追悼!東京ラジオ歌謡を歌う会前会長村越光男氏、第12回東京ラジオ歌謡音楽祭が盛大に開催

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 この5月20日に第12回東京ラジオ歌謡音楽祭が開催された。
 フランク永井はNHKラジオ歌謡で「1958:アイスクリームの夜」「1959:いつの日逢える」の2曲を歌った記録がある。その縁でラジオ歌謡のグループに属する方からの紹介でかなうなときには出かけて楽しむようにしている。
 ラジオ歌謡はNHKから1946(S21)年から1962(S37)年まで放送された。フランク永井がデビューしてしばらくの「有楽町で逢いましょう」をヒットさせた時期までで、戦後の人びとのこころに大きな印象を残した。
 戦後の日本人の歌の傾向がジャズ、流行歌、ロカビリー、演歌、フォーク、GS、ニューミュージック、Jポップス...等々目まぐるしく変化していくのだが、終戦直後に人気を得てその後の開始点になったのがラジオ歌謡だ。
 日本人的な清楚で凛としたこころもちを歌で表現し、その精神がどんどんと文化が多様化するなかで、こころの中心に持つべき意識ではなかろうかという人たちが、ここ20年程忘れられつつあるラジオ歌謡の全容に迫ろうとしてきた。
 当時関係した当事者である作詞家、作曲家、歌手、制作に携わった方がたの有志が集まり連携して資料を収集してきた。同時に自主的な歌い会を着実に催してきた。記憶にある曲を歌い継ぐ。譜面が残されていない場合は記憶から起こす。音源が残されている場合は採譜する。それをアコーディオンやピアノや楽器で演奏を作る。
 当時は放送の記録をあまり残していない。音源も残っているがむしろまれだ。初期のNHK紅白歌合戦の音源や映像すらもだ。だから、フランク永井の当時の放送記録や映像がないのをたびたび嘆いてきた。
 歌う会の方がたの努力がいかほどのものか、計り知れないものがある。そうした中のお一人が村越前会長だった。以前にも紹介したが、歌唱指導はもとより、採譜家、アコーディオンの奏者でもあり、歌声喫茶最盛時代にご活躍したとご本人からうかがった。フランク永井が歌った400余曲の内演奏(カラオケ用、歌のない歌謡曲用等々)が160余曲あることを紹介したが、そのうちの多くが村越さんの採譜とアコーディオン演奏だ。
 アコーディオン演奏といっても、現在のシンセサイザーの前身のようなもので、さまざまな音色、楽器色、キーの変化を加えて、多重録音・合成までやってるのもあって、聴いただけでそのご苦労が伝わる。
 村越さんはご高齢にはさすがに勝てずに昨年末に逝去された。
 東京ラジオ歌謡を歌う会はフランク永井の先輩でS30年にビクターからデビューした祝太郎氏が会長を継いでいる。副会長は東京の会創設の中心的な立役者である神尾善子氏。同会にとっては今年の歌謡祭は村越さん追悼でもあった。
 さて、当日の催しの内容だが、ラジオ歌謡で歌われた歌でよく知られている曲から会員が掘り起こす珍しい曲まで60曲近くが披露された。デュエットもあれば子供たちで歌うのもある。歌手顔負けの素晴らしい歌唱。ご高齢であるにもかかわらず、通る若々しい歌声と感心するばかり。
 今年もゲストは宝田明はじめ、ラジオ歌謡の作曲家として多数の貢献をされた八洲秀章の長女村松美和子さんと沢木順さん。演奏はエレクトーン奏者長谷川幹人。
 「みなさんで歌いましょう」とか「ラジオ歌謡とまちがえられる曲コーナー」とかあって、長時間にもかかわらず飽きさせない工夫がなされている。
 近年こうした方々の努力のかいあって、ラジオ歌謡のCDボックス発売とかラジオ深夜便での特集とかなされている。
※写真中枠が村越光男前会長

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このページは、文四郎が2018年5月20日 17:57に書いたブログ記事です。

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