「美しい十代」はどうだろう。からっと真正面からてらいなく切り込んでいる。三田はもちろんこれで一気に大人気を得る。
 忘れられないのは橋幸夫「雨の中の二人」。筆者が上京したて働き始めた時の歌だ。この梅雨時になると必ず思い出す。橋の作品は数多いがもっとも好きな一曲だ。
 会場にはこの度も圧倒するような数の詞のリストが展示されているだろう。宮川が苦悩と共に残した作品群だ。宮川の創作に打ち込む姿勢は写真の「街のサンドイッチマン」(辻由美著)にくわしい。

※この催しが今年に開かれたように書いてしまい失礼しました。
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 フランク永井が恩師吉田正作詞・作曲の「霧子のタンゴ」を世に出したのは1962(S37)年。タンゴが好きな吉田正が自ら作詞までしてあたため、吉田門下生に練習曲のようにして歌わせて、歌手の傾向、特質、雰囲気をチェックしたと思える曲。
 吉田の見込みと期待を裏切らずに、それを超えた歌唱で応えたのが愛弟子のフランク永井だ。タンゴ調の雰囲気は最小限に抑えられて、フラットでありながらも歌唱に込める思いの深さで、そのメリハリをうまく表現している。
 フランク永井の代表的な曲の一つとして定着した。これはさまざまな形でその後発売された。映画にもなった。またこの曲はフランク永井が英語詞をあてて、日英版にしたり、後にパートⅡと発展した。
 霧子というおそらく、その漢字をあてた実名はないと思える女性の名前。これは当時フランク永井が「魅惑の低音」という言葉と共に「夜霧の第二国道」以来の連想で「霧」を独占的にイメージをつなげてきてきた言葉からきている。もちろん、冷静に考えれば相当な無理があるのだが、当時はそのようなイメージが実際にあった。
 さて、最近はテレビで聴くことがなくなったようだが、当時ものまねタレントとして大活躍していた団しん也が、霧子のタンゴをネタにし、「霧子のタンゴDANCHIN'YA」というタイトルでレコードまで出している。
 団は古賀政男に師事し歌手としてその世界に入っている実力派だ。レコードも出すがヒットには恵まれない。うまい歌手はたいがい物まねがうまい。堺すすむ、佐々木すすむなどと一緒に、戦後の歌の物まねブームを作った。彼は器用だから歌のレパートリーは広く、歌自身がうまい。
 「霧子のタンゴDANCHIN'YA」は彼が人気を得たひとつで、霧子のタンゴを12人の声を使い分けて歌う。近年の青木隆一といったところ。
 フランク永井から歌いはじめ、橋幸夫、前川清、森繁久彌で一番。続いて、ディック・ミネ、柳家金語楼、志村けん、森進一。三番は、石原裕次郎、藤山一郎、小林旭、春日八郎というのだからおもしろい。
 自分が司会し先に歌い手の名を紹介してすすめる。演奏は近藤進編曲を八木正生&His Orchestraが本格的におこなっている。
 彼の実力のほどがよくわかるのが、B面洋楽「My Funny Valentine」で、三遊亭圓生 (6代目)が司会。ディーン・マーティン、ナット・キング・コール、プレスリー、ルイ・アームストロング、フランク・シナトラ、ジェリー・ルイス、橋幸夫、東八郎、団しん也本人と歌い継ぐ。
 ジャズシンガーでコメディアン、声帯模写、俳優、声優から司会までこなす器用さは何ともすごい。いささか古い話。。。。

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