
先日テレビ欄を見ていたら「フランク永井」の文字が出ていた。こりゃ何をさておいても見なきゃ、ということで楽しんだ。それは、BS11「あの歌この歌~時代が生んだ名曲たち~1961年」(201803)。
ある年に焦点をあてて、その年にはやった歌を取り上げながら、当時の世相を紹介するという番組だ。
今BSを含めると歌番組は多い。筆者らの老いた年代のものにもその気にさせる番組はあるのだが、嗜好の激しい年代だけに出演者が気になる。出演者は新聞の番組表でしか判断できないし、その見出しとあわせて、かけ事をするように連想して判断するしか手がない。
もしかして、テレビ番組表が記載された冊子とかインターネットで見るとかあるのだろうけど、年寄りはそんな面倒はしない。紙面の文字をみて連想するカンだけだ。
新聞は毎朝読む。政治、経済、スポーツが入り、社会の順でみる。最後はテレビ番組表。まあ、ときどき見落としして残念がることはあるが、ここで判断する。
ファンの「フランク永井」の文字をみることはほとんどない。マレなので、眼に入ったときは時に、声まで上げる、というような塩梅。
いくらムード歌謡の冥王とはいえ、舞台を降りてからも30年余年経過するから、紙面にその字が躍るのは年に何度もないからだ。その分野ではビジュアルで突出する裕次郎とひばりの突出に隠れてしまうことが多い。
ある年に焦点をあてて、その年にはやった歌を取り上げながら、当時の世相を紹介するという番組だ。
今BSを含めると歌番組は多い。筆者らの老いた年代のものにもその気にさせる番組はあるのだが、嗜好の激しい年代だけに出演者が気になる。出演者は新聞の番組表でしか判断できないし、その見出しとあわせて、かけ事をするように連想して判断するしか手がない。
もしかして、テレビ番組表が記載された冊子とかインターネットで見るとかあるのだろうけど、年寄りはそんな面倒はしない。紙面の文字をみて連想するカンだけだ。
新聞は毎朝読む。政治、経済、スポーツが入り、社会の順でみる。最後はテレビ番組表。まあ、ときどき見落としして残念がることはあるが、ここで判断する。
ファンの「フランク永井」の文字をみることはほとんどない。マレなので、眼に入ったときは時に、声まで上げる、というような塩梅。
いくらムード歌謡の冥王とはいえ、舞台を降りてからも30年余年経過するから、紙面にその字が躍るのは年に何度もないからだ。その分野ではビジュアルで突出する裕次郎とひばりの突出に隠れてしまうことが多い。
さて、今回の番組をじっくりと楽しんだ。
1961年という年は激動の時期で、フランク永井の「君恋し」は確かに日本レコード大賞を得たのだが、その他の歌や歌手や事件がきらびやかというか、華々しいのがそろっていて、フランク永井・君恋しがトップだよと先頭に取り上げられること自身がまれなのだ。
番組での紹介されていたが、柏戸大鵬同時横綱昇進、巨人大鵬卵焼き人気、東洋の魔女鐘紡バレーボールチーム、米国のテレビドラマの吹き替え放送人気。
前年の1960年は「安保反対闘争」が頂点を迎えた年でもある。歌の世界では、見出しの「和声ポップス元年歌謡からドドンパへ」のごとき、戦後の「日本調+ジャズ」一色から大きな様変わりの変換期だった。
番組はこのあたりの雰囲気を実によく表現していた。
戦前戦後の歌謡曲は同時に日本に駐留した米軍の兵士に慰安を提供するキャンプでの仕事が洋楽を運んできた。ひとくくりでジャズといわれたが、ロックからシャンソンからカントリーから映画音楽からまぜこぜだ。
洋楽は米兵を楽しませながらも、GHQの日本人の文化再生計画と協力に結合して、米国への憧れを演出するツールになった。楽曲もドラマも当時は著作権なしで大量に流れ込んだ。後に当時の使用料まで求められるのだが。
映画やドラマは吹き替えの文化により日本人でも十分に楽しめた。この吹き替えのパワーは世界段トツの力量になる。歌の世界では漣健児による超訳が受け入れらてて、日本人の歌にあざやかに変身した。
この世界の変換期にもうひとつの分野が流入してきたのが「懐メロ」だ。この言葉自身は後につけられたものだが、日本人による日本的な名曲のかずかずを当時の人気歌手が、つぎつぎとカバーして歌ったのだ。
フランク永井の「君恋し」はその一つだが、突出していて日本レコード大賞にまでなったのには訳がある。それは、フランク永井がジャズを志向してきた歌手としてそのセンスと高い歌唱力があったこと。さらに編曲の名手たるビクターの寺岡真三が、原曲のイメージを極限までひきあげたジャズ風のものに完成したことだ。
この大胆なアレンジとジャズ風のフランク永井の歌唱が、まるで新曲のように受け入れられたことだった。本来カバーを賞の対象にすることは想定していなかったのだが、フランク永井の「君恋し」には皆が認めてしまうだけの印象を与えたのだっが。
1961年という年は激動の時期で、フランク永井の「君恋し」は確かに日本レコード大賞を得たのだが、その他の歌や歌手や事件がきらびやかというか、華々しいのがそろっていて、フランク永井・君恋しがトップだよと先頭に取り上げられること自身がまれなのだ。
番組での紹介されていたが、柏戸大鵬同時横綱昇進、巨人大鵬卵焼き人気、東洋の魔女鐘紡バレーボールチーム、米国のテレビドラマの吹き替え放送人気。
前年の1960年は「安保反対闘争」が頂点を迎えた年でもある。歌の世界では、見出しの「和声ポップス元年歌謡からドドンパへ」のごとき、戦後の「日本調+ジャズ」一色から大きな様変わりの変換期だった。
番組はこのあたりの雰囲気を実によく表現していた。
戦前戦後の歌謡曲は同時に日本に駐留した米軍の兵士に慰安を提供するキャンプでの仕事が洋楽を運んできた。ひとくくりでジャズといわれたが、ロックからシャンソンからカントリーから映画音楽からまぜこぜだ。
洋楽は米兵を楽しませながらも、GHQの日本人の文化再生計画と協力に結合して、米国への憧れを演出するツールになった。楽曲もドラマも当時は著作権なしで大量に流れ込んだ。後に当時の使用料まで求められるのだが。
映画やドラマは吹き替えの文化により日本人でも十分に楽しめた。この吹き替えのパワーは世界段トツの力量になる。歌の世界では漣健児による超訳が受け入れらてて、日本人の歌にあざやかに変身した。
この世界の変換期にもうひとつの分野が流入してきたのが「懐メロ」だ。この言葉自身は後につけられたものだが、日本人による日本的な名曲のかずかずを当時の人気歌手が、つぎつぎとカバーして歌ったのだ。
フランク永井の「君恋し」はその一つだが、突出していて日本レコード大賞にまでなったのには訳がある。それは、フランク永井がジャズを志向してきた歌手としてそのセンスと高い歌唱力があったこと。さらに編曲の名手たるビクターの寺岡真三が、原曲のイメージを極限までひきあげたジャズ風のものに完成したことだ。
この大胆なアレンジとジャズ風のフランク永井の歌唱が、まるで新曲のように受け入れられたことだった。本来カバーを賞の対象にすることは想定していなかったのだが、フランク永井の「君恋し」には皆が認めてしまうだけの印象を与えたのだっが。
1961年のシングル・ランキングという表をみて明らかなように、そうそうたる曲だ。どれもがトップになってもおかしくないような曲だ。特に「上を向いて歩こう」とか「銀座の恋の物語」などは「君恋し」を横に置いて先に紹介されることが多い。
活躍していた人たちというリストもすごい。皆当時を代表、あるいはこの時期から著名になったエンターテナーだ。観ながら、ちびりちびりと口にする酒による頭のしびれと、テレビ画面に映るここちよい「君恋し」が重なる。
活躍していた人たちというリストもすごい。皆当時を代表、あるいはこの時期から著名になったエンターテナーだ。観ながら、ちびりちびりと口にする酒による頭のしびれと、テレビ画面に映るここちよい「君恋し」が重なる。
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