2018年4月アーカイブ

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 インターネットのYouTubeの世界で今もフランク永井人気は続いているということを別項で書いた。また台湾では日本ではほとんど認知度が低い「捨てられた街」という曲が流行っているようだということも触れた。
 そうしたたあるところで、台湾では日本以上に人気歌手がフランク永井の歌をカバーしているがそれはそうとう多いという情報をくださった。そこで少し注意して調べてみた。
 YouTubeについては先にある程度みたので、他に映像を扱っているというnicovideo=ニコニコ動画を調べてみようとした。ところが、ここ最近に著者の住まいのインターネット接続環境が悪化して頻繁に切れ「未接続」になってしまう上に、nicovideo自身が有償会員でないとどうも回線が細いようで、調査は容易でないことがわかった。
 のだが、とにかく見てみようということでいろいろトライしたら、こちらの世界でもフランク永井のアップはめざましいことが判明した。
 基本的に、熱心なファンが台湾のテレビを中心に放送されたものを編集してアップしているようだ。底というか全容はわからないのだが、ざっと探ったところを報告したい。
 第一に、台湾でもいわゆる歌謡曲番組があって、そこで人気の歌手がフランク永井曲を歌っていて、それが安定的に人気のようである。歌詞は台湾語ベースと北京語、なかには広東語それに客家語(台湾に近い大陸の漢族の中国語)というのもある。
 中国語のタイトルは相当自由で基本は抑えながらも複数あるのも特に不自然でもない様子。同曲名でも一部歌詞がことなるとかも。
 第二に、「おまえに」は別格にして、ほとんどがフランク永井の曲でもデビュー(1956=S31年)から数年の人気が盛り上がった時期の曲に寄っている。理由は何なのだろうか。盤の輸出がスムーズだったとか、年代的にファン層に特化していたためだろうか。
 日本ではやはりそう知られていない当時の曲がけっこう入っているのがおもしろい。前に紹介した「捨てられた街」意外にも、「誰を愛して」「夜間飛行」「恋夜」「青い国道」「アコちゃん」「ふるさとの道」「二人だけのパーティ」などがある。「俺の名前は北海太郎」とかも含めて当時映画やTVドラマの主題歌とか挿入歌が当時人気だったのかもしれない。
 第三に、台湾語でも北京語でもカバーする歌手は女性も自然に参入しているということ。しかも年代的に日本のフランク永井ファン層よりも若そうだ。
 第四に、映像はTV放送時のものと独自制作のカラオケ風のもの。
 ということだが、こうしたくくりでアップされている曲数は、22種類。上記の曲以外につぎのようなもの。
 「東京午前三時」「俺は淋しいんだ」「霧子のタンゴ」「おまえに」
 「有楽町で逢いましょう」「夜霧に消えたチャコ」「羽田発7時50分」
 「夜霧の第二国道」「雨の国道七号線」「林檎ッコ」「冷いキッス」
 「西銀座駅前」「こいさんのラブ・コール」
 中国語を含めた外国語は不勉強のためまったくわからない。戦後ラッシュのごとく流された洋楽は言葉がわからないままも、いままで耳にしたことがないようなリズムと演奏に耳を奪われた。内容は理解できなくとも曲が響けばそれを体は受け止める。大変な人気を得た。
 フランク永井の曲は聴いて知っているが、歌われる中国語はわからない。だけど、歌手の表情や、中国語の文字のスーパーを観て、およその日本語歌詞を思い出しながら聴く中国語もいい。
 歌唱はどうしてもフランク永井と比べてみたくなるが、それを抑えて聴けばなかなかおもしろい。自分の歌として自由に歌ってくれていること自身、聴いていて何かうれしく思う。
 「君恋し」はない。日本ではレコード大賞曲ゆえにフランク永井との関連は強いが、台湾ではフランク永井が古い名曲を単にカバーしたというだけでオリジナルではないからだろう。
 「有楽町で逢いましょう」については、思わぬ情報が。「...台湾ではタイトルそのまま直訳のカバー「相逢有楽町」が登場してヒットし。もうひとつのあまり流行らなかったカバーが北京語版「約会西門町」。西門町とは戦前からの台北の繁華街で、戦後は西門町と言う日本式の地名は無くなったのだが、現在でも俗称として「西門町」。「約会」とはデートの意味...」などの解説がついていた。
 時間と興味があれば、ぜひいちど訪れてみてはいかがだろうか。
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 「霧子のタンゴ」は言わずと知れたフランク永井の代表曲のひとつ。吉田正が数少ない自ら作詞したもので、好きなタンゴのメロディーに乗せた名作だ。
 タンゴでありながらも比較的フラットなしらべに、ほとんど意味不明というか抽象そのものの歌詞でできている。つまり歌い手の技量にその表現をゆだねている。
 吉田学校の生徒に歌わせてはその歌唱力と傾向を確かめたようだ。いわば師から生徒へのきつい挑戦状だ。最終的には愛弟子のフランク永井が期待通りにクリアして、1962(S37)年にリリースされた。
 このB面は平尾昌晃の「哀愁のバイパス道路」。平尾は自著で「「霧子のタンゴ」は私に向けてつくられたもの。ディレクタがフランクのほうがあってるといって...」と残念がった。
 まあ、平尾歌唱のイメージも「霧の摩周湖」の連想でわからないでもないが、やはりフランク永井の「歌い」にダントツで旗が上がる。それはこの曲をフランク永井が歌うことで、相当な新鮮さをアッピールできたからだ。
 どうも、ある程度の色というか個性がある歌手が歌っても、その色の強さが目立って、フレッシュさにならないところがある。そこをフランク永井は不思議な抑揚表現で、師匠の想定以上を表して見せたものだ。
 霧子のタンゴは翌年早速に純愛ドラマに脚色されて今も健在の松原智恵子主演で、日活から映画化された。この映画はDVD化されているので、いつでも鑑賞できる。
 「霧子のタンゴ」はどこでも人気で、フランク永井がライブでは台湾公演時に自ら英訳作詞したという英語版をたびたび歌っている。そして1977(S52)年の歌手生活21周年記念リサイタルでは「霧子のタンゴパートⅡ」(吉田正作)を披露した。
 以前も紹介したが「霧子のタンゴパートⅡ」は、さすがといえるフランク永井の自信にあふれる歌唱が観客を魅了した。
 フランク永井の恩師吉田正は、霧子という仮想の女性名には入れ込みが深かったものと思える。キリコという名の女性は確かに珍しいが存在しないわけではない。だが霧子という漢字名ではないのが多い。
 夜霧の第二国道に代表されるように、霧は吉田正が「都会派」と言われるメロディーの確立と切れない関係にある。一時期「夜霧の...」というのがフランク永井を連想するような時代もあったのだ。
 もちろん、他のレコード会社は「独占させてなるものか」と霧を使った歌を人気歌手に歌わせて競った(傑作は裕次郎が歌った「夜霧よ今夜も有難う」)ので、決してフランク永井の独占ということではないのだが、そういう雰囲気があった。
 特定の女性名を付けた歌は多数存在するが、霧子はやはりフランク永井だろう。
 ところが、1984(S59)年、徳間ジャパンと五木ひろしが吉田正の偉大さを称賛してジョイントを提案、五木ひろしが吉田メロディーを歌うというアルバムが実現する。
 「いま、生きている...新たなる感動~霧子のタンゴ」というLP。ここにはフランク永井をはじめ吉田の生徒に送った10曲が収められているのだが、さらに2曲のオリジナルが入っている。
 星野哲郎作詞吉田正作曲「法師の宿」と、吉岡治作詞五木ひろし作曲吉田正編曲の「銀座シティ・エアー・ターミナル」である。
 「銀座シティ・エアー・ターミナル」に、吉岡治の描いた霧子が登場するのだ。
 「...霧子、赤い真珠の霧子、忘れはしない...」。
 タンゴではない。五木の作曲なだけに、五木節がうまく表現された曲になっている。吉田正の編曲もいい。
 ちなみに、このLPは1997年にCD化され「吉田正作曲生活50周年記念吉田正作品集「有楽町で逢いましょう」として復刻されている。新たに吉田作品2点が追加されものだ。
 五木ひろしは現役歌手としては70歳をむかえ活躍中だ。現在の歌謡界では生き字引のような、知識・体験豊富な方だ。
 フランク永井のささやくような、包み込むような、ソフトな表現でありながらも、聴く人に安らぎをあたえる歌い方と、五木のは対照的だ。
 五木節として今では定着しているが、ファンは分かれる。一言でいえば、技巧先行が鼻についたりする点だといわれる。彼ならではの鍛えられた喉はまるで手品のように抑揚、硬軟を表現する。これが視聴者の胸をダイレクトに揺さぶるために、一様にとんがり、癒しにならない。歌に癒しをたくすような世界ではないし、そもそも歌は嗜好品だから。歌に癒しを別に求めないという人からは称賛されるので、その存在は大事なのかもしれない。
 この時以来五木は吉田を尊敬し、他にも自らの芸能生活40年を記念して「哀愁の吉田メロディーを歌う」を2004年に発売している。ここでは、先に紹介した曲含み(銀座シティ・エアー・ターミナル以外すべて)、18曲が収まっている。吉永小百合がナビゲートした異色のカバー集になっている。
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 YouTubeの世界はともかくすごい。有象無象がひきめきあっている。あらゆるジャンルのことが、雑然とひろがっていて、深みに入ると蟻地獄のような様相になる。目的を忘れてしまいそうになるので、筆者は特定の面でしか付き合わないようにしている。
 「フランク永井」と検索してみたら、そこにはとてつもない数がアップされているのがわかる。目的は、聴いたことのないフランク永井の歌の発見であり、フランク永井の映像遺産の発見だ。
 フランク永井の残した歌についてはすでにほぼ明らかになっていて、その歌もレコード、カセット、CDでほとんどを楽しむことができるので、新発見は期待できない。だが、ついチェックしてみたくなる。
 映像はテレビ番組に出演した際の切り出しだが、相当数がアップされている。しかしテレビで歌うのは基本的にフランク永井のヒット曲に特化されているので、珍しい曲を歌うというのがないために、舞台の違いでしかなくなるが、まぁ仕方ない。
 しかも、映像では歌を丁寧に三番歌詞まで紹介することなどはまずない。それは映像単価が高く有効に流すということが優先されて、長くて二番まで、酷い場合はイントロ無しや途中だけのいわゆるブチギレで、そっけない。
 フランク永井がメインで登場した番組はいくつか過去にあったが、それらはほとんど再放送されたようだ。これはテレビ局の大事な資産だからYouTubeで観ることはほどんどできない。観れるのはあくまで歌うシーンだけの切り出しだ。
 これも本来はテレビ局の著作権がともなう遺産なのだが、完全にシャットアウトするのは難しいようだ。申請して止めても雨後のタケノコのようにアップされるのに追いつかないのだろう。また、番組や局や曲の宣伝になっている側面もあり、痛しかゆしといった背景もある。
 さらに、ファンが聴きたい、観たいといったときに、それが容易な形でレコード会社や版権の所有者がファンに提示できていないという面もあって、YouTubeがそれを埋めているというところもある。
 また歌の世界では歌手が自らの歌を広く知らしめたいがために、積極的にYouTubeを利用することもある。いったん社会のインフラのひとつとしての存在が定着してしまうと、ルールは実態の後追い状態になる。
 さらにフランク永井の世界についていえば、カラオケだ。
 フランク永井の歌のカラオケについては、一番のネックとして挙げられるのはカラオケ演奏の数が少ないことだ。カラオケ提供の会社からのものも限られている。リクエストを出しても容易に実現する状況にはない。
 それでも、ファンの熱意というのはあなどれなく、オリジナルの演奏を作ってそれを提供したり、それをバックに自分の歌唱のノドを聴かせたりという映像もある。フランク永井モノではビクター本体からの新カラオケは途絶えたようだが、カラオケ提供会社からぽつりぽつりと新たにリリースされている。それに、一般からファンが用意されて登場する。
 それらの全数は十分につかめていないが、演奏ということではすでに160曲を越しているはずだ(実際にカラオケ演奏として使えるということではない)。
 YouTubeでのカラオケでは大事なのは、背景の映像と歌詞の表示だ。カラオケ提供会社からのものはそのあたりしっかりしている。一般作成にはこれは大きな壁だ。
 YouTubeでのフランク永井モノの映像はカラオケもそうだが、曲についても実演で歌うもの以外に、レコードやCDからの歌唱に独自の背景映像をつけるのだが、その品質が高いものも相当数流れている。
 かつて「フランク永井専門チャンネル」というのを紹介したことがあるが、以前らか圧倒的な数と広さを誇っているのが「ロッキー劇場」関係だ。フランク永井の関係だけで百数十を常に提供している。全部オリジナルの制作だ。ファンとしての熱意の結晶で、たいへん敬意を感じている。
 「ロッキー劇場」のフランク永井モノはそのほんの一角に過ぎない。フランク永井のウォチャーの一人としてみてみても、音源の豊富さやカラオケでもそのレアさは断トツなのではないだろうか。
 興味のある方はぜひとも訪れてみてほしいと思ってふれてみた。
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 以前に筆者の好きな作家は藤沢周平だと話したことがあり、そのときに「フランク永井と藤沢周平ねぇ。かかわりがないのでは」と不思議がられた。自分では別に自然にそうなんだから変でもなく、そんな疑問を感じたこともなかったことを覚えている。
 ブログを掲載し始めたのは12年前に友人からすすめられたmixiだったが、宮城県大崎市でフランク永井歌コンクールが開始され、そのデファクトの公式サイトともいうべき「フランク永井の故郷から」にお願いして掲載する際に、思い切って「文四郎日記」として「フランク永井あれこれ」にした。2012年のこと。
 筆名の「文四郎」はいうまでもなく、藤沢周平の書いた名作「蝉しぐれ」の主人公の名前をお借りしたもの。
 フランク永井との連想はないといった方が正しく、関係はいまだにわからない。ただ、フランク永井の恩師である吉田正が曲を作っていく中で、机上ではなく人びとの生活の奥から醸し出される感情や感覚を知ることの大事さを語っている。
 こうした人びとの生活感を大事にする姿勢が作った曲に生きていて、多くのファンを魅せたものと思っている。フランク永井については都会派だとか、大人のムード歌謡だとかの視点から語られることが多く、多くの人びとの生活や労働の現場ということとの関連が薄いように印象付けられているために、無関係のように思われがちだ。
 しかし、東北の田舎から上京して、当然のごとく現場で労働することから社会を経験していることは重要だ。米軍の物資の搬送という仕事ではあった。けっしていきなりスターの道を歩いたわけではなく、きらびやかな道だけを歩んできたわけではない。
 歌った歌のジャンルでの成功も、多くの人びとの生活と労働という点での感情が重なっていたが故のものと思う。「恋さんのラブ・コール」が関西のラジオ局のABCホームソングで流れ、活発に展開していた労音の舞台で絶大な人気を得たのもそのあらわれだ。
 ややこじつけに近い関連付けは、ここまでにして、藤沢周平展が開催されていた。作家藤沢周平の生誕90周年を記念した展示で、作品を書き後年の生涯を過ごした東京練馬。石神井公園の一角にある会場を訪れた。
 藤沢周平展は生誕の地山形県鶴岡の記念館で主催するものもふくめて、多くの場所でひっきりなしに開かれている。幾度か目の訪問だった。
 かつて山形放送で流された藤沢周平を訪ねてさまざまなエピソードを語らせた映像が、会場では紹介されていた。これが印象的だった。
 藤沢周平ははっきりと言っていた。歴史ものでも英雄や名を残した偉人と呼ばれる人よりも、名もない人の生活の中にある視点や感情や体験に興味があると。そこには驚愕のドラマがあり、いきいきとした躍動の物語がある。これはけっして光はあてられることがないが、英雄や偉人とくらべても引けを取らない注視すべきものがある。これを書くのだと。
 藤沢作品はこうした視点から書かれている。もちろん作家は食っていく必要もあってそこからはみ出た作品も残しているが。映画化も多数されたし、TVドラマ化も多い。どれも静かでほのぼのとした気持ちを起こさせる。
 藤沢周平自身はどれが代表作と思われたかは分からないが、筆者にはやはり「蝉しぐれ」だ。なにが、どこか、といわれると、これもよく説明できないのだが、普段は決して気負わない生活があって、他人のことでも何かないがしろにできないものが荒らされる、否定されると、敢然と命をかけてでも立ち向かう、そんな凛としたものを感じる点だろうか。
 「蝉しぐれ」は黒土三男監督によって先にNHKのドラマ化、その後映画化が実現した。書籍を一気に感激して引き込まれて読み、まだ現存していた藤沢に映画化の許可を依頼した。藤沢は映像化に容易にうなずかなかったのだが、黒土の熱意に折れて実現した。
 丁寧な映像化はすばらしい。実際にヒットし、藤沢作品の魅力を広げた。書籍を読んでいる人にもけっして期待をそこなうことない作品だったのではないだろうか。
 ということで、番外編でした。

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